第19話 レプリカ

 歌う曲は『レプリカ』。

合宿中にできた新曲もある。けれど、この正念場でこの選択以外は、あり得なかった。


 6人が縦一列に並んでフォーメーションを組む。列の先頭に立ったカナデが歌い出しだ。

 イントロが流れる中、改めて観客を前にして、カナデはこの曲の作曲者と作詞者に会った時のことを思い出す。二人ともまだ若手だったが、熱意も意欲も本当に強くて、奏たちにもこの曲を作った思いを聞かせてくれた。

 『どんな人に、どんなことを伝えたいか。それがないと曲なんて作れないんです』

 彼らのそんな言葉を思い出しながら、カナデはくすりと微笑み、息を吸った。


 悲しい瞳をしてる人が いることを知っているの


 歌いながらカナデは手を後ろに回し、すぐ後ろにいるショーコと手をつなぐ。

 つないだ手を中心に、二人が身体を回転させつつ位置を入れ替わる。

 その間に視線があって、自然と笑みをお互いに向けあう。


 寂しくて肩を震わせる人が いることを知っているの


 ショーコが歌いながらカナデと向き合って手を合わせ、弾かれたように左右に分かれていく。

 同じような振りのパターンを、わずかな時間差をつけながらリオとユーリ、サキとレイカのペアでそれぞれ繰り返す。

 歌詞は、直球で王道の応援ソング。助けや救いを必要としている人を前にしながらも、できることは限られる。そのもどかしさを感じながら、でも。

 サビに入ると、カナデたちは横一列に並んで半身になり、両拳を脇の下に当てた。


 この背中の羽根は 本物ではないけれど

 あきらめる理由になんて ならないから

 いつか本物を超えてみせる そのために

 私は 羽ばたかせる



 晃は、いつの間にか彼女たちから目が離せなくなっているのを自覚すると、軽く頭を振った。

 確かに、彼女たちが笑顔を浮かべながらこちらに向ける視線には、強い意志と熱を感じる。けれど、それは他のグループにもあったはずのものだ。彼女たちのそれを特別に感じるのはなぜなのか、その答えが出てこなかった。

「意外だな」

 間奏に入ったところで、祐希からぽつりと独り言のような言葉が漏れた。

 晃からその意図を問いかけるような視線を向けられているのに気づくと、

「最近増えたんだよ。歌唱技術やビジュアルとかの不得手な部分を変に誤魔化さず、動きや表情のメリハリをつけて一生懸命さをアピールするグループ」

 わずかに苦みを含ませた表情で、祐希が説明する。

「何年か前にそのやり方で一気にブレイクしたグループがあって、そのフォロワーってことなんだと思う。だけど、俺はどうにも二番煎じにしか見えなくてこのタイプにはあんまり惹かれなかった。俺はどちらかというと、可愛くあろうと努力するタイプの方が好きだからというのもあるかも知れない」

「その感覚はわかるな」

 祐希の説明に同意して、晃がうなずく。

「彼女たちも方向性は同じはずだ。あのリーダーの子がさっき自分で言っていたように、彼女たちは持って生まれた才能や技術で魅せるタイプではないし、自分の魅せ方を計算して自己演出できるタイプでもない。シンプルに、自分たちの内面にある熱を表現しているだけに見える。ただそれも、信念とまで呼べるほどのものじゃない。そういう意味では、まだ彼女たちは本物とは言えない」

 聞きようによっては酷評ともとれるが、祐希の表情はそうは言っていなかった。

「それなのに。彼女たちには真似とか偽物とかいう風には感じさせない何かがある。ただ一生懸命というだけではない、何らかの、強さ。……正直言って、キャリアのない彼女たちにこんな感想を持つなんて思わなかった」

 そう言って、祐希は視線をまた彼女たちに戻す。

 それにならうように、晃もステージに目を向ける。

 二番まで歌い終わり、メロディラインが変わるとカナデがソロで歌い、踊り始めた。ボリュームを落として、ゆっくりと。それから曲のテンポ、盛り上がりに合わせて、振りも速く、激しくなり――

「あ、」と思わず晃が声を漏らす。

 ステップを踏んだカナデの右足が地面に着いた瞬間、がくんと急に力が抜けたように膝が折れ、転倒した。

 まわりの観客が息を呑んだのを感じながら、晃も唇をかむ。いたたまれないという気持ちと、それとは別に、悔しいという気持ちが同時にこみ上げる。いつの間にか随分彼女たちに感情移入していたようだ。

 けれどカナデは、膝をついたその姿のままで。

「そこで――」


「そこで、その笑顔を出せますか」

 じっとステージ上のカナデを見ていた羽村の背後から、そんな声が届いた。

「……夏目さん」

 驚きを隠せずに、羽村は振り返る。

「大丈夫なんですか? こんなところに居て」

「大丈夫ではないです」

 悪びれずに言う夏目に、羽村も何とも言えない表情で苦笑いを浮かべる。

 それはそうだ。本番中なのだから、ステージの裏でも表でも、夏目の仕事は山ほどあるはずだ。

「なら戻った方が……」

「羽村さん。目を離さない方がいいですよ」

 羽村の言葉には取り合わずに、夏目は視線をまっすぐにステージに向けている。

 それにつられるように、羽村が再びカナデに目を向けると。

 彼女は、片膝を立てた状態のまま、観客の心配そうな視線、同情の視線、嘲りの視線、すべてを一身に受け止めてなお、一切の迷いのない輝くような笑顔で堂々と続きを歌い上げている。

 その姿を目にして、羽村はぎゅっと拳を握る。

 がんばれ。声にはでなかったが、口が勝手にそう動いた。

 そして最後の大サビに入る直前、フレーズのわずかな合間に、カナデはすっと立ち上がり、その周りに他のメンバーが立ち並ぶ。

 羽村が見たこともない表情を浮かべた彼女たちは、すっとポジションを整えて、動きをそろえる。

 一番苦しんで、悩んで、失敗もしてきたパート。この曲最大の、この見せ場で。

 完璧な、ユニゾンだった。

 デビューの時に初披露して以来、間違いなく最高の出来だ。

 この瞬間、この曲に関してこれまでに見てきたいくつものシーンが、羽村の脳裏に浮かんでくる。最も多く歌った曲だから、最も多くの表情をカナデたちは見せてきた。初めて披露したときの少し不安げな表情。歌い終えて拍手を浴びた時の誇らしげな表情。失敗して裏で涙を流したメンバーの姿。

 ぐっと強烈にこみ上げるものがあって、羽村は肩を震わせたが、まだ早すぎる、と懸命に唇をかんでこらえた。


「なんか変わった、よな?」

 晃が思わず漏らした言葉に、祐希がうなずきを返す。

「ダンスの動きが大きくなってキレが増した。歌もそれぞれ張りが出て、ハモるパートがよく通るようになってユニゾンの迫力も格段に上がってる。でも何より、表情が全然違う。皆さっきまでは自分のことで精いっぱいで自信なさそうな子もいたのに、今は視線に力があって、百パーセントこっちに向けられている感覚がある。うまくなったとかじゃなくて……気迫が格段に増した感じがする」

 自分では漠然とした雰囲気しか感じられなかったが、そういう風に言葉にできる祐希に、晃は感嘆の視線を向ける。

「や、でも俺もプロじゃないから細かいところは分かんないし、ただの個人的な感想だぜ?」

 祐希は少し気まずげにはにかみながらそう謙遜したが、晃にも納得できるほどの説得力があった。

「変わった理由ってさ」

 半ば確認のような口調で晃が問いかけると、

「多分、な。あの子が、失敗したからだと思う。それをみんながカバーしようって、思ったんだろうな」

 祐希が同意するように首を縦に振った。

 カナデ以外の5人は、あからさまに彼女を心配するような様子を見せたりはしていない。けれど、明らかに彼女たちの動きにはギアが入っていた。

「できるんなら最初からそうしてろよ、って見方もあるんだろうけど――」

 苦笑交じりに祐希が言うが、晃はそれには同意できずに、あいまいに首を振る。

 確かにプロとして、どんな状況でも今できる最高のパフォーマンスをするべきだという考えは理解できる。けれど晃としてはこんな風に何かのきっかけで、普段出せなかったパフォーマンスをできるようなその不安定さ、ドラマ性が人間味があっていいと感じる。

 それを裏付けるように、今歌い終えて笑顔で歓声に応えている彼女たちの表情は、きっといつもより輝いていて。晃にとってはとても魅力的に思えるものだった。

 ただ、歌い終えたその瞬間。その笑顔を浮かべるまでの一瞬の間。カナデがうつむいて、歯を食いしばったように見えたのが、晃にはひどく印象に残ってしまった。

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