EX.2 交流会(1)

 久しぶりに仕事もレッスンもない日の放課後、たまには友達とどこかに寄り道して帰りたいと思って声をかけてみたのだが、

「ごっめん、奏。私、今日は部活だ。珍しく誘ってくれたしそっち優先したいんだけど、大会前だしサボれないわ~」

 クラスで一番仲の良い友人は、そう言いながらパンと手を合わせて頭を下げた。

 他にも親しく言葉を交わすクラスメイトは居たが、彼女たちも部活だったり、あるいはバイトだったりで予定が合わなかった。ちなみに隣のクラスにいる翔子も今日は用事があるということで断られていた。

 とはいえ、まっすぐ家に帰るのも少しもったいなく感じて、奏は学校から駅までの通学路を、いつもより時間をかけて歩く。

 いつもは足早に通り過ぎていたいつもの風景が、今日はどことなく新鮮だった。

 昨日までは気にも留めていなかった、可愛らしいリースの看板を出している雑貨屋さんのショーウィンドーをのぞき込む。菓子パンや総菜パンしか売っていないと思っていたパン屋さんには、バウムクーヘンやケーキまで並んでいた。

 特に目的はなかったがふらりと本屋にも立ち寄ってみた。もう少し売れたら自分たちの書籍や写真集なども出たりするのだろうか、などと益体もないことを考えて苦笑いを浮かべる。

 本屋から出ると、

「あれ、雪村奏?」

 そう声をかけられた。予想もしていなかったタイミングだったので、ドキリとして振り返ると、自分より少し年上に見える女性が少し驚いた表情で立っていた。

「わ、偶然だな。この辺に住んでるの?」

 最初はファンかとも思ったが、それにしてはずいぶんくだけた雰囲気だ。

 改めて、まじまじと彼女を観察する。背は少し高め、肩の上あたりで切り揃えられた黒髪に、キリっとした涼やかな目元に黒子があって大人っぽい雰囲気がある。ブラウンのベストとブルーのリボンタイ、細いチェック柄のスカートは制服なのだろうが品があって良く似合っている。

 かなり整った顔立ちをしているので、おそらく同業者なのだろうが、すぐには思い当たる節がなかった。何かのイベントや番組で共演でもしたのだろうかと、まだ少ない自身の出演歴を頭の中でたどっていると、

「その様子じゃ、思い出してもらえてないみたいね」

 その女性は、にやっと意地の悪い笑顔を浮かべて奏の傍に寄って来る。

 そしておもむろに脇に抱えた鞄から何かを取り出すと、それを持ったまま腕を奏の肩に回す。

「アタシだよ、アタシ。一緒にライブにも出たのに随分じゃねーか」

 その声音にはとても聞き覚えがあって、驚いて彼女が手に持っているものを確認すると、それは赤と銀の髪を模したウィッグだった。

「……エーコさん? サンドリヨンの?」

 驚きすぎて若干声がかすれながらも、そう問いかけると、彼女はいたずらに成功した子供のような笑顔を浮かべて、頷いた。


「ふぅん、じゃあこの後はフリーなのね」

 奏が今日はオフであること、特に目的もなく時間をつぶしていたことを説明すると、エーコ――久能英子は少し考える素振りを見せた後、

「なら、ちょっと付き合わない?」

 楽しそうに笑顔で言うと、奏の腕を取って歩き出した。

 とまどいつつも、拒む理由もないので奏も腕を引かれるがままに付いていく。

 そして10分ほど、若干の速足で歩いたところで、

「お待たせ!」

 英子が視線の先に居た女性に声をかける。

「遅い」

 苛立ちを隠そうともせずに振り返った彼女は、しかし奏の姿を見ると軽く目を見張った。

 そして、奏も予想だにしなかった顔を目にして、思わず息を呑む。

「本城霧香……さん」

 霧香は一瞬の硬直の後、眉間にしわを寄せながらため息を一つついた。

「英子、どういうつもり?」

「別にいいでしょ、知らない仲でもないし」

「そういう問題ではないでしょうに」

 悪びれる様子のない英子に、霧香は呆れたような表情を見せる。

 が、ちらりと奏に視線を向けると、

「まぁ、いいわ。私も興味がないでもなかったし」

 切り替えたようにそう言って腕を組んだ。

「オッケ。じゃあまずは何か食べながら話しようか」

 思惑通りなのか、英子はにっこりと笑みを浮かべてそう言った。


 学校の最寄り駅近くのファーストフード店。

 奏は何度か入ったことがあるが、まさかこの二人と一緒に来ることがあるだなんて、夢にも思わなかった。

「奏はこの店にはよく来るの?」

 さらりと下の名前で呼び始めた英子に、

「たまに、くらいですね。大体学校帰りは仕事かレッスンか事務所なので。レプランに入ってからは食事も少しは考えていますし」

 奏はそう返す。それほどストイックにしているつもりはないが、それでも体力の向上とスタイルの維持、二重の意味で身体が資本なことには変わりない。

「あー。アイドルも大変ねぇ」

 なんだか他人事のように言っている英子に違和感を覚えるが、口には出さずに押しとどめた。

「じゃあ霧香はこういうお店――って、聞くまでもないか」

「失礼ね。来たことくらいはあるわよ。……一度くらいは」

 落ち着かない様子で視線をさまよわせる霧香が少し新鮮で、奏は口元をほころばせる。

「そ? じゃあメニュー決めた?」

 英子が問うと、霧香は慌てたように、

「……あれ、あの、アメリカンクラブハウス…ハンバーガー?」

 明らかに正面のディスプレイで大きく表示されているものから適当に選んだ様子で、たどたどしく読み上げる。最後に余計な名前を付けくわえたのはなぜだろうか。あれはハンバーガーではなくサンドイッチだ。

 そんな彼女の様子を見て、英子も生暖かい目になって微笑を浮かべる。

「ま、いいか。じゃあ買いにいきましょうか」

 そう言って英子が視線を向けてきたので、奏はうなずきを返すとレジに並びに行く、が。

「あれ、霧香、どうしたの?」

 棒立ちになっている霧香に気づいて英子がそう声をかけると、彼女は逆に問いかけるように首を傾げて目を瞬かせる。

「……いや、あの。自分で買うんだよ?」

 まさか、と思いつつ英子が言うと、

「わ、分かってるわよ」

 顔を真っ赤にして霧香がレジに向かった。

「あぁ、いつもは瀬利がいるからね。あの子も甘やかしすぎなんだよな」

 英子が苦笑を浮かべる。

 奏も、霧香はいつも余裕綽綽で完璧なイメージがあったからかなり意外な姿だったが、なんだか親近感がわいてくる。

「ねぇ、ほんとに大丈夫? 財布とか持ってる?」

 にやにやしながら英子が尋ねると、

「子供扱いしないでちょうだい! 持っているし、クレジットカードだってあるし、プリペイドカードにもチャージしてあるし、万全よ」

 そう言いつつ、妙に緊張気味なのがおかしくて、奏はつい吹き出してしまった。


「ところで、二人はお友達なんですか?」

 注文したフードを受け取り、席についてようやく落ち着くと、奏は気になっていたことを尋ねる。

「違うわよ」

 霧香が心外そうに眉をひそめる。

 そんな彼女の様子を見て、くっくっと英子は笑みを漏らす。

「まぁ友達かって言われるとね。でもたまにこうやって会うようになったのは――あれか。私たちが去年霧香の高校の学園祭に呼ばれたのが、きっかけかな」

「サンドリヨンが、学園祭にですか?」

 学園祭に芸能人が出演することも耳にしたことはあるが、それもほとんどが大学の話で、高校ではあまり聞いたことがない。中学の時、学園祭の実行委員をしていた友人が、予算がとても足りないのだとぼやいていたのを思い出す。

「ま、あたしらもまだ駆け出しみたいなもんだったし。それに生徒会長が辣腕だったからね」

 奏がはっきりとは口にしなかった疑問を正しく汲み取って、英子はちらりと霧香に視線を向けながら答えた。

「……え、待ってください。本城さん、生徒会長だったんですか?」

 信じがたい事実をさらりと口にされて、思わずそう尋ねると、

「そうよ」

 何でもないことのように霧香が答える。

「去年って、それこそシンシアリィがメディアへの露出を急速に増やした時期だったじゃないですか。そんな大変な時期に生徒会の仕事もやっていたんですか?」

 愕然としながらそう尋ねたのは、奏自身が今身をもってその大変さを体感しているからだ。

「別に生徒会長だからって、何でもかんでも自分で動く必要はないでしょう。必要なことだけ報告を受けて、方針を考えて、指示を出す。それ以外の仕事は他の役員に適当に振ればいいのよ」

 言うほど簡単ではないだろうとは思うが、それでも霧香が周りをうまく動かす様子は容易に想像できる。

「それでも仕事をしながらそんな重責を担うって、生半可な気持ちでは無理だと思います。あえて生徒会長になろうとした理由って何かあるんですか?」

「理由?」

 奏の質問に、霧香はきょとんとした表情になって呟く。

「理由、ね。特に考えたこともなかったけど。とても当たり前のことだわ」

 その意味が分からず、今度は奏が首を捻るとそれを見て英子が笑う。

「霧香がアイドルになった理由、知ってる?」

 奏が首を振ると、英子は霧香に視線を向ける。

 それを受けて、霧香は軽くため息をつくと、促されるままに口を開いた。

「顔、知能、身体能力、教養、カリスマ性、表現力、声、歌唱力、スタイル、そしてそれ以外のあらゆる面において、私は周囲から突出していたからよ」

 自分でそこまで言い切る霧香に閉口しながら、奏はそれがどうしてアイドルになる理由につながるのかがわからず、頭の中に疑問符を浮かべる。

「察しの悪い子ね」

 それを見て、霧香は呆れたように鼻を鳴らす。

「ただの小学生や中学生が影響を及ぼせる範囲なんて、せいぜい同じ学校のクラスや学年の生徒たち、教師、一部の地域住民あたりまで。それだと狭すぎるのよ」

 霧香の言いたいことがようやく理解できて、奏の背中にピリッと電流が走る。

「私のこの才能は、もっと多くの人に知られて、もっとたくさんの人のために使われるべき。そう思ったから、私はアイドルになったのよ」

 生徒会長になったのも同じ理由ね。当たり前のようにそう語る霧香に気圧されて、奏は引きつった笑みを浮かべる。

 あまりにも傲岸不遜なその物言いも、必ずしも誇張に聞こえないものだから参ってしまう。

「自信過剰――って言いきれないのが、悔しいところだよねぇ」

 英子も奏と同じような印象を持ったのか、苦笑いを浮かべる。

「あら、雪村奏はともかく、あなたは私と同じでしょう?」

 眉をひそめながら霧香が言う。

「中学の時はマジメでお堅い学級委員長だったのが、ある日を境に表現者として目覚めた。何がきっかけとなったのか、あえて聞くようなことはしなかったけど、興味はあるわね」

 英子は、すっと目を細めると、

「……ビーナか」

 舌打ちをして小さく呻く。

「私が個人的に聞いたことで、だれかれ構わず言いふらしていたわけでもないから安心しなさい。それに別に口止めしていたわけでもないのでしょう?」

 今日は英子に振り回されっぱなしだった霧香が、ようやく一矢報いたと笑みを浮かべる。

「でも、私も気になります。良かったら教えてもらえませんか? エーコさんが、アイドルになった理由を」

 奏が強い関心の色を目に宿らせているのを見て、英子はそっと溜息をついた。

「わかった。でも、場所は変えようか」

 はっとして奏が周囲に目を向けると、周りからチラチラと視線を向けられていた。

 自分一人の時は滅多にあることではないから、つい油断していた。

 素顔は知られていないであろう英子はともかく、今は霧香が一緒にいるのだ。

「そうですね」

 奏は苦笑いを浮かべると、手に持っていたハンバーガーにかぶりついた。

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