第5話 ささやかな交流

 翌日のスケジュールには歌唱レッスンが組まれていた。

 かなでは個人別に指導されるのかと思っていたが、実際には最初の数回は音楽の基礎知識や基本的なボイストレーニング方法を皆で学ぶということだった。

 専門的に音楽をやっていたメンバーはおらず、理央りおが何度かレッスンを受けた程度だったために、最初はそれぞれにとまどいを見せていたが、少し慣れてくると講師の高宮の提案で一人ずつ好きな曲を歌ってみた。

 その結果、極端に音程の取れない人はいないが、目立って上手な人もいない、というのが奏の正直な感想だった。ただ、面白いことにそれぞれの個性は声にはっきりと出ていた。


「やっぱダメね、歌は」

 レッスンの休憩時間に入ると、翔子しょうこが奏の横で嘆息する。

「私も」

 奏も苦笑いで返す。

「あら、でも王生いくるみさんは張りがあって、響きやすい良い声だったと思います。私は好きですけれど」

 玲佳れいかの評価に、ありがと、と答えながらも翔子の表情は好転しない。

「まぁそれでも、一番すごかったのは橋本さんだとは思いますが」

「そうね」

 うなずく翔子、そして奏と玲佳の視線を受けて、悠理ゆうりは慌てたように首を振って否定する。

「あの、でも私音程たくさん外してたし」

 そんな彼女たちの様子を見ていた沙紀さきが、腕組みをして首を傾げ、すぐそばにいた理央の肩に腕を回した。

「なーんかさ、私たち以外の4人、妙に仲良くなってない?」

 文句というよりは少しおかしそうに、冗談交じりの口調で理央に語り掛けた沙紀に、

「たまたま、一緒に居残ったりしてたから」

 苦笑しながら奏が答える。

「それにしたって仲良くなるのが早過ぎない? 奏ちゃんと翔子ちゃんなんてお互いに名前呼びじゃん」

 奏の傍にいた悠理が、それを聞いて思わず吹き出す。初対面の時から全員を名前で呼んでいた沙紀がそれを言うかという話だ。

「私たちも仲間に入れてほしいよねぇ」

 沙紀はぎゅっと少し力を入れて理央に抱きつく。

「いや、あたしは別に――」

 若干うざ絡み気味の沙紀相手に、迷惑そうな表情を隠すでもなく理央は体を離そうとする。

「よし、じゃあ今日はみんなでご飯を食べない? お姉さんがおごってあげよう!」

 いいことを思いついた、と満面の笑みで沙紀が言うが、

「あたしはママが家でつくってくれてるから」

 理央はにべもなくそう断る。

 すると沙紀はふむ、と腕を組んで部屋の壁かけ時計を一瞥する。

「17時ちょい過ぎか。確かに微妙な時間かもねぇ。……よし、聞いてみるか」

 そう呟いて、沙紀は部屋の隅に置いてあったバッグから携帯端末を取り出して操作すると、耳に押し当てた。

「もしもし。桐谷沙紀です。先日はお世話様でした。ええ、はい、そうです。いえいえそんな。いやー、やっぱりそうですよねぇ」

 慣れた相手なのか、沙紀はずいぶん親し気な様子で電話を始めた。

「それでですね、実は今日レッスン後に皆で食事にでも行こうかな、なんて思ってるんです。で、一応ご迷惑にならないか確認しようと思いまして。そうですか、よかった。じゃあ後は――」

 そんな会話を続ける沙紀を、理央はいぶかしげに見つめるが、奏は沙紀が口にする断片的な言葉から大体の状況を察することができた。

「理央ちゃん」

 不意に、沙紀が送話口を押えて理央に呼びかける。

「電話替わってだって。理央ちゃんのお母さんが」

「はあ? 私の? 何で!?」

 真ん丸に目を見開いて理央が悲鳴じみた声をあげる。

「もう、いいから取りあえず出てってば」

 おかまいなしに押し付けられた電話を、理央は不承不承受け取る。

「もしもし。あたしだけど。え、でもあたし別に――いやそうだけどさ」

 眉間にしわを寄せながら会話する理央を見ながら、

「知り合いだったんですか? 豊口さんのお母さんと」

 奏がそう尋ねると、

「うん。というか皆のお母さんも来たでしょ? 最初の説明会の日に」

 にこにこと悪戯っぽい笑みを浮かべながら答える。

 そう言えば、皆で初めて顔合わせをしたあの日の前日、契約を結ぶために母親と一緒に事務所に来たことがあった。

 必要な手続きを済ませた後、保護者向けの説明があるということで母親だけ残ったのだが、他のメンバーの保護者もきっと一緒だったのだ。

「でも、じゃあ桐谷さんだけうちの母親たちと一緒に説明を受けたっていうことですか? というか、会った初日に電話番号交換するほど仲良くなったんですか?」

「そうだよ? うち親いないしこれでも来年には成人だからね。皆のお母さんいい人ばっかでさ、いろいろ心配してくれてすぐ仲良くなっちゃった」

 そんな話をしていると、どんよりとした表情の理央が、電話を終えて携帯端末を沙紀に返してきた。

「どうだった?」

「……行ってこいだって」

 理央は沙紀の質問に力なく答えた。

「ということだけど、どうする? 皆の家にも電話してみようか?」

 そう尋ねる沙紀に、奏は苦笑しながら首を横に振って、自分の携帯端末を取り出しに向かった。


「あの、本当にいいんですか?」

 レッスン後、事務所の近くのファミレスに結局6人で集まると、メニューを開きながら遠慮がちに悠理が尋ねた。

「いいよー。こないだバイト代入ったばっかりだし、しばらくはちょっとばかりリッチなのだよ」

「事務所の仕事以外でも働いてるんですか?」

「まぁそれだけで食べていけるほどは売れてないからね」

 奏の率直な疑問に、沙紀は肩を落としながら答える。

 軽率な質問だったかな、と反省する奏を尻目に、

「じゃあ、あたしはこれ」

 理央が遠慮する素振りも見せずにメニューを指さす。国産牛フィレ肉のステーキと有機野菜の彩り、シーフードサラダのセット。このファミレスで一番高いメニューだった。

「い、いいね、うん。育ちざかりだし良いんじゃないかな」

 わずかに顔を引きつらせながらも、沙紀はなんとか体面を保つ。そして頭の中で高速で支出の計算をし直す。

「あの、じゃあ私はパンケーキで」

 そんな彼女の様子を見て、明らかに気を遣った様子で悠理が言った。

「もうっ、ほんとに良い子だね~、悠理ちゃん」

 沙紀がこらえきれない、という勢いで悠理を思いきり抱きしめる。

「でもいいんだよ、遠慮しないで。肉食べな、肉」

 目を白黒させる悠理を、微笑まし気に見守る玲佳はパスタを選んだ。

「翔子、もう決めた?」

 しばらくメニューを眺めていた奏が聞くと、翔子は悩まし気に眉を寄せつつ答える。

「リゾット……か、ラザニアか。うん、リゾットにしようかな。奏は?」

「お魚がいいな。え、っと……じゃあ、かれいの煮つけかなぁ」

 そんなやりとりをする二人に、理央はじっと視線を向ける。

「……? どうかした?」

 それに気づいた奏が、不思議そうに眼を瞬かせながら問う。

「なんかさ、そういうメニューの選び方ひとつとっても、あんまりアイドルっぽくないよね、奏って」

「そう、なのかな」

 理央の率直な意見を受けて、奏は首をかしげるが、

「でも確かに、アイドルっぽさっていうのは良く分かってないのかもしれない」

 そう理央の言葉を肯定すると、自嘲の色が混じった笑みを浮かべた。

「そういう意味だと、この中でアイドルを経験してるのは理央ちゃんだけだからね。色々教えてほしいなぁ」

 そんな風に沙紀が会話に混じってくると、理央はやや困惑した表情を浮かべて首をひねる。

「でも私も成功したわけじゃないから、何をすべきだとか、どうあるべきだとか、そのへんの正解は持ってないよ? それでも聞きたいってこと、何かある?」

「別に成功談でないと意味がないとは思わないし、理央ちゃんがどんな経験をしたか、見たこと聞いたこと、考えたことは十分参考になると思うけどね。それにもっと実務的なことも知りたいし」

 ねぇ、と沙紀は隣の悠理に視線で同意を求める。悠理はそれに頷きを返すと、

「あの、それなら」

 真剣な目を理央に向けて尋ねる。

「私たちはこれからどうやって始まっていくんですか?」

「どういう意味?」

 思いの外強い視線を向けられて、問い返す理央の声にはとまどいの色があった。

「レッスンは始まったんですけど、この後ってどうなるんでしょうか。私たちはこれから、どのタイミングで、どんな活動をしていくことになるんでしょうか?」

 確かに、そのあたりの詳細は知らされていないし、経験がないなら不安になるのも最もだと思う。

「それはグループによって全然違うでしょ。事務所の得意な売り出し方とかプロデューサーの考えとか色んな要因があるけど、あたしたちの場合はやっぱ羽村さんが決めるんじゃないかなぁ。あの人、結構裁量あるみたいだし。ちなみにあたしが前のグループに居た時は、1か月くらいレッスンをした後に地方の商店街のイベントとか、小っちゃいライブハウスとかでパフォーマンスをし始めた。その後もあまり変わらなかったけど……そうそう、1度だけアイドルフェスにも出たよ」

「意外と、地道な活動なのね」

 ぽつりと、そうつぶやいたのは翔子だった。

「うちの事務所はそこそこ大きいから、その気になればメディア展開もできると思うんだけどね。この間の羽村さんの話でも感じたけど、事務所の方針が現場主義なのかも」

 翔子の言葉の内に含まれていた疑問に、沙紀が答える。

 そんなやり取りを目の前にして、悠理はそっと細い息を吐いた。

「……不安?」

 悠理に、奏が問いかける。

 驚いて、頭を横に振りかけた悠理は、けれど口元をきゅっと引き結ぶと、首を縦に振った。

「無理もありません」

 玲佳が優しく笑いかける。

「私たちはまだ一歩踏み出したばかりです。夢や目標が大きく、遠い所にあると自覚していればそれだけ、自分が正しい方向に向かっているか不安になる」

「私は、ゴールが見えないまま目の前のことだけ、言われたことだけを頑張って――頑張ったけど、最終的にはやっぱりダメだった、ではきっと納得できないんです。だから今進んでいる道が間違っていないか、結果が出るまで分からないかもしれないけど、少なくとも自分の中で納得しておきたいんです」

 玲佳の言葉を否定せずに、悠理は正直な言葉を紡ぐ。

「そうだね。きっと、そう。私たちも」

 奏は、ぎゅっと握りしめられた悠理の拳に、そっと手を重ねる。

 不意打ちをくらったように唖然とした悠理の顔が、瞬く間に赤く染まっていく。

 かわいいな、と思うその感情とは全く別の場所から、奏は言葉を引き出して口にする。

「私たちは皆ライバルかもしれないけど、同時に仲間でもある。これから多分一番近い他人になる。だから悠理、迷ったときは私たちを見て。そして客観的に自分をとらえて、今どこにいるのかを、知って」

 強くて、優しい奏の真摯な言葉が、悠理の感情をひどく揺さぶる。

 そして、こらえきれずに悠理の瞳に涙がにじみ、ぼやけた視界に仲間たちの姿が、映った。

「泣かないでよ」

 少し怒ったように理央が言うが、それをたしなめることもなく、理央を見る奏たちの目は優しい。理央もまた、悠理に感化されたかのように、目を潤ませていたからだ。

 悠理を挟んで、沙紀と奏の視線が合った。沙紀は声を出さずに、口だけを動かして言葉を伝えようとする。そして奏はそれに応えて首を縦に振る。正確になんといったかはわからないが、沙紀はとても優しい表情を浮かべていて、多分、言いたかったことはきっとそういうことなのだ。

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