第32話 彼女とのクリスマス・イブのその前

【十二月二十四日 午前八時】

 二十一日の夜に降り続いた雪は朝までにはパタリと止んでしまい、残念だが街を雪景色で包むことはなかった。寒気は早々に遠のいたのか、十一月に逆戻りしたような陽気が再び戻ってきた。天気予報によると次に寒さが厳しくなるのは大晦日の辺になるらしい。朝食をシリアルで適当に済ませながら、美夜からメッセージが来ていないか確認する。昨日の夜には九時にいつも通りに駅前で集まる手はずとなっていた。おはようとスタンプでも送ろうかとチャット欄を開こうとするとメッセージが二件来ていた。

“早起きしすぎました……”@午前六時五十八分

 その後に七時五十分のタイムスタンプで写真が送られている。よく見るとこの前に案内した小学校の前の公園、徒歩二分の距離に気が急いた子が待っているらしい。

“おはよう。もう十分だけ待っていて。”

 前にも茉莉がこっそりと待ち合わせを変えてきて急いで支度したことを思い出しながらボサボサの頭を押さえつけ身支度を終える。



【二十一日 午後十時】

「やばー。今日中に演奏仕切った録画できるかなー。」

 自分の演奏を自室で何度もリテイクを掛けるが、なかなかに上手く行かない。惜しいところでタイミングやコードを間違えてしまう。静かに弾けるようにピックを変えておいたがあまりにゴソゴソしていると祖母が起きて来てしまうかも知れない。

 録画ボタンを押して、椅子に座った私は頭と左足を動かしてリズムを取り始める。1,2,3,4,1,2,3,4……最初のコードで弦が鳴りきらない箇所がないように左手をじっくり確かめて右手を振り下ろす。頭の中で曲を思いくべて、口ずさみ始める。最初のコードはEだ。簡単にしたコードを守野さんに教えて貰ったことで大分と弾きやすい。



“ほんの一行でも構わないんだ キミからの言葉が欲しいんだ”


 元々の目的はお父さんが残したこのギターを、音楽を祖母に祖父に聞いてもらってすれ違った家族がほんの少しでも良くなるように頑張ること。その目的は今でも変わっていない。でも、今この時は薫くんがあっと驚いた顔が見たくて、その後にたった一言でいいから褒めてほしい。我ながら恥ずかしいが年下の彼に夢中になっている。


“星の夜 願いを込めて”


 前までは友達になれればよかった。この前に彼へそう頑張って伝えたことで名実共に友達になれた。でもそのときにはもう手遅れだった。優しく見守ってくれる彼が、ちょっとしたいじわるだってしたって許してくれる彼が好きだ。前に漏らしてしまったがお父さんに少しにている。そう思うと私はファザーコンプレックスかもしれない。子供の頃にお父さんの後ろから目隠しして「だーれだ!」と言ってわからず困ったふりをしながら構ってくれるのが大好きな思い出だ。

 彼へのこの気持ちは歌に乗せてだったらいくらでも伝えることができる。冗談で彼の手と手を取り合うことだってできる。でも、彼の気持ちだけは分からない。本気で伝える方法だって分からない。このまままだとオオカミ少年じゃなくて少女になりそうだ。

 茉莉ちゃんを見ていて思い出したが、ずっと前に二人は仲良く私のバイト先のスーパーで買い物をしていた。多分、今からこうして薫くんに会うのだって彼女は良い気がしないはず。邪魔をしているのは私だ。それ思っていても、今はこうしてリズムを取り演奏している指先のように気持ちが止まらなくなっている。もう少し前までだったら、指先のように何度も止まるチャンスがあったが今では例え止まってしまっても諦める気持ちが湧いてこない。何度だって、何度だって、諦めたくない。


 最初と同じオープンコードのEで終わり、開放弦から鮮やかな残響が最後まで響き続ける。ふぅっと息をつき気がつくと息切れしかかっている。すでに曲が終わっていた。ぼおっとそこには誰も居ないのに、カメラの先の彼を見つめてしまう。

「ああ、止めないと。」

気が戻ってきてそうつぶやいた私は録画を止めながら、最後の部分だけは何とか編集をかけて切り取っておきたい。今は午後十一時。約束していた時間まではすこしだけ間がある。急いでネットで動画編集をスマートフォンでする方法を探す。

「この顔は見せられないなぁ……。」

 じっと上気した顔でカメラを見つめる私の姿は惚けていて、さっきまで歌っていた歌に感情を込めすぎているのが分かってしまう。


編集を終えて白のコートを羽織る。外を見ようとカーテンをあけて窓へ近づくとすると冷気がじわりとつたわってくる。水を置いておいたら一晩で氷となりそうだ。もう一枚余分にインナーを着ることにした。

「今日は猫ちゃんいるかなー。」

 部屋の電灯の紐を引っ張り、灯りを消す。家の中はじっと暗くなった。祖母はすでに寝ているのでこの家から全ての灯りが消えた。あたりの家も玄関先の防犯用の灯りを除けば暗闇に包まれている。上気した頬は外へ出た瞬間にしっかりと冷やされた。これなら勢い余って彼を困らせ過ぎないだろう。家々の隙間から遠く見える峠の神社へと足を運んだ。



 勇気を出して彼にさっき撮ったばかりの動画見せて本当によかった。

動画見ている間、自分は画面じゃなくて薫くんの横顔を横目で追ってしまっていた。彼はじっと画面の私を見つめていてくれて、耳をしっかりと傾けてくれていた。

「どう?上手くできたでしょー?」

 精一杯の明るい声を煩くない程度に出す。

「すごいよ。レベル上がりすぎ?別人みたいだ。」

 動画が終わった後、最初黙られていたので微妙だったかと思って緊張してしまったが、たった一言、一行の言葉を伝えられて心が満たされていく。動画がほしいなんて言われて少しだけ舞い上がりすぎる。編集していない方の動画を間違えてメッセンジャーに送らないようにゆっくりと操作していく。

「はい、送ったから。」

「ありがとう。」

 薫くんがそれっきりなにか私を見てまた黙ってしまう。

「どうかしたの?」

「あ……。」

 何を自分がしていたのか自覚できた。いつもの距離よりも5cmか10cmか近過ぎる。出会った頃なら意識なんてせずにすんでいた。

「えへへ、ちょっとだけ近すぎたね。」

「……。」

「寒いから、ちょうどいいかもな。」

 たとえ嘘であって冗談であってもとても嬉しい。嬉しいはずなのに胸がまた苦しくなる。体の距離はずっと近い。でも心の距離はまだ遠い。前よりも少しだけ隙間が空いてしまっていないか心配になる。

視界の端から自分の肩にふわりふわりと舞い降りる白い影がみえる。肩に一粒ついたそれをみて、空を見上げると雪が舞い降りてきていた。昔住んでいた街を思い出す光景だった。こっちに越してきてからきちんと雪を見るのは初めてかも知れない。


【二十四日 午前六時】


 「あぁー。早すぎる……。でも眠れないー……。」

 寒い朝に布団の中でくの字になりながら唸る。老人が多いのかこの辺の家々からはすでに活動的な音が時折聞こえてくる。台所からはすでに起きている祖母がTVを見ながら朝食の用意をする音がする。約束の時間までまだ三時間以上ある。家を出るのだって二時間半は後でいい。別に起きて学校の課題でもしていれば良いのだろうが(というかそうしたほうがいい)手がつけられない。

「起きよう…。」

 諦めて布団から出て祖母と一緒に朝食の準備をすることにした。

「美夜、どうしたの……。」

 台所で出迎えてくれた祖母は新聞を読みながらTVを見ていた。コンロでは味噌汁か煮物だろうか、コトコトと鍋が揺れている。

「なんでもない。」

 べつにそっけなくするつもりはなかったが、祖母がそれはそれは驚いた顔をするため反抗心が出てしまった。

「手伝ってくれるのかい?じゃあ二人分のご飯よそってね。」

 与えられた仕事は大したことではなかった。祖母からするとこの時間帯だってもう遅い時間なのだろうか。

「おばあちゃんは手際が良いね。」

「おばあちゃんになると、今日の美夜ちゃんみたいに早起きになるんさ。」

 一言くらい余計な言葉が付いている気がする。祖母が作ってくれる料理は相変わらず味付けが濃いが美味しかった。

「私もお料理しようかな。」

「まあ、今日も雪が振るのかねえ。」

「そろそろ……。できるようになりたいし……。」

 一言どころか全部余計な返事をもらったが、目線を外しながら自分の本心を伝える。

「じゃあ、年末のおせちつくるときは一緒に準備しようかね。今年は本当はもう出来合いの惣菜で済ませようかと思ってたけど、美夜がそういうならやろうか。」

「わかった。材料は私が買ってくるね。」

 普段スーパーで材料なんて買わないから心配だったが、年末の準備でいつもと違う商品を並べていたのでおせち用ならちゃんと買ってこられるだろう。

「あ、今日雪は振らないんだってさ。よかったわぁ。」

 天気予報がTVから流れ始める。祖母のこの性格はおそらくちゃんと私に受け継がれている。余計なことを言い過ぎないように今日は気をつけよう。


“早起きしすぎました……”


 約束の彼にちゃんと報告しておく。もしかして起きてくれたら少しだけ早く出会えるかも知れない。そんな期待をしたが、残念ながら彼はよく寝ているようだ。居ても立っても居られなかった私は早々に準備を終えて家を出た。そうしたところで意味など無いのだろうが身体が言うことを聞かなかった。

 家先で待つのは重い女すぎる。というか時間より前に出てるだけで十分に重い。折衷案として近所の公園で待つことにする。木々に囲まれていて背が低いが柵と屋根のある休憩所で時間を潰すことにした。ランニングをする人や犬の散歩をする人が偶に目の間を通る。可愛らしい柴犬が私の方へ駆けてくる。飼い主が伸び切ったリードを引っ張って私に謝ってくる。

「可愛いですねー。」

「ごめんなさいね、言うこと聞かなくって。」

 犬がくるりくるりとした目で私を見つめてくる。その目は愛らしい。私のきつい目よりも柔らかなこんな目のほうがずっと良いはずだ。


「はぁー。早すぎる。おもーい。わたしー。おもいよー。」

 犬を連れて戻ったことを確認して、屋根の隙間から外を見上げてそうつぶやいた。時刻は午前八時過ぎ。ちょうどそのタイミングで彼からメッセージが届いた。ご主人様が帰宅した犬のようにスマートフォンを取り出す。尻尾があったら振っていたかも知れない。

「後十分かー。どうやって謝ろうー。ごめんね薫くん……。」

 少し独り言が大きすぎたのかも知れない。ランニングしていた老人がちらりとこちらを見てきた。身だしなみが崩れていないか、鏡を取り出して確認しておく。前髪は問題なし。薄くした口紅も問題なし。彼を出迎える用意には抜かりはなかった。




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