第26話 次のステージへ(4)

 JIP Fes.放送後の周りの反応は、奏が想像していたよりは穏やかなものだった。元々大騒ぎになるなどとは思ってはいなかったが、それでも学校で知らない人から声をかけられることもあるかもな、くらいには思っていた。

 ただ、実際には事前に出演することを伝えていた仲の良い友人から祝福の言葉をかけられたくらいで、それ以上のことは起きなかった。

 それ自体には、そんなものか、くらいの感想しかなかったが、次のライブのことを考えると不安を覚えざるを得なかった。

 SNSの反応も気になるところではあったが、羽村からはエゴサーチは禁止はしないが勧めないと言われている。その理由については、良いにしろ悪いにしろそれでモチベーションがあまり左右されてしまうのも良くないからだ、と説明されたが、実際には悪い結果になる方が可能性が高いと羽村も思っているからだろうなと奏は考えている。だとすれば、彼の「勧めない」という方針は彼なりの老婆心で、それに反発する必要もないと思って結局奏はSNSを見ていない。他のメンバーも同様のようだった。


 その後はレッスンも大詰めに入り、小田や高宮の指導にも熱が入る。奏たちも日をまたぐごとに手応えを感じて、良い時間を過ごせていることを感じながら――ライブ当日を迎えることになった。


 大城シティホールは大城駅から徒歩5分ほど。迷っても大丈夫なように、奏も早めに来る予定ではあった。が、

「さすがにちょっと早すぎたかな……」

 奏が集合場所であるホール裏口の駐車場に着いたのは、集合時間の1時間前。

 どうも緊張するとスケジュールに余裕を見すぎる傾向がある。

 後30分ほど待てば誰か来るだろうか、などと考えながらも少し途方にくれていると、

「あ、奏!」

 そう声をかけられて、思わず驚きの視線を向けてしまう。

「もう、だから早すぎなんだってば。外だとまだこの時間は寒いし、体調崩しちゃったらシャレにならないわよ」

 呆れ気味にそう言ったのは、樋口だった。

「樋口さんこそ。どうして居るの?」

 集合時間より早く来るタイプではないと思っていたので、思わずそう尋ねてしまった。

「私は設営に立ち会わないといけないからさ。ほら、こんなとこ居ないで、もう入っちゃおう」

 そう言うと、奏の手を引いて裏口から中に入っていく。

「ほら、ここがあんたたちの控室。衣装も置いてあるから、準備が終わったらもう着替えちゃってもいいよ」

 樋口は手に持った館内図の一区画を指し示し、それからその場所がある方角へ指を向ける。

「まぁ迷うことはないと思うけど一応この館内図渡しとく。悪いけど私はこれからステージの方行くから」

 奏は頷きを返しながら、

「あ、私が中に入ったこと、羽村さんには――」

 思い出したようにそう確認する。すると、

「分かってる。伝えとくよ」

 そう言って樋口は慌ただしく移動を始めた。うっすらと不安を感じながらも、渡された館内図を確認しながら、控室に向かう。

 それほど広くもないバックヤードなので、樋口の言った通りさほど迷うこともなくたどり着く。

「失礼します」

 そう言いながら扉を開くと、先客が居た。

「あれ、奏も早く来ちゃったんだ」

 床に敷いたシートの上で柔軟をしながらそう言ったのは、理央だった。

「なんか、落ち着かなくて、さ。理央は?」

 ばつが悪そうに頭を掻きながら奏が問うと、理央も苦笑を浮かべる。

「同じだよ。奏と」

「そっか、なんか意外だな。理央はいつも芯があってブレないから、私たちの中では一番動じない子だと思ってた」

 そんなことないから、と自嘲気味に視線を伏せる理央の表情には謙遜の色はなく、本心からそう思っているようだった。それが奏にはかなり意外で、

「不安?」

 思わず疑問が口に出てしまった。

 最初は面食らったような表情で言葉が出ない様子だったが、

「そうだね」

 少し表情を崩して、理央は肯定する。

「はっきり言おうか。あたしは今日のライブ、成功するビジョンがいまだに見えないんだ」

「どうして?」

 想像以上に後ろ向きな言葉が出てきて、奏はさらに質問を重ねる。

「あたしは、いつもお客さんの表情や反応を見ることを意識してる。この人はどんな所で盛り上がってくれるのか、あの人はどの場面で笑顔になってくれるのか。いつもより元気なさそうであれば、視線を送ったり手を振ったりしてレスを返してみようか、とか」

 確かに、パフォーマンス中のファンへの対応や気配りはレプランの中では理央がダントツだ。ライブやイベントに来てくれたファンの顔や名前を覚えるのも、沙紀とともに二人が飛び抜けて早い。そういう彼女だから、

「これが、50人、60人くらいまでならギリギリなんとかなる。でも、今日何人入るかわからないけど、やっぱり1000人とか想像もできないよ」

 こんな不安に行き着くのも、十分に納得できる。

「そうだね。確かにライブ中に1000人全員の表情を見ながら歌ったり踊ったりするのは、無理だよ。だから、難しいことだけど……やっぱり考え方を変える必要があるんだと思う」

「考え方を?」

 ピンとこないのか、理央はいぶかしげに眉をひそめる。

「そう。理央はさ、アイドルって何のためにいるんだと思う?」

「何のためって……」

 とまどった表情を浮かべながらも、

「夢を与えたり、元気を与えたりするため?」

 理央はそう答える。

「その相手は誰?」

「……ファンの皆、でしょ?」

「本当にそうかな?」

 言っている意味が分からない、と首をかしげる理央に、奏も難しい表情で考えを整理しながら言葉を続ける。

「私たちを好きになってくれた人のために頑張りたい、という気持ちは私だってもちろんある。でも、それだけでいいのかな? 例えばたまたま私たちをテレビで見てくれた人、いつか私たちの映像を何年も後に見てくれた人。そういう人たちにも私は何かを届けたい。それなら私たちは、多分――」

 悩みながら、それでも確信めいた視線を理央に向けて、

「特定の誰かのためじゃなくて、皆のため。あるいは誰でもない誰かのために、頑張るべきなんだと思う」

 奏はそう言い切った。そして、

「少なくとも私があの人たち、あのアイドルたちに憧れたのは、私のために歌って踊ってくれたからじゃない。あの人たちはきっと、目の前のファンだけじゃなくて、その先に居る誰も彼もを幸せにしようとしてた。だから私は、ファンやそれ以外の人たちに対しても、絶対的に公平でいたいと思う」

 そこまで言ってしまってから、しまったな、と奏は表情を歪ませる。

 結局思いついたことをそのまま言う形になってしまって、理央の不安を和らげるという本来の目的から大分外れてしまった。むしろ、これでは反発を招くだけだ。

 恐る恐る理央に視線を向けると、

「奏は―—」

 しかし意外にも理央は穏やかに微笑さえ浮かべている。

「本当にマジメで率直な考え方するよね」

 どうやら怒りよりも呆れや感心が先に来たようだ。

「ごめん。私の考えを押し付ける形になっちゃったかも。理央とは完全に逆の考え方になっちゃってるよね」

 奏はそう反省の言葉を口にしたが、理央は少し考え込む素振りを見せながらも静かに首を振る。

「そんなことない。言ってることは分かる。でも、私はそこまで割り切れないかな。ずっと応援してくれたファンが、他の――特にファンじゃない人と比べて違う対応を求めてくるのはとても自然なことだと思うし、あたしたちはそれを無視しちゃダメだと思う。もちろんファンの要求全部受け入れることもダメだとは思うけど、これに関しては必要なことでしょ」

 確かにそう言われてしまうと、奏にも否定する材料がなくて頷きを返してしまう。

「ま、でもさ。お客さん一人一人の顔が見えないから不安だっていうのは、確かにあたしの甘えだ。観客が多い時には、多い時なりの楽しませ方を、あたしたちの方から発信しないといけない、ってことだよね」

 そう言って、理央は吹っ切れたような笑顔を見せる。

 本当に頭が良くて強い子だ、と奏は改めて思う。芸歴の長さも一因なのだろうが、それでも自分より年下の小学生に、奏は尊敬の気持ちを抱きながら、頷いて笑顔を返した。

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