第55話 修理

 結果オーライとは言ったものの、この状況どうしようか。一難去ってまた一難であるよ、まじで。


 ふらふらと挙動不審な様子で周りを見渡している柳谷親父。この様子と自分が誰なのか分からなくなってしまったという言動からして普通に考えてみれば、もしかしなくても柳谷親父は記憶喪失である。


 とりあえず、まずはコミュニケーションをとってみたほうが良いよな。


 「あの、何か思い出せそうですか」


 「何も分からない。俺は……、」


 「あなたはこの家の……」


 いやちょっと待って、今ここで記憶を取り戻させるような発言をしてしまえば、ロケットパンチを放つ前の最悪の状況に舞い戻ってしまうではないか。いや、今も最悪な状況ではあるんだけどね。


 でもやっぱとりあえずは柳谷親父には当分このままで言ってもらった方が都合がいい。


 しかし、俺にとっては都合の良い事であっても柳谷ファミリーにとってはそうではない。一家の大黒柱がへし折られてしまって大変な状態になってしまうのだから。


 この利益相反状態を解決するためには、俺だけじゃなく柳谷ファミリーにとってもこの記憶喪失が良い出来事だったと思えるものにしなくてはならない。


 いや、どうしたら良いの。記憶喪失を良い出来事って柳谷ファミリーに思わせることなんてできるのか。家庭崩壊一直線の未来しか今のところ見えないぞ。


 「急に黙ってどうかしたのか。俺とこの家は何か関係があるのか?」


 「ちょっと今考えてるから静かにしてくれ!」


 あ、やべ。ちょっと強い口調で言ってしまった。


 「あ、ごめんなさい」


 柳谷親父は俺の口調を咎めることもなく、すんなりと謝ってきた。あれ、記憶喪失前と比べて気弱になっていないか。


 記憶喪失によって本来の性格がリセットされたのか。そんな現象あるのかどうか全く知らないが、確かによくよく見てみると、記憶喪失前のように武士って感じの雰囲気は消えさり、今まさに生まれたばかりといったような不安定さを感じさせる状態に見える。


 あ、閃いた。


 柳谷親父の性格は柳谷とのコミュニケーションからも分かる通り、自分の思い通りに行かなければ癇癪を起こすタイプの典型的な亭主関白気質だった。あの様子だと、奥さんに対しても当たりが強い接し方をしていたに違いない、多分知らんけど。


 この亭主関白気質な性格を更生することこそ、記憶喪失が柳谷ファミリーにもたらす利益なのではないか。


 今は柳谷親父は更生しかかっている状態である、しかし、同時に亭主関白気質に戻ってしまうという道もまだ残されている状態だ。


 悪の親父から善の親父へ性格を上書きをする必要がある。


 今の柳谷親父の状態を見るに、これは真っ白なキャンパスで新しい色を描き放題だ。良い具合に洗脳、いや教育していけば善の親父を生み出すことができるはずだ。そうすることができれば家族も俺もみんなハッピーだ。


 そのためにも本格的に記憶が戻る前に早めに新しい性格を植え付けなくてはならないな。これは時間との戦いだ。


 でもふと思った。善の性格を植え付けたとしても、記憶が戻ってしまった場合はどうなるのか。そのまま善の状態か、それとも悪の状態か、いやそれとも善と悪を超越した何者かになってしまうのか。


 こればかりはそうなった後でなければ分からないし、対策のしようがない。もし記憶が戻って可笑しくなったら、もう一回ロケットパンチをかましてまた記憶を吹き飛ばしてやれば問題ないか。性格の上書きを繰り返していれば、いずれかは聖人が生まれるはずだ、そうに違いない。


 てな感じで作戦は決まったので、上手い具合に言いくるめていこうではないか。こういう時は真っ当な方法でやっても中々うまくいかない、しっかりと頭を馬鹿にして柳谷親父へ喋りかける。


 「あなたは確かに記憶喪失になったのでしょう。しかし、それは大きな問題ではない。こう考えてください、もう一度まっさらな気持ちで人生を新鮮な体験できる良い機会であると」


 「……な、何を言っているんですか、」


 「記憶を失う前のあなたは充実した人生を送っているようには見えなかった。何か辛いことに耐えながら毎日歯を食いしばって過酷に生きていた」


 「そ、そうなのか?」


 大体の人に当てはまるようなことを言って相手に信じ込ませるというのは占い師とかがよくやる手法だ。だから、俺もそれにならって適当に言わせてもらった。


 加えて記憶喪失によってピュアな状態になっている親父には何を言っても良い感じに話を進められる。


 「そんな日々の圧力から解放されるため、あなたの脳はあなたの意思と関係なく自己防衛として、あなたへ休息を与えるため記憶喪失を発動させたのではないかと、私は推測しています」


 「な、なるほど。そんなこともあるのか?」


 「あるんです」


 「……そうか、そうだったのか。だが、そうであったとして、今俺は自分が何をすべきなのか分からないのだ。休息と言われても何が休息なのかも分からない」


 「そのために私がいるのです」


 「あ、そういえば、……あなたは誰なんだ」


 「私は新たに生まれたあなたを導く者、父親のようなものですね。これから私の事はファーザーと呼ぶように」


 「あなたを信じていいのですか?」


 「えぇ、信じてください。何もかも疑っていては何も始まらない、まずは何も考えず私に身を任せて見なさい」


 「わ、分かりました。ファーザー」


 雛鳥は最初に見た物を親と思い込む、いわゆる刷り込み現象。そんな現象が今、目の前で起こったような気がした。


 あまりにも上手く事が運びすぎて楽しくなってきちゃったんですけど。悪ノリしそうなんだけどしても大丈夫かな。


 そんな感じで悪ノリじゃない、柳谷親父への調教が開始された。



―――――――――――――――――――


 沖田夏来視点


 佐藤君が柳谷さんのお父さんに引きずられてどこかに行ってしまってから数時間が経った。佐藤君たちがいる部屋は中から鍵が掛けれてしまったようで開けることができなかったのです。


 ドラマみたいにドアをこじ開けるという方法みたいなのもあるかと思ったのですが、多分力のない私たち女性では難しそうです。佐藤君、ごめんなさい、私では助けられそうにないです。


 そんな無力感に苛まれながら、私と柳谷さんはリビングの部屋まで戻ってきた。


 柳谷さんは、難しそうな顔で窓の外の既に暗くなった景色を見ている。


 「佐藤君達、戻ってこないですね」


 「ええ、そうね」


 数十分に一回、こんな感じで話し掛けてみているけれど悲しそうな表情でそう答えるばかりです。佐藤君、早く帰ってきてください。柳谷さんがどんどんしゅんとしていきます。


 「佐藤君なら多分大丈夫ですよ!根拠はないですけど……」


 見ていられないという気持ちから励ましの言葉を掛けてみます。ふらっと私の方を向いて頷いてくれましたが、また窓の方を向いてしまいました。


 ここで黙ってしまうと、気まずくなってしまいます。柳谷さんはよく喋るというタイプではないので、話しかけてもうるさいと怒られてしまうかもしれませんが、私のお節介は止まりません。ここは明るい話で場を明るくしましょう。


 話題は何にしようかな。共通の話題といっても、ほぼ初対面だし。うーん、世間話をすると言ってもなぁ。


 それなら佐藤君の話題とかどうかな。今日経験した彼の面白い話を聞かせてあげれば、彼を不安に思う気持ちも薄れるんじゃないだろうか。


 ということで、今日一日の話を詳しく話してみた。


 

 面白おかしく話そうと気負い過ぎていたのか、思っていたよりも緊張しながら話してしまいました。お笑い芸人さんの凄さを実感した気分です。


 そんな感じだったので柳谷さんの反応を気にしながら話すという事ができていませんでした。


 話を終えたので観察してみます。わ、こっちを向いてくれています、ガン見です。あれ、なんかすごい凝視されていますよ興味を持ってくれたのかな。何か話してくれそうなので、ここは待ってみよう。


 しばらく沈黙が続いた後、


 「あなた名前は?」


 「あ、沖田夏来です」


 柳谷さんは美人さんで有名だったから私は一方的に知っていたけど、私は一般女性Aだった、知られてるはずないよね。勝手に知ってもらってる体で話していたよ、ちょっと恥ずかしいです。


 「ごめんなさい、見覚えはあったのだけれど、名前は分からなかったの。私の方は柳谷瑞姫、あなたの様子からしてもう知っているのかしら」


 「知ってます、知ってます!」


 「そうなのね」


 いまさらな自己紹介だとは思うのだけれど、とりあえず無事話をすることができている。柳谷さんは言葉を続ける。


 「それで佐藤君とはどんな繋がりで、仲良くなったのかしら」


 それから唐突に事情聴取が始まった。なんか初めて佐藤君と会った時から今日までのこと事細かに聞かれた。


――――――――――――――――――


 「あなたも彼と関わって変なことになってしまっているのね」


 「え、あぁー、そうかもしれないです」


 空き巣に内職チラシに、今日の女装、考えてみると全部おかしなことになってる。頻繁に喋ったりはしないけど、一回一回の邂逅が濃すぎるんだよね。


 「あなたも今日はよくここに来ようと思ったわね。彼も大概おかしいけれど、あなたも変だわ」


 「えへへ、そうかもです。柳谷さんは佐藤君とはどんな関りなの?他クラス同士だよね?」


 これまでは佐藤君と柳谷さんは知り合いなんだー程度にしか思っていなかったが、男子はもちろん女子とも関わらない孤高な美人で有名な柳谷さんと変な事ばかりしている佐藤君、どんな関係なんだろう。


 「詳しくは言えないけど、なんというか助けってもらったり、色々あったの」


 「へぇー、そうなんですね」


詳しくは話してくれませんでした。けれど、他人に言いたくないことの一つや二つ誰しもあるとはよく言います。だから、私も深くは追及しませんでした。いつか話してくれたら嬉しいなと思っておくことにします。


 それから、なんとなく場が和んだみたいで、私と柳谷さんはとりとめのない会話をしました。なんとなくだけど、少しだけ心を開いてくれたような気がします。


 「その服は彼に買ってもらったのね?」


 「そうなんです。プレゼントしてくました。理由は変装のためでしたけど、凄く嬉しかったです」


 「そう」


 あれ、私なんか間違ったこと言ったかな。柳谷さんがさらにじっと見つめてきてるんだけど。


 あ、これってもしかして、


 と、思ったところで、ふと佐藤君たちが消えていた方向から物音がした。


 柳谷さんと目を合わせて、ソファから立ち上がって、その場所へ駆けつける。


 そこにいたのは佐藤君と柳谷さんのお父さん。


 佐藤君はボロボロだけど元気そうで良かった。でも、何故か顔が腫れている柳谷さんのお父さんの方は私はさっきまで見ていた様子とは異なって挙動不審だ。


 いったい何があったんだろう。 


 そんな風に疑問に思いながらも話し掛けられずにいる私と同じく、柳谷さんもお父さんの様子を気にしている様子ですが話し掛けられずにいるようです。色々とギクシャクしているように見えた親子関係だったので、話し掛けにくいのかもしれません。ここは私が佐藤君から話を聞いた方が良いのかも。


 「佐藤君、大丈夫だった?あと、私の気のせいだったらいいんだけど、柳谷さんのお父さんの様子なんかおかしくなってない?」


 「あぁ、うーん。ちょっと故障しちゃったみたいで」


 佐藤君は柳谷さんのお父さんに聞えないように声をひそめながら、私たち二人にそんなことを言った。


 「いや、あの佐藤君。そんな電化製品じゃないんだからさ、故障とか言われても。ねぇ、柳谷さん」


 「把握したわ。で、故障したそれはどうするの」


 え、柳谷さん納得しているんだけど。というか、今お父さんのことそれって言わなかった?


 「あー、ちょっと修理するから借りても良いか?お父さんの仕事とか、その他もろもろちょっと迷惑掛けるかもしれないんだけど」


 「問題ないわ。貸すわ」


 「え、まじで」


 すんなり事が進んでいるためか、流石の佐藤君も戸惑っている。私に至ってはずっと戸惑っているよ。お父さんを貸し出すとか正直全く意味が分からないからね。


 「良いわ。あなたならどうにかしてくれるんでしょう。私ができないことをあなたはいつもやってくれる、だから私は私ができることを精一杯してあなたをサポートするわ」


 よく分からないけど、2人は信頼し合ってるみたいです。これって感動するところなのかな。ツッコミどころ満載でそれどころじゃないんだけど。


 「分かった。任せておけい!」


 佐藤君は柳谷さんに向かって元気にサムズアップ。


 あぁ、この人絶対おかしなこと考えてる。女装していた時と同じ笑顔だよ。



―――――――――――――――――――

 

 それから佐藤君と柳谷さんのやり取りを呆然と眺める私。


 なんやかんやありながら、柳谷さんのお父さんは電化製品のように扱われ始めた。大きな段ボールに柳谷さんのお父さんは体育座り状態で収納され梱包された。今その段ボール箱は台車に乗っけられて佐藤君に押されながら運ばれている。私はもうツッコミをやめた。


 今は柳谷さんの家から出て、帰り道です。


 夜も遅いので佐藤君は私を家まで送ってくれるらしい。ガラガラと段ボール箱に収納されたお父さんもおまけ付きで帰り道を歩んでいく私たち。


 柳谷さんもいないので、流石に佐藤君に小声で尋ねてみた。佐藤君が柳谷さんに事情とやらを話しているときも小声だったので、お父さんにあまり聞かれたくないような内容だったのだと思い、私もそのように小声で配慮しました。


 「あの佐藤君、柳谷さんのお父さんどうなってるの?」


 「あぁ、記憶喪失になっちゃった」


 「なるほ、ど、え?は?」


 頭の中がクエスチョンマークだらけになった私を置き去りにして、佐藤君は話を続ける。


 「これから修理という名の更生を行うんだ。優しいお父さんを作り上げる計画だな。お前も興味あったらやってみるか。性格ゴミの俺よりも沖田みたいな良い子が親父さんを教育したら優しい人格が形成されるかもしれんし」


 「ちょ、ちょっと待って」


 「女の子はたまご〇ちとか育てる系のゲーム好きだろ?親父を育てるゲームだと思って少しだけ手を貸してくれないか?」


 佐藤君はやっぱりちょっと変だ。可愛いものを育てるのならまだしも、なんで親父を育てるのに協力を要請してくるのだろう。普通、段ボールに入った可哀想な子犬とかでしょう、きっちりと段ボールに梱包された親父とか何とも言えないよ。


 私は無理ですという言葉を紡ぎかけ、寸前のところで留まった。


 待って、このまま私が協力しなかったらどうなるの。


 そして、柳谷さんの悲しそうな顔が脳裏に過った。このまま佐藤君に任せて柳谷さんのお父さんは無事でいられるのだろうか。


 親父を育てるゲームとか言っている人だよ、絶対無理だ。柳谷さんは佐藤君を信頼しているようだけど、これまで私が見てきた佐藤君の行動は明らかに馬鹿でアホでバカです。


 柳谷さんの心を守るためにも私がなんとかしなければ、


 「協力します」


 結局私はそんな選択をした。それに対して佐藤君はまたもやサムズアップ。


 多分だけど、佐藤君は私のことを頼めばなんでもしてくれる女だと思ってる。初めて人をビンタしたいと思いました。





作者:

 来週ちょっとお休みします。ごめんなさい。再来週にお会いしましょう。どうぞよろしくお願いいたします。

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