第29話 仲間たち(2)
カナデの隣で、ショーコが一瞬振りを間違えた。けれどそれを表情や雰囲気に出すことなく、すぐに修正し、何事もなかったかのように続ける。
立ち位置を入れ替えるためにすれ違った時に見えた彼女の表情は、『何か文句でもある?』とでも言いたげな、強気なものだった。
「『不屈』、は――むしろあなたの特徴のようにも思いますけどね」
ショーコの個性を答えたカナデに、平野はふむ、と頷きながらもそう口にした。
彼女はカナデがアイドルになった切欠を調べてきていたし、ZIP Fes.のパフォーマンスをチェックもしていた。だから、そう感じたのだろう。けれど、
「もし私が本当にそうであれば、私は今ここにはいません。もっと強ければ私は自分で立ち直ることができて、きっとアイドルになろうとは思わなかった。私は弱くて、色んな人に助けられたからこそもう一度前を向けて、新しい夢を持つようになったんです。私は、私の力だけでは立ち上がることはできませんでした」
カナデはそう言って否定する。
「ショーコは、ずっと女優になりたいって努力していたのに、本人の意思とは関係なくアイドルになることを強いられた。大人たちにも考えはあるみたいだけど、それでも本人にとっては本意じゃなかったはずです。その状況で、歌とか踊りとかトークとか……それに、アイドルとしての姿勢の部分にまで、女優であればきっと必要なかったそういう所で、批判されたりダメ出しされたりすることが多かった。きっと納得いかない事もあったはずなのに、それを表に出すことはほとんどなくて、全部受け止めて、アイドルとしてそれを乗り越えてきた。そのうえで、いつか女優になるという目標をきちんと意識し続けている。仕事だから当たり前って言えばそれまでだけど、私は彼女のそういう所を、尊敬しています」
「ショーコさんがアイドルではなく女優を目標にしているということは、メンバーの皆さんはご存知なのでしょうか」
「はい、知っています。初めて会った時にすでにそう口にしていましたから」
その時のことを思い出して、カナデは含み笑いをする。
「そのことに関して、他のメンバーから反発はなかったんですか?」
少し不思議そうな表情で平野が問うが、
「ありませんでした」
カナデは即答する。
「もしも彼女が、少しでもいい加減な態度を見せれば、すぐに誰かが注意したと思います。でもそんなこと一度もなかった。ショーコはいつも真剣に、アイドルとして責任を持って普段から取り組んでいました。そうであれば、私たちが不満を持つことなんて何もないんです」
「……なるほど」
カナデの目をじっと見つめた後、平野はそう言ってうなずいた。
「それでは、ユーリさんの個性はどうでしょうか」
平野が次の質問を向けると、カナデは視線を落として、しばらく沈黙した。
「……『勇気』」
ようやく出てきた答えがあまりにも意外で、
「勇気、ですか?」
平野は思わずそう問い返してしまった。
「はい」
カナデは眉を寄せながら、少し複雑そうに微笑む。
「本当は、ちょっと悔しいです。私はお客さんに勇気を与えることが目標だから、私自身も勇気を体現できる人でいたいと思っています。でも、レプランで一番勇気があるのは、多分ユーリなんです」
「それは、私にとっては意外な答えです。どうしてそう思うんですか?」
ほう、と思わず息を漏らしながら、平野は興味深そうに視線をカナデに向ける。
「ユーリは、ライブの前、メンバーの中で一番緊張しているんです。着替えをしてメイクをし終えた後や、リハーサルやマイクテストを終えた後。控室の片隅で、目を伏せて一人でじっと座っている様子をよく見ます。指を組んで、顔色も真っ白で。ちょっと声をかけることさえためらってしまうくらい」
平野は相槌を打ちながら、聞き進める。カナデが語るその様子は、気弱そうなユーリの姿を知っている平野にとって、イメージしやすい。
「それなのに、いざステージに立つと堂々としたパフォーマンスをする。だからなおさら、どうしてここまで緊張するんだろうってすごく不思議でした。いいステージを作れてライブが成功して、マネージャーさんやお客さんからも褒められて、普通だったら自信がつくじゃないですか。でもいつまで経ってもユーリが慣れる様子はなかった」
確かに不思議だと平野がうなずくと、でしょう?とカナデが苦笑いを浮かべる。
「でも、やっとわかったんです。それは少し前に野外のイベントでライブをさせてもらった時のことでした。そのライブの途中、ユーリがソロに入った瞬間に機材トラブルで全ての電源が落ちてしまったんです。曲が切れて、ライトが消えて、マイクも入らなくなって。夕方から夜にかけての時間で、薄暗くなっていたんですけど、珍しくサキさんやリオも焦ったような表情を浮かべていたのがおぼろげながら見えました。そんな状況で、ユーリは何事もなかったかのように歌い続けました。いつものように、少し儚げで、優しくて、でもよく通る歌声で。あたかも一連のアクシデントが予定通りの演出だと語っているかのように」
カナデは誇らしげに、あるいは悔しげにも見える表情で、そう語る。
「どうしてあの状況で、そういう対応ができたのか、その後聞いてみたんです。そうしたら、そういう事もあるかもしれない、ってライブの前から考えていたんだそうです」
「準備をしていたという事でしょうか」
平野がそう尋ねると、カナデはうなずく。
「ユーリがライブ前に緊張していたのは、色んなケースを想像していたからでした。本人は『私は怖がりだから、次から次に嫌なことを思い浮かべてしまうんです。ああなったらどうしよう、こんな事になったらどうしよう、って。そして、自信がないから、何か起きても大丈夫、という風には考えられないんです』って言っていました。皆はきちんとできているのに恥ずかしい、なんてことさえ口にしていました。でも、私は逆だと思った」
カナデは、ぎゅっと手を強く握る。
「私は、確かにライブ前はあまり緊張しない。でもそれは、何かあっても何とかなる、と根拠もなく安直に考えてしまっているからです。自分の中の不安や恐怖と戦うことを避けている。ユーリは、真正面から向き合って覚悟を決める、勇気を持っていたのに」
へぇ、と平野は内心で感嘆する。まだ場数をそれほど踏んでいないこの少女が、こういう捉え方をするのか。
「でも、皆が同じように本番前に緊張や不安で余裕のない状態になるのも正しいとは思えません。特にリーダーであるあなたは。それに、あなたがユーリさんと違うのは、『根拠もなく何とかなる』と思っているからではなく、『何かあれば何とかする』と思っているからではありませんか? それは考えたくないことから目を背けているのとは違うと――少なくとも、私にはあなたの決意と覚悟の表れのように思えます」
差し出がましいとは思いつつも、平野は我慢できずにそう口にする。
けれど、カナデはあいまいな笑みを浮かべてはにかむ。
「それは多分買い被りすぎですけど……でも、ありがとうございます」
平野はほんの少しもどかしさが胸の内にわくのを感じながらも、それを抑えて言葉を続ける。
「それでは、カナデさんご自身の個性はどうでしょうか」
「私、ですか?」
自分自身のことは聞かれないと思っていたのか、首をわずかに傾げながらカナデは意外そうな表情を浮かべた。
「え、っと……自分ではよく分からないのが本音です。私に他の皆のような人に誇れるような個性があるかと言えば、私には思いつかない」
それを聞いた平野の胸の内に、怒りにも似た苛立ちが生まれる。
「カナデさん。私がレプリック・ドゥ・ランジュの特集を組むことを企画したのは、あなたを見たからです。あなた自身がこのグループを輝かせている主な要因の一つです。そんなあなたに個性が、魅力がないなんてありえない」
冷静にインタビューを続けていた平野の言葉に熱がこもり、カナデは戸惑いの表情を見せる。それでも平野は、
「私の目から見たあなたの魅力はたくさんあります。でも今聞きたいのはそういう他人の目から見えるものではなくて、あなたの内面的なものなんです。そしてそれはあなたにしか語れない。時間がかかってもいいし、わかりやすくなくてもいい。あなた自身に、自分が考えていることを、語ってほしいです」
感情をまっすぐにぶつけるように、真正面から語る。
それを受けて、カナデは困惑の表情を浮かべながらも、やがて口を開いた。
「自分がこうでありたい、ということなら」
始めに断りを入れて、言葉を続ける。
「愛情の深い人になりたい。誇り高くありたい。センターとして皆の軸となりたい。不屈の人でいたい。そして勇気のある人に、なりたい。とてもいいお手本が、私の一番近くにあったから。私は憧れずにはいられなかった」
平野はそれを聞いてうなずく。メンバーのそういう面を見せられて憧れを抱くのは、自然なことだ。しかし、
「でも」
平野の内に生じた反論と同調したかのように、カナデも逆接の言葉を続ける。
「他の誰かができることを、私ができるようになったとしても、それはあまりグループのためにはならない。私は私として、グループに貢献できる何かを持ち合わせていないといけない。それが何なのかをずっと考えてきたんですけど――」
カナデの言葉が途切れ、かすかに眉間にしわを寄せる。その先の言葉を続けるための覚悟ができるまでに、わずかな時間を要して。
「私は、人の願いを、受け止められる人になりたい」
そう言い放ったカナデを前にして、平野は言葉を失う。彼女の表情を見れば分かる。その言葉の意味は、軽くない。
「ライブに来てくれる人が良く口にする言葉があります。『がんばって』。私たちが頑張っている姿を見て、自分も頑張れる。元気が出る。そう言ってくれるんです。最初は純粋にうれしくて、ありがたかった。それは私がアイドルを目指した理由の一つだったから。でもしばらくして、ようやく気づきました。私は、それを喜んでいるばかりじゃいけなかったんだって。私には、多分甘えがあった。私たちにできるのは、歌って踊って、少しお話をすることくらい。それを一生懸命やって、その結果として元気になってくれるお客さんがいれば嬉しい。そんな風に考えてしまっていた。でもきっとそれだけじゃダメなんです」
平野は内心首を捻る。それがダメだという彼女の根拠が理解できなかったからだ。
それでもカナデは半ば確信めいた表情で言葉を続ける。
「ライブに来るお客さんにとって、感動したり、元気になったり、勇気を与えられたりすることは『目的』のはずなんです。だとしたら、私たちは『自分たちはやることをやって、その先はお客さんの受け取り方次第』なんていう無責任な姿勢でいることは許されない。お客さんが、何かを頑張るための力を求めて――そういう願いを持ってライブに来てくれるのなら、私たちはそれに応えるための努力をしないといけない」
ようやく、平野にもカナデの言いたいことが分かってきた。けれど。
平野が微妙な表情で眉をひそめるのを見て、カナデは苦笑する。
「分かっています。きっと難しいことだし、もしかしたらおこがましいことなのかも、って私も思います。ライブに来る人は一人一人事情が違って、違う思いを抱えている。そんな人たちをひとまとめにして、彼らの願いをかなえたい、っていうのは傲慢なのかもしれません」
カナデは今まで平野に一度も見せなかった弱気な表情になって、視線を落とす。
それでもぎゅっと手を強く握ると、
「でも、それならせめて、私は彼らの願いを向けられるにふさわしい人であれるよう努力をしたい、です」
平野に強い視線を向けながら、そう言った。
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