第20話 現在位置

 JIP Fes.の開催期間中、会場となったコンベンションセンターの一室には臨時の救護室が設けられていた。

 その一画で、奏は衣装姿のまま、赤く腫れ上がった右足に氷嚢を押し当てていた。

「雪村。もう一度確認するが、古傷を再発させたわけじゃ、ないんだよな」

 険しい顔で羽村が問うと、奏も表情を硬くしたまま、うなずく。

「事故の時は骨折だけでしたし、今回も多分ただの捻挫です。痛みの質も違うから、関係ないと思います」

「……そうか」

 ようやく、羽村の表情が少しだけ和らぐ。しかし、奏の目が真っ赤に充血しているのを見て、羽村は慎重に言葉を選びながら会話を続ける。

「もちろん反省点もあるが、最終的には俺は良かったと思っている。お前個人ではなく、グループ全体として見れば、パフォーマンスはアクシデント後の方がむしろ良かった」

 奏はうなずきを返しながらも、険しい表情は変わらない。

「ミスは出る。それは経験や技術を積み重ねても変わらない。大事なのはその後どうするかだ。ミスを引きずってパフォーマンスを落とすようでは話にならないし、お客さんにそんなことがあったなんて忘れさせるような何かを見せられればいい。そういう意味では、今日は悪くなかった」

「でも私は――」

 羽村のフォローにも、奏は何かこみ上げるものをかみ殺すように、ぎゅっと拳を強く握る。

「皆で作り上げたものを、あの場所で出せなかった。壊してしまった。皆であんなに練習して、先生たちにも根気強く指導してもらって、ようやく形にできたあれを私のせいで。それがすごく悔しくて、申し訳なくて、たまらないんです」

 眉間に寄せたしわをぐっと深くして、奏はうつむいた。

「それは違うだろう。お前が自分で言ったんじゃないか。お前があの場で出さなくてはいけなかったのは、練習で完成させたものだけじゃない。それを含めた『すべて』なんだろう? 皆が本気で完成させようとして、その思いを共有できていたから、あのパフォーマンスを出すことができた。それでいいじゃないか」

「……は、い」

 小さく、そう口にして、奏は言葉を終える。納得したからだ。理屈については。

 けれど感情が、心がそれに追いついていないことは、その表情から明らかだった。


「落ち着いたらステージの脇に来てくれ。氷はその辺に置いておけばいいから」

 足に湿布を張り、包帯を巻き終えると、羽村は奏にそう伝えて医務室から出た。

 しばらく一人にしておいた方が良さそうだと判断したからだが、

「うおっと」

 扉から出てすぐにそんな声をあげてしまった。

「何してるんだ、こんなところで」

 羽村にそう問われて、扉のすぐ脇にいた翔子と沙紀が気まずげに顔を見合わせる。

「いやぁ、やっぱり奏ちゃんがちょっと心配でさ」

 頬を掻きながら沙紀が答えた。

「フォロー入れた方がいいかな、とも思ったし。でも、うん、こういう状況なら、適任は翔子ちゃんなのかな」

 沙紀と羽村からそれぞれ視線を向けられて、翔子は一瞬とまどった表情を浮かべるが、

「わかったわ」

 そう答えて、医務室に入っていった。


「てっきり、来るなら全員だと思ってたよ」

 羽村が控室に向かって歩きながら、並んで歩いていた沙紀にそう言うと、

「うーん、本音はみんな奏ちゃんのところに行きたかったと思うよ。でもさ、皆で来られても奏ちゃんは困るでしょ。だから他の皆もすごく心配だったんだろうけど、遠慮してくれたんだと思う」

 ああ、それは正解かもな、と羽村も頷きを返す。

 そんなことを話しながら控室の扉を開くと、その瞬間、羽村の方に悠理、玲佳、理央の視線が向けられた。

「あのっ、奏さんは――」

 間髪入れずに立ち上がり、慌てた様子で問いかける悠理に、羽村は両手を掲げて落ち着くように促す。

「大丈夫だ。ケガも大したことなさそうだし、ショックを受けた様子はあったけど、王生もついているから問題ないだろう」

「そう、ですか」

 ほっとした様子を見せながらも、完全には落ち着かないのか立ったまま右手を口元にあて、悩まし気に視線をふらふらとさまよわせる。

 そんな悠理の肩に、玲佳が手を置いて優しく微笑んだ。

 その様子を見ながら、羽村がちらりと視線を横に向けると、沙紀と目が合い、ニッと笑みを返してきた。

「さぁ、そろそろ移動するぞ」

 メンバーが落ち着いたのを見計らって、羽村が全員に向けて声を張り上げた。

「今日の大本命の、パフォーマンスを見させてもらおう」


 医務室に入った翔子は、奏の姿を視認すると、ぴくりとわずかに眉をひそめた。

 そしてゆっくりと歩み寄ると、奏の座っていたベンチの横に、すとんと腰を下ろした。

 しばらく沈黙が続いた後、

「奏、さ」

 おもむろに、翔子が正面を向いたまま話し始めた。

「初ライブで、私が派手に失敗した時。そばにいてくれたわよね。何も言わずに」

 翔子は、あの時のあの失敗を、忘れることはないだろうと思う。

「あれ、嬉しかったのよ。あの時は慰めの言葉もつらかったから。だから、私も同じことをしようと思った。でも言わなきゃ伝わらないこともあると思ったから、少しだけ」

 語りながら、翔子は少し表情を和らげる。

「あの時私が一番辛かったのは、皆の足を引っ張ってしまったこと。もちろん、自分自身の甘さとか覚悟のなさを自覚してショックを受けたのはあるけど、でもやっぱり一番はそこだった。前へ前へ、皆で進もうとしたその矢先に、私が勝手に転んで、皆の歩みを止めてしまった。奏も、多分そう感じてるのよね?」

 こくりと頷く奏を横目に見ながら、翔子は微笑を浮かべる。

「だったら、それは見当違いよ。私たちは、もうあの時とは違う。あの時みたいに、誰かに手を引かれて恐る恐る連れまわされているだけの子供じゃない。自分の目で見て、頭で考えて、心で決めたことをするために歩いている。だから、誰かが転んだとしても足を止めたりしない。振り返って、心配そうな表情を見せることもない。立ち上がって、追いついてくるって、信じてるから。うぅん、知ってるから」

「でもっ!」

 これまでじっと翔子の言葉を聞いていた奏が、たまりかねたように叫ぶ。

「絶対に失敗しちゃいけない場面っていうのはあって、今日は間違いなくその日だった。皆が歩くはずだった道を、私が消しちゃったのかもしれないの――」

「バカ」

 呆れたような、寂しそうな、何とも言えない表情を浮かべて翔子は奏の頭にやさしく手を置いた。

「沙紀にも言われたんでしょう? 責任を全部背負う必要はないって。もしも貴方のミス一つで断たれてしまうような道なら、それは私たち全員の力が足りてなかったからよ。たった一つのミスをカバーできないくらいの力しかないなら、レプランにはその先に進む資格はない」

 翔子は立ち上がって、奏の方を振り返る。

「ふふ、それにしてもちょっと意外。奏がこんな風に弱みを見せてくれるの、初めてじゃない? 私、奏のこと完璧なスーパーマンみたいに思ってたかも。そんなわけないのにね」

 そう言って、少し照れたように笑う。

「さ、立って。道はまだなくなっていない。それなら私たちは進むしかない。だから、行きましょう。まだこの先があると信じて」

 翔子はゆっくりと奏に向けて手を伸ばす。

 それをじっと見つめて、ためらいながらも、奏はそっと自分の手を差し伸べた。


 翔子が奏に肩を貸しながら、ステージの脇にたどり着いた時には、すでに羽村と樋口、そしてレプランの他のメンバーが集まっていた。しかし彼らは二人が来たことに気付かずに、じっとステージに目を向けて集中していた。それほどに、シンシアリィのパフォーマンスは圧巻だった。

 彼女たちの特徴の一つは、メンバーの多さだ。今日JIP Fes.に出演した今までのグループの中で、最大は8名。対してシンシアリィはその倍以上の17名。そうなれば、ダンスの迫力は増し、歌声の厚みも増す。一方で、全体のイメージが取っ散らかった印象にならないで済んでいるのは、メンバー個々の技術が高く、正確でズレのない歌と踊りを実現できているからだ。

 そしてもう一つの特徴にして最大のストロングポイントは、本城霧香という圧倒的な個の存在だ。

 長い手足に、モデルのようなプロポーション、切れ長の目。そんな身体的な特徴を持つ一方で、彼女はその黒目がちの瞳に、強い意思と自信、それから不思議な愛嬌を宿す。

 ステージ上の表情一つ、視線一つで他者を惹きつける力を持ち、自分の優れた容姿の魅せ方を知っていてどのシーンを切り取っても絵になる。

 シンシアリィのコンセプトは、はっきりしている。

 霧香という唯一無二の華を、いかにして飾り立てるか。

 彼女以外の16名はそれぞれに魅力を持ちながらも、あくまで主役を立てることに注力する。霧香が花なら、自分たちはその魅力を最大限に引き出す一流の茎、一流の葉、一流の花瓶であろうとする。それが高いレベルでの調和を生み、『シンシアリィ』という一つの作品を、完成度の高いものにしている。

「見とれちゃうね」

 感心したように、けれど珍しくどこか悔しさを含んだような表情で、沙紀がささやいた。

 それを聞いて、奏も頷いて肯定する。シンシアリィが披露しているこのパフォーマンスは、おそらくアイドルグループとしての完成形の一つだ。けれど、同時にこうも思う。おそらく、「完成形」と言えるものは一つではない。そしてシンシアリィが見せているものと、レプランが目指す姿とは必ずしも一致しないのではないか。漠然とであるが、そんな風に思った。

 

 霧香がいなければ、『シンシアリィ』は成り立たない。けれど、『シンシアリィ』の中でこそ霧香は最高の輝きを見せることができる。

 おそらくこのライブ会場の中で、最もアイドルというものが分かっていない晃でさえもそれが理解できるほどに、その相関関係ははっきりと表われていた。

 確かに、あれだけ祐希が推してくるのも、納得がいく。それだけのものを見せられている。そう感じながら晃はちらりと祐希に目を向けると、顔を紅潮させ、完全に入れ込んだ状態でペンライトを一心不乱に振る姿があった。正直に言うと、ちょっとだけ引いた。

 そして一曲目を歌い終えたところで、霧香が客席をぐるっと見回して、マイクを口元にもっていった。

「この中で、私たちを初めて見る人はいるのかしら?」

 そう問われて、晃を含めてちらほらと観客の手が挙がる。

「そう。良い事だわ。私たちにとっても、あなたたちにとっても」

 ふっと笑って、霧香はしたり顔で頷く。

 そんな彼女に向かって、なんでー、と問いかける声が観客席から上がる。

「だって、私たちからすればファンが増えるということだし、あなたたちだって応援するアイドルが増えて楽しいでしょう?」

 背筋にうすら寒いものを感じて、晃は自分の口元をかすかに引きつらせる。

 彼女は、自分たちを見れば自分たちのファンになると言っている。他のアイドルのファンであっても、そうでなくても関係なく。そして彼女自身の表情が、それを冗談ではなく本心から言っているのだと語っている。

 その傲慢さを彼女は自覚しているのか、それとも無自覚なのか。いずれにせよそのメンタリティは並であるはずがなかった。

「祐希、あの子何歳なんだっけ?」

「17歳だよ。それがどうかしたのか?」

「いや、純粋にすごいなと思ってさ。俺やお前が17歳の頃、あんなに堂々と人前で自分を出したりなんて絶対できなかったよな」

 何かにあてられたように力なく笑って見せる晃に、ふむ、と祐希も同意するように頷く。

「まぁな。でも年齢は関係ないんじゃね? あれが一流ってことなんだろ、きっと」

 祐希の言葉は、とても的を射たものに思えて、晃も素直に納得することができた。

 彼女が傑出した人物であることに異論のあろうはずもない。けれど、だから彼女に魅かれたのかと言えば、果たしてそうなのだろうかと疑問を持ってしまうのも事実だった。


「どう思う? 雪村」

 シンシアリィが2曲目に入ってから、おもむろに羽村が奏に問う。

「……すごいです」

 少し表情を硬くした奏が、そう答えて頷く。

 端的すぎる回答に羽村が苦笑いを浮かべているのを見て、奏も少しばつの悪そうな表情になる。

「素直な感想です。人数が多いのに、皆が足並みをそろえて、同じ方向を見て、イメージを共有している。簡単なことじゃないって分かるし、凄みを感じる。あれが、トップクラスのアイドルなんですね」

「どうかな。シンシアリィをトップクラスというのはまだ早いと思うぞ。もちろんいずれそうなる可能性は十分にあるけどな。彼女たちの事務所の先輩、BYTHバイスみたいに」

「あれより――シンシアリィよりも上がいるんですか?」

 絶句した奏に代わって、翔子が目を見開いてそんな疑問を口にする。

「なんだ、見たことないのか? いつもテレビに出てくるようなアイドルだぞ?」

「見たこと、あるよ。私は。でも、やっぱりテレビ越しと直接目の前にするのとでは違う。BYTHとではレベルの差はあるのかもしれないけど、やっぱり本物だよ。あれは」

 理央がどこか神妙な表情でそう評する。

「かもな。でも上にいる連中のことを考えたら、シンシアリィとは同等のレベルにいないとダメなんだ。お前たちは」

 ごくりと、誰かが息をのんだ。

 奏は改めてステージ上の霧香に目を向ける。彼女から立ち込めるオーラ、その眩さは、どうしようもないくらいに、本物だった。

 あれに、並ぶ。

 羽村の言う通り、アイドルとしてこの先を進むためには、それは必要なことなのだろう。けれどそれが実現できるかと考えると、簡単にはそう思えなくて、奏は唇を噛み締めた。

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