第35話 茉莉の想い

【一ヶ月前 十一月十八日】

 朝からの満員電車は初めて経験した。人身事故が原因といえ、電車通学の面倒さを目の当たりにした。ただ、それ以外は何も変わらない日だと思っていた。



 薫と正門までようやく歩いてきた。今日も燿ちゃんとご飯食べて、部活にでて、いっぱい楽しいことを朝から取り返すようにしようと決めたところである先輩と薫がすれ違った。

少なくとも薫が驚きながらも、しっかりと彼女を呼び止めるまではあまり視界にも入っていなかった。


「美夜……?」

「薫……くん?」


先輩の存在は前々から薫から聞いてはいた。神社で偶に会うヒトがいると。その子はギターを弾いていて、でも下手っぴで。そういいながらも、とても楽しそうに話すのがとても印象的だった。その後、知らないその人に焼いてちょっとだけ彼を振り回した。


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ただ、そんな薫が気に入っている人といつか私も話してみたいし友達になれるのならなってみたいと思っていた。

だけれどもこの日に急に出会うなんて思ってなかった。ましてやここから一ヶ月と少しの間で私の気持ちがこんなにも振り回されることになるとは考えてはいなかった。もう少しくらい、せめてあと二年くらいはまだ時間があると思っていた。


【十一月十八日】

 また次の日、昨日の先輩が今度は燿を尋ねて教室までやってきた。

「薫くんー。君もこのクラスだったんだね~。」

 昨日印象とうってかわって、それはもう女子から見てもうっとりしてしまいそうなくらいハキハキとした綺麗な先輩だ。薫も大層驚いて彼女と話している。目は細めで、キリッとしている。背は私よりも高くて、ニッコリと笑うと口の形が三日月のように綺麗になって白い歯が見える。髪の毛はほんの少しだけ癖があって外ハネ気味だけど、サラサラとしたこれまた艷髪だ。

 負けた! 素直にそう感じた。

 こんな先輩が薫のことを狙っていたら幼馴染の優位性なんて吹き飛ばされてしまう気がして昼休み中気が気じゃなかった。

「戸森先輩のこと、美夜って呼び捨てだったねぇ。五十嵐くんは年上キラーの要素まで会ったんですねぇ。」

燿が良いことを言ってくれる。どうしたらあんな先輩を呼び捨てにして、敬語も使わない間柄になれるのか全くわからない。

「薫は……誰にでも優しいからねー。」

 耀にコメントをしておく。優しいのは本当だ。今まで彼に近づいてくる女の子はあまりいなかった。だけれど、クラスメイトの女子から評判は悪くなかった。昔はちょっとハキハキとした男子が人気だったけど、高校になってからは皆の見る目が変わっていっていた。ダウナー気味だけど、口を開けばしっかりとした口調、柔和な優しさ。そんな点が評価点だった。


【十一月二五日】

 少し間が飛んで次の週、薫は最近ちゃんと朝に起きる。朝に寝顔を見る時間がなくなった私は少し楽しみが奪われていた。ただ、二人で朝食を食べる時間が取れることは良い点だった。

朝食をゆっくりと食べていると薫からこう言われた。

「今日の昼に美夜、あー戸森先輩が、守野さんと茉莉とご飯食べたいってさ。」

 癖で下の名前を呼んでいるのが少しもやっとする。ただ、先輩ときちんと話せる機会を用意してもらった。これは敵の様子を探れるいい機会だ。

「いいよ。じゃあ、耀にも言っておくね。」

 メッセージを耀に送っておくと、OKスタンプが返ってくる。彼女はメモ帳を先輩に拾ってもらってから大層崇拝している。いつでもギターを教えに行く準備は出来ていると言っていた。



 昼休みの始まりに授業の片付けを手伝っていた私は少しおくれて、二組の教室へと向かっていた。お弁当を取り出して今行くと耀に伝えておく。

「隣のクラスにあの綺麗な先輩来てたよ~。」

「あーあの留年してて、学校来てなかった先輩?最近すっごいキレイになったよねー。」

「隣の五十嵐くんと仲良さそうにしてたよ。付き合ってるのかな?」

 クラスメイトが好き勝手に彼らのことを話している。留年してるって本当だろうか。そうしたら先輩は一七歳か一八歳になる。あの大人っぽさにも納得が行く。


「燿、おまたせ。戸森先輩もおまたせしました。」

「私はお邪魔してるだけだよ、そんなかしこまらなくても良いんだから。」

 先輩からとても優しい顔で挨拶される。ああ、薫が呼び捨てにしている理由がなんとなくわかってきた。

「茉莉―。俺もココにいるよ?」

 薫がすこし健気な声で私に声をかけてくる。勝手に嫉妬している私だけがわるいのだけれど、今は先輩で手一杯だ。薫の相手をしている余裕はない。


 その後、話していると第一印象で得た先輩の印象は間違っていないことがわかる。クラスメイトは先程あまり良くないような口ぶりで先輩のことを話していたがきっと分かっていない。人の目線や感情を良く見てくれて、話すときもじっと会話のテンポを崩さないで決して踏み込みすぎない。ただ、薫のことを除いて。

 彼のことを話す先輩はのびのびと自由に話す。十年来の私と同じくらい、じっと彼の優しさに適度に甘えた会話だ。まるで長縄飛びのリズムのように、裏拍ですっと彼の懐に入るようにとても仲が良さそうだ。



 その日の帰り際に耀からメッセージが届く。

“茉莉、先輩に五十嵐くん取られちゃうよ!”

“そんなあ、取られるだなんて……”

 メッセージではそう返したけれど、内心は焦っていた。薫といつものように帰りの電車に乗っている時にその焦りが言葉に出てしまった。

「でも、薫、美夜先輩にだけ構っていたら嫌だからね?」

 言ったすぐあとに後悔した。彼を縛り付けたいわけではない。でも構ってほしのは本当だ。彼のことになると押さえが聞かない自分が少し嫌になる。そんな、わがままでも彼はしっかりと応えてくれる。

「……いまから一駅向こうまで一緒に行こうか?」

 その一言だけで雨模様が吹き飛ぶくらいの晴れやかな心になる自分はとても単純だと思う。我ながらわかりやすい性格だと思う。


 その後に二人で行ったカフェでは急に彼に写真を撮られてびっくりしてしまった。間違っても可愛くないように映っていないだろうか。心配になる。だけれども彼が私に興味をしっかりと持ってくれているようで嬉しかった。帰り道には彼の手をそっと握ってみた。童心に戻ったような懐かしさと、甘酸っぱい感情で胸がいっぱいになる。恥ずかしいから当分はできそうにない。


薫は私のことをどのような関係と思っているのだろう。きっと家族のようには思ってくれているけど、私はそのままでいいのだろうか。ずっと中学校の頃から恋人じゃないかと言われることは多い。時間が経てばそのうちに自然に付き合うのかと思ったこともある。先輩が現れてからその考えが頭の中をぐるぐると駆け巡っていく。

「あぁー。わかんない!」

 自分の部屋で枕に顔を埋めこませて大声を出す。

 そんな自分の生活の様子みてくれていたお母さんが、ある日に私を部屋に呼び出していろんなことを教えてくれた。お父さんと出会った馴れ初め、二人が付き合ったきっかけ、今でも二人は愛し合っているのだ。昔の馴れ初めを聞くとちょっとイケナイことを聞いているようでドキドキした。

 その後、お母さんは私にプレゼントをくれた。濃紺のシルエットが細めのキレイなワンピス。大人っぽくて、絶対着られそうにない、服に着られてしまうと断ろうとしたが、お母さんが優しく私に似合うようにアドバイスをくれる。

「茉莉、あなたはもう大人になりかけてるの。大丈夫ちょっとこの靴履いて背伸びしたら、男の子だって意識してくれるよ。」

 しぶしぶ袖を通してみて、ブーツを履いて背が一段と高くなると似合わないと思っていたその服がピッタリと私に収まってくれた。

「……。」

「ね?大丈夫でしょう。」

 鏡の中の私は二、三歳飛び級したような見た目になった。美夜先輩と遜色が無いくらい大人っぽくは見える。

「薫くん。気に入ってくれるよ。」

「あ、そもそも薫って言ってないよ!」

「はいはい。・

 何でもお見通しというか、流石に隠し通せるような間柄ではなかった。

 なんて言ってこの姿で出かけよう。隣の部屋にこの格好で迎えに行くのはまだ勇気が足らない。……。結局私は当日に急に待ち合わせ場所を伝えて少し逃げ出す作戦をとることとにした。

 そうえいば、お母さんは最後に一言付け加えた。

「女の子もいざというときは、狼にならないとだめよ。」


【十二月六日 日曜日】

“付いたよ、どこにいる?”


 水族館へとデートへ誘った私はカフェで時間を潰していた。ここについてから飲み物に一向に手がつけられない。いつもは大好きな甘いカプチーノが香りだけ味わう事になっている。薫からのメッセージに気がついて窓の外を見た。彼は窓の向こうで私を探している。一度こちらの方をじっとみたと思って、返事にじっと見返したら目を伏せられて別の方角を見てしまった。どうやら気がついていないみたいだ。


 仕方ないのでカフェを出る。飲みきれなかった飲み物は申し訳ないけどそのまま返却口に返してしまった。店を出てガラス張りから見える大通りで待ちぼうけしている彼に声をかける。

「薫。」

「茉莉ごめん、遅くなったね……。」

 じっと見つめられて、時間が止まったみたいだ。予行練習は何度も脳内でした。変なところがないのも鏡で何度も見た。何度も。でも聞かずにはいられなかった。

「ね、どう……変なとこない?」

 光の速度に近づくと時間が無限大に近づいていく。そんなに好きじゃない物理の授業の先生の言葉を思い出す。多分数秒も立っていないはずなのに、じっと待つ。

「誰か最初わからなかったな……綺麗だよ。」

 光の速さが急停止していく。止まっていた感情がとめどなく溢れ出てくる。

「えへへ。良かった!」

 本当に良かった。お母さんありがとう!



「そのブーツで歩きにくくないか?靴擦れしないようにな。」

 すっと優しい言葉をかけてくれる。ちゃんと女の子の扱いをしてくれる。いや、いつもしてくれているけど、今日は特段と心に響く。このまま時間がまた止まれば良いのに。



 水族館はとってもキレイで、ロマンチックな時間が過ごせた。二人で展示を見ながら色々な会話が出来た。あと、作ってきたお弁当も大成功だった。

 でもその後失敗をしたことに気がつく。雨が振る予報だったので折りたたみ傘を入れたつもりが忘れてしまった。折角の服がびっしょり濡れてしまう。憂鬱になったけど仕方ないかなって思ったら薫が急に私を引き寄せた。

「いこう、ちょっとだけ駆け足だな。」

「あっ……。うん……。いこっか。」

 急だったので生返事しか出来なかった。彼はそっと傘を私の方へ傾けて、ゆっくりと、転げない程度に走ってくれた。私はちょっとだけ靴と裾がぬれてしまったけれど、彼は肩がビチョビチョだった。昔、遊んでいた時にスコールに巻き込まれたような懐かしさに思わず少し笑ってしまった。メランコリーな気持ちなんてすぐに吹き飛んだ。



【十二月十三日 日曜日】

 この前のデートはとても楽しかった。ただ、最近の薫には少し元気がない。じっと部屋から窓の外を見ることが多い。多分、良くないことを考えている。昔に寂しい時よくしていた目をしている。

「薫?」

「わ、なんだ?」

 薫は驚いて返事をしてくる。

「何かあったでしょ?」

「いや、大丈夫だよ。何でもない。」

 私にも話してくれないときは大抵家族のことだ。それも母親のこと。深くは探りを入れない。彼は強いから。じっと、考え込みすぎないように支えられるだけ支えてあげよう。


「あ、そうだ!今年のクリスマスは私と薫で料理の準備だからね!」

 話題を変えて、楽しいことを話そう。クリスマスは彼と一緒に過ごせる。二人で料理をして家族でまたワイワイと過ごして、年を越して、また二人で楽しく過ごせる。



【十二月十六日】

 薫が珍しく電話をくれる。直接会って話せばいいのに殊勝なこともあるものだ。

「改まるとはずかしいんだけど。」

「えへへ、なにー?」

 彼が珍しく言いよどんでいる。

「まだだけど、ま、そのなんだ。母さんに会ってみるよ。」

 ああ、やっと終わるんだなって。小学校卒業式からずっと気にかけていた彼の弱さの一つにある種の決着が付くんだなあって思うと、勝手に母親の気持ちになってしまう。

「もしも何か嫌なこと会っても私とご一緒に甘いもの食べてー、忘れようねぇ。」

 薫のお母さんがひどい人なはずはない。子供の私達にはきっとまだわからないのだけれど、きっと良いふうに転ぶ。



 目論見通り、彼の問題はさっさと決着がついたようだ。私にもきちんとお礼を言ってくれた。彼と同じくらい嬉しさでいっぱいだった。感覚が共有できているようですごく幸福だった。


【十二月二十四日 午前八時】

朝に急いで出かける彼の様子が隣の家から響いてくる。駆け出した先、こっそりとストーカーみたいだとは思って幾度か躊躇したけど、身体に任せて追いかけてみた。そうすると、先輩と二人で公園で会う姿が目に飛び込んできた。初めて外で二人を見かけたけどそう、まるで恋人のようしか見えない。


まだ、男女の付き合いとかそんなのよく知らないけど、取られて彼と過ごせなくなるくらいなら、取り返さないと。


【少し前 十二月十八日】

 今日は終業式。寒い体育館で震えながら式を何事もなく終えてホームルームも終わった。最終日なので部活に顔を出す。皆、休みの間に何をするかの話に華を咲かせるだけで部活は形ばかりだった。

 そうしていると、部屋がノックされる。

「高宮さんいますか?」

「美夜先輩!」

「あ、茉莉ちゃんー。」

 急に先輩が尋ねてきてびっくりしてしまった。エプロンを外して入り口へ近づいていく。

「茉莉ちゃん、すこしだけ話できる?」

「ええ、大丈夫ですよ。あ、ちょっと抜けますー。オーブン見ておいて~。」

「ほいよ~。いってらっしゃ~い。」

 部活仲間が談笑しながらこちらに手を降ってくれる。肌寒い廊下を少し歩いて誰もいない適当な教室へと入る。

「どうかしたんですか?」

「ごめんね、取って食べるわけでもないよ。でもちょっと二人で話したくってさ。」

「ええ、いいですけど。」

「わかりにくいのはいいや、私ね、ずっとコソコソと薫くんと会ってたの謝りたくて。」

 急な話で頭が付いてこない。

「ずるいのは分かってる。横取りするみたいで。こうやって謝るのだって私のエゴだと思う。でももうちょっと、薫くんと過ごしてたら、彼と一緒の時間過ごしてたら、私だけのものにしたくなっちゃう。」

 少しの間先輩が言いよどむ。

「好きなの。多分。薫くんが。」

 ひどく申し訳無さそうな顔で美夜先輩が伝えてくる。綺麗な言葉がその顔だと台無しだ。

「そ、そうなんですか……。それをわざわざ私に……?」

「ずっと隠れてるは私嫌。だからね、ちゃんと薫くんに選んでほしい。だから、茉莉ちゃんの気持ちを薫くんに伝えて欲しい。」

「彼、馬鹿じゃないかな、茉莉ちゃんのこと大事にはしてるけど、本当の気持ちには分かってないか気が付かないふりしている気がする。」

「……。」


「ずるくてごめんね。本当にごめん。歳上なのに余裕ないんだ。茉莉ちゃんは目もくりくりで、年下みたいな可愛さがあるとおもったら、お姉さんみたいに薫くんを包み込んでる。正直敵わないなあって思う。しかも幼馴染だし。私の知らない彼を知ってる。ずっと私よりもキレイ、羨ましい。」

 先輩がそんな感情を持っているなんて思いもしなかった。

「美夜先輩の方がキレイです。そんな綺麗な目して、二重の瞼で、サラサラの髪して、横顔なんて卑怯です。笑った時の顔だって薫の心引き寄せちゃって。……。私のほうが敵いません。」

 お互いが数秒黙る。

「私、茉莉ちゃんみたいな友達も欲しかった。」

「私、先輩みたいな友達が欲しいです。」

「でも、ずっと薫くんと隣に立っていたい。」

「私も、ずっと薫と一緒にいたいです。」

 不思議と感情的になりすぎない。美夜先輩がきちんと話してくれたおかげかも知れない。

「二四日、昼過ぎまで薫くんと出かけるね。」

 彼女は目を伏せて教室を後にしようとする。

「美夜先輩。」

「なに、茉莉ちゃん。」

「私はどんな結果でも先輩も薫も二人共好きです。」

「あ、茉莉ちゃんもずるいなあ。私も二人共好きだよ。これは本当。」

 教室の窓から絶景が広がる。夕日と三日月が同時に地平線から顔を覗かせている。朱い空と群青の空が半分ずつ。



【十二月二十四日 午後三時】

「私は薫が好き。ずっとずっと好き。だから恋人になってほしい。」

「ほんとは幼馴染でいいかなっとか、男女とか分からないから。ずっと言えなかった。けど、言えなくてそのまま後悔なんてしたくない。」

「だから、私と付き合って。私を彼女にして!」


 私は狼になると決めた。美夜先輩に薫を取らせない。


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