第15話 不器用なピースたち

 合宿のスケジュールを全て消化して2泊3日の合宿を終えると、メンバーは一度事務所まで車で戻り、そこで解散となった。

 時間はすでに19時をまわっており、それぞれに別れの挨拶をした後、悠理が駅まで向かおうとすると、

「悠理」

 そう呼び止められた。

 振り向くと、そこには翔子の姿があった。

 思わず意外そうな表情を浮かべる悠理に、翔子はふっと淡い笑みをこぼす。

「同じ線で、同じ方面でしょう?」

 そう言えばそうだったか、と悠理がうなずくと、翔子は悠理の横に並んで、二人で歩き始めた。

「そう言えば、一緒に帰ったこと、一度もなかったわよね」

「そうですね。レッスン後はいつも、先に帰ってしまっていましたから」

 翔子がふと漏らした言葉に、悠理はうなずきを返す。

 悠理はレッスンが終わるといつも翔子達よりも一足先に帰宅していた。家の事情で毎回保護者が迎えに来ているからだ、と翔子たちには説明されていたが、

「それって、やっぱり……」

 今考えると大体本当の理由を察することができた。

「はい。皆さんと一緒にシャワーを浴びたり着替えたりするわけにはいきませんでしたから」

 悠理は苦笑いを浮かべて、翔子がはっきりとは口にしなかった疑問に答える。

「そっか」

 それだけ言って、翔子はなんとなしに顔を上げて夜空を仰いだ。

 それからしばらく沈黙が続いた末に、

「あのさ、」

 翔子が悠理に語り掛ける。

「あなたが、あなたの事情を全部説明してくれたから。私も言わなかったことを話すわ」

 悠理は翔子に顔を向けると、ゆっくりと頷いた。

 それでも翔子は、しばらくわずかに残った迷いを瞳の中にくゆらせていたが、覚悟を決めたようにふっと息を吐くとまた口を開いた。

「私、男の人が苦手だったの。……うぅん、本当言うと、今でも少し苦手」

 苦笑いを浮かべながら翔子が言うと、悠理は気まずげに顔を伏せる。

「ごめん、言い方が悪かったかもしれないわね。悠理を責めるつもりはないのよ。でも、変に誤魔化したくなくて」

 すまなそうに眉尻を下げてそう言いながら、翔子は言葉を続ける。

「小さい頃はそうでもなかったんだけど、私が小学生高学年になったくらいからかな。知らない男の人からじっと見られたり、声をかけられたり、……いきなり、身体に触られたりすることもあった」

 わずかに表情を硬くした翔子がそう言うと、悠理は目を見開いた後、唇を噛みしめた。

「頭では分かってるのよ。男の人が皆そういう人じゃないって。実際、学校で気心が知れた男子の同級生とかも居たし、優しくしてくれる人もたくさん居た。でも、そうしたら今度は友達と思っていた男の子に告白されたり、そういうのが飛び火して女の子にやっかまれたりすることもあった。そういうのが一々辛くて、何だか面倒くさいな、嫌だな、って思うようになった。そうして自然と男の人を避けるようになった」

 私は、子どもだったのかもね。そんな風に言って自嘲気味に笑う翔子に、悠理は頭を振ってみせた。無理もないことだと、本心でそう思った。

 ありがと。と、翔子は淡く微笑む。

「でも、役者としてやっていくなら、男性から逃げるわけには行かないのは、ちゃんと分かってた。共演者やスタッフ、それにもちろんお客さんも。男性がいないなんてあり得ないし、きちんと向き合わないと、絶対に良いものは作れない。ましてや、レプランでアイドル活動をするなら、ファンの人はほとんどが男性でしょ。なおさら、変な先入観や抵抗感なく受け入れられるようにならないと、って思ってたわ」

 口では淡々と語りながらも、瞳には当時の強い覚悟の残滓が揺らめいているように、悠理には感じられた。

「でも、やっぱり、こんなに近しい人が、っていうことになると……まだちょっとダメみたい」

 翔子は悠理に苦笑いを向けて、自分の左手を見せる。その手は、かすかに震えているように見えた。

「すみません」

 いたたまれずに、悠理は謝罪の言葉を口にする。

 けれど、翔子はそっと頭を振る。

「どちらかと言えば、それは私の方が言わないといけないのよね。あなたを信じてないってことなんだから」

 そう言って、翔子はしばらく前を向いたまま歩みを進めていたが、

「信じても、いいのよね?」

 ぽつりと、そう尋ねる。

「わかりません」

 けれども、悠理は否定の言葉を口にする。

 あっさりとそう言われて、若干引きつった表情を浮かべる翔子に、

「私、声変わりしていないんです」

 悠理はじっと視線を向けて答える。

「他の人に比べると、少し遅いですよね。身長だって、同年代の男の子と比べると低い。多分、私は心のどこかで男性として成長することに、ためらいを感じていたんだと思います。だから――」

 悠理の目はとても真っすぐで、淀みがない。

「私は、女性を性愛の対象として見たことがない」

 悠理の不思議な迫力に、思わず翔子は息を呑んだ。

「じゃあ、なんでわからないって……」

「多分、私はずっと今のままでいるわけじゃない。身長も伸びるかもしれないし、それにいつか必ず声変わりはします。そうなったとき、私はどんな自分になっているのか、まだ想像ができません。だから、もしかしたら翔子さんや奏さんを、女の子として魅力的に思うかもしれないという可能性を、否定できないんです」

 それはとても客観的に自分を見た上での、合理的な答えだった。

「――そっか」

 それは翔子の求めた答えではなかったが、

「うん、十分よ、悠理。ありがとう」

 とても真摯な答えに思えて、翔子は柔らかく微笑んだ。


 皆と別れた後、特に事前に決めていたわけではないが、奏は沙紀と二人で事務所の近くのファミレスに入った。店内は混雑していたが、タイミングがかなり良かったようで、さほど待たされずに席まで案内された。

 メニューから軽食とドリンクを選んで、注文を終えると、

「奏ちゃん、おうちに連絡はした?」

 沙紀がそう尋ねてきたので、奏は頷きを返した。

「うん。返事も来たし、大丈夫。でも22時までには帰りなさいって」

「そう。なら、問題ないね。……でも、今更だけど」

 沙紀は頬杖をつきながら、苦笑いを浮かべる。

「奏ちゃんって、中学生なんだよね。少し、不思議な感じ」

「……そう?」

 沙紀の言葉の意味がよくわからずに、奏はそう言って首を捻る。

「まぁ、あと1週間くらいで高校生だけど」

「ふふ、同じだよ。私が中学生の頃なんて、そんなにしっかりしてなかった」

 その言葉は少し意外だったが、それに対して特に言うべきことも思いつかず、奏は口を閉じた。

 しばらく、お互いに何も言わない時間が続き、奏は手元の水が入ったグラスをじっと見つめる。パチリと、氷が解ける音が響いたのを契機に、

「沙紀さん、悠理のこと、気付いてました?」

 そう、尋ねた。

「……どうかな。少し変だな、とは感じてた。でも正直男の子だったっていうのは予想外」

「そう、ですよね。でも私、あんなに一緒にいたのに、全然違和感を覚えなかった。気付いてあげられなかった。色々苦しい思いもしていたはずなのに、何も。私、悠理の何を見てたんだろう」

「奏ちゃん、」

 辛そうに表情を歪める奏に、沙紀は表情を柔らかくして語り掛ける。

「悠理ちゃんは、そういう風には思って欲しくないと思うよ。それは悠理ちゃんが自分で抱えようとしたリスクだから、他の人には気付いて欲しくなかったんじゃないかな。奏ちゃんの気持ちも、すごく分かるけどね」

 そう言われて、不承不承と言った様子で頷く奏に、沙紀はくすり、と笑みをこぼす。

「でもね、」

 けれど、沙紀はすぐに表情を改めて続ける。

「そういう気持ちとは別に、悠理ちゃんに騙されていたのは変えられない事実じゃない? 本当の所、奏ちゃんはどう思ってるの?」

「それは――」

 一瞬口ごもるが、すぐに強い目で答えを口にする。

「もちろん、ショックはあった。だけど、私はあの子がどれだけ真剣に、必死に頑張ってきたかを知ってるから。あの時の悠理の言葉に嘘はないって、それは絶対だって、分かる。だから私は、これまで通り、一緒に頑張りたいよ。でも、沙紀さんは……他の皆は違うのかな」

 最後の一言を言う時だけ、奏は不安げに眉を曇らせた。

「そうだね。そういう意味で言うと、翔子ちゃんや理央ちゃんは心配なさそう。あの二人は情が厚いし、きちんと話を聞いた上で納得していたみたいだったから、後腐れなく一緒に頑張ってくれると思うよ」

 沙紀に同意するように、奏は頷きを返す。

「一番心配だったのは、玲佳かな。あの子は、レプランをすごく大事に思ってるから。もし悠理ちゃんっていう個人の存在が、レプランっていうグループを危機に陥れることがあるなら、彼女はきっと、グループの方を優先しようとする」

 それは、少し意外な答えだった。奏の玲佳のイメージは優しいお姉さんで、メンバー一人一人を大切に思ってくれていそうだったからだ。

「大丈夫。とりあえず今は静観するつもりだと思う。今のところ何も問題は表面化してないからね。他の皆も納得してそうだったから、それをあえて覆そうとまでは考えていないはず」

 こわばった表情を浮かべてしまっていた奏を安心させるように、沙紀はそう言った。

「誤解しないで欲しいんだけど、玲佳もメンバーを大事に思ってないわけないんだよ。ただ、レプランは、彼女の夢だから」

 少し複雑そうな表情を浮かべたまま、沙紀は笑みを作る。

「どちらかと言えば玲佳の考え方の方が普通だよね。メンバー個人の事情のためにグループ全体でリスクを負うって、他のグループではあまり聞かないことだと思う」

「そう、かな」

 奏はかすかに首を捻る。

「私は、そんなことないと思う。特に成功してるグループはきっと私たちと同じだと思う」

「どうして?」

 意外そうな表情を浮かべて沙紀が尋ねた。成功しているグループこそ、そういう合理的な判断ができているのではないかと、そう思うからだ。

「だって、グループは結局個人の集まりでしょう? 皆それぞれの事情で、それぞれの思いを持って集まっていて、それぞれのやり方でグループに貢献しようとする。だから、少し都合が悪くなったからって個人を切り捨てるようなことをすれば、多分そのグループの根本が、本質的な所が変わっちゃう。メンバーのグループへの信頼、そしてメンバー間の信頼も、きっとなくなってしまうから」

「奏ちゃん、それは――」

 理想論だ。言いたい事は分かるが、現実には皆割り切っている。そう言おうとして、止めた。

「私は、レプランはそういう信頼を大事にするグループであって欲しいと思ってる。だって、」

 奏の目は、あまりにも真っすぐだった。

「そうじゃなきゃ、6人で始まった意味がない」

 沙紀は一瞬言葉を失い、目を伏せて、そうだね、と小さく言葉を漏らした。


「思ったより遅くなっちゃったけど、大丈夫?」

 会計を終えて外に出ると、沙紀が奏に尋ねた。

 奏はちらりと腕時計に目をやって時間を確認すると、

「うん、少しギリギリだけど大丈夫」

 そう言ってうなずいた。

「そう。良かった」

 そう微笑む沙紀を、奏はじっと見つめておもむろに口を開いた。

「沙紀さん、ありがとう」

 神妙な表情を浮かべる奏に、沙紀は軽く首をかしげてみせる。

「えー、何が? 結局今回はおごらせてくれなかったじゃない」

「それはだって、この間お母さんに怒られたから。一生懸命働いて生活している沙紀さんに――って、そういう話じゃなくて」

 多分、沙紀は分かってるのだ。その上で、感謝なんて必要ないと遠まわしに言っているのだろうと、奏にも分かっている。けれど、やっぱり言うべきことだと思うから。

「私、やっぱり不安だった。JIP Fes.は間違いなく私たちの今後が懸かった正念場。結果によっては解散もありうるんだろうな、って思ってる。合宿で自信を得た部分もあるけど、それと同じくらい課題も見えた。そんな状況で悠理の件があったから」

そんな奏の言葉に対して、沙紀は頷きを返した。責任感が強ければそれだけ、自分のキャパシティを超えてしまう状況であったことについては理解している。

「私、多分誰かにこの不安を聞いてもらいたかったんだと思う。実際、沙紀さんに聞いてもらって少し楽になった。だから、ありがとう」

 奏ははにかんだ表情を浮かべるが、

「……でもごめんね、沙紀さん。こんなのただの甘えだよね。相談にさえなっていない。合宿の帰りで疲れているのに付き合わせちゃって、ちょっと反省しなきゃね」

 すぐに申し訳なさそうな表情に改めると、沙紀は思わず眉をひそめる。

「それは全然構わないし、頼ってくれてうれしいのが本音だよ。むしろ、大して良いアドバイスができなくて悪いなって思ってるし。でもさ、そもそもどうして奏ちゃんはそんなに自分の責任を重くしようとするの? JIP Fes.は今までの成果の確認と、今後に向けてのアピールの場だけど、解散っていうのはさすがに飛躍しすぎだと思うよ」

 諭すように言う沙紀に、それでも奏は首を横に振る。

「私たちはここで何かを残せなければ、多分その先はない。こんな機会を生かせないなら、この後どんなにチャンスをもらえてもきっと結果を出せない。それなら、続けても意味がないって羽村さんたちに判断されても仕方ない」

 確かに、以前も奏はそのような言葉を発していた。本気でそう思っているのだろう。

 沙紀は少し困ったように、それでも優しく微笑んでみせる。

「奏ちゃん、もしかしたらそれは正しいのかもしれないけど、そうだとしても責任を全て負う必要はないんだよ。私たちは、一人一人が事務所と契約したプロで、同じグループの仲間でもある。気になること、確かめたいことがあるなら聞いていいし、プレッシャーがきつかったら甘えたっていい」

 そして沙紀は奏の頭にぽんと手を置くと、軽く撫でた。

「だって、そうじゃなきゃ6人でいる意味はない、でしょ」

 奏は少し不満そうに眉を寄せながらも、照れたように頬をかすかに染める。

 そんな姿を見て、沙紀はほっとしたように笑みをこぼした。

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