第18話 登壇
ステージの袖に戻ってくるエーコと、奏の視線が合った。
汗まみれで、顔を紅潮させたエーコがニッと笑みを浮かべる。
けれど奏は何も反応を返さず、視線を彼女から外して、まっすぐにステージに向けた。
ステージ上ではサンドリヨンの次のグループがパフォーマンスを始めている。彼女たちもまた、メインステージ組だけあって歌唱もダンスもレベルが高い。
奏はステージに向けていた視線を一度切ると、ぎゅっと胸のあたりを掴んだ。それでも指先はかすかに震え、ドクドクと鼓動の音が高鳴っているのを感じる。
この次が、レプリック・ドゥ・ランジュ。そのステージで何をなすべきなのか、奏は改めて考えていた。けれど、
奏は首を振って、それを中断する。今更、迷うことなんてない。
それを確かめるように、奏は後ろを振り返る。
翔子と悠理は少し固めの表情のまま、頷きを返す。
理央は期待感を瞳に宿しながら笑顔を見せた。
玲佳は緊張などおくびにも出さず、にこりと普段通りの微笑みを見せる。
そして沙紀は大丈夫だというように優しい目を奏に向けてきた。
そんな彼女たちの反応に、奏の口元にも笑みが浮かぶ。そして奏が前に向き直ると、ちょうどスタッフの合図が目に入った。
「さぁ、行こうか」
そう言って、奏は足を踏み出した。
その日、JIP Fes.に参加した観客の一人である沢城晃は、元々アイドルが好きなわけではなかった。もっと言えば、アイドルにもそのファンにも良い印象を持っていなかった。
たまにテレビで見るアイドルは可愛くはあったが、歌唱力は他の本格派のアーティストとは比べるべくもなかったし、トークやコメントもありきたりの事しか言わず、彼女たちを出演させる意味なんてあるのだろうか、と思ってしまうくらいだった。
そんな彼女たちを応援するファンについても、彼女たちの魅力が分からない晃にとっては奇異な存在で、可愛い女の子たちをもてはやすだけの、浮ついた人たちにしか見えなかった。
だから、同級生で一番仲の良い友人――今、隣で顔を紅潮させながらペンライトを振っている近藤祐希のことだ――に強く誘われなければここに来ることはなかっただろう。
けれど、実際に生でアイドルたちのパフォーマンスを見て、祐希がハマる気持ちも理解はできた。
晃が思っていたよりもずっと、アイドルもファンも、本気だった。本物の熱があった。
「祐希。悪かったよ。アイドルも、バカにできたものじゃないんだな」
不意に晃がそう声をかけると、
「……だろ?」
一瞬とまどった表情を浮かべた後、にやっとしながら祐希が得意げに言う。そんな彼に向かって、晃は苦笑しながらも頷きを返す。
「で、お前のお目当てはあとどれくらいしたら出てくるんだ?」
「あぁ、ラストの組なんだよ。だから、次9組目だろ?10、11……後30分くらいだな」
「そうか、もう3分の2が終わってるんだな」
始まる前はどれだけの時間飽きずにいられるのか不安なくらいだったが、思いの外集中できていて、しっかり楽しめているようだった。
「次の出演グループのことも知ってるのか?」
祐希はアイドルに全般的に詳しいようで、これまでに出てきたグループについても軽く解説をしてくれていた。けれど、
「いや、俺はこのグループ知らないんだよな。メインステージに出られるようなグループなら、名前を聞いたことくらいあるはずなんだけど」
そう言って首を捻っていた。
「そうか。まぁデビューして三か月って言ってたし、それでなくとも最近アイドルグループ多いって聞くしな。そういうこともあるだろ」
などという会話をしていると、当の本人たちがステージに出てきた。
一見して、他のグループとの違いは分かりやすく表に出ていた。簡単に言えば、素人臭さが出てしまっている。
大観衆を前に、驚きやとまどい、不安といったものをちょっとしたしぐさや表情に表してしまっていた。
大丈夫なのだろうか、と思わず晃がそんな風に思ってしまった瞬間、彼女たちはお互いに視線を交し合って、同時に頷く。
それで、彼女たちの表情が集中したものに切り替わった。
「皆さん、こんにちは。多分、ほとんどの人が初めましてだと思います。『レプリック・ドゥ・ランジュ』です」
晃の予想とは違い、歌からではなく挨拶から入った。
「私がリーダーのカナデ。そしてメンバーの、ショーコ、リオ、ユーリ、サキ、レイカです」
名前を呼ばれたメンバーがそれぞれに手を挙げ、そのまま客席に向かって笑顔で手を振ってみせる。
そして全員の名前を呼んだ後、カナデがマイクを再び口元に持っていき。しばらく沈黙が続いた。
予定では、この後いつもライブでやっている各自の自己紹介をやるはずだった。
しかし、カナデには迷いが生じていた。
自己紹介は観客に自分たちのキャラクターを覚えてもらうためにするものだ。
けれど、すでに何十人も同じようなことをしていて、しかも自分たちが一番知名度がない。
今この時、この場でそれをしたところでその目的を達することができるのだろうか。
……いや、この流れは皆で考えたものだ。自分の勝手でそれを変えるわけには――
そう思い直したところで、なぜかショーコと視線が合った。
彼女は、ふっと笑って、かすかに唇を動かした。多分、おそらく、『いいよ』と言ったように思えた。
それは都合の良い解釈だったかもしれない。だけどそれに背を押されて。
「今の私たちには何もかもが足りない」
リオたちが、驚いた表情をカナデに向けるが、彼女の表情を見て、それを受け入れたような表情で苦笑いを浮かべる。
「今、ここまで皆さんがこのステージで見てきたような、圧倒的な歌唱力だったり、一糸乱れぬダンスだったり、人を惹きつけるカリスマ性だったり。そんなものは、私たちは持っていない。だったら、私たちはこのステージで何を見せるべきなんだろう。それは今日だけじゃなくて、ライブをする時にいつも考えていたことです」
こういう事を全て言葉で伝えようとするのは、とてもカッコ悪いことだとカナデは思う。
本当は、その答えはステージの上のパフォーマンスだけで観客に伝えられるようにするべきだ。
だけどカナデには、今の自分たちの力でそれができるとは思えなかった。
だったら。何も言わずに、何も伝わらずに終わるくらいだったら。
みっともなくて良い。恥でも構わない。冷たい、嘲りの視線も受け入れる。
観客の今日の記憶に、わずかにでも傷跡を残せるように。あがいてやる。
「何を見せられるか。皆で懸命に考えて、悩んで、そして気付いた。悩むことが無意味だってことに。だって、最初から答えは出ていた。今持っているすべてを出し尽くすこと」
ステージ上で語り始めたカナデに対し、晃はとまどいを覚えた。
他のグループは、限られた10分という枠の中で、むしろMCを削ることに腐心していたし、それが正しい方針だと晃も思っていた。けれど、
「それはもちろん練習で培ってきたこと、学んできたこと、経験したことも含まれてる。だけど、本当に見せたいものは、私たちのもっと根源の部分。私たちが、今ここに立っている理由。かつて私たちがどこかのステージの誰かに見せられ、惹きつけられ、憧れ、そうして私たちをここまで引きずり出した、あの何物かを。私たちは見せなければならない。見栄とか恥とか自尊心とか遠慮とか理屈とか、そういう余計なものをすべてそぎ落として、最後に残るあの何かを、私たちはさらけ出さないといけない」
彼女の言葉が熱を帯び始め、その熱にあてられたかのように晃の意識が引き込まれる。
「だから、見ていてください。これが、私たちの『すべて』です」
その時のカナデの力強い、煌々とした目を見て、晃は粟立った自らの腕を軽くさすった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます