第39話 クリスマスの昼下がり
【十二月二十五日 午後一時】
昼下がりに入り、朝方曇りだった空模様にはほんの少し晴れ間が戻ってきた。冬の空らしく晴れ間には透き通った青さがこぼれている。
「計画を再確認しますー。」
「はいよー。」
「薫、返事が適当すぎー。」
「はは、ごめんごめん。ちゃんとみるよ。」
二人で床に座り、机の上に置いた一つのスマートフォンの画面を見ていく。彼女が事前にまとめてくれたメモには必要な食材とその量がきちんと整理されている。
「七面鳥のローストでしょう、ポトフに、ほうれん草のキッシュ、あとはおつまみにできるように生ハムとクリームチーズ、クラッカーメープルシロップもかけようね。」
親の好みも合わせていて、かつクリスマスというか、冬の祭りの香りがする家庭的な料理チョイスだ。いつの間にかここまで料理ができるのかと考えると月日が経ったことが分かる。
「俺は全くレシピがわからないけど、料理のラインナップはとても良いと思う。」
「薫は、一緒に買い物についてきてね。あとはお野菜とか切ってもらうー。」
「わかった、ちゃんと茉莉の言うことを聞くよ。」
彼女はメモが映し出された画面を指でさっさっと流して内容を再々確認中する。メモのまとめ肩といい、何度も見直してとても生真面目だと思う。
「買い忘れがあっても買ってくるよ。」
「えへへ。ありがとうでも。んー。夕方から寒いみたいだし、なるべく無いほうが良いねー。」
「雪降るのかなあ。」
「どうだろうね。これだけ寒いと降ってもおかしくなさそう。」
今晩はあの日のようにまた雪が降るのだろうか。その光景がフラッシュバックのように脳裏にちらつく。
言葉が消えて、音が消えて、つらつらと雪が散り舞う光景が思い浮かぶ。彼女の肩についた雪……。
「薫?」
「あ……、どうした?」
茉莉からそっと顔を覗き込まれる。彼女の瞳と向き合った瞬間、その瞳には悲しみが浮かぶ。
「あっち、むいちゃダメだよ。……先輩のこと考えていたでしょう。」
「考えて……、たね、ごめん。」
「……。ダメだよ。今日は私とのクリスマスだよ。」
隣のクッションに座っていた彼女が俺の袖をギュッと掴む。ぐっと肩を落として下を向いてしまう。
「ごめん。」
謝っても何にもならないことは分かっている。彼女はそっと首を上げて、
「……。私の方こそごめんね。薫の頭の中に制限をかけるなんて、本当は可笑しいのにね。ぁ……。」
彼女の虹彩が光を反射して揺らめく。涙こそ流してはいないが、いつ彼女が泣いてしまうのか心配になる。その原因の俺が彼女の涙を拭い去っても良いのだろうか。そんな資格はあるのだろうか。
「私ね、もうちょっと時間があると思っていた……。お父さんが歳をとれば取るほどに時間が流れるスピードが上がっていくって言っていたけど。本当だね。」
「小さかった頃は、昔は……たしかにもっとゆっくりだったね。」
「うん。それが怖いのかも知れない。私置いていかれていないかなぁって。」
茉莉は俺との関係性が代わっていくのが怖いのだろう。
俺は新しい関係に、その輝きに見惚れていて、惹かれていた。そうしている内に元の関係を見損なって、彼女を不安にさせて、陰らせてしまって。
「寂しくさせてごめんね。置いていく気なんてないんだよ。」
美夜のことを、全部忘れられるだろうか。そうすれば茉莉とより先に進めるのだろうか。
「……謝らないでいいよー。薫、私が泣くの我慢しているのに、薫が泣きそうになってるじゃない……。そんな顔みたら私だって泣いちゃうよー。」
気がつくと眉間にシワが寄せて、目頭を抑え込まないと目尻からなにかが溢れそうだ。俺が情けない態度でどうする。
「情けないな、俺の方が茉莉よりも年上なのに。」
「ふふ、たった二ヶ月でしょー。……本当の兄妹だったらこんなに苦しく無いのかなー。」
茉莉は消えそうだけどはっきりと聞こえる声で続ける。
「私達に血の繋がりがあったらいつまでも一緒にいられるのに。だってお爺ちゃんにとお婆ちゃんになっても、一緒に過ごして、一緒にご飯食べて、一緒に会話していたい……。」
「俺もその気持ちは一緒だよ。ずっと仲良く、茉莉と色々経験したい。……兄妹か……。でも、最近は兄と妹というよりも姉と弟な気もするな。世話になっているのが俺ばっかりだ。」
泣きそうな顔のまま、くすりと彼女が笑ってくれる。
「えへへ……。それもいいねー。薫が弟だった溺愛しちゃう。」
「茉莉が姉だったら母親にするみたいに甘えちゃうよ。まあ、想像だけだし、今でも十分に甘えているけど。」
祭りは目を伏せてそっと顔をこちらに預けてくる。
「良いんだよ。私が薫にしてもらったこと、そのまま恩返しをしているだけなんだから。」
互いに愛し合っていたであろう俺の両親も何かがきっかけで別れてしまった。世の中を見ていると別れたのだの、絶縁しただの、そんな話で溢れかえっている。血の繋がりがあれば離れないなんて、それもまたただ子供の夢でしかないのだろうとは思う。でも、そんな細い糸にだって縋り付いていたい。俺もそう思う。
「でもやっぱり、今は甘えたいから年下の恋人、せめて薫の妹がいい。」
そういって茉莉は俺の膝の上に乗ってくる。中学校に上がって以来こんなことはしたことがない。記憶の彼女よりもずっと大きくなっていて、しっかりとした暖かさと重みを感じる。お互いの体温がきちんと伝わり合う。
「茉莉、好きだよ、それは間違いない。」
「薫、私も同じだよ。」
家族や恋人が手を取り合うのは言葉だけよりもずっと大切な事をその暖かさで伝えてのかも知れない。
#
その後、一五分程たっただろうか、茉莉とぎゅっと抱き合って今はゆっくりと時間が経っていく。
お互いに傷つけ合いたい訳じゃない。傷を舐め合いたいのでもない。それでもこうして身を寄せ合ううちにお互い決壊しかけていた涙はしっかりと引いていた。
「そろそろ買い物に行こうか?」
ぎゅっと抱きついてすっかりと茉莉は満ち足りた顔をしている。昔、あまり笑ってくれなかった彼女がはじめて見せてくれた笑顔とそっくりで、どこか懐かしい。
「もうちょっと。もうちょっとこうしていて?やっぱりー薫の匂い好き。」
そう言って彼女は首元に顔を埋める。
「匂いって、昨日にもいってたけど俺臭い?」
「んー。なんだろうねー。新しい畳みたいな感じー。」
茉莉の感想はすごく微妙な例えだったが、少し分かってしまったのがなんとも言えない。聞く前より自分の臭いがすごく心配になった。
「大丈夫、心地いいのー。安心する。」
「茉莉の匂いは柔らかいね。俺も安心するよ。」
「薫はーあんまり匂い嗅いだらだめ。」
首をふるふると震わせる。そんなことしたら余計に香りがふりまかれるのを気がついていない。
「わかったよ。嗅がないようにするから。」
そうは言ってもどうにもならない距離だった。彼女が俺の膝の上から降りて、買い物に行くまでにこの後まだ一五分以上掛かった。
#
買い物先は行きつけのスーパーなのだから自然といつもの駅前のスーパーになる。が、ここは美夜が今日も働いているはずだ。
「このスーパーだと美夜に会うかもしれないぞ?」
「いいの。向こうはお仕事してるだけだから。」
昨日の電話で何が話されたのだろうか。酷く不安になってくる。
「ほら、行こ?」
彼女にぐっと腕が取られる。水族館に行った時人は違いしっかりとした手取りで。
「ほうれん草、人参、じゃがいも、玉ねぎー。あとサラダレタスー。」
茉莉は歌うようにしながら野菜を取っていく。俺はカートを押して彼女から受け取った商品を詰めていく。
「後は七面鳥の丸鶏?ベーコン、生ハム、ウインナー。生クリーム、クリームチーズ、コンソメは家にあるよね。あ、ローズマリー忘れちゃった。戻ろー。」
「メモを見るとあとトマトも要るみたいだな。」
「え?あー、ホントだねー。」
野菜のコーナーへと戻って必要な物をまたカートへ入れていく。二人で食べる量とは違って結構いっぱいになってきた。
「七面鳥なんて、いつもは肉コーナーにないのにな。」
「売っているのは今の時期だけだよねー。味がちょっとちがうよね。脂が少ないのかな?」
「俺は食べたことがないからわからないな。」
「えー。あるよー。ずっと前に一緒に食べに行った店で出てたよー。覚えていないの?」
全く記憶にない。おそらく鶏肉と区別がついていなかったのだろう。
「じゃあ、覚えてないだけか。」
「まあ、私も最近お母さんに言われるまで忘れていたけどね。」
イタズラに彼女は微笑んであっけからんと言う。
「俺と一緒じゃないか。」
「ふふ。」
お菓子コーナーでおつまみとなるような適当な物を選んでいく。おそらく酒のあてに必須なものは親父たちが勝手に買ってくるので自分たちが食べたいものを選んだ。
そうして買うものを一通り選んだ俺達は会計へと進んでいく。そこでは予想通りに美夜が真面目に仕事をしていた。マスクで口は完全に隠されているが、特徴的な切れ目はもちろんそのまま見えている。ここまできておいて他の列に並ぶのもおかしいのでちゃんとそのレーンを選んだ。
前の客の商品を読み取っている時にその瞳がこちらを向いた。
「……!」
彼女が息を呑んだのが分かる。ワンテンポ、読み取りの手が止まったが直ぐに再開して客を処理していた。
「ありがとうございました。またお越しください。」
丁寧に礼を済ませて、こちらの会計を始めていく。都合よく後ろには客がいない。
「いらっしゃいませ。」
美夜から先程の客相手と同じ様に丁寧にお辞儀をされる。
「美夜先輩、こんにちは。」
すっと、茉莉が挨拶をする。
「あはは、こんにちは。ふうん。茉莉ちゃんって結構大胆だね。」
「美夜、昨日振り。」
「薫くんもこんにちは。昨日はありがとうね。楽しかったよ。」
「それはよかった。」
その会話を遮るようにすっと茉莉が前に出ていく。茉莉はピースサインをして比較的大きな声を出す。
「レジ袋、二枚お願いします。」
美夜のスイッチが店員モードに代わる。
「かしこまりました。お支払方法は現金ですか?」
「はい、現金で払います。」
「合計で3,450円になります。」
「はい、これでお願いします。」
茉莉と美夜が会計を着々と進めていく。その様子に口出しができない。
「では、4,000円お預かりします。……550円のお返しです。またのご利用をお待ちしております。」
美夜が取りやすいように回してくれた買い物かごを受け取とろうとする。そのまま元のカートへ乗せて袋詰の作業台へと持っていこうとしていたのだが、茉莉が小銭を自分の財布に入れるタイミングで、
「お客様、こちら次回の割引券です。是非ご利用ください。」
カゴを持とうとしたところで、そっとその手に手を重ねられて紙が手渡される。そうして彼女はマスクの下側をすっと引き上げて、“ま・た・ね”と口を動かした。
「美夜先輩、またです~!」
茉莉が急かすようにぎゅっと俺を押してくる。
「二人共またねー。」
最後にはマスク越しに美夜らしい笑顔を浮かべながら手を振られる。そっと手だけは振返してはおいた。茉莉もぶんぶんと手を振っている。
「やっぱり、先輩ずるい。」
刺激を与えたのは茉莉からでは無かろうか。そうは思うがとても口には出せなかった。
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