第9話 デビュー

 奏たちが初めてステージ衣装を着たのは、2週間前。サイズを確認してくれと渡された時だった。その時は全員テンションがあがってかなりはしゃいだりもした。

 その後3日前に最終確認を兼ねて衣装のまま一通り振りを踊ったのが2回目。

 そして3回目が、今日。

 衣装はメンバー全員分白を基調としていて、襟がついたシャツとスカートのツーピースでそろえて統一感を持たせている。

 一方で、スカートや袖の形といった細部の違い、頭の装飾部分とウエストのあたりに添えられた花飾りの色でそれぞれの個性を出していた。

 花飾りの色は各メンバーのイメージカラーで、沙紀が紫、玲佳が黄、翔子が青、奏が赤、悠理が緑、理央がピンクだった。

 色味にはこだわりがあるようで、紫、黄、青は色味が濃く、飾りの縁に黒いラインが引かれており、大人っぽいイメージを出している。反対に緑とピンクには白が強く混じっていて、ペパーミントグリーンやベビーピンクに近い色になっている。そして赤い花飾りにはわずかにオレンジや黄色のグラデーションが混じっていて、より鮮やかに熱を伝えてくる。

 本番の10分前、控室に集まってその衣装に着替え終わった奏たちは、さすがに初めて着た時のようなはしゃぎっぷりは影を潜め、緊張に顔をこわばらせていた。

 そんな雰囲気の中、控室のドアが開かれて羽村が顔を出す。

「準備はできてるか? すぐに出るぞ」

 めいめいに鏡の前でメイクや衣装のチェック、振りの確認をしていたメンバーは頷きを返す。

「あのさ、円陣組んでみない?」

 不意に奏がそう提案する。

「ああ、いいかもしれませんね。私も先ほどから緊張してしまっていて、うまく切り替える切っ掛けが欲しかったので」

 くすりと笑って同意する玲佳からは、本人の言うような緊張は感じられなかったが、じゃあやってみようか、という流れをつくる端緒になった。

 少し照れくさそうにメンバー同士で肩を組んでいると、

「あ、ほら羽村さんも!」

 その様子を見守っていた羽村に向かって、沙紀が声をかける。

「俺もか?」

 戸惑ったように聞き返す羽村に、奏も笑って頷き、手招きをする。

 頭を掻きながら輪の中に入る羽村に向けて、

「じゃあまずは羽村さんから一言」

 沙紀がそう促す。

「いきなりだな」

 羽村は苦笑しながら少し考える素振りを見せていたが、そう間を置かずに口を開いた。

「今日、この日がスタートラインだ。このグループが、『レプリック・ドゥ・ランジュ』がこの先どれくらい続いていくのかは分からないが、このスタートラインだけは今後絶対に変わらない。これから先、迷うこと、悩むことたくさんあるだろうが、その時に立ち返る場所で、君たちの原風景になるはずだ。だから、今日はなんとなく流して終わらせることだけはやめてくれ。今日これから見たり聞いたり考えたりしたこと、良いことも悪いことも、全部を刻み付けて、ここに帰って来ること。いいな?」

「はい」

 最後の羽村の問いかけに、6人全員がしっかりと声に出して答えた。

「よし、じゃあ時間もないし、リーダー。代表で一言」

「分かりました」

 羽村の指示にそう答えて、奏は円陣の中で順番に視線を向ける。

「昨日、皆はきちんと眠れた? 私は眠れなかった。色んな光景を想像して、不安でドキドキして、期待にワクワクして、それがいつまでもおさまらなかった。それだけ、今日のこのステージに持っていくものがたくさんあったから。多分、皆もそうなんだよね」

 そこまで言って、一度言葉を切る。わずかな間の後、

「ごめん、何が言いたいか良く分からなくなってきた」

 と、照れくさそうに言う奏に小さな笑いが起こる。

「とにかく、さ。私は今日全部を出し切りたいと思ってる。練習で培ったもの。積み上げてきた思い、感情。そういうことができるチャンスって貴重だと思う。それを、今日皆と一緒にできるっていうのが、うれしい」

 いつだって真っすぐだった奏の視線は、今日も変わらずに。嘘や衒いなど全く感じさせない。

「ここまで来たら、歌やダンスができるかどうか心配しても仕方ないよね。これまでの練習を信じて、自分たちがずっとやりたかったことを、しっかりやろう。――頑張ろう」

 そう言葉を締めると、奏は両隣の翔子と悠理の背中に回した腕に、ぎゅっと力をこめた。

 すると突然、悠理が片足を上げて、床に強く叩きつけた。

 周りから驚きの視線を一身に受けて、悠理は急速に顔を紅潮させる。

「あ、あれ? 違いました?」

 そんな慌てた様子を前にして、いち早く状況を察した沙紀が笑い声をあげた。

「違わない。違わないよ、悠理ちゃん」

「その通りです。私としたことが、すっかり気が抜けていました」

 玲佳がそう言葉を続けて同調する。

「もう一回、やろうか」

 優しく笑って、翔子が皆に問いかけると、

「まぁ、いいけど」

 表情は満更でもなさそうな理央が控えめに賛同した。

「よし、じゃあもう一回」

 奏がそう言うと、それぞれに頷きを返す。

「一歩、前に――行こう!」

 張り上げた声に、

『オーッ!』

 ぴたりと全員の声が合わさり、一瞬の間の後、ダン、と床を踏み鳴らす音が響いた。


 全員がマイクを持ち、ステージに立つと、観客席で待っていてくれた人たちと、それから通りすがった買い物客のうち何人かの視線が向けられているのを感じる。

 かすかに表情をこわばらせる悠理の背中を、ぽん、と叩いて奏は笑みを向ける。

 悠理が小さく微笑みを返すのを確認すると、奏は軽くうなずきを返し、前を向いた。

「初めまして。私たちは『レプリック・ドゥ・ランジュ』というアイドルグループです」

 大きくもなく、小さくもない。けれど不思議とよく通る奏の声がフロアに響く。

「結成したばかりで、今からここでやらせていただくのが、私たちの初ライブとなります」

 微笑みながら優しく語り掛けるような口調が、

「これが、私たちの最初の目標でした」

 少しずつ迫力を増していく。

「お買い物をお楽しみの皆さんの邪魔になってしまうこともあるかもしれませんが、私たちの全身全霊を少しの間だけでも見て、聞いて、感じていただけると、本当に嬉しいです」

 言い終えると、奏と、そしてその後ろに立っていた5人が、タイミングをそろえて頭を下げた。

 10秒ほどそのまま動かずにいた後、頭を上げた奏の顔には、抑えきれずにこぼれ落ちたと言わんばかりの満面の笑みが浮かんでいた。

「すごいですね、あの子。少し前まで素人だったとは思えない」

 音響機器を操作して曲を流し始めた後、樋口が小声で感嘆の言葉を漏らす。

「新人にしては変な抵抗感とか恥じらいがないからな。普通は慣れとか自信を経てああいう表情ができるんだけど」

「何が違うんですかねぇ」

 入社2年目ではあるが、すでに何グループか駆け出しのアイドルを見たことのある樋口が首をひねる。

「まず、覚悟が違うってのはあると思う。けど、あの伝達能力の高さは、それだけじゃ説明つかない気がするんだよな。ま、いずれにせよまだまだだ」

 そんな話をしている間に、1曲目のパフォーマンスが始まっていた。曲は誰もが聞いたことのあるような有名なポップスのカバー。ノリの良い曲で、理央のファンが即興でコールを入れて盛り上げてくれている。

「思ったよりちゃんと聞いてくれる人いますね」

 ちらりと観客席を見て、樋口が羽村に向けて囁く。

「皆知ってる曲だし、最初の曲だからな。この人数をどれくらい最後まで残せるかだな」

 そう言いながら、羽村は彼女たちのパフォーマンスに目を向ける。

 テンポが速く振りも激しいが、ダンスは大体そろっているし、連携もスムーズに取れていて声も出ている。準備期間の短さを考えれば、かなり上出来の部類に入る。

 出だしとしては悪くない。

 曲が終わると、パラパラと拍手が起こった。

 緊張もあったためか、早くもうっすらと汗をかいた奏たちが、笑顔のままお辞儀をする。

「ありがとうございました。このまま2曲目に行きたい所ですが、せっかくの機会なので簡単に自己紹介をさせてください」

 奏はそう言って腕を広げると、そのまま視線と手で後方を指し示す。

「はいはーい。『レプリック・ドゥ・ランジュ』、略してレプランの最年長で世話焼きお姉さん、サキでーす!」

 先陣を切ったのは沙紀。快活な笑顔で手を振る。

「最年長と言っても十代なんで。くれぐれもおばさんとか言わないように! じゃあ、次!」

「はい。Comment allez vous?」

 次にそう流暢な発音で観客に手を振ったのは、玲佳だった。

「皆さん、こんにちは。日英仏のトライリンガル、レプランの箱入り娘、レイカです」

 マイクを持った両手を腰の前で並べて、優雅に一礼する。

「レイカはね、物知りなんだけど、意外に常識を知らないことも多いんだよね。パスモをスイカの別名だと思ってたんでしょ?」

 サキの茶々にも、レイカはくすくすと悪びれもせずに、こくこくと頷く。

 次に翔子、次いで悠理が自己紹介の番を迎える。

「え、と。レプランの……クール、ビューティー、ショーコです」

「あの、レプランの、てっ、天使担当、ユーリです」

 二人ともたどたどしく、明らかに照れが混じった自己紹介になってしまっていた。

 けれどもそれが逆にプラスに働いている面もあった。

 翔子は容姿が整っていて本人も愛嬌がある方ではないので、羽村はファンとの間に変な距離ができてしまうのではないかと危惧していた。けれど、こういう表情も見せておけば親近感を持ってもらえそうだ。

 また、悠理の場合はキャラクター通りで、こういう様子がいかにも純朴で可憐さを印象付けているように感じる。

 そんな二人を見て、あえて大げさに呆れた表情を浮かべてみせたのは、理央だった。

「みんな、お待たせ!」

 両手をひらひらと振って、笑顔を見せ、

「メンバー最年少、レプランのプロフェッショナル・アイドル、リオだよー」

 ポーズまで決めてやり切ってみせた。

 これがお手本だと言わんばかりに、リオはショーコに向かって得意げな表情を見せる。

 それに対してショーコは小さく両手を挙げて降参の意を示した。

 そんなコミカルなやり取りに苦笑を浮かべながら、奏は改めてマイクを口元に持ってくる。

「最後に私、リーダーのカナデです。『レプリック・ドゥ・ランジュ』は皆を楽園に導くのが使命です。一瞬でもいい。終わった時に確かにそんな幸せな時間を過ごせた、と思ってもらえるよう全力を尽くします」

 挨拶を終えて再度お辞儀をする6人に向けて拍手が贈られる。

 それでも、顔を挙げたカナデたちの表情に険しさがあるのは、自己紹介中からちらほらと観客が減っていっているからだ。

「それでは改めまして2曲目です」

 カナデの言葉の後、流れてきた曲はテクノポップ系で有名な曲。ダンスについてはメンバーが一番不安を抱いている曲で、かなりトリッキーな振りが入っている。

 最初は無難にこなせていたが、後半に入ってついに派手なミスが起きた。

 6人が前列3人と後列3人で別れた後、前列が左に移動し、後列が右に移動する振りの中で、後列にいたショーコが左に移動してしまったために、隣にいたサキとぶつかってしまったのだ。すぐに修正して戻したが、外から見ても明らかなミスだった。

 崩れそうな流れをなんとか持ちこたえさせて曲を終える。肩で息をしながら、次の曲のスタートポジションに移動するが、この間にもポツポツと観客は減っており、先ほどのミスもあって皆表情が硬い。

 そして3曲目が流れ始める。

「このタイミングでバラードですか」

 樋口が渋い表情を浮かべる。

「この流れだとちょっと厳しいですね。せめてもっと盛り上がる曲だったら良かったのに」

「いや、このメリハリは大事だよ。この先を見据えても」

 ただ、確かに今の浮足立った状態では、誤魔化しのきかないバラードで魅せるのは難しいかもしれない。じっと窺うように、羽村はステージ上に視線を送る。その先では、イントロが流れる間、お互いにアイコンタクトをとってうなずき合うメンバーの姿があった。自分たちで落ち着きを取り戻そうとするその無言のやり取りに、羽村の不安は払拭される。

 見込み通り、この曲で彼女たちのパフォーマンスは持ち直した。動きは少ないが、その分表現力の高いレイカとショーコのダンスで魅せ、バラードに抜群の相性を見せる透明度の高いユーリの声をのせる。そしてサビに向けてカナデの拙いながらもエモーショナルな声が雰囲気を盛り上げていく。

 有名人でもなく、技術力にも乏しい彼女たちの歌うバラードを、どれだけの人が足を止めて聞いてくれるのか。そう考えるとかなりの観客が立ち去ってしまうことを覚悟していた。

 しかし、曲を終えた彼女たちに向けられた拍手は、思っていたよりもずいぶんボリュームが大きかった。

 けれども、今日のライブの本当の勝負所は次だ。ここまでなんとか流れをつなぐことができた。ここまで見てくれた人、聞いてくれた人に最後にしっかりと刻み付ける何かを、ここで見せなくてはならない。

 そして、メンバーはそれを充分に自覚していた。

「ありがとうございました。これまで3曲歌わせていただきましたが、いずれも私たちが歌うにはもったいない、素敵な曲をカバーさせてもらったものです。聞いたことがある、と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか。それで少しでも楽しんでもらえていたなら、うれしいです」

 嘘ではない。けれど、それでは足りない。

「次が最後の曲になりますが、これは現状で私たち唯一のオリジナル曲です。今できること、今出せるもの、すべてを振り絞って歌います」

 凛々しさを感じさせる強い視線は、アイドルには似つかわしくないのかもしれない。それでも、それは確かに魅力を感じさせる表情で、自然と観客の視線は奪われる。

「聞いてください。――『レプリカ』」

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