第30章 レプリック・ドゥ・ランジュ

 結局あの日のインタビューでは、カナデは自らの個性が何かという問いに対して答えることはなかった。

 その代わりに彼女の理想像を聞いたわけだが、平野からするとカナデはすでにそれに近いものを身に着けている。

 そう思いながら、平野はステージ上のカナデに視線を送る。自分が座っている記者席からは少し距離があったが、それでも表情はよく見えた。

 ライブ終盤、最後の曲だと言って歌い始めた彼女には、登場時に舞台上で座り込んでしまった脆さは全く残っていない。ぎゅっと寄せられた眉、意思の強さが剥き出しになって表れている目、汗で額に張り付いた前髪。平野が知るカナデの魅力がはっきりと表に出ている。

 平野が思う彼女の個性は、夢を見させる力の強さだ。

 彼女が見せる姿、彼女が語る言葉は愚直で懸命さを感じさせ、それを目の当たりにする者に対して『彼女たちには本当に嘘も欺瞞もないのではないか』と信じさせる不思議な力がある。

 その力に、観客は惹き付けられずにはいられない。ただただその純粋さに心打たれたり、その強さに憧れたり、自分を省みて奮い立ったり。形は少しずつ違うかもしれないが、そんな風に夢を見させられている。

 カナデは、自分たちのことをどう受け入れるかを、見る側に委ねることを無責任だと言った。しかし、平野はそうは思わない。自分たちが何を見せるのか、という事に対して全く無頓着ということであれば問題だが、一方でカナデ自身が言ったように、観客が求める価値はそれぞれに違うはずだ。その全てに応えようとするカナデの考えは、あまりに理想主義的だし、責任を負いすぎていると感じる。

 それでも、カナデが伝える者としての理想を追い求めていることは彼女の魅力でもあるし、その強さの源でもあるはずだ。

 これだけの数の人間を惹きこませる伝達能力、あるいは共感能力の高さは平野がこれまで見てきたアイドルたちの中でも稀有なものだった。

 そして彼女のその個性は、他のメンバーにも影響を及ぼしているように見える。彼女たちの夢や指針、取り組み方。カナデに出会っていなければ、それは少しずつ違う形になっていただろうし、きっと彼女たちが今ステージ上で見せている表情はしていないだろう。

 そしておそらくその逆の理屈も成り立つ。カナデがこのような形で個性を発揮するようになったのも、他のメンバーの影響があるのだろう。

 彼女たちが出会わなかったとしたら、その時はその時で、それぞれ別の魅力を得ていたのかもしれない。それでも平野は、今自分が目にしているレプリック・ドゥ・ランジュこそが、彼女たちの他のどの可能性よりも魅力的だと、そう思った。

 最後の曲の歌い終わりにきっちりとフォーメーションを組んで決めたポーズが、彼女たちの表情が、気迫が。平野の肌を粟立たせて、改めてその思いを確信させる。

 けれど。

 歓声を浴びて、ポーズを崩した瞬間。固く閉じていた蕾がぱっと花開くように、カナデたちは一斉に破顔する。その笑顔がひどく可愛らしく、そしていじらしく感じられて、平野の胸がぎゅっと締め付けられる。

 あぁ、そうか。と、平野は納得する。だから、彼女たちはアイドルなのだ。


「つっかれた~」

 控室に入った途端、理央がへなへなと崩れ落ちるように座り込んだ。

 その様子に苦笑いを浮かべる他のメンバーも顔が汗だくで、翔子などは膝に手をついて顔を上げられていない。

 ライブの公演時間はアンコールまで含めて90分。演じた曲数は13曲。他の単独ライブをするアイドルと比べて決して多いわけではないが、これまで長くても60分程度だった彼女たちからすれば、疲労度はかなり大きかったようだ。

「でも、楽しかったね」

 樋口から手渡されたタオルで顔をぬぐいながら、奏がにこりとしてそう言うと、他のメンバーにも笑顔が伝染していく。

「本当にね。やる前はあんなに緊張していたのに、お客さんの反応が良くて途中から楽しくて仕方なかったよ」

 へたり込んだまま、それでも充実感を表情に漂わせて理央がそう言うと、沙紀や玲佳もうなずいてそれに同調する。

 ふと奏が隣を見ると、悠理が淡い表情を浮かべて、目をすがめている。

 こんな姿を目にするたびに、もっと素直に喜んでいいのに、と奏は思ってしまう。けれども、それはどうしても本人の中で簡単に受け入れられないのだろう。

 そんなことを考えていると、少し悪戯心も芽生えてきて。

 奏は悠理の両頬をひっぱって、ぐい、と口角を上げた。

悠理は驚いたように目を見開いて、パチパチと瞬きを繰り返したが、

「悠理、楽しかった?」

 奏が微笑みながらそう尋ねて手を放すと、その意図を察して、

「ええ、もちろん」

 はじけるような笑顔を浮かべた。


 そんな彼女たちの様子を見守っていた羽村の背後のドアが開き、困惑した表情の樋口が部屋に入ってきた。

「あの、羽村さん」

「どうした?」

 表情からトラブルがあったのかと察して、羽村が身構える。

「それが、さっき会場にライブ終了のアナウンスをしたんですけど、お客さんが席を立ってくれなくて。というか、『アンコール』の声が全然鳴りやまないんです」

 ダブルアンコール。ぞわっと、羽村の背筋が震えた。その一方で、先ほど限界間近の様子だったメンバーの姿が脳裏に浮かんできて、奏たちにちらりと視線を向ける。

 けれど奏の瞳には、羽村が思っていた以上にはっきりと彼女の固い意思が顕れていた。

 疲労困憊の様子だった翔子や理央も立ち上がり、表情も切り替わっている。

「雪村――」

「やらせてください」

 念のためにと口にしかけた質問も、それを遮るほどの勢いで、間髪入れずに答えが返ってくる。

 その思いは奏だけでなく、他のメンバーも例外なく共通しているように見えたから。

 羽村は微苦笑を浮かべながら、近くにいたはずのイベント会社の担当者の姿を探す。

 控室の隅に移動していた彼は、電話を耳にあてながら話をしていたが、羽村と目が合うとうなずいて指で丸をつくった。

 すぐに動いてくれた彼に感謝をしながら、

「よし、じゃあ行ってこい」

 そう羽村が許可を出すと、カナデはわずかに口の端を上向かせて、気合の入った表情で控室を出ていく。

 彼女の後を追うように、ショーコにリオ、ユーリ、レイカ、そしてサキが部屋を出てステージの袖に向かっていく。

 その姿を見ながら、羽村はかつて自分が言った言葉を思い出す。

 アイドルは、ヒーローではない。

「俺は、全然分かってなかったんだな」

 そう呟きながら、羽村は感情が高ぶって震えそうになる唇を、ぎゅっと引き結んだ。

 羽村の視線の先にある、彼女たちの背中はまぎれもなく、見る者を惹き付け、憧れられるヒーローのそれだった。


 レプリック・ドゥ・ランジュのメンバーがステージに現れた瞬間、観客席から大きな歓声が沸いた。それを聞いて、平野は胸がつまり、喉奥がぎゅっと締まった。

 驚きはない。アンコールの声がかかった時点で、彼女たちならきっと出てくるだろうと予想していた。

 だから、こんな風に感傷に浸らされたのは、もっと別の理由だ。

 観客がアンコールを望んだのは、彼女たちのパフォーマンスを楽しみ、感動したからだ。その幸福感をもう少しの間だけ持続させたくて、もう一度彼女たちに会いたいと願った。

 そんな観客の姿が、今度はレプランのメンバーに感極まった表情を浮かべさせる。それを見て、観客はさらに大きな声援を送る。

 与え、与えられてめぐる幸せの螺旋は、どこか浮世離れした世界をつくりあげていて、平野の目に輝いて映る。きっとそれは平野だけではなく、今この場にいる者すべてが共有している感覚ではないかと、そんな風に思えてしまうくらいの一体感があった。

 平野はこの現象がこのステージだけの特異なものではないことを知っている。演者と観客が幸せな関係をつくりあげる瞬間は必ずしも珍しいものではない。それでも、今この瞬間、こんなにも平野の中でこみ上げてくるものがあるのは、きっと奏が語った夢を知っているからだ。

 平野はそれを記事にすることはしなかった。まだ早いと思ったからだ。今の段階では、あまりにも現実が見えていない、尊大な、絵空事にしか受け止めてもらえないだろうから。

 でも、それを語った時の奏の表情と熱意を、平野は知っている。

 その時の鮮烈な記憶が脳裏にまざまざと蘇り、ステージ上のレプリック・ドゥ・ランジュの姿と被る。

 そんな状態のまま、平野はただ拍手を送ることしかできなかった。一度だけあふれた涙を拭うことさえ、できずに。


「それでは、最後にレプリック・ドゥ・ランジュの目標を聞かせて下さい」

 あの時、インタビューの最後にそう尋ねると、

「目標、ですか」

 カナデは難しそうな表情を浮かべて腕を組んだ。

 その反応は平野にすれば意外だった。チームとして、当面何を具体的なゴールとして設けているのか。とっくに決まっていると思っていたからだ。

「日本武道館とか?」

 助け舟のつもりで、他のグループから良く挙がるそんなワードを出してみるが、

「え、あの、そうですね、確かにたくさんのお客さんに来てもらってライブをするのは大切で必要なことです」

 カナデはかえって戸惑った様子で答える。

「私たちのライブではお客さんが10人に満たない、なんてこともありましたから」

 けれど平野もまた、彼女の答えはどこかピントがズレているように感じて、内心で首を捻る。

「それでは皆さんの目標は武道館でライブをするという事ですね」

 会話が噛み合っていないのを自覚しながら、平野がそう纏めようとすると、

「いえ、それは違います」

 はっきりと、カナデはそう言った。

「大きな会場でライブをするというのは手段です。目標というのはもっとこう……」

 うまくイメージがまとまらないのか、カナデはもどかしげに眉間にしわを寄せる。

「そう、例えばかつての私のように、自分がとても不幸だと思っている人が、幸せになれる……幸せになるためにできることがあるんだと、そう信じられる世界をつくること」

 ――確かに。確かにそれは、カナデが自分自身の理想の姿を語った時の考え方に連なる発想だ。しかし。

「それは目標と呼ぶにはあまりにも――壮大な夢、ですね」

 平野が絶句しつつも、なんとかそんな言葉を捻り出す。カナデの個性云々の話とはまた違った次元で、目標とするには現実離れしすぎている。

「そう、なのかもしれません」

 カナデはそう言って、一度頷く。

「でも、他の人に夢だと言われたことを実現した人が、これまでにいなかったわけじゃない」

 そうかもしれないが、それは歴史に名を残すような人たちだ。

 半ば呆れながら心の内でそう反駁すると、平野の隣で、ククッと抑えた笑い声が聞こえた。

 いつの間にか、羽村が傍らにきていた。取材の予定時間を超えているので様子を見に来たのだろう。

 それを知ってか知らずか、何事もなかったかのようにカナデは言葉を続ける。

「もしも、夢を叶える人の条件が、それを諦めず、満足せず、貪欲に求め、逆境に抗い続けることができる人だとするなら」

 その時のカナデの表情を、きっと平野は一生忘れない。

「私たちにも、その資格があったって良い」


 ダブルアンコールを終え、ステージ上で深々と頭を下げるメンバーの背中を見ながら、

「さて、忙しくなりそうだな」

 羽村がつぶやくと、傍にいた樋口がこくりと頷いた。

「ですね。早速ですけど、3点連絡があります。1件は普通にお仕事の件。残り2件はちょっとめんどくさい事案ですね」

 思わず渋面を浮かべる羽村の心情など構う素振りもみせずに、樋口は続ける。

「今日中に確認できます?」

「……分かった。やるよ、やる」

 今日くらい余韻に浸れるかと思っていたが、そんな暇はなさそうだった。

「大変ですね」

 他人事のように言う樋口を思わずはたきそうになったが、

「ま、でもやりがいはありますよねぇ」

 ふっと、しみじみとしたように言う樋口に、思わず羽村も毒気を抜かれたように苦笑する。

「そうだな。これから先、どんな景色を見せてもらえるんだろうな」

 そう言って、羽村はステージの上を眩しそうに見つめた。

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