EX.1 中編

彼女が、いつかこのグループを抜けると口にしたことを、忘れていたわけでは決してなかった。けれど、心変わりをしてくれるのではないか、という淡い期待を抱いていたのは事実だった。

「桐谷。本当に今なのか?」

 彼女の本音を聞き逃すまいと、そしてそれが表に出ないようにと、二重の意味で注意深く羽村はそう問いかける。

「今日のライブはすごく良かった。お前だってそう感じたはずだ。6人それぞれのカラーを出せていて、さらにそれがうまい具合に反応しあい、絡み合って、一つのグループとしての魅力をつくることができていた。桐谷、お前だって例外じゃない。主役の一人として、自分の色を出せていたじゃないか。それを目の当りにしたら、今がグループから抜けるべきタイミングだなんて、とても思えないぞ」

「今はね」

 沙紀は、はにかみながらも少し寂し気に視線を落とす。

「でも、いずれ皆今よりももっと上のステージに上がる。その時に、私はきっとついていくことができない。それは分かっていたことだけど――私が思っていたよりも、少し早かったかな」

 そんな言葉を口にしながらも、羽村の目には彼女がそれを心から納得して望んでいるとはとても思えなかった。それなら、と口を開きかけたところで。

「何を、言っているの?」

 硬い声音で遮られ、羽村は思わず天を仰いだ。

 なぜこのタイミングで、と羽村は内心毒づきながら入口のドアに視線を向けると、衣装から私服に着替えた奏の姿があった。そしてその隣には樋口と玲佳がいる。

 おそらく樋口が2人を連れてきたのだろう。理由は知らないが、本当に間が悪い奴だと恨みがましい目を向けると、それに気づいた樋口はさっと視線を逸らした。

「なんで? 辞めるって、意味わからないんだけど」

 奏は沙紀の前まで歩み寄りながら、強い口調で問い詰める。

「ちょ、奏ちゃん、落ち着いて」

 予想外の展開に、沙紀もあわてたような表情を浮かべる。

「落ち着けるわけないでしょ。今日だってあんなにたくさんの人が来てくれたのに、どうしてそんなこと言うの?」

「奏ちゃん」

 けれど、奏の熱が上がるにつれて、それと反比例するように、沙紀の表情に落ち着きが戻る。

「今、レプランは上昇気流に乗ったところだよ。多分、今なら何をやってもうまくいく。でももう少ししたらこの勢いは必ず止まる。色んなことがその転換点になりうるけど、『脱退』はその切っ掛けの一つになってしまえる。決断をずるずる先延ばしにして、レプランの勢いを止めてしまうことが嫌なの。逆に今なら、それさえもレプランのサクセスストーリーの一環として吸収することができると思う。だから、さ」

 沙紀は淡く微笑んで、首を傾ける。

「ね、――分かるでしょう」

 奏はぎゅっと唇をかみしめて、首を振る。

「分かるわけない。例えそれが事実だとしても、沙紀さんがやめることが前提になっていることが理解できない。ねぇ、なんでそんな話になってるの?」

 奏は苛烈とも言えるほどの視線を沙紀に向けるが、沙紀はそれを受け止めるだけで何も言葉を発しようとはしない。

 その反応に、奏の目から急速に力が失われて、揺れて、下を向いてしまう。

「お願いだから変なこと言わないでよ。沙紀さんがやめちゃったら、私はどうすればいいの? つらいとき、困ったとき、パニックになったとき、落ち込んだ時、勇気が出せないとき、だれが私を助けてくれるの? 沙紀さんがいなかったら、リーダーなんて絶対に続けられない」

 乱高下する感情に翻弄され、奏はぼろぼろと涙をこぼし始める。

 そして沙紀の肩をぎゅっとつかむと、そこに顔を押し当てた。

 その光景は、羽村からすればひどく意外なものだった。ここまで奏が沙紀に依存しているとは思っていなかった。ただ、確かに思い返してみれば、奏にプレッシャーがかかる場面では沙紀がその傍にいることが多かったような気がする。

「奏ちゃん、さ」

 縋りつく奏の頭を優しくなでながら、それでも沙紀は困ったように眉尻を下げる。

「私は、あなたが思ってくれているほど代えのきかない人間じゃないよ。私がいなければ、翔子ちゃんや悠理ちゃん。それにもちろん理央ちゃんや玲佳だって。皆が奏ちゃんを助けてくれる。私が今まで奏ちゃんにしてあげられたことは、きっと誰にでもできたこと。たまたま実際にやったのが私だった。それだけのことだよ」

 沙紀の胸の中で激しくかぶりを振る奏の背中を、沙紀は苦笑いを浮かべながらぽんぽんと叩く。

 そんな彼女の反応から、彼女の決意はたじろぐこともなく、頑なであることがうかがえて。奏は沙紀の衣装をつかんだ手に、ぎゅっと力をこめた。

 すると、奏の背後からすっと腕が伸び、奏の手を掌でやさしく覆った。

「奏さん。大丈夫です。この頑固者には私から言い含めておきますから、気を落ち着かせてきてください」

 そう言うと、玲香は奏が固く握りしめていた指をそっとほどいて、沙紀から奏を引き離した。

 一瞬、奏は不安げな表情を玲香に向けたが、一度目をこすると、うなずいて樋口と共に控室を出て行った。


「さて」

 奏たちを見送ると、玲香が沙紀に視線を向ける。

「私も、聞いていなかったのですが?」

 それほど強い調子の言葉ではなかったが、沙紀は気まずそうに視線を外す。

「私に協力してくれると言っていたのに」

「もちろん、協力はするよ。レプランをやめた後だって」

「それでは意味がないでしょう。あなたが同じグループのメンバーだったからこそ助けられたことがたくさんありました。そしてメンバーでない人たちからの助けは、今までにも十分にもらえていたんです」

 そう言ってしまった後、玲佳は自嘲気味に微苦笑を浮かべる。

「いえ、すみません。好意で協力してもらっていた立場で言えることではありませんでしたね。ただ――」

 沙紀はぞくりと背を震わせた。真っすぐに向けられた玲佳の瞳から、感情の色が消えたような感覚がした。

「私は本当に不思議でなりません。あなたは何を根拠に、自分が周りより劣っていると考えているのですか?」

 射貫くような視線に一瞬たじろぎながらも、沙紀は苦々し気に表情を歪める。

「何を根拠に、って……。今更それを言わせる? 玲佳だってこの世界をずっと見てきたんだから分かるでしょ。私は、あまりにも凡庸で、この世界で輝ける力を持っていない。『本物』には――誰かにとっての特別な存在にはなれない人間なんだよ」

「いいえ、分かりません。私が知っているのは、『本物』と呼ばれている人に備わっているのは、才能と呼ばれる個性と、それを生かすための不断の努力。そして実績の積み重ねです。私には、あなたにその個性も努力も欠けているとは思えません」

 眉をひそめて頭を振る玲佳に、沙紀は力ない笑みを浮かべて目を伏せる。

「そう見える? でもね、実際には私の内側は空っぽで、核心がない。だから個性なんてあるはずがないし、きっと私の努力に見えていたのは、その空洞の周りに張りぼてをつくる作業のこと。最初から輝くような才能を持っていたり、磨けば光るような、そのときがくれば一気に花開くような、そんな可能性を持った本物じゃないっていうのは、もう十分に思い知らされたよ」

「見解の相違、ですわね」

 少し寂しそうに、玲佳は微笑んだ。

 わずかな沈黙の後、再び玲佳が口を開いた。

「ねぇ、沙紀。あなたは少し『本物』というイメージにとらわれすぎではありませんか? 確かにその言葉を使いたくなるほど、才能にあふれた人たちがこの世界にはいます。けれど、そういう人たちが一瞬で表舞台から姿を消すことも、私はたくさん見てきました。私は一流のタレントとは、いつも誰かから必要とされる人物のことを指すと思います。そしてそれは必ずしも才能が傑出した人物ではありません。自分に何ができるのか、何を求められているのかを正しく理解し、経験と実績を蓄積していくことができる人。それは自分が何者であるかを自覚し、どう生きるかを考え続ける人。私は、あなたはそれができている人だと思います。だから、あなたは他の誰でもない『本物』の桐谷沙紀である、という考え方もできませんか?」

「そう、かもね。でもね。私は『本物の桐谷沙紀』でさえないんだ」

 諦めや疲れを感じさせる沙紀の言葉に、玲佳は端正な顔をしかめた。

 玲佳は沙紀の事情を知っている。だから、反論したいけれども簡単な言葉では響かないことも理解している。

「桐谷」

 膠着した空気を感じ取って、羽村が声を発した。

「お前は、アイドルになって、どうしたかった? どういう風になれれば、お前はアイドルを続けていいと、自分で納得することができたんだ?」

 このタイミングでそういう質問をされたのが意外だったのか、沙紀は目を瞬かせた後少し考えて、

「やっぱり、見てくれる人を元気づけられること、かな。うまくいかなかったり、不安なこと、悲しいことがあったり、何か満たされていなかったり、そういう人たちが前向きな気持ちになれるような言葉やパフォーマンス、笑顔を届けること――」

 そんな答えを口にしながら、我に返ったように言葉を詰まらせると、苦い笑みを浮かべる。

「が、できるようになりたかったなぁ」

「できているじゃないか」

 今日のライブの手応えを思い返しながら羽村がそう言うと、沙紀はそっと首を振る。

「それは、私じゃなくてレプランの力だよ。そういう面では私はあまり貢献できてない。この先グループとしての成長――より多くの魅力と強さが求められるようになった時、私は足を引っ張ってしまう」

 どれだけ玲佳や羽村が否定しても、沙紀のその確信はぶれない。その理由を羽村も十分には分かっていない。

 その状況で下手な説得は逆効果だと考えて躊躇していたが、もうこのタイミングしかないと察して、羽村は机の上に置いてあったタブレット端末を手に取った。

「人の心を動かす力なら、お前にもあるさ。証拠があれば、信じられるんだな?」

 そして、怪訝そうな表情を浮かべていた沙紀に、画面を向けた。

「羽村さん。それはズルいよ」

 沙紀は唇を噛んで視線を落とした。

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