第40話 月夜の相談
【十二月二十五日 午後六時】
「よし、あとはオーブンで四十分くらい焼いたら完成!」
「こんな短時間で意外と準備できるものだな。」
買い出しを終えて
「
大分俺のことをいい風に言ってくれるが、指示通りに野菜の皮むきや配膳を手伝っただけだ。あとは、調味料の計量くらい。
「茉莉の補佐くらいにはなれたかな。」
「料理店開いたら雇ってあげようか?えへへ。」
彼女が店を開いたらどんな店だろうか。きっとだけれども色々な国の家庭料理を提供する暖かな店になると思う。確証はないけれど、そんな未来がふと脳裏に過ぎった。
「その時は調理補佐とウエイターくらいやるよ。」
「それは、楽しそう。」
茉莉は両手を合わせてそっと首を横に傾けながら柔らかく微笑む。手にはキッチン用の手袋を付けていたのでぽふっとクッションに飛び込むような音がした。
「あとはどうしていたらいい?」
「そうだねー。一緒にゲームして待つ?」
「いいよ。でも茉莉に勝てるかな。」
そっと手を取られて、リビングのソファへと連れられる。彼女は俺よりもずっとゲームが上手い。ちょっとハンデをもらわないと負け続きそうだ。
「薫、弱いからねー。はいー、コントローラー。」
「三回俺が負けたら、ハンデをくれ。」
「まあ、しかたないなー。」
家族向けのレースゲームを始めたがワングランプリ中に彼女よりも順位が高かったのはたった一度しかなかった。そのたったの一度ももしかしたら茉莉が優しさで手を抜いてくれたのかもしれない。
「えへへ。やっぱり弱いねー。」
堂々と一位で表彰される茉莉。一方の俺は五位とコンピュータ相手にも凡庸な成績になってしまった。
「ハンデ、ください。」
「でもこれコンピュータ相手だしなー。ちょっと強さの設定下げようか。」
「茉莉の設定も下げてくれ。」
「わたしの設定はどうしようかな~。よっと。」
そう言いながら彼女はソファに座る俺の脚の間にとびこんでくる。
「薫がぎゅっとしてくれていたら、ちょっとだけ遅く走ってあげる。」
「これ俺のハンデなのか?」
顔の下に当たる彼女の髪の毛がくすぐったい。全身を子供のように預けてくる彼女の言うがまま、クッション代わりとなる。
「そう。ハンデ。」
彼女から間髪をいれずにあっけからんと笑顔で答えられる。
「ずいぶんと子供みたいになったな。」
少しだけ幸せな苦笑いがでる。ずいぶんと懐かしい雰囲気だ。
「そうだよ。ずっとこうしていたいの。」
茉莉のそっと頭を撫でる。
「わかってるー。薫が発進してから五秒まってあげる。」
「それでも勝てるかなあ。」
「さぁ?それでもダメだったらまた考えるね。」
これはきっと家族の距離はずっと超えている。柔らかな彼女の髪の毛が掌から伝わってくる。温かな頭の体温も、彼女の香りだってすぐそこにある。こんな調子でレースに集中できるわけもなかった。
茉莉の両親からもうすぐ帰宅するという連絡があるまでずっと二人で寄り添ったままいいた。追いつけない彼女に笑われていた時間は間違いなく幸福だった。
#
「はい、では皆さん飲み物は行き渡りましたかー?」
「それじゃあ、会社の飲み会じゃないの。まったく。」
茉莉の両親と俺の父親が揃い、両家でのささやかなクリスマスパーティが始まる。まさか自分たちが高校生になってもなお続くとは思っても見なかったが、その一方で終わってしまう想像も確かにしてこなかった。
「薫、ほら。」
茉莉がそっとコップについだノンアルコールの炭酸飲料をわたしてくれる。洒落たワイングラスの底からシャンパンの様に泡が一本の柱になっている。まあ。本物は見たことが無いけれども。
「じゃあ、乾杯。」
「「乾杯」」
合わせて五人の挨拶。低い声に高い声。グラスの重なる音。それぞれの音に鮮やかに色がついているようでこの日を彩っている。
「さー食べさせてもらおう。茉莉ちゃん、ありがとうね。」
父親達がグラスを早々に空けて茉莉に礼を言う。空いたグラスを見てまた美沙さんが苦笑いしている。
「いえいえ。いっぱい食べてくださいー!」
茉莉は最後の飾り付けだって手を抜かなかった。取り分けるのだって躊躇してしまうくらいにキレイに盛り付けられている。
「遠慮して冷めない内に食べないと。薫くんもさあ食べて。茉莉と二人で頑張ってくれたんでしょう。」
「ああ、すいません。いただきます。」
美沙さんからそっと取り分けて貰ってしまった。
「茉莉ちゃん、美味しいよこれ。」
おじさんと親父は早速にメイン料理を食べ進めていっている。空きっ腹に酒を入れたら脂っこいものが食べたいのだろう。
「えへへ。やったー。」
茉莉は満面の笑みを浮かべている。彼女のこの顔が見られただけ今日一日の手伝いに対して、手に余るくらいのお釣りが貰えるようなものだ。
「おじさん、グラスが空いていますよ。」
そっとワイングラスを手にとっておじさんのグラスに注ぐ。
「お、ありがとう。薫くんも社会人にもうなれるかもなあ。」
「薫。俺にもくれ。」
「はいはい。」
「子どもたちにお酌させたらダメでしょう。」
「あ、わたしもやりたい。ワイン入れてみたいー。」
「はぁ。まったく。」
五人も集まるとちょっとだけ狭いリビングには、クリスマスの街に負けないくらいいっぱいの声が響き渡っている。外はずっと寒いだろうけども、家族で集まればずっと暖かい。
雪はまだ降っていない。明日には満月になりそうな少し歪んだ丸い月が窓の向こうで輝いている。
#
「洗い物までさせていいのかしら。」
「お母さんもお仕事疲れたでしょ。さ、座ってて。」
「本当に、気が利く子達になったわ。」
茉莉と俺で洗い物をしていく。親父たちは炬燵に移動して二次会のように盛り上がっている。美沙さんは俺達をリビングの椅子に座って見守ってくれていた。
「茉莉、お皿拭いてくれるか?」
「はーい。薫、大丈夫?」
「流石に皿洗うくらいはできるさ。」
「えへへ。そうだよねー。」
彼女は俺の横に並ぶ。油汚れをそっとスポンジで拭き取り、水洗いが終わった物から徐々に彼女に渡していく。
「はい。落とさないようにね。」
「落とさないよー。」
夕飯まで子供っぽかった彼女を思い出して、少し子供扱いしてしまった。茉莉自身も口ほどには嫌がってはいない。じゃれ合いに近い。
「ごめん、ごめん。」
「薫こそしっかり持っていて落とさないようにねー。」
やはり可愛らしい様子だ。暇なのか人差し指をぴんと立てて、指先で俺の肩をつついてくる。吹くペースと洗うペースでは吹くほうが早いのは致し方ない。
「ふふ。」
「あ、なんで笑ったのー?」
「なんでもないよ。なんでもね。」
心が幸せでいっぱいになって笑いがこぼれ出てしまった。
「えー。もー。くすくす。」
つられて茉莉も笑っている。こんな様子だといつまで経っても洗い物は終わらないかも知れない。
「……?」
俺達はこの時そっと後ろで首をかしげる美沙さんの姿には気がついていなかった。
#
洗い物を終えた茉莉は風呂へと向かった。俺と親父と暇をしようとしたが、残念なことに彼らはまだ盛り上がっている。社会人っていうのは愚痴が止まらないのだなと思ってしまう。おじさん達が迷惑でないか心配だったが、まあ子供の俺が気にすることでもないかと考え直した。
茉莉が風呂に入っている間に、俺も家へと戻って風呂に入り、上がった頃に親父を連れて帰る計画へと切り替えようとした。
「美沙さん、すいません。俺も風呂入ってきます。戻ったら親父連れて帰るので。」
「あの人達はほったらかしでいいわよ。どうせ時期にあそこで寝てしまうわ。」
「まあ、そうなる前に連れて帰ろうかと。」
「いいのよ、どうせ明日は土曜日だしね。」
「すいません。」
申し訳ないのはそうだが、そう言ってもらえるとちょっとだけありがたい。酔っ払いを連れ帰るのは骨が折れる。
「ねえ、薫くん。」
「はい?」
靴を履き替えて外へ出ようとしたところで美沙さんにまた声をかけられる。
「ちょっとだけ、時間いいかしら。」
「え、はい。」
美沙さんと二人で話すことは滅多にない。何を言われるのかと身構えてしまう。
「二人で、茉莉が戻るまでちょっとだけね。」
彼女も上着を羽織り、俺と一緒に外へと出る。玄関を開けると冷たい夜風がそっと流れ込んでくる。肺の中まですっと凍りついてしまいそうだ。美沙さんはそっと玄関の扉を閉める。
「茉莉の藍色のワンピースは見てくれた?」
「あ、ええ。とっても似合ってました。美沙さんが見繕ったんですよね。」
水族館で来ていた彼女の姿を思い浮かべる。あれは可愛いというよりも綺麗な女性と表現したほうがいい。
「そうよ。茉莉も大人になってきたからね。きっと似合うと思って。」
「俺よりもずっと大人びて見えましたよ。」
「ふふ、あの子、お化粧もしていたからね。男の子と違ってその辺り、女の子は少しずるいかもしれないわ。」
美沙さんはとても落ち着いた声音のまま息を吐くようにふわっと笑う。
「そう……、かも知れないですね。俺ももっと茉莉みたいに何でもできるようになりたいです。」
少しだけ弱った様な顔で笑ってしまっと思う。
「……。」
それにつられたのか、美沙さんは少し弱ったように優しく微笑む。
「茉莉はとっても良い子に育ってくれたわ。本当に手のかからない子に。」
「ええ…。」
その意見には全面的に同意だった。俺もずっとあのままの彼女でこの先もいてほしい。
「親ばかだけれどもそう思っている。でもね、薫くんも同じくらいに立派に育ってる。」
他人の子供俺にそこまで言ってくれるとは思っていなかったので、目を少し見開いてびっくりしてしまう。
「そうですか?あはは、ちょっとびっくりしちゃいました。」
すっと、休符が入るように静寂が訪れる。
「茉莉から、何か言われた?」
凛とした声で美沙さんがそう問いかけてくる。
ああ、鋭いなと。素直にそう思った。たったの数時間俺達を見られただけでそこまで言われるとは思っていなかった。
「あの……。はい。」
どう言えばいいのだろかわからない。怒られてしまうのだろうか。
「ごめんなさい。問い詰めたいとかじゃないの。大体、察しはつくわ。けしかけたのはもしかしたら私も加担しているかもしれない……。」
そんな様子を見て怖がらせたのかと思ってくれたのか、謝罪の言葉を告げられる。
「……。」
正直、話が全然見えなかった。この先に何を言われるのか全くわからない。
「普段、薫くんと二人でお話なんてしないから困っちゃうわ。でもそうね、ちゃんとわかりやすく言わないとね。」
「はい……。」
「あの子には幸せになってほしい。だから本当は茉莉だけ応援すればいいのだけれども、私はね薫くんにももちろん幸せになってほしいの。薫くん、今もう私達の家族だって、勝手にそう思っている。」
「……。」
その言葉を聞いた俺は、頬を切り裂くような風の冷たさがなければ泣いていたのかもしれない。
「だからね。どんな風でもいいの、二人が笑っていてくれるだけでいいのよ。」
「はい……。わかりました。」
「ごめんなさい。もしかしたら余計に困らせただけかも知れないわ。」
「いいえ。……。ありがとう、ございます。俺には長らく母さんがいなかったので、その……。気にかけて貰えて嬉しかったです。」
「こんな寒い玄関先でごめんなさいね。風邪ひかないようにお風呂で温まってきて。」
「わかりました。行ってきます。」
「また後でね。」
美沙さんに一礼をして自分の家へと戻った。玄関扉を閉じると風が切り裂く音も消えて、静寂が身を包んでくる。風呂場へ行き、操作をして風呂を入れ初めたら、そっと自分の部屋へと戻る。
カーテンを開けると大きく輝く月が飛び込んでくる。黄金色に輝く月の光を身に浴びて、風呂場から流れる水の音を聞きながらそっと目をつぶった。
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