第36話 茉莉の意地
【十二月二十四日 午後三時】
最初は仲間外れにして
「だから、私と付き合って。私を彼女にして!」
優しい
「茉莉、ありがとう。俺のためにそこまでしてくれて。」
「大好きなんだから、もうずっと、小学二年生で出会ってから、ずっとだよー。八年だよー。寂しくなるのは嫌。」
「俺も茉莉のことが好きだよ。泣かないでくれよ。ね。」
ポケットからハンカチを出して彼女の目尻に溜まった大粒の涙を拭う。
「
「いや。茉莉に嘘は付いてないよ、今日二人ででかけたのは本当だけど、いつもどおり別れただけだよ。」
ハンカチでは拭いきれないかと思うくらいの沢山の涙が溢れている。
「美夜先輩の嘘つきー。くそー。騙されたー。」
「え、どうしたんだ。なにかいわれたのか?」
「あっちがその気なら先にしちゃうもんねー……。薫、私の質問の答えまだ聞いてないよ……。」
茉莉がじっと俺のこと見つめてくる。涙を拭っていた手を取られて、彼女の
「……。正直に言うと俺は美夜のことが好きになり始めていると思う。」
「……。」
ひどい言葉だが、茉莉は俺の次の言葉をじっと待っていてくれている。
「だけれども、今日だって彼女に言葉で伝えることは出来なかった。今の茉莉みたいに真っ直ぐ相手に向き合えなかった。」
「……うん。」
「茉莉にだって、そんな風に恋愛として好きだと想ってくれているとは思ってなくて。ちゃんと向き合えてなかった。それはごめんね。でもずっと、家族みたいに大好きだよ。俺も八年間ずっと大好きだよ。」
「……うん。」
「だから、ちゃんと茉莉のことを家族じゃない異性として向き合ってみたい。きちんと向き合って答えを出したい。美夜にもきちんと向き合いたい。わがままだけれども、年明けまでには必ず返事するから、少しだけ待っていてほしい。」
瞳の奥をじっと見られている。心の底まで見透かされそうだ。すっぱりと彼女に答えを出してあげられない自分が
「ダメ。」
「そうか……、じゃあ今考えないとな……。」
間髪入れずにダメ出しを食らってしまう。
「……。嘘だよ。年明けまで待つのはいいけど……、ただ、その間はずっと私のことを恋人にして。家族じゃなくて、恋人にするみたいな優しくしてみて。」
柔らかな声で彼女は自分の気持をもっと伝えてくれる。
「私も、ちょっと勢いがすぎてすごいこといっぱい言ったけど、薫のことちゃんと異性として見てきたかって、向き合ってきたかって言われちゃうと自信ないよ。ただただ、寂しいだけなのかもしれない。だから、その答えを出すの一緒にしよ。私は薫といつも一緒がいい。」
そういった彼女は手にとった俺の手に顔を擦り付ける。目をつむって甘える猫のように。涙があふれるのは止まってきた。
「ああ、わかった。一緒にしよう。」
彼女からあふれる涙はなくなったが、目尻にはまだ溜まったままだ。ただ、ほんの少しだけ張り詰めた糸が緩んできた気がする。
「私を抱きしめて?」
甘えるように両手を前に差し出す。
「恋人のステップにしては早いんじゃないか?」
「いいの。ずっと一緒だったんだから。」
おそるおそる、彼女をぎゅっと前から抱きしめる。横にきた彼女の髪の毛から甘い香りがする。光の輪ができるくらいつややかで間近で見るともっとキレイだ。涙を溜めた目もぱっちりとしたまつ毛がもう目の前にある。手を緩めたら、彼女のきれいなピンク色の唇が息遣いで震えるくらいまではっきり見えてしまう。
「薫の匂い好き。いつもいないときにはベッド勝手に借りてた。」
「時折、茉莉の香りがするのはそのせいだったんだな。」
「ちゃんと寝た後に消臭剤かけたのになあ。バレバレだったんだね。」
優しく重ねた身体からドクンドクンと互いの心臓の音が聞こえる。
「あ、もう限界かも……。」
顔を真っ赤にした茉莉が俺の身体を押しやるように手で押してくる。
「力強すぎたか?近すぎたか?女の子抱きしめるなんて初めてだからわからないよ。」
「私が初めて?やったね。私も男の子に抱きしめられなんて初めて。」
茉莉がお酒にでも酔ったみたいに真っ赤にしていて心配になるが、多分俺の顔だってそんなに変わりがないはずだった。とても緊張している。
「明日楽しみだね。夕方までは二人きりだね。」
「今日も二人きりじゃないのか?ああ、夜は家族だけでご飯を食べるんだっけ。」
なにかをじっと考え込んだ彼女は重く口を開く。
「うん。まあそれもあるけど、嘘ついた先輩にも塩を送ってあげないと。薫、電話貸して。」
「え、どうするんだ。」
「いいの、美夜先輩に電話かけるの。バイト中でも薫からの電話だったら絶対出るに決まってる。」
とても断れるような剣幕ではなかったので、手にとったスマホの連絡帳から美夜の画面を出して彼女に手渡す。茉莉にここまでぐいぐい来られるのは新鮮だった。
「……でるかなー。」
コール音がスピーカーと茉莉の耳の間から漏れ聞こえる。三コール、四コール。
「さすがに出れないんじゃないか?」
「プツッ……はい、美夜だよ。薫くん。どうしたの?」
もう切れるかと思ったらちゃんと出てくれたようだ。やんわりと美夜の声がする。
「茉莉です。」
「え、あれ、茉莉ちゃんの番号じゃなかったような……。」
「薫の電話借りました。あ、切らないでくださいね。」
さっき俺に告白してきた時のペースが戻っている。そういえば、陸上の試合で気合を入れたときの茉莉によく似ていることに今更気がついた。
「あ、薫耳塞いでいて。」
俺は茉莉にしたがって粛々と耳を塞いだ。
#
「あはは、薫くん可哀想―。」
こんなときでも彼女の笑い声は素敵だ。本当に羨ましい。
「先輩が焚き付けてきたから、さっき勢い余って薫に告白しちゃました。でも薫からはまだOK貰ってません。」
「え、え、それはどういう……?」
「少なくともこれから年明けまでは私の薫です。二人で会う時は私に許可取ってくださいね。」
「えぇー。何が起こったの……。」
困惑した先輩の姿が容易に想像できる。職場でなにか白い目で見られていないかこんなときでも心配だ。
「本当は今日、先輩は薫に告白するはずだったんでしょう?それなのに、私に先に取られちゃいました。」
「……。」
図星だったのか、いつもの明瞭な返答が返ってこない。
「先輩は本当にそれでいいですか?」
「……。茉莉ちゃん、生意気だなぁ。でも………。」
「それは、ごめんなさい。でも……?」
「……でも、茉莉ちゃんの言う通り。逃げようとしてた。いや、元から逃げてた。あれだけ焚き付けたのに、勝手に怖くなって逃げた。だから、本当は私の負け、でしょう?」
「それは、薫に決めてもらいます。だから必ず美夜先輩も薫にちゃんと告白してください。」
「私にもチャンスをくれるの?
少しぐらい、先輩にマウントをとらないと気がすまない。
「はい、さっき薫に恋人っぽいことをしてもらいました。」
「えぇー。早くない?」
意外と先輩も初心なんだろうか。上ずった声が出ている。
「ギュって正面から抱きしめてもらいました。」
自分で言っていてとても恥ずかしい。何を言っているんだろう。
「……私は薫くんと手を繋いだからいいの、今日も繋いだから。」
「そんなのずっと前から私はしてます!」
恋人つなぎはまだしたことがないけど、とりえあえず小学校からすべてカウントしておく。
「彼から私に似合うマフラー選んで貰ったし、それに、見た目がいいって褒められたから。」
「あ、ずるいですね。とってもずるいです。」
薫のセンスで服を選ぶのはとっても苦労しただろうに、そこまで考えていることにまた嫉妬する。ていうか、私がまだ薫からプレゼント貰ってない。
「……。年明けまでだよね。……。分かった。それまでにちゃんと言うよ。」
「明日は私の日です。絶対に譲りません。」
「あはは、私もアルバイトだからね、大丈夫だよ。あの……さすがにえっちなことはしないよね……?」
もう顔から火が吹きそうだ。薫と裸で抱き合うなんて想像しただけで枕でも殴りたくなる。
「……しない、です。まだ、できない……。」
「……私も付き合って二日ではちょっと出来ないかなー。」
先輩だったら告白した流れでしそうなのに以外だった。流石に偏見だろうか。
「じゃあ、そういうことで……。いいですね?」
「分かったよ。怯えてないで私も全力でいかないとダメだってことね。」
「別にいいんですよ、出さなくったって。そしたら私が全部貰っちゃうだけですから。」
「今日の茉莉ちゃん、生意気で嫌い。でも好きかな。」
「薫を取ってく美夜先輩嫌いです。今のうじうじした先輩も嫌い。でも、いつもの先輩は好きです。」
「……
「だって優しい薫を好きになった同士ですから。」
空白が少し入り込む。隙間からすっと風が入り込むように。
「じゃあ、またね。茉莉ちゃん。」
「ええ、またです。先輩。」
別れの挨拶をして通話を切るとどっと疲れが襲ってくる。
先輩になんて言わないで、勝手に薫を振り向かせるのを全力してればいいのに。その点を割り切れない自分がまた嫌いだった。
#
茉莉の電話は終わったようだ。耳を塞いでいても時折彼女が大きな声で話していた内容は漏れ聞こえていた。随分と恥ずかしい。
「もう、いいか?」
電話を耳から離したのをしっかりかくにんしてからおれの耳に置いたても離す。
「うん。いいよ、ごめんね。」
「どうすればいい?」
「年明けまでは私に恋人として構うこと。ちゃんと恋人になれるか一緒に探して。」
指を目の前にぴしっと突きつけられて、宣言される。いつもの彼女らしさなんて、そんなくだらないイメージはすでになくなっていた。
「もしも、美夜先輩に会う時は私に許可を貰ってね!」
「はい……。」
「よろしい。えへへ。疲れちゃった。」
茉莉がくてっと身体の力を抜き、すとんと地面へと座り込む。気を張りすぎたようだ。
「大丈夫か?」
ちゃんと言われたとおりに、優しく抱え起こす。ぎゅうっとお姫様のように抱きしめて、ゆっくりと背もたれに運ぶ。
「やっぱり恥ずかしいね。」
「恋人っていったらこうだろう?」
横に座ってそっと手を握る。いつもみたいな握手じゃあなくって、指と指を絡めて触れ合う面積を最大にする。
「きゅう……。」
彼女が体育座りでじっと動かなくなる。髪の毛の隙間から見える耳は真っ赤だった。
「明日の献立は決まったか?」
「決まったけど、忘れた。」
時計の針がチクタクチクタクと時を刻んでいく。絡めあった指先から鼓動を確かに感じる。随分と初な恋をしていると思う。同級生の中にはもう性行為だってしている子はいっぱいいると思う。でも俺達はまだ、ずっと同じ家で育ったようなものなのに、ずっと距離が近いのに、ただ少し距離を縮めただけで馬鹿みたいに緊張している。
ずっとずっと見てこなかった関係にきちんと向き合っていこう。これが彼女に対しての最後の甘えになるようにしたい。心の中の天秤は重りを乗せすぎて壊れてしまっていた。
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