第16話 邂逅

 JIP Fes.――ジャパン・アイドル・プロモーション・フェスティバルは今回で7度目の開催となる。毎回首都圏のコンサートホールやイベントスペースで開催されているが、今回は都内の大型コンベンションセンターが会場となり、同センター内の2000人収容の大ホールをメインステージ、500人収容の小ホールをサブステージとして2日間に渡って開催する。なお、1日目が女性アイドル、2日目が男性アイドルを対象としている。

 このフェスの理念は「今、見せたいアイドル」に活躍の場を与え、業界を活性化させるということだった。そのため、出演者は人気が確立した有名なアイドルではなく、まだ一般には無名だがブレイクの兆しを見せている、くらいの立ち位置のアイドルが主となる。出演者は主催者側で候補を選定しオファーを出しているとのことだったが、その基準については明らかにされていない。ただ、結果としてここからブレイクするアイドルも多く、その基準に疑問を差し挟む余地はなさそうだ、というのが大方のファンの見解だった。

 まだ世間的には十把一絡げのそういった出演者の中で比べても、レプリック・ドゥ・ランジュのキャリアは浅く、実績もない。だから、羽村は当然サブステージ側で出るのだと考えていたが、主催者側からメインステージでの出演を打診された。嬉しい反面、驚きも強かったが、利が多かったために羽村は二つ返事で了承した。

 そして合宿を終えてから1週間後、ついに本番当日を迎えた。


「よし、こんなもんかな」

 鏡に映った奏の姿をまじまじと見つめた後、樋口が満足そうにうなずいた。

「うん、可愛いじゃん」

 隣に座っていた翔子が、微笑みながら同意する。

 少し照れながら奏が隣に視線を向けると、自分以上にバッチリと髪もメイクも決まった姿があって、

「翔子に言われてもな」

 思わずそんな言葉が漏れた。

 どういうこと? と本当に不思議そうな表情を浮かべている翔子に、奏のみならず、翔子を挟んで奏とは逆側に座っていた悠理も苦笑いをしていた。

 そんな悠理も、しっかりとメイクアップされていて愛らしい姿になっている。事実を知った今でも、とても男性とは思えない。

「ごめんね、こういう時こそ本当はちゃんとプロにお願いしたいところなんだけどさ」

 申し訳なさそうに樋口が目を伏せると、

「うぅん、髪もメイクもこれだけ綺麗にしてくれたら十分だよ」

 奏が首を振る。

「そうよ。今までだってファンの人から褒められたこともあるし、私も気に入ってる。むしろ、どうして樋口さんプロにならなかったのかな、って思うくらい。ちゃんと専門学校卒業したんでしょう?」

 翔子もそう言って奏に同調する。

 デビューライブ以来、レプランのメンバーのメイクやヘアセットは樋口が担当していた。スタイリストは別の専門家と契約していたが、主に予算の問題から樋口の経歴が考慮されて抜擢されたのだ。

「ん、まぁめぐり合わせとか、さ。学校でも私よりうまい人ばっかりで、執着もなかったし。でもマネージャーになれて、私が本当にやりたかったことは結局できてるわけだから、判断としては間違ってなかったのかなって思ってるよ」

 そう語る樋口の表情に陰はなく、そっか、と奏は安堵に似た表情を浮かべた。

「ほら、無駄話はここまで。あんま時間ないし、残りの三人呼んできて」

 パンパン、と切り替えるように樋口が軽く手を叩くと、奏たちは頷いて部屋を出ていく。

 奏たち6人に対し、樋口が1人でメイクやヘアセットをすると、どう工夫しても待ち時間が長くなってしまう。それはとてももったいなかったし、さほど広くないこのメイクルームをあまり占有してしまうのも気が引けた。だから、3人ずつ交代で行うことにしたのだった。

 奏たちが控室にたどり着くと、沙紀たちがすぐに気づいてくれて部屋を出る準備を始めた。奏が控室の自席に戻ろうとすると、すれ違いざまに沙紀が

「頑張って」

 と囁いた。奏が思わず振り返ると、沙紀が少し心配そうな表情を浮かべていたが、視線が合うと元気づけるかのように、微笑みを浮かべた。

 その反応の意味が分からず、小首を傾げながら奏が視線を戻すと、ふと妙に目立つ姿が目に入ってきた。

 三人グループのようで、共通して黒を基調とした衣装を身に着けているが、とにかく目立つのが頭で、それぞれ赤、黄色、緑に染め、頭頂部は雪をかぶったような銀色をしていた。化粧も仮装かというくらい濃く、耳や指、鼻や口にもじゃらじゃらとアクセサリーをつけていて、アイドルというよりもロックバンドのメンバーのような風体だった。

 そのうちの一人と奏の視線が合うと、にっと、思いの外人懐こい笑みを浮かべてきた。人を外見で判断してはいけないと、こっそり反省していると、

「ねぇ、あの人たち誰?」

 その部屋にいた、別のグループの少女が二人こそこそと話し合う声が聞こえた。

「えー? 知らないけど、さっき出演者リストにあったあれじゃん? 何だっけ、全然聞き覚えがないやつ」

「あ! あったねぇ。一組だけ全然無名のグループ。そのレベルの人って向こうの小さいステージに出るのが普通よね。なんでこっちのホールでやれるのかな?」

「なんかね、夏目さんとコネがあったらしいよ」

 ちらちらと奏たちの方を見ながら、おそらくわざと聞こえるようにそんな話をしている。

 あぁ、沙紀が言ってたのはこのことか、と奏は納得する。当然といえば当然の反応だと思ったが、

「あれぇ? 天下の『シンシアリィ』がずいぶん狭量な物言いするじゃねーか?」

 先ほど奏と目が合った、赤髪の女性が口を挟んできた。

「ま、所詮アンタたちは女王様の取り巻きだしな。器の大きさ見せろっていうのも酷か?」

 明らかに揶揄する口調で続けると、

「あんたね、いい加減に――」

 それに反応して噛みつこうとする少女を、相方の少女が押しとどめた。

「放っておきなさいって、あんなの。それより、もうリハに戻ろう。そろそろ私たちも出番のはずだよ」

 そう諭されると、忌々し気に一瞥をくれて、二人は部屋を出て行った。

「エーコ、あんたはまた……」

 緑色の髪の女性が、赤髪の女性に向けて呆れた表情を向ける。

「はは、悪い。でもさー、アタシああいうのマジで反吐が出るからさ」

 そんなことを言いながら、エーコと呼ばれた女性がからからと笑う。

「あの、」

 一応かばってくれたようなので、奏も声をかけようとすると、

「あぁ、アンタたちも気にしない方がいいぜ。あんなクソみたいな牽制。あの辺が、あいつらが偽物たる所以だよな」

「……偽物?」

 エーコの辛辣な物言いに苦笑いを浮かべていた奏だが、最後のワードに引っかかって、眉をひそめた。

「このステージに立つ人に、本物とか、偽物とか、そういうのあるんですか?」

 合宿を経て、ステージに立つまでにどれだけの努力が必要か身に染みて理解した奏にとって、エーコの言い方は聞き流せないものだった。

 けれどエーコはぱちくりと目を瞬かせて、そして、あぁ、と声を漏らした。

「そうか。アンタたちはこういう、アイドルやアーティストが集まるステージに出るのは、初めてなんだな」

 くすりと漏らした笑みは、どこか攻撃的で迫力があった。

「本物と偽物なんていう違いがあるかって? あるさ。一目瞭然だ。『差』は残酷なくらいはっきりと出る」

 そう断言されて、奏は言葉を失う。

「『シンシアリィ』は今日出演するグループの中では、多分一番知名度があって、所属事務所の力も断トツだ」

 エーコのその評価を、奏は頷いて肯定する。

 『シンシアリィ』の所属事務所は過去何組ものトップアイドルを輩出した業界最大手の一つだ。現在のアイドル勢力図の中でも、トップ集団の一つとみなされているグループを手掛けている。その後輩グループとして、今最も力を入れて売り出されているのが『シンシアリィ』で、最近は各種メディアへの露出もかなり増えているようだった。

「確かに、あのグループのメンバーに選ばれた時点で、全員がそれなりに秀でたものがあって、努力も怠ってないんだろうよ。でもな、そんなの関係ねぇ。あのグループで、本物はたった一人。それ以外はいくらでも替えがきく、ただの引き立て役なんだよ」

「努力では、あなたの言う『本物』にはなれないってこと?」

「そうだ」

 無情な回答は一切の迷いも躊躇もなく示されて、奏も鼻白む。

「私は――」

 それでも、奏は睨むような強い視線をエーコに向ける。

「私は今の自分が本物なんかじゃない、って分かってる。でも、だからってあのステージに立つ以上、偽物でいるわけにはいかない。あなたの言ってることは分かるけど、納得はしない。なれない、って言われてもやるしかない。私は、私たちは、本物になってみせる」

 正面から否定されることを覚悟の上で、奏は自分の思いを口にしたが、エーコは、へぇ、と軽く声を漏らしただけだった。肩透かしをくらった感覚でいると、

「アンタ、名前は?」

 突然、そんな質問をされた。

「雪村奏。レプリック・ドゥ・ランジュのカナデ」

「そうか。覚えとく。ちなみにウチは三人グループで、こいつがベース」

 エーコはそういって、隣にいた緑髪の女性を右手の親指で雑に示す。

「園生美奈。ビーナよ。よろしく」

 苦笑交じりに本人が補足するように名乗った。

「んで、あれがドラムのシイル。椎木詩留」

 再度、無造作に後ろを指で指し示しながらそう紹介すると、

「どうもっす」

 黄色い髪の少女が軽く頭を下げた。エーコやビーナと比べると少し年下に見える。

「最後に、アタシはエーコ。久能英子。ギターとボーカルやってて、うちらのグループ、『サンドリヨン』のリーダーをしてる」

「サンドリヨン……シンデレラのことでしたっけ?」

 奏の隣で悠理がそう尋ねると、サンドリヨンのメンバーはお互いに苦笑いを向け合う。

「間違っちゃいないね。まぁ、良くそう言われるし実際その通りなんだけど」

 エーコはそう言って肩をすくめる。

「名前の由来は、そのまんま。サンドリヨン。もしくはシンデレラ。でもイメージしたのは童話の内容じゃなくて、その語源。アタシたちはお姫様なんてガラじゃねぇ。ただの、灰かぶりなんだよ」

 そう言うと、エーコはなぜか悠理の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「意味わかんねーか? ならこの後ステージを見てくれよ。損はさせねぇから」

 そして思い出したように、もう一度奏に視線を向けると、

「あ、そうそう。何か勘違いしてるようだから念のため言っておくな。アタシは努力で本物にはなれないと言ったけど、それは努力なんて当たり前に皆がやっていることで、必要条件の一つに過ぎねーからだ。間違えるなよ。アタシは今本物でないやつが、今後も本物になれない、とは言ってない。むしろ逆だ。今皆に本物と認められている奴らの中で、最初からそうだった奴なんて本当にわずかだ。努力を続け、技術を磨き、意志を貫き、ほんのわずかなチャンスをつかみ、覚悟を持って、何かを成し遂げた奴が、『本物』に成る」

 当たり前の事のようにエーコが語る。

「エーコ、さっきの子たちよりあんたの方がプレッシャーかけてるよ」

 ビーナが眉間にしわを寄せながら頭をかいて、

「ごめんね、こいつ見た目の割に意外とマジメっていうか……」

 申し訳なさそうに奏の方に顔を向けると、少し驚いたように目を見張った。

「……なるほどね」

 そして羨ましそうに目を細めると、淡い笑みを浮かべた。

 奏の表情を見た翔子と悠理も、お互いに顔を見合わせると、それぞれに笑顔を見せる。

「奏さん、嬉しかったんですね。私たちの進む道が間違ってないって分かって。そして、楽しみなんだ」

 先ほど自分がどんな表情を浮かべていたか自覚がなかったのか、悠理の言葉に奏は不思議そうに首を傾げた。

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