第27話 ステージから

 その後、集合時間を少し過ぎてから、羽村と他のメンバーが会場の控室に入ってきた。

 案の定、樋口は奏たちが先に入っていることを伝え忘れていて、羽村から叱られていた。

 メンバーはそれぞれ普段よりは固い表情になっていたが、どこか覚悟が決まったような態度で、柔軟や発声練習などの準備を黙々と進めていた。

 そして本番の十分前になって、着替えを終えたメンバーが円陣を組む。

「JIP Fes.のステージを、覚えてる?」

 羽村に促されて、奏が口を開く。

「あの時、驚くくらいのお客さんがステージを見てくれていたけど、私たちはどこか他人事みたいな感覚だったよね。私たちのファンは、そこにはほとんどいない、って知っていたから。でも、今日は違う」

 ちらりと、奏は羽村に視線を送る。

「実際、今日何人来ているのか私は知らない。でも、満員でも100人に満たなくても、関係ない。今日のお客さんは、私たちを見るためにここまで来てくれた。その事実は変わらなくて、私たちはそれに応えなくちゃいけない。頑張ろう。今日来てくれた人全員を、満足させるために」

 メンバー6人がそれぞれに目配せをして、笑って、うなずきあって、掛け声を合わせた。


「雪村」

 円陣を解いてステージへ向かうカナデの背中に向けて、

「良いんだな、本当に観客の入りについて知らなくても」

 最後の確認とばかりに羽村が声をかけた。

 羽村としては結果をステージ上で知って動揺するくらいなら、事前に知って心の準備をしておいて欲しいと考えている。しかし、

「大丈夫です。さっき言いましたよね。私は変な先入観なく、お客さんの数に関係なく全員を満足させるために全力を尽くしたい。だから、必要ないです」

「……分かった」

 そう言ってステージに向かうカナデの背を見送りながら、羽村は小垣との会話を思い出す。


「はあ?」

 大城シティホールでのライブで、もしも客席が埋まっていなければ、責任を取らせてほしい。そう願い出た羽村の話を聞くと、小垣は眉を跳ね上げて渋面を作った。

「おっ前……」

あきれ果てて言葉も出ない。そんな顔をしながらしばらく黙った後、

「そんな鈍いやつだったか?」

 溜息混じりにそう言った。

 それでもその意味が図れずに戸惑った表情を浮かべる羽村に対して、小垣は言葉を続ける。

「JIP Fes.の後、レプリック・ドゥ・ランジュの評価についてちゃんと調べたか?」

「えぇ、もちろん。SNSやネットで評判を確認してみましたが、残念ながらそれほど大きな話題にはなっていなくて――」

「そりゃ、ブレイク前のアイドルが2000人くらいの客の前でちょっといいパフォーマンスしたくらいじゃ、そんな分かりやすい反応は出てこないだろ」

 分かり切ったことを、とばかりに小垣は首を振る。

「でも少ないながら感想はあっただろ? その内容はどうだった。何かがこの先につながっていきそうな、熱量を感じるものだったか? ネットに上がらない、生の声はどうだ。お前が直接聞けてないなら、聞いた人、聞ける立場の人――例えば夏目とか現場に取材に来ていたライターとかに確認したか? それに出演したラジオや雑誌の記事の反応は。局や出版社に問い合わせたのか?」

 その質問に対する回答を持ち合わせておらず、羽村は押し黙ってしまう。

「お前の仕事はプランを立てて実行するだけじゃない。次のプランを立てるための根拠作り、情報収集が不可欠だ。分かっているつもりだったのかも知れないが、その追求が全然足りていない。もしそれを全部やって、それでも結果的に情報が少なかったのだとしても、その情報からある程度精度の高い予測をできるようにならないといけない。無名のグループがシンシアリィや光線モザイク、サンドリヨンに並んだという事実が、どれほどの影響を持つのか、推し量る手段を、お前はもってなきゃいけない」

 そう苦言を述べた後、小垣はふっと表情を緩めた。

「なぁ、羽村。レプリック・ドゥ・ランジュは俺がメジャーデビューを認めたんだぞ。そのグループが、週末の首都圏駅近の会場っていう好条件でライブをするんだ。これが5000とか1万とかならともかく、1500人?」

 そしてニッと不敵な笑みを浮かべる。

「余裕だろ」


 カナデはステージ裏の扉を開き、先頭に立ってステージへ向かう。いつも登場時に流している曲に乗って、歓声が聞こえる。それがいつもよりもやけに大きく聞こえて、カナデは自らの鼓動が高鳴っているのを自覚する。

 そしてステージ脇にたどり着くと、カナデは振り返ってメンバーと視線を合わせた。そして頷きを交わし合った後、ステージの中央に向けて歩を進める。けれどその途中で――

 覚悟は、決めていたつもりだった。

 観客が少なくても、来てくれたその人たちに向けて、感謝の気持ちを伝えたい。観客が多ければ、一人一人にきちんと届くように頑張りたい。

 けれど事前にそんなことを考えていた頭の中が真っ白になるくらい、顔を上げて視界いっぱいに広がる観客のペンライトの光が、応援の歓声がキラキラに輝いていて。

 カナデはこみあげる嗚咽をこらえるように両手を口にあてて、ステージの上でへたり込んでしまった。

「……満員じゃん」

 カナデの後に続いて登壇したリオが、どこか呆然とした表情になりながら、つぶやく。

 その隣でサキがぎゅっと唇を引き結んで頷いた。レイカは目を細めて微笑み、ユーリは真っすぐに視線を観客席に向ける。ショーコは両手を腰に当てて、うつむく。

 それぞれが、その一瞬に万感の思いを込めて。

「よっし。じゃあ行こうか、カナデちゃん」

 サキが気持ちを切り替えるように笑みを弾けさせると、先陣を切って歩き出した。

「だね。いつまでもボケっとしてる暇はないか」

 リオはそう言って、跳ねるように自分の立ち位置へと向かう。

「確かに、あまりお客様をお待たせするわけにも参りません」

 レイカも観客に手を振りながら、移動を始める。

 ユーリはふうっと息を大きく吐いた後、カナデと視線が合うと、ニコっと笑って前へ進む。

 そして、ショーコは、カナデの背中をぽんっと叩くと、彼女もまたステージの前の方へと足を進める。

 ステージに並んだ5人の背中は、目を離せなくなるくらいにカッコよくて、カナデは自分の内から強い感情が湧くのを感じる。それはあの時自分を救ってくれた、あのアイドルに感じた気持ちと良く似ているようにも思えた。

そしてその5人が並んでいる真ん中に、ぽっかりと一人分のスペースが空いていることがまた、ひどくカナデの心をざわつかせる。感動、感謝、喜び、幸福感、重圧。溢れる感情の奔流に、硬直してしまったカナデを待ちかねるように。彼女たちは一斉に振り返り、皆がカナデに視線を向ける。サキとレイカは励ますように、リオは少し呆れたように、ショーコとユーリは心配そうに。その表情は様々だが、そのどれもがカナデの身体と心に力を与えてくれる。

 カナデはゆっくりと立ち上がると、カナデの立つべき場所へ向けて歩き出す。

 そして、マイクを口元に持っていった。

「こんにちは。レプリック・ドゥ・ランジュです。今日は貴重な休日を使って私たちのライブに来てくれて、ありがとうございます」

 そう言って深く頭を下げるカナデにならい、他の五人も同じように深いお辞儀をする。

 大きな拍手を浴びながら、数秒後に頭を戻したカナデは客席をぐるりと見渡す。

「正直に言うと、この場に立つまでは、ものすごく不安でした。こんな大きな会場で本当にできるのかって。私たちはデビューして間もなくて、自信を持てるような技術も、経験も、実績もなくて……。だから、まさか、こんな――」

 そこまで言ったところで、カナデは言葉が継げなくなる。震えをこらえるように唇を噛み締めて、顔をうつむかせた。

 そんな彼女を見守るような空気が客席から流れ、励ます声も上がる。

 それに応えるように、カナデはぎゅっとマイクを強く握り、顔を上げて真っすぐ前に向けた視線に力をこめる。

「まさか、こんな景色を見せてもらえるだなんて、思ってもいませんでした。今、この瞬間に私たちが抱いている思い全て、このライブに込めて皆さんに伝えたいと思います」

 そう言って、カナデがマイクを持った腕を下ろすと、背後で他の5人が移動を始める。

 そして彼女たちの位置が定まったそのタイミングで、イントロが流れ始めた。

「私たちの新曲、メジャーデビュー曲です。『六色の勇気』」

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