第57話 右腕

 やばい、変な汗かいてきた。意味もなく大声出したい気分だよ。


 パニってる場合ではない。まずは、冷静になって一つずつ問題を解決していくべきなのだ。


 柳谷親父と俺の右腕どっちを優先すべきか。柳谷親父は記憶を失っているとは一般生活を送れる程度の知識を持っている人間だ。


︎︎ それならちょっとくらい放っておいても死にはしないはずだ。行方不明にはなるかもしれないが、その時は素直に警察に電話しよう。柳谷には親父どっか行っちゃったって説明して素直に怒られれば良い。


 よしまず一つ、問題は解決したな。うん、解決したってことにしておこう。


 次は俺の右腕だ。急いで中学校に向かう必要があるよな。


 誰かに見つかったらその時点で事件発生だ。あんまりその未来は想像したくない。


 今日は日曜日だから中学校に多くの生徒はいないだろう。いるとして部活動中の生徒、部活の顧問とかその辺か。


 早期解決のために増援として春斗を呼ぶか。いや、冷静になれ、呼んだら盤面をぐちゃぐちゃにするだけして帰っていくはずだ。


 よし、一人でどうにかしよう。


 そんなわけで、中学校への旅路をソロで歩み始めた俺であったが、第一の障害物を前にして早速出鼻をくじかれた。


 俺の視界が捉えたのは、トラブルメーカーでおなじみの清川奈々である。散歩をしているのだろうか。学校でも意味もなくうろうろしていることがあるのだが、休日でもその徘徊老人のような習性は変わらないらしい。


 なんでこんな朝っぱらからあいつと巡り合わなければならないのだ。片腕を失った俺の状態を見たら、流石に清川も何事かと思うだろう。平穏な休日を過ごすためにもこれ以上、面倒な登場人物を増やしたくはない。なんとかして、やり過ごさなければならない。


 まだ清川には補足されていないようだが、このまま歩いていれば前から歩いてくる清川との接触は避けられない。


 しかしながら、俺が今いるのは脇道も何もない一本道の道路である。


 横に続いている家の塀を乗り越えて他人の敷地内に入り込み、強引に身を隠すという手もある。しかし、最近の俺の運事情を考えると、その行動が更なる余計な面倒事を生んでしまうという事もあり得る。


 ここは敢えて堂々と横を通り抜けるのはどうだろうか。相手は清川だし気づかずスルーしてくれる可能性も普通に高いんじゃないか。気づかれたとしても、適当に誤魔化せばなんとかなりそうな相手でもある、だってお馬鹿だし。ここは清川の能天気とお馬鹿に期待してみるのも悪くない。


 よし、やってやる。俺は胸を張ってどんとこいの表情で歩みを進めていく。


 清川に接近していくにつれて、自らの心臓の鼓動も大きくなっていく。これが恋か、いや冗談言っている場合ではない、集中しろ。


 あ、目が合った。


 まだ大丈夫、焦る時間じゃない。俺はたまたま通行人と目が合ったみたいなノリで、自然に目を逸らす。


 視界の端に清川が写っている。おっと、じっと見られるようだ。これは流石に補足されたか?でも、俺は未だ気づいていない体を装う事ができている。このまま継続して、なんとかなることを祈ろう。


 なんとかすれ違う事ができたが、一安心することはできなかった。背後からの視線はまだ俺を捉えているようである。バチクソ見られている感じするもん。


 どうしよう、なんか怖い。これがストーカーに怯える気分というやつだろうか。


 ダッシュして撒くか。そうだな、そうしよう。最初からそうしていれば良かったんだ。佐藤照人行きまーす。


 全力ダッシュを始めて数秒で俺はバランスを崩して道路にどしゃりんこ。


 右腕がない事で身体のバランスには若干の違和感は覚えていたが、今この状況で転んでしまうとは運が悪い。


 「何してんの」


 ポンコツな悪魔から声が掛けられた。


 さて、どうやって誤魔化すか。道路に転がったままの状態で俺は頭を回転させる。


 「何してんの」


 聞えていないと思われたらしい、何してんの催促が始まった。ここは怪しまれないように適当に答えておくか。


 「見て分からんのか」


 「……分からんけど。なにして……、ん、あれ、なんか腕ないね。どしたの?」


 腕がない事に対する反応は薄めだ。全く動揺してないわこの人。今日眼鏡かけてるじゃん、コンタクト切れた?みたいなノリで尋ねてきたよ。


 「いや、あの……」


 「もしかして、照人じゃない?」


 おっと、流れ変わった。馬鹿が馬鹿なりに腕がない理由を考えた結果、馬鹿な結論に達したみたいだ。腕が1本足りないから人違い理論ってやつだな、素晴らしい。


 このビッグウエーブにのるしかない。


 「はて、照人とは誰でしょうか?」


 まずは全力ですっとぼけてみた。


 「……声も照人と同じだ」


 「……そぉ、それはあれだ。たまたまじゃないか。世の中には自分と同じ顔の人が3人いるらしいし、それに比べたら同じような声質のやつだってもっといる。たまたま君の知り合いと僕が色々と一致してしまっただけだと思う。でも一致しない部分もある。君の知り合いには腕が生えていただろう?だから人違いだよ」


 「……うん。多分、腕生えてたと思う」


 そこすらも曖昧なんだ。俺ちょっと悲しいよ。


 「じゃ、僕は行くので」


 「……私も行く」


 「え、なんで?」


 「……暇だし、なんか気になるし」


 「……」


 清川もちょっとは賢くなったようで、まだ俺のことを疑っているらしい。


 「どこ行くの?」


 「ちょっと重要な用事がありましてね。連れていくことができたないんですよ」


 「どんな用事?」


 こうしている間にどんどんと時間は失われていく。俺の右腕の安否が心配だ。


 このままだと永遠にこいつと漫才して終わりそうだ。もはや連れて行った方が良いのかもしれん。案外、この子も頑固娘だからな。何を言っても納得してくれない体勢に入っちゃってるみたいだし。


 はぁ、仕方ないか。


 「あー、大した用事じゃなかったかもです」


 「じゃあ、行く」


 「はい」


 そうしてポンコツがパーティーに加わった。


―――――――――――――――――


 清川からずっと横顔を見られ続けられながらもなんとか中学校に辿り着くことができた。


 「……私達の中学校よ」


 「……君と君の知り合いの中学校ね」


 さっきからちょいちょいカマかけてくるんだけどこの子。そんな小賢い子に育てた覚えはないですよ。


 それは置いておいて、清川の方から学校の話題を振ってくれたのは好都合である。自然に学校に入るための理由を歩いている途中に考えていたのだが、どれもしっくりこなかったから助かった。


 「せっかくだし君の学校を案内してくれないか」


 なんで?と普通の人だったら疑問に思うところだが、相手は馬鹿である。


 「……別に良いけど」


 よし、なんとかなった。むしろ人に物を教える立場になれて嬉しそう。


 うきうきで案内してくれる清川の隙を狙って、腕を見つける。そして、このぽっかり空いた右肩に差し込むことができれば後はこっちのもんである。


 両腕が戻り際すれば、後は余裕で清川から逃げることができるだろう。


 そんなことを考えながら校門を抜け、玄関まで歩いていく。


 「……開いてないわ」


 「え、まじで」


 普通に開いている想定で考えていた。部活動連中はどこから入ってるんだ。もしかして今日はどの部活動もやってないとかもありえるのか。


 「じゃあ、あれか。一応職員用玄関とか見ておくか。行ってみよう」


 「うん」


 やべ、ナチュラルに俺が先導をきって歩き出しちゃってるわ。清川は『うん』とか言って付いてきてるし疑問には思われてないとは思う、多分。


 生徒用玄関位置を学校の南とするなら職員用玄関は丁度学校の北側の位置にあるのである程度の距離を歩かなければらならない。生徒用の玄関を迂回して、学校の壁に沿うようにぐるっと左回りに歩いていく。


 その途中でおかしなものを見つけた。清川も同じものを見て疑問に思ったようで、若干の驚き声をあげた。


 「……何このでっかい穴」


 「なんてことだ……」


 学校西側の壁、普段はなんてことのない白塗りの壁が広がっている場所に、ミサイルでもぶつかったんではないかと思ってしまうくらいの穴が空いていた。大人3人ぐらいなら横並びで手を繋いでも余裕で入れそうだ。


新しい玄関を作ったとかそういうことでもなさそうだ。ワイルドすぎるしな。


 じゃあさ、これさ、もしかして俺の右腕ミサイルがやったの?


 こんな破壊力あるの。窓ガラス割ってしまったとかくらいの被害はなんとなく想像してたけど、こんなに大胆にぶち壊すとか全く想像してない。


 幸い、人にはぶつかっていなかったことだけが救いである。学校への被害への対処は後でおっさんにもみ消してもらおう。俺を人間サイボーグにしたおっさんがもとはと言えば原因である。俺は全く悪くない。


 とりあえず、今俺がすべき行動は右腕の確保である。爆散とかしてないよな、この被害見た後だと、とても無事とは思えない。


 「良い感じに学校への入り口が開いているみたいだし、とりあえず入ってみないか」


 「うん」


 急いで中に入り、右腕の所在を探す。


 あれれ、ない。


 「奥の方もちょっと壊れている。」


 「どんだけ破壊力あんだよ」


 「破壊力?」


 「あー、こんな風に壊れてるからな。何か衝撃のあるものがぶつかったんじゃないかと思ってな」


 「……頭良いのね」


 自然にこんな大穴が開くはずだろうというツッコミを何とか飲み込んで、俺は右腕探しに勤しむ。


 右腕がもたらした破壊の痕跡を辿っていったところ廊下を横を貫きそこから強引に男子トイレの壁を突き、トイレの中でやっと勢いを失ったように破壊の痕跡は止まっていた。そしてそんな男子トイレの中で俺は視界に不可解なものを捉えた。


 まず目の前に野良犬がいた。この時代には珍しい光景である。そして、何かに顔を押し付けてもごもごしている後姿が見て取れた。なんだろうこのもごもごしている感じ、死肉をむさぼっているみたい。嫌な想像が脳内を駆け巡る。


 「ちょ、ちょっと。あの野良犬さん?」


 恐る恐る近づいていくと、野良犬がこちらを向いた。


 嫌な想像の方が現実になりやすいのかもしれないな。野良犬はしっかりと俺の右腕を咥えていた。ホラー映画のワンシーンみたいだ。


 「あの、それ返してくれない」


 「ガウ?」


 ああ、犬には言葉通じないんだったわ。これはあれです、俺、相当にテンパってます。


 そのまま逃げられたら俺はこれから一生隻腕の民である。少年バトル漫画だったら名誉の負傷になりそうだが、今目の前で起こっているのは現実、ガチガチでどうしようもない負傷になる。


 「……これどういう状況?」


 「いや、分からん」


 俺に少し遅れてやってきた清川は流石に状況が飲み込めない様子で、俺を見たり野良犬を見たり右腕を見たりと視線を右往左往させている。


 「……あれ、なにか咥えているわ。な、なに、あれ、腕?ホンモノ?……嘘でしょ、うっ、おえええええ」


 清川の脳内処理が限界を迎えたようだ。盛大にゲロりんこしているわ。しょうがない、普通にグロいからね。テレビだったらモザイク処理安定だもんね。


 ヒロインのゲロだろうが、なんだろうがゲロはゲロだった。


 「げぼろしゃぁぁあぁぁぁ」


 俺も盛大にもらいゲロ。


 それには野良犬も絶句である。何してんだこの人間達って感じだ。本当にそうだよ。


 そして、興味を失ったように、俺たちのゲロトラップを避けるようにして、男子トイレから出ていった。


 あ、呑気に見送ってる場合じゃない。追わないと、右腕返してもらわないと。


 「ふーーーーーーー」


 深呼吸して胃腸の調子を整える。


 清川はまだ本調子には戻っていない。男子トイレに寝かせるのはあれだと思ったので、廊下まで手を引いてなんとか歩かせて、廊下の壁を背もたれにして持たれかけさせた。


 野良犬はまだ廊下にいた。俺の鬼気迫る表情を理解したのか野良犬は俺から距離をとるようにして廊下を駆け出し逃げ出した。


 「清川はここで待ってろ。俺はあの野良犬に用がある!」


 「……分かった。待ってる」


 その言葉を聞いたあと、俺も駆け出す。バランスを崩して転ばないように全力疾走はしない。俺は二度同じ失敗はしない男なのだ。


 

――――――――――――――――――――

 

 野良犬が大穴を使って外に出てしまったら、探索の範囲拡大でマジで一巻の終わりだったが、幸運なことに野良犬が学校の中に留まってその範囲の中で俺とのドッグレースを楽しんでくれている。


 「はぁはぁ、待って」


 「ガウガウ」


 休日の朝っぱらに俺は何をしているんだろうか。涙をこらえながら、俺は犬を追跡する。


 今は二階の教室で俺たちは戦闘を繰り広げている。どうでもいいが、野良犬の一階から二階へ上がる際の階段上りは見事だった。


 そんなキャラコン性能が高い野良犬は机の下を巧みに潜り抜けながら、俺の追跡を躱していく。


 だが、そんな野良犬の命運が尽きるのも時間の問題である。というのもたまたま扉が開いていた教室に入ってしまった野良犬のミスが原因だ。


 俺はその開いていた扉を閉めなおし、野良犬の退路は塞いでしまった。念には念をということで、扉の前に机を設置して二段構え退路塞ぎである。


 いくらキャラコンに優れていようがこれではどうしようもないだろう。


 「お前が右腕を返してくれるのならそれで済む話なんだけどさ」

 

 「グルルルル!」


 これは俺の食料だと言わんばかりに歯をむき出しにして威圧してくるんですけど。


 どうしよう、強引に捕まえたりしたら噛まれそうだな。


 野生の犬に噛まれるとか変な病気うつされそうで危険度高めなんだよな。


 相手に逃げられないという余裕ができたせいか、さっきまで気にしていなかったことを意識し始めてしまった俺である。


 さっさと距離を詰めて強引に捕まえておけば良かったと今でも思う。


 

 突然ガゴンという音がして、教室の扉が開いた。扉を塞いでいた机はその衝撃でガタンと倒れてしまっている。


 何事かと俺は扉の方に視線を向ける。清川かと思ったが、そこにいたのは見知らぬ男。


 身長は170前半と言ったところだろうが、がっちりとしたマッチョ体形のおかげで幾分か大きく見える。それよりも目立つのは角刈りにグラサン、黒スーツといういかにもな見た目である。いったいどこのどいつだよ。


 俺と野良犬はお互いに顔を見合わせて、どういうことだってばよと情報を交換し合うも言葉が通じ合わないので意味がない。


 「あー、驚かせちまったようだな。なんか腕持って来いって言われてな。多分、その野良犬が咥えているやつだと思うんだが」


え、俺の腕目当て?


 「え、なんで」


 「俺も良く分からんが、依頼なんでな。もらった金の分、仕事はしないといけないんだよ」


 その時、ぱっと神内璃々という名前が浮かんだ。これはあいつが差し向けた刺客か?


 俺が右腕ロケットをしてしまったことをどこからか見て嗅ぎつけたのか。情報源はどこだ、もしかして常時、俺の日常観察されてたりするんか。


 いや、いまはそんなことは後回しだ。ちゃんとした意思を持って俺の右腕を奪おうとしているこの男、グラサン男への対処の方を優先しなければならない。


 「おっと、邪魔しようだなんて考えるんじゃあないぞ。間違えて殺しちまったら目覚め悪いしな」


 グラサン男はナイフ取り出し片手に持ち、俺をけん制しながら野良犬に近づいてく。


 俺は考える。このままグラサン男に腕を取られたらどうなるか。とりあえず、俺の力量ではグラサン男から腕を取り返すことは不可能だろう。いつもみたいに奇策に嵌ってくれる相手ではないような気がする。今もちんまい俺ごときに対して油断せずに視線を送り続けている。


 しかしながら、神内璃々の手のひらに転がされてしまうのは非常に嫌な気分である。この右腕を返してほしかったら、私の言う事を聞きなさいとか言ってきそうだしあいつ。


 それならこのまま野良犬に喰われた方がましではないか。いや、うん、ましってことはないかもしれないけどね、まぁ、ましってことにしておこう。


 思い立ったらすぐ行動の名のもとに、俺は片腕で椅子を持ち上げ、全力でグラサン男に投げつけた。


グラサン男は俺に油断していないとは言っても、ものを投げられればそれに対処するための行動をとってくれた。


その隙に、


 「逃げろ!」


 野良犬に声を掛ける。


 「ガウ!」


 俺の叫びが伝わったのかどうか知らんけど、犬はグラン男を避けて開いた扉から抜け出していった。


 「チッ、なんで野良犬と良い連携プレーしちゃってんだよ!」


 グラサン男も野良犬を追って駆け出した。


 教室に残されたのは俺だけです。


 「……」


野良犬に俺の右腕の命運託しちゃったよ。

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