第8話 開演前

 それから1か月は本当にあっという間だった。


 最初の1週間はオリジナル曲の歌唱指導とレコーディング。

 各々のレコーディングに何人か見学で参加し、お互いの出来について意見交換する光景も珍しいものではなかった。


 次の1週間がカバー曲3曲の歌唱指導。

 それぞれに知っている曲、知らない曲がバラバラで、お互いに思い入れを語り合う。そんな他愛もない会話がお互いのことを知るきっかけになったりもした。


 そして最後の2週間で4曲分の振付を完成させた。

 振りの合わせの時には、メンバー間で意見がぶつかることもあった。そのほとんどが理央と翔子だったが、それ以外のメンバーもそれぞれに理想とするイメージは持っていて、主張するところは主張していた。


 限られた時間の中初めてのことばかりで苦戦続きだったが、最終的には何とか形になった。そして、いつからかメンバー同士、お互いを苗字ではなく名前で呼び合うようになっていた。


 そしてライブの当日、奏たちが集められたのは首都圏の郊外にあるショッピングモールだった。

 15時からのライブに向けて、昼前に最寄駅で一度集合してから向かったが、この時点でメンバーは皆緊張でガチガチだった。

 そしてショッピングモールに到着すると、まず全員で担当者に挨拶をして、控室に案内してもらった。

 そこで簡単な打ち合わせをして、今日の流れの最終的な確認をする。

 その後用意されていた軽食をつまんでメイクを終えると、リハーサルの時間までまだ少し間があったので、下見がてらステージがあるエリアへ行ってみることにした。

「思ったより広いのね」

 何となく、地元の商店街で見たことのあるイベントのステージを思い浮かべていた奏は、翔子の言葉に同意するようにうなずく。

 ショッピングモールは東西南北の4つのセクションに分かれており、ステージが置かれているこのエリアは各セクションの中継地点となっている。人が集まりやすく、また人の流れ方も多様であるために、買い物客にストレスを与えないためなのだろう、屋内とは思えない広大さを感じさせる空間になっていた。

 さらに、1階から4階まで吹き抜けとなっており、かなり天井が高いのもその感覚を助長している。

 ステージは広場の真ん中にある噴水の手前に設けられており、幅は10メートルほどで6人で踊るのも十分なほどの大きさがある。ステージの前には観客席もあり、ベンチが並べられていて、詰めれば合計で100人ほど座れそうだった。

 正直言って、初ステージとしては分不相応なロケーションとセットだと、知識のない奏でもそう思ってしまった。

 観客席は、今は普通の買い物客が休憩で使っているようだったが、

「あれ、もしかして」

 沙紀がその中の一団に近づいていく。

「おじさんたち、来てくれたんだ!」

「おう、沙紀ちゃん!」

 声をかけられて振り向いたのは40~50代の男性で、三人で来ていたようだった。

「沙紀さん、知り合い?」

 奏が尋ねると、沙紀は嬉しそうな表情でうなずく。

「うん、私商店街のスーパーでバイトしてるんだけど、この人たちはその商店街でお店をやってるんだ。八百屋さんと、酒屋さんと、豆腐屋さん」

「そうそう。商店街のアイドルの沙紀ちゃんが本物のアイドルになるっていうんだから応援しなきゃだろ」

 八百屋と紹介された男性がしたり顔でそう言うと、他の二人も笑ってうなずく。

「でも今日はお店忙しいんじゃないの? 大丈夫なの?」

「あー……、まぁそこはなんとかな。沙紀ちゃんの応援だっつったら、うちのも最後は納得してくれたよ」

 その結論になるまでに色々あったのだろう。三人とも若干引きつった表情を浮かべる。

「来てくれるのはうれしいけど、あんま喧嘩しちゃダメだよ」

 くすくすと笑いながら沙紀が軽くたしなめる。

「ああ。それでな、沙紀ちゃんの頑張ってる姿を撮ってこいって言われてるんだが、写真とかいいのか?」

「ん、うーん……、音が入っちゃうから動画はまずいかな。でも写真は大丈夫だと思う――んだけど、良いですよね?」

 振り返りつつ、最後だけ声を大きくして少し離れた場所にいた羽村に確認すると、羽村は一瞬悩んだ後、指を丸くしてOKのサインを出す。

「だってさ。じゃ、今からリハーサルやるけど、本番は15時からだから帰っちゃダメだよ!」

 そう言って沙紀は戻ってきた。

 一方で、

「リオちゃーん!」

 今度は10~20代ほどの男性7~8人のグループが理央に呼びかける。

「うわー、皆久しぶり! 今日ライブやるって知っててくれたんだ」

 満面の笑みで理央が手を振ると、歓声が沸いた。

「そりゃそうだよ! 『ドーリーズ』が解散してショックだったけど、リオちゃんだけでもアイドル続けてくれるって知って、すっげー嬉しかった!」

「ほんと、ありがたいんだけどさ。でも受験生もいるけど大丈夫?」

 少し意地悪そうな笑みを浮かべて、理央が言うと、その中の一人が大丈夫大丈夫と慌てたように手を振る。

「じゃあ本番もよろしくね。頑張るから」

 そう言って、理央もリハーサルの準備が整ったステージに向かう。

「君たちは学校の友人とか誘ったりしてないのか?」

 不意に奏と翔子の傍にいた羽村がそう尋ねると、

「まだ受験終わってない子もいたから、大っぴらに誘いにくくて」

 わずかに苦い表情を浮かべながら奏が答える。

 ちなみに奏自身はこの厳しいスケジュールの中、きっちりと第一志望に受かっていた。学校に行けなかった時期に、家でやることがなくてずっと勉強ばかりしていたから。何が功を奏するかなんて分からないものだね、とそう言って笑っていた。

「私は――まだ、誘えなかった」

 翔子の方は顔を曇らせて、そう答える。はっきりとは言わなかったが、言い方からして自信がないからとか、そういうことなのだろう。

 羽村は表情を厳しくしつつも、そのことについては何も言わなかった。ただ、

「そうか。でも少しもったいないな。もしかしたらSNSとかで宣伝してくれたかもしれないのに」

 と注意すると、奏と翔子は気まずげに顔を見合わせて、肩を落とす。

「まぁ、今後はそういう考え方もしてくれ。今はとにかくパフォーマンスのことだけ考えてくれればいい」

 気を取り直すように、羽村が明るめの声でそう言って、二人の肩を叩いた。


 リハーサルは音響機器の最終チェックも兼ねて行う。午前中に羽村が、新しく入った担当マネージャーの樋口と一緒にセッティングしたものだ。音源を流しながら、メンバーの動きやタイミングを確認する。通常は重要なポイントだけ確認するが、今回に関しては音源を全部流して、それに合わせてメンバーも歌わせた。

 その結果、リハーサルは予定より少し長くなったが、それでも本番までには少し時間があるのでメンバー全員でしばらくビラ配りをすることになった。

「あ、そこのキミ! リハーサル見てくれたの? 良かったら15時からの本番も見に来てよ」

 手慣れた感じで勧誘しているのはやはり沙紀だった。

「本番は衣装も可愛いの着るからさ。私じゃ微妙かもだけど、あの子とかほんとに綺麗で一見の価値あるから」

 そう言って翔子を指さすと、沙紀に話しかけられていた中学生くらいの男性はつられたように視線を翔子に向けて、さっと顔を赤らめる。

 それを見て沙紀は大笑いして、

「あっはっは、キミあからさま過ぎだって! そりゃ私が自分で言ったけど、それにしても私に興味なさすぎじゃない?」

 からかうようにそう言うと、男性は慌てて謝るように手を合わせる。

「いいよいいよ。でもその代わり本番見て行ってね。約束!」

 男性は毒気を抜かれたように、小さく笑ってうなずくと、言われたままに観客席のベンチに腰を下ろして渡されたビラを読み始めた。

「うまいね……」

 思わず傍らにいた翔子に奏が言葉をかけると、翔子もこくりとうなずく。

 ほかのメンバーを見ると、理央も沙紀に負けず劣らず、フレンドリーに買い物客に話しかけていて、順調にビラを配っている。

 経験者組でない悠理はやはり苦戦しているようだったが、一生懸命な姿には愛嬌があって、話かけられた買い物客もあまり邪険にできないようで話を聞いてくれていた。

 一方で同じく経験者組でないはずの玲佳は、まったく物怖じせずに声をかけていて、話しかけられた人たちは男女問わず魅了されたように、憧れの視線を向けていた。

「これ、私たちだけ配り終わらないなんて羽目になりそうだけど」

 今にもため息をつきそうなほど、気が重そうにそう言う翔子に、

「だね。とにかく手当たり次第に配るしかないね」

 同じような表情で奏が応える。と、

「あれ?」

 不意に翔子が奏の袖をつかんで呼び止める。

「今控室に入っていったの、かおる君じゃなかった?」

 勉強会や合同練習と称して、何度か奏の家に行ったことのある翔子は、奏の弟の馨とも面識があった。

「え、ほんと? 来るとは聞いてなかったけど、本当にあの子なら勝手に控室に入るのはまずいでしょ」

 そう言って二人で控室に向かおうとすると、

「ああ、いいんだ」

 羽村が彼女たちを呼び止める。

「馨君には今こっちの仕事手伝ってもらってるんだ」

 あまりにも予想外の成り行きに、

「はい?」

 思わず間の抜けた声を奏が出す。

「午前中、こっちがばたばたしてる時に声かけてきてくれたんだ。最初は挨拶だけのつもりだったみたいなんだけど、俺たちが忙しそうなのを見て、手伝いましょうか、って言ってくれて。いやぁ、良く気が利いて飲み込みも早いし、本当に助かってる」

 上機嫌で頷いている羽村に続くように、

「そうなんですよ」

 樋口が口を挟む。

「私、皆のお昼に普通のお弁当用意しちゃったんですけど、それライブ終わった後の方がいいんじゃないですかってアドバイスしてくれて。確かに量もそれなりにあるし、脂っこいものも多かったから、緊張してるライブ直前の皆に出すにはチョイスが悪かったんですよね。だけど冬とは言えちょっと傷むのが心配だなと思ってたら、モールの事務所の冷蔵庫使わせてもらう算段までつけてくれちゃったんです」

 感心しきり、という様子の樋口がさらに続ける。

「しかもそれだけじゃなくて。私、お弁当の代わりにライブ前に軽くつまむものを用意しようと思ったんですよ。そしたら馨君が、それもできれば温かいものがいいですよね、って言って、食料品売り場の裏でスタッフのまかないを作ってたおばさんにお願いして、お握りを作ってもらったんです。本当に何者なんですかね、あの子」

 矢継ぎ早に弟を褒められて、とまどいの表情を浮かべながらも、

「あー……、あの子ずっと児童会とか生徒会とかやってて、そういう雑用とか交渉事とか得意みたいなんですよね」

 少し照れたように奏が言う。

「なるほど。ちなみに今は皆の衣装を運んでもらってるんですよ。本当はメンバーの皆にやってもらおうと思ったんですが、彼が手伝ってくれるなら皆はビラ配りの方がいいかな、って」

 何の遠慮もなく弟をこき使う樋口にも若干思う所がないでもなかったが、

「今後も忙しいときは手伝ってくれないかな」

 無責任にそんなことを言う羽村に、

「いや、あの子中学生ですからね?」

 とうとう、そう突っ込んでしまった。

「そっか……言われてみればそうですね。身元もしっかりしてるし、変なバイト雇うよりよっぽど良いなと思ったんですけど」

 未練がましく言う樋口に、奏はついにあきれてため息をついてしまった。

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