第6話 決意と覚悟
レッスンが始まって1ヶ月ほどが経つと、ハードなカリキュラムにもついていけるようになってきた。最初はすぐに体力が切れていたダンスレッスンは、最後まで立ったまま続けられるようになった。演技レッスンやボイトレも、講師から合格点をもらえるまでの時間が少しずつ短くなっていった。
そんな風に奏たちが手ごたえを感じ始めてきたその頃、羽村から一つの報告があった。
「君たちの曲ができた」
あまりにも突然すぎて、奏たちはすぐには反応することができなかった。
「曲? 私たちが歌うんですか?」
「当たり前だろう」
驚き、もしくは戸惑いかがあまりにも強かったのか、少し間の抜けた質問をしてしまった悠理に、羽村があきれたような表情で答える。
「いや、でもさ。普通事前の連絡とかあるんじゃないの? そろそろ作るから、とか何とか」
理央の反論にも、羽村は、そうか?と首を微かに傾げるくらいの反応で流す。
「どの道やることは変わらないだろ。今後レコーディングをして、それが終わったら振り付けをする。その後は2~3曲カバーできる曲を準備してライブをしよう」
ざわりとしかけた、その空気の中で、
「――ライブ?」
目を見開いた奏がぽつりと漏らしたその声が、妙によく響いた。
「ライブ」
もう一度、奏は噛みしめるように繰り返す。
「……奏?」
どこか気圧されていたような様子だった翔子が、遠慮がちに奏に声をかける。
「……え? あぁ、ごめん。ただ、急にずいぶんはっきりしたな、と思って」
「目標が?」
「私たちが何者であるかを証明する場が」
初めて見る、奏のぎらぎらした目に、翔子は息をのむ。
「今から気負いすぎるなよ。まだ1か月先の話だ」
彼女たちのそんな様子に苦笑いを浮かべた羽村が、とりなすように言うと、
「はぁ? 1か月!? これからレコーディングして振付するって言ってるのにそんな急な期間で3~4曲ライブで見せられるレベルにしろって? 無茶言わないでよ!」
激しい剣幕で、理央が反駁する。
「無茶だとしても、やるしかない。焦っても仕方ないが、それでものんびりしている時間が俺たちに与えられているとは思わない方がいい」
静かに、しかし強い調子で羽村が諭す。
「あともう1か月先なら、春休みに入ってレッスンの時間も確保できるんだけど……」
それでも翔子も難しい顔になってうつむく。
「もちろん学校には通常通り通ってもらう。ただ、それ以外の時間はもらうぞ。平日の授業後、それに土日もだ。完璧は求めない。できることを、確実にやりきろう」
羽村はそう言うが、不安を拭いきれないメンバーもいる中で、
「ま、できないこともないでしょう。やってみようか。ね、奏ちゃん?」
苦笑いを浮かべつつも沙紀がかろうじて前向きな言葉を皆にかけて、奏に振る。
「うん。というか、1か月って短いの?」
シンプルにそう疑問を口にする奏に、理央は唖然とした表情を浮かべて、
「そりゃ、素人のお遊戯会みないなのだったら1か月でもできるだろうけどさ」
半ばあきれたような表情でため息をつく。
「それも言い過ぎかもしれないけど、でもついこの間レッスンを始めた私たちが、プロとして恥ずかしくないパフォーマンスをするんなら、やっぱり本当はもう少し準備期間欲しいよね」
少し困ったような表情を浮かべながら、沙紀が追従する。
「確かに、この後新しい歌を覚えて、振付も覚えて、皆で合わせる所までを3~4曲分やらなきゃいけないんだって考えると不安」
眉間にしわを寄せて、表情を陰らせたままで翔子もつぶやく。
「ですが、もっと厳しいスケジュールでやっている人もいると聞いたことはありますよ。忙しいスケジュールの合間をぬって、短期間で仕上げる必要があったからだと思いますけれど」
「でも、それってもう十分に経験があって、実力もある人の話でしょ?」
玲佳の言葉にも、理央は噛みつく。
「デビューライブなんだよ。ここで失敗したら、歌もダンスもダメなグループっていうレッテルを貼られちゃう。いきなりそれは……きついよ」
険しい表情で、理央は唇をかむ。
「でも、結局それは私たち次第っていうことですよね」
その言葉を発したのが悠理だったということが、あまりに意外で、一瞬理央は言葉を失う。
「それは、そうだけど――でもっ」
「やろう。やるしかないなら。失敗したときはそのとき考えればいい。今はそうならないよう、できることをやろう。何でも。全力で」
反論しようとした理央を、強い言葉で押しとどめたのは、奏だった。
そこまで言われて、理央は不承不承といった態でうなずいた。
「豊口が言うことも分かるよ。でもライブをやることで得るものは大きいことは君も知っているはずだ。リスクは承知の上で、それでもできると思ったからこういうスケジュールを組んだ」
最後にそう結んで羽村が全員に視線を向けたが、もう反論は出てこなかった。
「さて、君たちにはもうひとつ報告がある」
思わず身構えた奏たちに、羽村は安心させるように表情を崩す。
「君たちのグループ名が決定した」
沈黙して、メンバー同士で顔を見合わせて、そしてわっと歓声があがる。
「何?どれになったの?」
興奮気味に理央が羽村に問いかける。
「先週皆に出してもらった案から、橋本のものをベースにした」
そう答えて、羽村はホワイトボードにそれを書いた。
「『レプリック・ドゥ・ランジュ』」
奏が、文字を読み上げた。
「意味は、天使の模造品」
羽村がそう補足すると、
「ちょっと綺麗すぎる名前じゃない? 名前負けしそう」
沙紀が少し気後れした表情を浮かべる。
「それじゃ困る。実際にそういうものになってもらわないといけないんだから」
「そういうものって?」
いまいちピンときていない表情の理央が問う。
「アルカディア。楽園に導いてくれるのは天使だろう? 本物じゃないとしても、その代わりになれるように、なってほしいんだよ」
そう説明されてようやく、あぁ、そういうことか、と納得の色が皆の表情に混じりはじめた。
「橋本の案からは結構変わってるけど、良かったか?」
不意にそう尋ねられて、悠理は驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑を浮かべた。
「えぇ、良い名前だと思います」
そうか、と羽村は何か名状しがたい表情を浮かべると、切り替えるように声を張り上げる。
「まぁ、それにこれくらいの方が印象に残ると思う。名乗る機会があれば絶対に恥ずかしがったりするなよ」
うなずく奏たちを見ながら、思い出したように羽村が付け足す。
「そういえば、リーダーも決定したんだ」
「なんでそんな大事なことをついでみたいに言うかな……」
呆れた表情を浮かべる理央に、羽村は苦笑を浮かべる。
そして、告げられた名前に、あるものは納得したように頷き、あるものは意外そうに目を丸くする。
「――私?」
そして、そう掠れた言葉を漏らしたのは、奏だった。
その日の解散後、羽村がロビーを通りかかると、
「羽村さん」
沙紀に呼び止められた。
「なんだ、桐谷。まだ帰ってなかったのか」
「うん。……ちょっと話あるんだけど、今いい?」
改まって沙紀がそう尋ねる。そして羽村の方もその話の内容に心当たりがあった。
「分かった。打ち合わせスペースでいいか?」
こくりとうなずく沙紀を連れて階段を上がり、仕切りで区切られた定員4~5名ほどの小さなスペースが4部屋ほど並んでいるフロアに入る。
入口から一番遠い奥のスペースまで二人で行くと、沙紀がカバンを席に置きながら口を開く。
「リーダーを決めてくれたのって、羽村さん?」
「ああ、そうだよ」
「さすが」
マフラーを取りながら、沙紀はふっと笑みを浮かべる。
「最近出過ぎた真似もしていたから、私にされちゃうんじゃないかって、少しひやっとした」
「雪村や豊口あたりはお前じゃないのか、って思ってたみたいだったけどな」
「奏ちゃんはともかく、理央ちゃんはもう少し人を見る目を養わないとねぇ。芸歴長いんだしさ」
ため息をつく沙紀に、羽村は苦笑いを向ける。
「そう言うなよ。正直、俺もお前でも良かったと思ってる」
「本気?」
表情を険しくしながら、沙紀は椅子に腰を下ろした。
「ダメだよ。これから大きくしようとしてるグループのリーダーに、私みたいな終わったタレントを据えたら」
「……言っておくけど、お前をうちのグループに引っ張ってくるの、大変だったんだぞ。ウチの稼ぎ頭の飯村もお前ともう一度共演したいって言ってるみたいだし」
「彩香が?……でも、それって引き立て役として、ってことでしょう。私はさ、結局5年間この世界にいて、何も残せなかった。力がなかった」
淡々と、そう言い切る沙紀を前にして、羽村は渋い表情を浮かべて指で眉間を押さえる。
「それで、結論は出たのか?」
「そうだね。うん」
小さくうなずくが、少し間が空く。
「レプリック・ドゥ・ランジュ、か。んー、言いにくいな。レプランって略していい?」
略した途端に俗っぽくなって、思わず苦笑を浮かべながらも羽村が頷くと、ありがと、と沙紀は人懐っこい笑みを浮かべる。
「レプランさ、いいグループだよね。皆個性的でバラバラに見えるのに、もう信頼感みたいなものができ始めてる。多分、それぞれが目標をはっきりと持っていて、真剣なんだっていうことをお互いに分かり合っているからだと思う。特に奏ちゃんなんか、さ」
そこまで言って、沙紀はニッ、と唇の端をゆがめる。
「見た? あの子の目。口にする言葉は少し気負った新人みたいで真新しいものじゃないけど、あの覚悟を決め切った目は完全に新人離れしてるよね。まっすぐに上を見ていて、絶対にぶれなさそう。背中で周りを引っ張っていけるだけの力を感じる。それなのに、周りへの気配りもできて、きちんと迷っている仲間へのフォローもできる。奏ちゃんをリーダーに選んだ羽村さんの目は確かだと思う」
「けど、彼女にはまだ経験がない」
「そう、なんだよね。本当に、それだけなんだけど」
でも仕方ないよね、と沙紀は笑う。
「私ね、このグループが好きだよ。それにポテンシャルも十分に秘めている。最初の切っ掛けさえ掴んでしまえば、後は順調に成長するだろうし、売れると思う。だから、その切っ掛けを作るお手伝いが私にできるなら、力になりたい」
そして沙紀はふぅっと、大きく息をついた。
「私自身の、芸能人としての挑戦はここでおしまい。もう私の中に、理想も、ビジョンも、パワーもない。でも、『レプリック・ドゥ・ランジュ』の露払いとしての役目なら、メンバーの一人として彼女たちの成長の糧になることができるなら、いつか近い将来、彼女たちに追いつけなくなるその時が来るまで、私のすべてを捧げたい。それが、私の答え」
羽村は沙紀の瞳の奥にある感情を読み取ろうとするが、すっきりとした表情からはそれ以上何も読み取れない。
「最初から辞めることを前提にしたこんな話、他の芸能人仲間に――それこそ、レプランのメンバーに知られたらきっと怒られるよね。でも、そんな私でも良ければ、あと少しだけ、契約を続けさせてください」
そう言って、沙紀は深々と頭を下げた。
「……分かった」
長い沈黙の後、羽村はようやくそれだけ、言葉を絞り出した。
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