第41話 真冬の疾風
【十二月二十七日 午前9時55分】
師走という言葉通り年末の忙しさを体現するように、駅前もいつもよりもずっと人手が多いように感じる。人が多くてもビルの間から吹き込む十二月末の風はとても冷たくて。その風は加えて雪かみぞれのような水滴を運んでくる。昨日の予報では昼過ぎからは晴れになるはずなので、もうしばらく我慢すれば少なくとも日光が体表を温めてくれるはずだ。
三日前にした
そうだったのだけれど、信号の向こう側のベンチに真っ白なコートへ両手を入れ込んで、この前買ったマフラーに耳元まで顔を埋めながらちょこんとベンチにすでに座っている美夜が見えた。信号の向こうへと声をかけられたら良かったのだけれども、車が行き交う中ではかけられない。時折、腕時計を確認している様子が伺える。
やきもきとした気持ちを裏手に取るように信号機は中々変わらない。寒さを紛らわすように足を何度も揺する。
10秒、20秒、体感時間はもっとあった。焦る気持ちを抑え込むようにようやく信号機が青に変わり、彼女の元へ向かう。信号待ちをする人混みの中で俺だけが駅の改札へと向かう人々の間を縫って一直線に。
「美夜、おまたせ。」
「ぁ。……。」
第一声がやっほーでも、ひさしぶり、でもなかった。たった二日ぶりだけれども、彼女は迷子の子供がようやく親に見つけられたような反応だった。声にになるようならないような音をその喉から出して、じっと俺の事を見上げてくる。
「美夜?」
「あ、
結ばれてこんがらがっていた糸が解け落ちるみたいに、彼女は寂しげな顔つきからうってかわって笑顔になる。ただ、寒さのせいか少しだけ引きつっているようにも見える。
その様子を見て俺はベンチの隣の空いていたスペースに座り込んだ。隣り合った俺達は街の景色を一緒に見渡す構図になる。
「待ちすぎて寒くなかったか?」
「ううん。ちゃんと、コートとマフラーがあったから寒くなかったよ。」
彼女は言葉ではそう言うけれども、よく見ると肩や足が少し震えている。きっと嘘を付いていると思う。
彼女は何分前からこの場所にいたのだろう。
「手、かして?」
「え、うーん……。今日の薫くんは肉食系なのかな……?はい…――。」
美夜の小さくて真っ白な手は寒さに負けて朱色になっている。末端の指先は凍りついてしまうのではないかと思うくらいに冷たい。
その手をそっと握り込んで、体温を分け与えるように温める。決して俺の体温が他に比べて高いわけではないと思うけれども、彼女の指先に比べれば雲泥の差だ。
「ぁ……。あったかい……。」
彼女の指先は以前までは柔らかかったけれども、いくばかの期間を経て指先が固くなっている気がする。もしかしたら、神社に行っていない間にも欠かさずにギターの練習をしていたのだろう。しっかりとした芯を持ちながらもしなやかさを欠かさない若枝のようだ。
「どこか、暖かい飲み物飲める場所にいくか?」
そっとほほえみながら、美夜は首を静かに横に振る。最初からそう聞かれることがわかっていて、事前に決めていたようにしっかりとした動きだった。
「寒いのはそうだけど、茉莉ちゃんから借りている時間も少ないしね。いつもの場所にいこう。ま、最初からそっちを集合地点にすればよかったんだけどね。ちょっとした趣みたいな?」
自分の意思を明確に見せるようにしっかりとした動きで立ち上がり、手を引っ張って俺をベンチから立ち上がるように促す。
「さー、いきましょー!」
この寒さに負けないように威勢よくしっかりと声を張り上げる。
「わかった。いこうか。」
しっかりとその声に応えて、俺達は歩き出す。彼女のいつもの調子が戻ってきたようだ。俺もつられて笑顔が溢れる。
相変わらずに空模様は曇り時々雪、もしくはみぞれ。頬に冷たい水滴がたまに付着して凍りついてしまいそうだけれども、それでもしっかりとした足取りで二人並んで目的地へと向かっていく。出会った頃の晩秋の散歩みたいに軽やかな足取りとはいかないけれど、一歩一歩地面を踏みしめるように着々と進んでいった。
「バイト忙しかったか?」
「そりゃそうだよー。昨日になって今日も出てほしいって言われたけど断った!さすがに連続は辛いよー……。」
「あと年越しまでは休み?」
「ううん。明日は休みだけど、明後日はまた出ないと……。でもそれで終わり!」
駅前をそっと抜けて、住宅街へと入り込んでいく。神社のある峠の方から風がすっと吹き込んできて枯れ葉がカサカサと転がっていく。気の早い家はしめ縄を玄関に飾っていて、木の遅い家はクリスマスの飾りを残していて、年末の空気がここにも満ちていた。
「なんか、久しぶりに会うみたいだねー。」
「1年ぶりくらいか?」
「あはは。それはい言い過ぎだよ。まあ、1ヶ月ぶりくらい……かな。」
「それも大げさなきがするけど、あはは。」
#
神社の境内は年末の準備を徐々に始めているようだった。初詣客を迎えるためにいくつかの飾り付けが境内の脇に固められている。出店がでるほどではないにしてもいくらかの用意をしているようだ。秋に立派な紅葉を見せていた木々の葉はすべて枯れ落ちて、そびえるのは空に延びる黒い線のような枝といくつかの常緑樹だけ。その木々だけが冬の冷たい風から俺達を遮ってくれる。
「ここも結構様子変わったね。」
「ああ、こんな神社でも初詣の準備やってるんだな。」
「それはちょっとひどくない、あはは。」
正直過ぎる感想だっただろうか。関係者が誰も聞いていないといいのだけれども。彼女の笑い声に合わせて白い息が冬の空気に広がっていく。
「だって、いつも誰もいないからさ。」
「ま、そうだね。たしかに今日もいないみたいだけどね。」
社の中からも物音はなにもしない。荷物の運搬だけをしておいて、実際に飾り付けをするのは直前なのだろう。
何の言葉を掛け合うわけでもなく二人並んで、社の後ろ側のいつものスポットへ歩いていく。敷き詰められた砂利と4つ分の足裏で小気味よくぎゅっぎゅと音を鳴らす。心地いいその音は木々に囲まれたこの空間に響く。
社の裏側への曲がり角。彼女の落とし物を拾ったのがここ。その角を曲がると目的地だ。
「到着、だね。」
そう言いながら美夜がくるりとかかとで器用にターンする。その勢いでふわりと短いコートが広がる。
「猫は…いないな。」
「ふふ。残念だけど、今は都合がいいかな……。ちょっと猫ちゃんには悪いけどね。」
一歩、二歩、三歩と美夜が近づいてくる。その勢いでずり下がってしまいそうだけれども踏みとどまる。だけれども、もう目と口の先は彼女の顔だ。
「美夜ちょっと近くない?」
「近いね。でもずっとこうしたかった。本当は諦めるつもりだった。」
「美夜、俺も言わないといけないことが。」
「やだ。聞きたくない。」
「ええ……。」
俺の用意してきた言葉たちが塞がれてしまう。美夜はそのしっかりとした口調と近すぎる距離で俺に物を言わせない。
「あんなにかわいい幼馴染がいるなんて聞いてなかった。」
怒ったような声音と彼女の冷たい目が訴えかけてくる。
「そりゃ茉莉は可愛いけど。」
じろっと睨みつけられる。猫が縄張りを警戒する様な目で。
「こっちに来てから、ずっと一人、いや二人だった。お婆ちゃんはいたからね。」
この手を伸ばせば彼女が抱きしめられる。そんな距離でしっかりと彼女は目を見つめてきてさらに詰め寄ってくる。勢いに負けてちょっと下がってしまった。
あと一歩後ろに下がると軒先に倒れ込んで座ってしまいそうだ。
「そりゃ、一人でセンチメンタルな気持ち持て余して徘徊してさ。ナルシストかよって想いながら一人でギターの練習して……。あと一年もしたら大学生なのに、中学生みたいにのめり込んでさ。」
彼女の勘定の吐露は止まらない。本当は俺が彼女に気持ちを伝えようとしていたけれども、美夜はそれ以上に気持ちを溜め込んでいたようだ。
「ダメじゃん!あんな遅い時間に付き合ってくれて、優しくって、一緒にギター練習聞いてくれるし、何ならお互い下手くそだけど一緒にセッションしてくれるし!」
しっかりとした目は不安に揺れることはなく、じっと俺の目の奥を捉えてくる。美夜の目の奥にある真っ黒な月みたいな虹彩が俺の視線を離させてくれない。
「好きになったの! もうちゃんと良い子が側にいる男の子に騙されたの! 君が好きになったの!」
彼女の冷たい手がそっと俺の頬に触れる。
「この女たらし……。年下の癖に……私が振り回してるつもりだったのに、振り回された。」
彼女の溢れ出した想いをあらわすように涙がこぼれかけている。
「茉莉ちゃんともう付き合ってるかも知れないけど、私の方に振り向いて欲しい。」
美夜の勢いを押さえきれずに二人で社の軒先に倒れ込んだ。そのまま美夜は俺にのしかかるようにして頬を両手で抑え込んだまま――
「ん……。」
記憶の限り初めての口と口のキスは何も返事が出来ないままに女の子からされてしまった。ちょっとだけ歯と歯が当たって痛いけれども、キスがこんなに甘いなんて知らなかった。
「薫くん好き。これからもずっと側にいて……。」
最初、顔についた水滴は空から降りしきるみぞれなのかわからなかったけれど、温かなそれは美夜のこぼれ落ちた涙に違いなかった。
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