第7話 佐藤照人のスタート

 気まずい、その一言にすべて詰まっている。この状態で後数十分過ごさなければならないのか。きつい。


 まあ、割と話しやすい相手だと思ったし、何か話題を振ってみるのもありなのかもしれない。当たり障りのないことを言っておけばいいだろう。


 「友達とかもうできた?」


 「私はこれまでの人生、友達ができたことがないわ」


 「……へえ」


 はい、普通に話題をミスった。こんなにも堂々と授業をサボるような奴がまともに友達を作っているはずがないじゃないか。俺の馬鹿。思わず伏し目がちな視線になってしまう。


 「あなたは?」


 「いないな」


 「同じじゃない。ならそんな目で私を見ないでもらえるかしら。腹が立つわ」


 「ごめんなさい」


 初対面の人と会話するときはもうちょっと優しい感じの言葉遣いにした方が、良いと思うぞ。


 そんなことを考えていたからだろうか、彼女の澄んだ黒眼が俺を殺す勢いで貫いてくる。


 「まぁ、なに。いつかできるだろうから、そんなに睨むなよ」


 「できると思うの?」


 「いや、知らん」


 「適当ね。あなた……、クラスと名前を言いなさい」


 なんかこれから尋問されるみたいだから、その質問の仕方やめてほしい。


 「クラスはBだ。名前は佐藤照人」


 「そう。ついでに私の名前を言った方が良いかしら?」


 「せっかくだし言ってもらえます」


 「クラスC、柳谷瑞姫」


 はい、ヒロイン決定である。そして、そこそこめんどくさい問題を抱えているヒロインだった。


 端的に言うと、柳谷瑞姫はいじめられっ子なのである。それも生粋のだ。ゲームで彼女は小学生からずっといじめられ続けてきたと言っていた。


 どんな環境でもいじめられるといういじめられっ子のスペシャリストみたいな存在である。いま彼女と会話していてもなんとなくわかる通り、若干の女王様気質と気高い精神性を持っていらっしゃる。それが災いして、どんないじめにも屈せず立ち向かった結果、いじめがさらにエスカレートするみたいなことを繰り返しまくる。そして寺島と結ばれない場合、彼女は自殺する。


 エンディングで生き残れるルートが一つしかないというのは俺と似通っている。だが、自殺という明確な死因とその理由がはっきりとしていることが俺とは異なっている。最悪、自殺する前にタックルして止めればそれで解決である。


 ちなみに、寺島と結ばれない場合の他のヒロインのルートもこんな感じに悲惨である。


 寺島と結ばれるものだけが救われるというのはなんとも残酷だ。ヒロインたちが寺島を求める理由もその観点から見ればよく分かる。


 「何で急に黙るの。口を開きなさい」


 ぴしゃりと放たれた言葉で、俺は我に返った。


 「ん……。ああ、いい名前だと思ってね」


 「適当ね」


 そう言って、柳谷はくすりと笑った。


 ゲームにおいて彼女がこんな自然な笑顔を見せることがあっただろうか。


 彼女の表情はいつもどこかぎこちないものだった。色々な表情をバラバラにくっつけて、無理やり笑顔に似た表情を作っているような感じだったな。イラストレーターの表現力の高さに戦慄したのを覚えている。


 清川と同様、何かのきかっけがあり表情筋を失っていくだろうか。それを考えると胸が締め付けられる。ああ、ほんと嫌だ。


 「何で急に黙るの」


 「……話すネタがなくなったんだ」


 「今までの会話の中にネタも何もなかったように思えるけど」


 「まぁ、確かに」


 柳谷と会話を続けながら自分の中に引っかかっていたのものを俺は無理やり暴いていく。俺は自分の命を二の次にしているのではないかと。


 なぜ俺だけが彼女たちの不幸な未来を知る必要があるのか。俺だけがこんなにも残酷な前世の記憶を持っているというのは不公平ではないのか。


 どうせ知るのなら、俺の未来だけで良かったのだ。それならば、後腐れなく速攻で逃亡もしくは『青春ループ』の舞台から遠ざかるような動きをとることができたのではないか。


 そして、あの教室の生温い雰囲気にだって何も考えず浸かることもできたのではないか。


 神様か何か知らないが、他の人間の残酷な運命を俺に伝えてきた奴は本当に意地が悪いし、俺のことを良く知っている。



 俺はモブである。物語の主人公のように屈強な精神は持ち合わせていない。



 彼女たちが不幸になるのを知っているのにもかかわらず、俺は意気揚々と逃亡の算段を立てて、幸せな未来予想図を描いてもいいのか。


 いいや、俺はそれを幸せとは呼ばない。


 死ぬまで罪悪感に縛り付けられる人生なんてどこが幸福か。ヒロインのたちの屍の上に立って生き続けるとか怖すぎるしな。


 そして、俺は完全に理解する。俺の逃亡計画のスタート、俺自身のスタートは彼女たちヒロインの問題をすべて解決してからなのだと。俺は自分の命を彼女たちの二の次にすることに決めた。


 多数の運命の手綱を握っている。それが無意識の中でプレッシャーになっていたことも、教室で呑気に過ごすクラスメイト達を見て居心地の悪さを感じたことと関係しているのかもしれないと気づいた。


 ふと視線を感じたので、その方向に目を向けると、じっととした目で俺を見つめている柳谷がいた。


 俺が長い間考えすぎたからだろうか、退屈しているようだった。これから彼女と関わっていくためにもここは少しくらい会話をした方が良いだろう。


 ゆっくりと肺に空気を入れてから、柳谷の方を見る。


 「質問しても良い?」


 「なにかしら」


 「これまで友達いないって言ってたけど、何か理由あったりするのか」


 柳谷には露骨に嫌な顔をした。わかる、初対面でグイグイ近づきすぎてる。でも、こういうのは後回しにしてもしょうがない。


 「理由も何もないわ。いつの間にか私は排除の対象になっているの」


 「排除って……。物騒だな」


 排除の対象か。いじめられていると簡潔に言わなかったのは彼女のプライドだろう。


 「ただ無視されたり、靴を隠されたり、教科書を破られたりするくらいよ」


 「それはまたひどいなぁ」


 まあ確かに、それくらいと言えばそれくらいに感じてしまうのも嘘ではない。


 殴る蹴る裸にひん剥かれる、便器に顔を突っ込まれるくらいなら流石にやばくないかと言っていただろう。


 多分まだそれくらいだったから、彼女は今も正気を保つことができているのだろう。ゲームでは中学生、高校生になってから柳谷がどんな目にあったのか具体的には明言されていないが、相当なことをされていなければあんなぎこちない表情で毎日を生きる羽目にはなっていないだろう。


 「あなたはそういうことされたりしないの?」


 「ない。俺は教室では空気に溶け込んでいるから。むしろ自分が空気なんじゃないかと思っちゃうくらいだし」


 「あなた変わっているように見えたから、意外だわ。」


 それはそうだと思う。前世の記憶を持って過ごしてきたんだからな、多少は性格が捻じ曲がって変わっているように見えるだろう。否定はしない。だが、変わっているというだけではいじめの対象になることもないのもまた事実。


 「まぁ、俺の話はどうでもいいよ。特にこれといって何もないし」


 「いいえ、どうでもいいということはないわ。話題も特にないのだし、話しなさい」


 俺の事なんて聞いても何も出てこない。前世のことは頭のねじが外れている人と思われるだろうし、言えないしな。それ以外の俺の情報はスカスカである。


 とは言っても、俺が何か言わなければこのまま平行線な気がする。前世の情報と今の柳谷を見て分かる通り、頑固感が溢れ出ているからな、俺が何か言うまでは引き下がらないだろう。


 「聞きたいことがあるのならお前から質問してくれ」


 「……そうね、ではあなたは小学生の時は友達がいたの?」


 「一応な」


 「今は独り身なようだけど」


 「そいつとは中学が別々になったんだ、会おうと思えば会えるから別にどうってことはないけど」


 「そう」


 そこで会話がなくなってしまった。


 柳谷は静かに床を見ている。何か考え事でもしているのだろうか、もう俺からは話しかけにくい。


 手持無沙汰になった俺は、ちらりと時計を確認してみる。


 そろそろ五限の終わりのチャイムが鳴りそうだ。ぼちぼち撤収しなければいけないな。そんな風な意味も込めて、柳谷の方を確認してみると、不意に柳谷が口を開いた。


 「やっぱり人は一人では生きていけないのかしら。あなたみたいなのにも友達はいるのだし」

 

 俺みたいなものってなんだよ。彼女の眼には俺は怪物に見えているのだろうか。確かに彼女の容姿と比較すれば、俺はミジンコのような容姿だが。


 反論は後にして、とりあえず質問に答える。


 「そうだな。一人じゃ無理なこともあると思うぞ」


 「一人でいることは悪い事なのかしら」


 「悪いとは言ってない。うまく生きていくためには馴れ合いが必要な時もあるってこと。実際、そっちの方が楽だしね」


 「自分を偽って偽りだらけの関係をつくらなければならないのなら、私は過酷でも一人で自分らしく生きるわ」


 「そうか」


 そう返すほかない。中学一年生になるまでずっとその考えのもと生きてきたのだろう。ここで俺がとやかく言っても意味はない。柳谷の言っていることも一理あるわけだしな。


 「否定しないのね」


 「まぁね。共感できるところもあるから」


 「……そう」

 

 柳谷はまた何か思い込んだように下を向く。このままでは思考に没頭しそうな気配すらあるな。仕方ないので俺は口を開く。


 「もうそろそろ時間だ、戻らないとな」


 「そうね」


 短い返事はどこか憂鬱そうである。その気持ち分からなくもない。


 「このまま帰りたい気分だな」


 「そうね」


 そんなことを話していると、学校のチャイムが鳴った。


 「私は行くわ」


 そう言いながら立ち上がり、俺に目をくれずぴしゃりとドアを閉めて出て行った。


 柳谷は思っている以上に前途多難な気がするな。


 とりあえず、俺も教室に戻るか。


 溜息を吐きながら、俺もぴしゃりとドアを閉めて空き教室を後にしたのだった。


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