第37話 思い出の電話、彼女からのメッセージ
【十二月二十四日 午後十時】
ベッドの窓際に座りカーテンの隙間から夜空を見上げる。半月が少し大きくなってきている。このまま
何気なく手に持っていたスマホのヴァイブレーションが動く。それと同時に明かりを消した部屋へディスプレイの明かりが灯る。
“今帰ったよ~。”
ディスプレイの通知欄をタップして、返事を彼女へ送る。
“外は寒かっただろう。お風呂に入っておいで。”
“はーい。行ってくるね。”
彼女はほんの半日前までは妹のような存在だった。そう、勝手に思っていた。
ずっと一緒に生活をしてきて、食事を共にして、日常を共有してきた大切な存在。しかし、彼女の優しさに俺はずっと甘えていたらしい。彼女が秘めていた気持ちにずっと甘えていた。
ただ今からは、自分だけで感傷に浸っていても致し方ない。茉莉の想いに、自分の迷いに向き合っていこう。今日から年が明けるまでに答えを見つけていかなければならない。今日、明日は美夜ではなく茉莉と過ごそう。
三十分ほど後、マナーモードにしておいたスマホが先程より長く振動する。茉莉からの着信だ。すぐに手に取り応答ボタンをスライドさせてスピーカを耳にあてる。
「茉莉、おかえり。」
「
明るい声が耳元から聞こえる。その声に、陽の光に浴びたような暖かさを感じる。
「電話するのはこの前ぶりだな。」
「そうだねー。……でも今日からは、私の日には寝る前に声を……聞きたい。……でも、わがまま、だよね。」
最後の方はか細くて静かな部屋でなければ聞き取れないくらいの声量だった。微かに聞こえたお願いはとても可愛らしいわがままだった。
「それくらい、恋人だったらいいんじゃないか?」
「ん……よかった。ふふ、ありがと。」
ずっとずっと彼女と暮らしてきた。会話にだって困ったことはない。お互いが無言になったってその間は苦にならず、心地よさを感じるくらいだった。ただいまは、胸の中をくすぐるようなじれったさがある。
「……、隣に行けたらいいのにな。」
「子供の頃風邪を引いた私に会いに来てくれたみたいにベランダ伝って来てくれる?」
「あの時は危ないって親父に散々怒られたからな。今したら別の意味で怒られちまう。」
くすくすと耳をくすぐるような声がする。
「そうだねー。私もお母さんたちに怒られちゃう。」
昔、風邪を引いて一人ベッドに横たわる彼女を見舞うために、マンションのベランダの柵を乗り越えた。窓の向こう、辛そうに眠る彼女を起こさないように、そっと紙に書いたメッセージを貼り付けておいた。ただ、行きはよかったのだが帰りに大きな物音を出してしまい親父に見つかってしまった。後日、体調が戻った彼女は俺に向けて手紙を書いてくれた。
「あの時もらった手紙、まだ大事にしまっているよ。」
「……。恥ずかしいなあ、でも私も、窓に貼ってもらった紙持ってるから。」
「何て書いたかな、三年生の俺は。」
「“まつりちゃん、げんきになったらまたあそぼうね”って書いてくれたよ。」
本当は一言一句覚えていたが、茉莉もそらで覚えているとは思ってもみなかった。
「ああ、そうだった。……その後、茉莉は元気になったな。」
「陸上始めてから風邪は全然引いてないよー!」
「俺よりも体力がついたくらいだしな。」
「薫が運動しないからだよー。高校で部活入らないしさー。」
「休みの日が縛られるのが面倒で、やってないな。」
「また一緒にランニング行こうねー。」
「そうだな、明日の朝走りに行くか?」
この時期にランニングをするのはいささか寒さが厳しい。ただ、早朝に河川敷を走れば海からの潮風が海の香りを運んでくれる。
「えへへ。いいね。じゃあ、明日の朝に起こしにいくね。」
「じゃあ、夜ふかしは出来ないな。」
「んー。夜ふかしもしたい。眠りたくないの。」
子供の頃みたいに心の底から甘えきった声で彼女が矛盾したことを言う。
「家族旅行へいったときも同じこと言ってたなぁ。」
「いつの旅行?あぁ、キャンプに行った時?」
「そうそう、小さいテントで眠れない茉莉がずっと俺のことを起こしてた。」
山奥の街灯もあまりないキャンプ場は午後六時をすぎれば辺りは暗闇に抱かれる。夕飯を終えて大人たちは彼らだけで話をしていた。茉莉の母親の
「だって、あんなに早く眠るなんてできなかったんだもん。」
「確かに早かったけど、俺はクタクタだったよ。」
「それは薫がいっぱい走るからじゃないー。」
「そうだったけ?」
それは本当に覚えていなかった。あの日、あまりに構ってあげられなかった俺に愛想をつかして彼女は反対を向けてしまった。
「茉莉は拗ねちゃったな。ほっときすぎて。」
「……。そうだったかな~。えへへ。そうだったかも。……。」
少ししらばっくれたような返事をしてくる。
「でも、その後にちゃんとこっち向けてくれたじゃない。その後は……。」
元気が有り余った彼女をこっそりと外へと連れ出そうとした。迷ってはいけないので、あまり遠くへは行き過ぎないように。彼女の口に指を当ててそっと、テントのチャックを開けた。その隙間から広がった向こう側には、眼前を覆い尽くす星空が広がっていた。
「夜空が、星空が綺麗だった。」
「うん。初めてみた。あれだけいっぱいの星。空に向けてガラスの欠片を散りばめたみたい。」
「随分とロマンチックな表現だな。」
「んー。そうかなー。そぉ…かもね。今はそんな気分。」
都会で見上げる空とあの空も同じ。同じ空だけれども他の灯りで見えない星が数え切れないほどある。人の気持ちが他の人の気持ちが邪魔をして全部は見えないように。
「ちゃんと、茉莉の話したいこと話せているかな?」
「うんー。きっと気持ちは同じだよ。……いろんな事があったね。」
「そうだね。数え切れないくらい、いっぱいある。」
旅行に行った時や、何か特別な事があったときだけではなくて、日常のような普段は見えない星にだってきっと特別で綺麗な星がある。
「……。」
「どうかしたか?」
言葉を失くしてしまったように、電話越しからは彼女の息遣いだけしか聞こえなくなる。規則なメトロノームのように。そして意を決したように言葉を紡ぐ。
「薫は私のどこが好き?」
「俺を優しく見守ってくれているところ、誰の悪口だって優しい言わないところ、何度も何度もめげずに俺を起こしてくれる、料理が最近とっても美味しい。あと何よりも笑い声が暖かくて、太陽みたいに包み込んでくれる。」
「……恥ずかしいなぁ。」
「言わせてるのは茉莉だから……。」
「薫はじっとちゃんと人を見てるところ、私のわがままにいつだって行き合ってくれる優しいところ、一緒に料理だってつくって食べてくれる。あと、くすくすって笑うときと眠ってる時の目尻が好き……。」
「恥ずかしい。やめよう。」
「ダメだよ、もうちょっとだけー。」
今日の彼女はたかが外れてしまったようだ。
「わかったよ。仕方ないなぁ。」
「そうやっていつもお願い聞いてくれる……。えへへ。…ふぅぁー。」
可愛らしいあくびをしている。本当は眠たいのだろう。湯冷めした身体がそっと冷やされて眠気が来ているはずだ。
「眠たいんじゃないのか?」
「うんー。本当はそう。……。そろそろ一緒に寝よっか。」
「わかった。明日は何時に起きればいい?」
ランニングに行く時間を聞いておきたかった。
「アラームはかけなくていいよ、起こしに行くから。」
「クリスマスの朝に来てくれるなんて、サンタみたいだな。」
「あはは、そうかも。枕元にプレゼントが置いてあるかもしれないね。」
「じゃあ、待ってるよ。」
「うん。また明日ね。おやすみ。」
「おやすみ……。」
そっと耳からスマホを離して茉莉が終話するのを待つ。別れの挨拶からしてから一呼吸、二呼吸。まっても彼女からの通話が切られることがなかった。
「薫……。」
スピーカーから彼女の声が漏れ聞こえる。耳にもう一度近づける。
「好き……だよ。」
「……ありがとう。」
「あ、や……聞いてたんだ……。切れたと思ってた……。あ、んー。おやすみ!」
唐突に通話が切られてしまった。明け透けな好意をここまでかと伝えら顔が火照ってしまう。多分彼女はこの比じゃないくらいに真っ赤になっているだろう。
今日はクリスマス・イブ、でももうすぐ二十五日になる。茉莉に用意したプレゼントをちゃんと押し入れから出しておく。アクリルでできたアクセサリースタンドで、猫が気ままに丸まっている形をしている。耳や尻尾にネックレスや指輪をかけることができる。スイッチをONにすると猫がLEDで照らされてふわりと浮かび上がる。彼女が明日訪れ時に気がつけるようにメッセージカードを添えておく。
“A Happy Christmas Dear MATSURI”
彼女のようには字が綺麗にはかけない。ただ、親愛を込めてメッセージを送る。そっとペンを置いて眠りにつこうとした。ただ、またスマホが着信を告げる。美夜からだった。
“27日の朝10時に駅前で待っています。来てくれると嬉しいな。
プレゼントありがとう、その日に必ず付けていきます。
P.S. 茉莉ちゃんには許可は貰ってあるから。 Merry Christmas”
“今日も楽しかったよ。俺も見繕ってもらった服を着ていきます。A Happy Christmas”
それ以上のメッセージは来なかった。
窓辺にもう一度立ってみて夜空を見上げてみる。クリスマスのイルミネーションでさらに明るい街の灯りではやはり星は見えなかった。ただ、月だけは太陽に照らされて今もはっきりと輝いている。
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