第54話 VS柳谷親父

 今、俺と沖田は柳谷宅へ向かっている。


 これはいったいどういう状況なんだろうか。冷静になって考えてみると、しっかりと良く分からないことになっている。


 沖田母に促されるまま、俺は謎のヒャッハー気分で沖田を柳谷宅に連れて行くことにしてしまったが、なんだかこれそのまま連れて行ったらおかしなことになると俺の危機感センサーがビンビンしている。


 「あのさ、お前、無理しないで帰ってもいいんだぞ」


 むしろその方が良いまである。


 「大丈夫、私、頑張ります」


 何やら決意の表情で沖田はそう答える。沖田も沖田でなんか行く気満々なんだよな。沖田母が変なことを言ったから、余計なエンジン掛かっちゃてるのか。


 「あの、沖田さん、分かってます?俺、今から怒られるに行くんですよ。その場に無関係の沖田は戦場に放り込まれた5歳児みたいな状況になってしまうんよ」


 「でも、喧嘩の仲裁は第三者がいたほうがスムーズだと思うよ」


 まぁ、確かに世間一般的に考えればその通りではあるような気もする。だが、俺が今から行く場所はそんな常識が通じる場所なのだろうか。基本的に俺の周りは頭のイカれた奴か馬鹿な奴しかいない。完全に勘でしかないのだが、柳谷親父もそれに類する何かであるような気がしてならない。絶対おかしなことになる、ならないはずがない。


 「それに、佐藤君には仕事紹介してもらったからね、その恩返しをしたいっていう気持ちもあるの」


 「な、なるほど」


 なんかどんどん断りにくくなってきてる。本当は内職チラシ下駄箱ぶち込み事件に腹が立っており、恩返しという名の仕返しをしたいとかじゃないだろうな。


 いや、もう考えるのは良そう。こうなってしまえば、沖田込みでこれからの柳谷親父戦に付いて考えたほうが良い。


―――――――――――――――――――――――――――――――


 さて、作戦会議を始めよう。俺はこれから怒られるということが分かっているのにノコノコと何の準備もせずに向かうほど馬鹿ではない。


 作戦を考える上で問題になってくるのは沖田である。やはりこいつがいるとややこしいことになる可能性大。娘をたぶらかした軽薄そうな男が親父との対談にセフレ連れて来たみたいな感じになったら大変だ。ワンチャン殺される。


 どうすれば沖田を自然に連れていけるだろうか。まず、俺が男であるというのがまずいよな、柳谷親父もだからこそ怒っているのだろうし。


 やはり、ここは女装しておくか。


 まず、俺は佐藤照人ではなく佐藤照子にモードチェンジして、『照人お兄ちゃんのスマホを使って柳谷さんと会話していたんですよー。柳谷さんがお父さんのスマホを使っていた状況と似ていますね』とか適当なことを可愛らしく言って、親父をちょろまかす。


 そして、沖田を妹設定にして、一人で留守番させるのは心配だったので連れてきちゃいましたとか言っておけばどうにかなる。俺がちゃんとお姉ちゃんしてる感も出て、女装バレの補強にもなるはずだ。


 想像していたのと違ったと柳谷親父の毒気を抜いてしまえば後はこっちのもんである。


 どうしよう、久しぶりに頭が冴えわたっているわ。


 「柳谷宅に行くにあたって、まずは下準備だ」


 「え、準備?菓子折り的なもの買うの?」


 「あ、それ忘れてた。せっかくだし買っておこう」


 「忘れてたってことは?それ以外にも何か必要なものあるの?」


 「正装に着替える必要がある」


 「え、私たち制服だけど。これじゃだめなの?」


 「堅苦しい格好で行くと相手も畏まっちゃうからな。ここはもう少しカジュアルな格好の方が良いと思うんだ。それが礼儀ってやつだ」


 「制服の方が学生らしくて礼儀っぽいと思うんだけど……」


 「大丈夫、俺に任せろ」


 「なんでかな、私不安かもしれないです」


 不吉な沖田の発言に対して笑顔で答え、俺は歩みを進めた。大丈夫、大丈夫なはず、頭の中では上手くいってるから。


――――――――――――――――――――――――――――――


 菓子折りと新コスチュームを仕入れるために、俺がボコボコにされたでおなじみのショッピングモールへ移動した。


 沖田とは道中でこれから行う作戦内容についての共有を行った。


 今、沖田はやっぱり私帰っても良いかなという気持ちバリバリの暗い表情で俺の隣を歩いている。だが、断る。俺の作戦は沖田込みの作戦なのだから。


 適当な服屋に入って、良い感じの服を探し始める我々。


 「とりあえず、沖田は俺の妹っぽく見える服を探してくれ。俺はお姉ちゃんっぽい服を探す」


 「な、なに妹っぽい服って」


 「俺も言ってて良く分からない」


 こういう時は、店員さんだな。


 近くで、暇そうにしている店員発見、よし君に決めた。


 「あのー、店員さん。この子に似合う可愛い系の服を、俺には男でも着れそうなお姉ちゃんっぽい服を持ってきてくださいな」


 「かしこまりま、えぇ、今なんて言いました?」


 「ええとですね、いっ」


 丁寧に説明をしようと思ったところで、隣から腕をつねられる。


 「何でもありません!何でもありませんから、ちょっとこの人頭がおかしくなったみたいです」


 「あの、今日はいつもより頭の調子いいつもりなんだけ、」


 「黙ってて」


 「あ、はい」


 そんな感じで何事もなく、ショッピングは続いた。


――――――――――――――――――――――――――――――


 「あの、私今あまりお金ないの。後で絶対返します」


 「あー、今日の迷惑料だと思って貰っちゃっていいっすよ」


 ショッピング終了後、沖田がそんなことを言ってきたが、全く気にする必要はない。柳谷親父攻略のための必要経費なのだから。


 「それよりもどうだ。俺はちゃんと女になれてるか」


 こっちの方が俺が今すぐ確認すべき案件である。俺の物語は俺が女になれなければ始まらないのである。


 「……ギリギリ」


 「……なるほど」


 ギリギリが気になるところではあるが、一応なれてるということなら問題ないはず。


 俺は服屋の鏡に向かって、くるっと一周回ってみた。


 上半身は男っぽい体のラインを隠すためになんかモコモコした奴を着て、下半身はせっかく女装するなら楽しみたいという事でスカートを穿いてみた。ミニスカートに挑戦しようと思ったが、すね毛が曲者だったので丈の長いロングスカートで妥協した。髪は適当に黒髪ロングのカツラを被って補強。


 自分のコーディネートを脳内で解説しながら今の自分を見てみると、しっかりと気持ちの悪い奴が鏡に写っていた。確かにギリギリでいつも生きている感じだな、うん、冷静になるとちゃんとキモイ。


 そんな俺と比べて沖田はもうなんかめっちゃ可愛い。全体的にフリフリしている童貞を殺せそうな服装だ。沖田の赤にも見える明るい髪色も相まって、二次元のキャラのコスプレしてるみたいだな。写真撮っておこうかな。


 というか姉妹設定のはずなのに、姉と妹で可愛さのギャップがやばい。大丈夫だとは思うが、柳谷親父に指摘された時に慌てないように設定追加しておこう。


 親が再婚した。そして新しく生まれた妹がめっちゃ美少女でした。私はそこまで美人でもないし可愛げもなく再婚相手から煙たがられている。段々と実の親もまた私に愛情を向けなくなってきた、私が可愛らしくないからだろうか。妹を恨みたい気持ちもあるが可愛い妹に罪がない事も分かっている。そんな葛藤を抱えた惨めなお姉ちゃんっていう設定で行こう。そんなわけで沖田にも共有してみた。


 「いや長いよ。その設定意味あるの?」


 「ないかもしれないし、あるかもしれない。でも、何事も準備しておいて損はない。何かあったときのため、何もないならそれで良いって感じだ。薄っぺらい設定だといざという時、テンパるからな。ある程度固めたほうが良いはずだ」


 「た、確かに、準備は大事だね。どんなに良く分からないことでもやらないよりはやった方が何かの為になる。うん、大事なことだと思います」


 なんか適当な事言っても、なんでも受け入れちゃいそうだなこの子。おじさん悪い大人に騙されないか心配です。


 「じゃあ、私はそんな惨めな姉に可愛がってもらう無邪気な妹、というのは表の顔で裏では姉を不細工と見下している陰湿な妹っていう設定にします」


 俺なんか余計なこと言ったかもしれない。柳谷宅に演劇しに行く感じになってるわ。


―――――――――――――――――――――


 柳谷親父へ今から行きますのチャットを送ったら、ご丁寧にも柳谷宅の位置情報を添えて送ってきてくれた。


 夏祭りの時にも近くまで帰りを送っていったことがあるので道中は全く迷わなかったが、手荷物として菓子折りと脱いだ制服、おっさんからもらった潜入用装備と大荷物だったので、めっちゃもたもたしながら歩いてきた。


 コインロッカーにでも預ければ良かったが俺と沖田の分の服を買ってしまったこともあり、無駄金は使いたくなかったので普通にケチった。さっきまで準備することが大事だと沖田に説法を説いたわけだが、俺が全然それを実演できていない件については見ないふりをしてポジティブに生きたいと思います。


 柳谷親父に紙袋の中に入っている男物の制服と潜入装備を見られたら俺の女装に対して不信感を抱かれる可能性があるが、流石にレディの荷物を盗み見るなんてことはしないだろう。一定のデリカシーを持っている人である事を切に願う。


 「そんなわけで到着しました」


 「へー、ここが柳谷さんの家なんだ。すごい大きな家だね」


 上流階級の人が住む家ってかんじだな。掃除とか大変そうだ。


 そんなことはさておいて、これからは戦闘だ。


 女性口調をトレースオン、一人称は私、私は佐藤照子。よし、いざゆかん。


 沖田の確認をもらって、頷き合った後、インターホンをプッシュ。


 ピンポーンという音が響く。待つこと数十秒、ドアが開くと、そこには柳谷さん。初手対面が柳谷なのはラッキーだ、親父が現れる前に軽く情報交換をしておこう。


 「今からお前の親父をちょろまかすから協力してくれ」


 「……誰?」


 柳谷は俺を見て顔を顰め、その次に沖田の方を見て首を傾げる。そうか俺は女だった、沖田も良く分からない乱入者だった、こんな反応になってしまうのは仕方がない。


 「俺は佐藤照人だが、今日のところは性転換しているので照子ちゃんって呼んでくれ」


 「全く理解できないわ。……まぁ、あなたはいつも通りと言えばいつも通りなのでおいておきましょう。それでそちらの彼女は何?」


 「さ、佐藤夏来です。妹です!」


 沖田はもう設定の中に入り込んでいるらしい、すばらしい女優魂だ。


 それにしても柳谷は沖田を知らないのか。有名な生徒だろうが何だろうが他クラスの生徒なんて覚える必要ないでしょうとか思ってそうではある。


 「妹?全然似ていないのね。何故連れてきたの?」


 「は、はい。似ていないのは複雑な家庭事情と言いますか、親が違うと言いますか色々あるんです。あと、付いてきたのはお姉ちゃんが出かけると思って一緒に付いて行くって我儘言っちゃって、」


 あの、沖田さん、ちょっと設定に入り込み過ぎているような気がしないでもないです。


 「失礼なことを聞いてしまったわね。ごめんなさい」


 それに対してぺこりと頭を下げて謝る柳谷。まずい誤解を解かなければと、口を開こうと思った時にはもう遅い、柳谷の親父っぽいフォルムの奴が廊下の陰に見えた。


 「入れ」


 と冷えた声が玄関に続く廊下に響いた。


 やばいちょっと怖そうな雰囲気なんですけど。これ女装してこない方が良かったかもしれない、誰だよ女装するとか言ったやつ、私です。


 後悔してももう遅いということで、案内してくれる柳谷の後ろを女性モードのウォーミングアップとしてモデルウォークをしながら付いて行く。大丈夫、俺なら上手く切り抜けられる。慣れないロングスカートでもこんなにも綺麗なウォークできてるもん。



――――――――――――――――――――――――――


 リビングに通され、ふかふかのソファーに座らされる俺と沖田。対面には柳谷親子が座っている。


 俺たちが座り始めて数十分経過したが、全く会話が始まらない。


 柳谷親父のビジュアルはごつい、身長でかい、渋い顔の三拍子で現代の武士って感じの雰囲気だ。そんな柳谷親父のビジュアルも相まって、空間の圧力が半端ねぇ。


 勇気を出して、菓子折りを渡してみるか。それともここはベクトルを変えてこの家は茶も出んのかとか言ってみるか、いやそれはまずい気がするので止めておこう。久しぶりに自制が機能した気がする。変革を求めるな、ベターを目指せ。


 「すいません、これは粗品ですがどうぞ受け取り下さい」


 俺の粗品アピールが会話開幕のゴングだったのか、柳谷親父は俺の粗品に一瞥も向けず口を開いた。


 「貴様の性別はなんだ?」


 最初の質問がそれかよ。


 「女です。……こいつめっちゃデリカシーねぇわ」


 「女なのか。……最後の方がよく聞き取れなかったが、何か言ったか?」


 「言ってません」


 危ない危ない、本音がだだ漏れになってしまうところだった。てか今の時代で貴様って言う人この世に存在するんだ。


 「俺はてっきり佐藤照人という名前は男の名前だと思っていたのだが、そうではなかったのか」


 「いいえ、合ってますよ。佐藤照人は兄で、私は妹の照子です。柳谷ちゃんがお父さんのスマートフォンを使ったみたいな感じで、私も兄のスマートフォンを使って連絡を取っていたんです。そのせいで今回は色々と誤解させてしまったみたいで、本当にごめんなさい」


 「ふん、それでその横の娘はなんだ」


 「わ、私は妹の夏来です。お姉ちゃんが出かけると言って無理矢理ついてきてしまいました」


 「そうか、それなら仕方ないな」


 俺に対応するときは冷たい声色なのに、沖田に対応するときは言葉は少なくともどこか柔らかく温かみを感じさせる声色だった。顔面偏差値の差で対応変えるとか最悪の極みであります。


 「誤解させてしまったと言っているが、お前は私の娘を美味しく頂いたとか言っていたはずだ。あれはなんだ」


 あぁ、過去の俺はそんなことも言っていたんですね。アホです。


 柳谷も初耳だったのか、いつにも増した能面の表情で俺を見つめてくる。


 「あれはちょっとしたスキンシップと言いますか。女性同士ならではのじゃれ合いですね」


 「俺は娘にそんなじゃれ合いをさせるために学校へ学びに行かせているのではない」


 あの、ごもっともです。だが、ここで納得してしまえば、後は淡々と説教タイムに入ってしまう。


 「でもですね、そういうのも学生が大人になっていくための通過儀礼だと思うんですよ。下ネタに対応できないままのピュアなままでは、社会に出たときに上司から受けるセクハラに耐えられないと私は思うのです。ですから私がやったことは言わばワクチン接種のようなもので、セクハラから身を守る抗体を作ってあげているようなすばらしい行いなのです」


 俺はなーにを言っているんだろう。


 「何を言っているんだお前は」


 「ですよね」


 そんな俺と柳谷親父との会話を見て沖田はプルプルと震えながら笑いを堪えているようだった。うん、俺も正直笑いそう。


 「瑞姫、お前はこんな男良く分からない奴と関わる意味があると思うのか?思わないだろう?」


 「……関わる意味がないとは思えないわ。だって昔よりも毎日が楽しいと思えるもの」


 「……セクハラがか」


 「セクハラ別に何とも思わないわ。それ以外の事」


 やっぱセクハラはどっちにしろだめっぽいわ、ごめんなさい。


 「お前が俺の言う事に反発するとはな」


 お、なんか良い感じの雰囲気じゃないか。成長した我が娘に乾杯って感じの雰囲気でハッピーエンドを迎えられそうじゃないか。


 「やはりもっと偏差値の高い学校に入れるべきだったか。どこへ行かせても変わらないものだと思っていたが、俗世に染まってしまうものなのだな。そうならないような性格にしたつもりだったが、俺の管理不足だな」


 おっと、また流れ変わった。


 「父さん、何が言いたいの」


 「今からでも遅くないだろう。瑞姫は転校させることにする」

 

 なにこの親父、めっちゃだるい事言い出した。


 「ちょ、ちょっと待ってください。なんでそんな転校なんてことに……」


 俺が何かを言う前に、まずい展開になっていく状況に耐えきれなくなったのか沖田が声を上げた。


 「不思議に思うか。だが、貴様も親になったらわかるだろう。自分の子供が目の届かない場所で汚され変化していく姿は見たくないのだ」


 「親がどうこういう前に柳谷さんの気持ちはどうなるんですか」


 「人間の気持ちなどはころころ変化する、そんなものをいちいち考慮するのは時間の無駄だ。だからこそ、まずは自分の子をしっかりと管理することから始めなければならない」


 「上手く言えないけど、多分それは悪いことだと思います!」


 素直に思ったことを口に出す、それを純度100%でやってのけるのが沖田という少女である。その思いと言葉が本物であることは柳谷親父にも伝わったのだろう、語りを止めて何かを考えるそぶりを見せる。


 「それでは、そこの奇妙な女を転校させることにしよう。俺は別にどっちでもかまわないのだが、娘をないがしろにしているように言われるのは心外であるからな」


 「まじかよ、そうなるんかい」


 思わずツッコミを入れてしまった。沖田もその代替えとして出てきた案に絶句。この親父やばいかもと今同じことを考えているだろう。


 だが、転校させると言っても他人の親が他人の子を自主的に転校させるなんて簡単にできるはずがない、学校に相談しても意味分からない理由だと突っぱねられるだろう。


 「いくら金をつめばお前は転校してくれる」 


 「国家予算レベルなら動いてやらんこともないです」


 全く可愛げのない女子中学生になってしまっているが、この際もうどうでもいい。


 「そうか、それなら瑞姫を転校させるまでだ」


 「ぐぬぬ」


 唸る事しかできない。まだ俺も転校するわけにはいかないし、柳谷だってそれはそうだろう。


 柳谷はいつも通り無表情で親父を眺めている。いや、柳谷検定一級の俺からしてみれば、あれは明らかに憤怒の表情である。いったれ柳谷さん。


 「父さん、彼女を巻き込まないで頂戴。私が転校すれば良いだけの話なんだから」


 おいおい、待ってくれよ。なんで、すんなり受け入れちゃってるんだよ。ボスと喧嘩するときみたいに親父にもガツンと言ってやってくれよ、口喧嘩は得意だろう。


 俺の為を思ってそんなことを言っているのならそんなことは止めてくれよ、自分らしくやることがお前らしさだろう。


 そうやって柳谷の方を見ると、ちょうど彼女もこちらを見たのか視線が交わる。彼女は身体を強張らせた後すぐに体の力を緩め、ぎこちない笑みを精一杯作り返してきた。そして、すぐにいつものように無表情に戻った。何かを諦めたように。


 俺はその表情を見てハッとした気持ちになった。


 柳谷瑞姫らしさ、孤高の強い女、ゲームで見てきた彼女はそうだったはずだ。だが、俺はもしかしたらそんな柳谷瑞姫をどこか偶像視していたのかもしれない。


 ゲームで見てきた彼女ではない、実際に俺は彼女と接したんだ。それで何を感じた。機械のように冷たいだけの女だったか?違うだろう、時折見せる可愛らしい笑顔には俺も心を奪われた、ボスへの気遣いやたまに垣間見える頑固な一面と子供らしさ、そして若干のもろさを持つ不器用で普通な女の子だ。


 素直に助けを求めることもできないくらいには不器用な女の子なはずだ。


 俺の勘違いならそれでもいい。そうであったとしてももうなんかもういつも通り滅茶苦茶にしたい気分である。


 「柳谷が転校するなら、俺も同じ学校に転校しちゃおかなー」


 「なんだと」


 とりあえず、まだ何も良い案は思い浮かんでいないが、煽るだけ煽っておこう。


 「ちなみに俺は佐藤照子じゃなくて照人なんですよね」


 カツラを脱ぎ捨て柳谷親父にそのカツラを献上。突然のカミングアウトに固まる柳谷親父。更に畳みかける。


 「実をいうと、娘も美味しく頂いたっていうのも本当なんですよね。最高でしたわぁ」


 「き、貴様ぁぁぁ」


 ちなみにまだ何も考えてない。ちょっと煽りすぎたかな。


 柳谷親父の拳がスローモーションで迫ってくる。ここは殴られておくか。


 「あべしっ」


 しっかりと顔で拳を受けて、吹っ飛ぶ俺。一瞬ブラックアウト。


 めっちゃ痛いんですけど、顔面ぐちゃぐちゃになってないよな。頭の中からぴしぴしと骨っぽい音が聞こえてくる。なんだこれ、もしかして超回復発動しているのか。結構、やばいパンチもらったからな、当たり所悪かったのか。


 薄目を開けて今の状況を確認してみると、拳を赤く染めた柳谷親父が俺を見下ろしている。


 やべぇ、オマエコロスモードだ。さっきのパンチからしても俺のスキル発動からしても、普通に殺す気だ。娘を思う父親の気持ちに拍手だな。俺も将来もし親になって、娘が彼氏連れてきたら同じようにオマエコロスモードになると思う。


 そのまま髪を掴まれてどこかに引きずられていく俺。その過程で近くにあった潜入装備が入った袋を自らの指に引っかける。柳谷親父はそのことに気を留めず、俺を引きずりながら進んでいく。


 ドナドナと音楽が聞えてくるな。


 目的に到着したようで、どっしゃという音を立てながら俺の体がその場所に投げ出される。そして、ガチャとその部屋の鍵が閉まる音が聞えた。なんだここ、筋トレ器具が散乱している。柳谷親父の趣味部屋だろうか。まぁなんでもいいけど。


 「お前は今からサンドバッグになってもらう」


 「ちょ、ちょま。いったん話をしましょうや」


 俺の願いは聞いてもらえず、ボコボコタイムが始まった。


――――――――――――――――


 いや、あのちゃんと殺しに来てるわこの親父。シッピングモールの時と同じくらいボロボログチョグチョになっている自信がある。世間一般的な親父だったら、一発殴った時点でいくらか冷静になってくれると思うのだが、そんなことはなく普通にラッシュしてくる。


 ちゃんとイカれた奴なんだけど。もうちょっと常識のある大人キャラいないの。


 俺が何かできるような隙はなかなか作ってもらえない。それにこの柳谷親父は多分格闘技経験者だ。一発殴られるたび軽く意識が飛ぶ。どうせ俺は死なないので柳谷親父のスタミナ切れを狙うというのも良いのだが、正直痛すぎるので早めに終わらせたいという気持ちの方が強い。


 薄れつつ意識の中で、なんとか潜入装備が入った袋を掴み取り、中のアイテムを取り出し打開の一手を探る。おっさんの事だから、役に立つアイテム絶対あるはずだ。ちょっとしたドラ〇もんみたいな人だからな。


 「何をしているっ」


 「ぐふっ」


 腹を蹴られて、床へ転がる。袋はその拍子に手放してしまった。しかし、俺の右手は何かを掴んでいる。


 メカニックな手袋がその手には握られていた。その辺のおもちゃ屋さんに売ってそうなやつなんですけど、役に立つのかこれ。


 筋力増強アシストみたいなものであってくれ。とりあえず、殴られながらも右手に装着してみた。


 「気でも狂ったのか貴様。なんだそのおもちゃは」


 「……」


 口が切れて痛いので言葉は返さない。柳谷親父は俺のメカニックグローブが気になるのか動きを止めている。


 どうしたらいいのこれ。なんかボタンあるけど、押してみようかな。


 よし、いったれポチッとな。頼むぞおっさん。


 グイーンと何かの稼動音が聞え、グローブを嵌めた右腕が異常な力で圧迫される。え、何これ、どうなってるん。


 『狙いを定めてください』


 そんな機械音声が聞えた。なにこれビームとか出る系。もう後先のことを考える思考が俺には残っていなかった、機械音声に促されるまま、柳谷親父に右手を向ける。


 柳谷親父は馬鹿馬鹿しいと鼻で笑って、再び殴りかかってくる。


 その瞬間、俺の右手が火を噴いた。いや、血を噴いた。


 グローブからの圧迫から解放された右腕が血をまき散らしながら目にも止まらぬ速さで飛んでいく。そして、柳谷親父の顔面をロケットパンチした。ビームじゃなくて俺の腕が直接飛んでいくのね。俺じゃなかったら死んでるんですけど。


 その衝撃で柳谷親父は床をバウンドしながら壁に激突し、ピクリとも動かなくなった。川で水切りをした時を思い出すくらい綺麗なバウンドだったな。


 そんなことを言ってる場合じゃない、まずは柳谷親父が飛んで行った方向に落ちてある。グローブが装着されたままの右腕を回収して、血がドバドバ流れでている空っぽの右肩に差し込む。なにやらぐちょぐちょと音が鳴った後、無事修復完了のお知らせ。


 次は柳谷親父の安否確認だ。死んでないよね。ちょっとしたトラックにはねられた並みのぶっ飛び方だったから普通に心配なんですけど。ヒロインの親父ぶち殺す友人キャラとか怖すぎる。


 身体を揺すってみるとピクリと動いたのが分かった。呼吸もしているし、脈もしっかりしている。柳谷親父がしっかりとした体形で良かった。もやしっ子だったらガチで死んでいたかもしれんな。


 しばらくすると、柳谷親父は目を開けた。まだ状況が掴めていないようで、焦点が定まらない様子だ。


 「あの、ごめんなさい。大丈夫っすか」


 「ここはどこだ」


 「え、あなたの家?ですけど」


 「私は、いや……俺?は」


 あれ、大丈夫これ。なんか嫌な予感するんだけど。


 「俺は誰だ?あなたは誰だ?俺は何をしているんだ?」


 よし、なんか分からないけど、俺と柳谷の転校云々の問題は有耶無耶になったらしいな。


 とりあえず、結果オーライってことで良いですよね。



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