第31話 近くて遠い、あと少し
【十二月二十一日 午前〇時】
町外れの神社にて。昼間からずっと続く快晴は今までずっと続いている。ただ、昼下がりから急激冷え込んだ。
この場所は木に囲まれていて視界はあまり広くない。より視界が開けている住宅街を抜けていく時には遠い夜空にオリオン座の昴が天高く輝いているのがよく見えた。陽はとうに影に隠れて三日月が姿を表している。神社の社にはその三日月の光が木々の隙間から届いていた。
ざっざっざっと砂利を踏み鳴らす音が後ろからする。規則的に響くその音はゆっくりとこちらへと近づいてくる。きっと美夜が来てくれたのだろう。俺は座っていた場所からすっと立ち上がり、彼女を迎えに行く。姿を現した俺に彼女も出迎えてくれる。
「やや、薫くん。こんばんは。今日も不良少年だねー。」
「や。美夜も不良少女じゃないのか?」
「あはは。弱みを握られてー。呼び出されちゃったから、仕方なくきちゃっただけ。」
彼女は白いコートを羽織り、その下には動きやすいズボンを合わせている。髪はさらりと流れるように風に合わせて揺れ動いている。少しだけ寒そうに見える。
「言うこと聞かなきゃ、ひどいことされちゃうのか?」
「そうなの。年下の男の子にいじわるされているから。」
心ににもない冗談を言う彼女はゆっくりとこちらへ寄ってくる。歩くたびにひらりひらりと逆光となっている光が揺れて夢を見ている様に思える。
境内へと続く階段は強い風に吹かれてさぞ寒かっただろう。そう思った俺は準備をしていた物を手渡す。
「はい、お土産。」
「んー?ありがとう。わー。あったかーい。しかも、私の好きなやつ。」
美夜にいつか貰った汁粉の缶を探すために、ここへ来るまでに五箇所くらいの自販機を周った。どこに売っているのか記憶をいくら漁っても自販機に心当りがなかったため、いくつかの自販機が固まっておいてある場所を順繰りに巡った。そのおかげでようやく見つけた頃には両手がかじかんでもう限界に近かった。
「あはは。よく覚えてたね。これどこにあった?」
「意外と駅前の裏、カラオケの近くの自販機にあったよ。」
「あ、そうだよ。あそこで私も前に買ったから。正解!ふふ。ありがとー。」
軽やかに笑う彼女の口からは真っ白になった息がこぼれている。温かな息が空気に冷やされて水滴に戻るのだと授業で習った記憶がある。月の光が反射して煌めいている。
カシュッ
買った時に比べると少しだけ冷えてしまった缶だったが、ポケットに入れておいたおかげか体温に比べたらまだまだ暖かい。缶を開けるとまるで息をするように湯気が広がっていく。
「手袋しててよかった。なかったらアチアチで持てないかもだねー。」
「確かに買ったばかりのときは持てなかったよ。」
彼女とともにこくりこくりと飲み込んでいく。温かな気持ちが胸に広がるように、体の芯が暖かくなっていく。同時に汁粉特有の甘さが口いっぱいに広がる。
「今日は寒いから手袋してるのか?」
「そそ。自転車乗るわけではなく歩いてきたけどね、窓の外見ただけでも風が冷たそうだからー。」
彼女はいつもの場所に座りこむ。手袋を片方だけ外して反対の手で缶を持つ。そのままお風呂の温度を確かめるようにゆっくりと缶を触る。素手で持てることを確認するともう片方の手袋も外してじっと缶を握り込んだ。
「あー。あたっかー。」
満足そうに缶を握り込む彼女の隣へ座る。じっと林を見つめてみるが、みゃーこは今日は居ないようだ。もしかすると寒さのため雑木林から出られないのか。あるいはどこかの家に匿われているのかもしれない。久しく会っていない。
「ふふ、ちょっと失礼―。」
美夜がそっと身体を寄せてくる。満員電車に乗るように身を寄せ合う。彼女は手に持ったスマートフォンの画面を操作している。
「なにかあったのか?」
あまり覗き込むと失礼かと見ないようにしていたが、彼女は画面をそっとこちらに見せつけるようにして画面を横へ倒す。
「家にイヤホン忘れちゃってね。スピーカーだけど我慢してね。あんまりうるさく出来ないからこうして。」
画面と彼女の顔が更に近づく。細い指先で画面を操作すると、彼女自身の部屋と姿が映った動画が流れ始める。
“あー、あれやば、傾いてないかな。うん。じゃあ、テイクなんだろね。もう忘れちゃった。いきまーす。”
「守野っちにサイレントピック貰ったから、家の部屋でこっそり弾けるようになったの。えへへ。」
耳元でささやく彼女の声と動画の声が混ざりあって不思議な感覚になる。動画の中で挨拶をした彼女はゆっくりと楽器を持ち直して、前奏を鼻歌で口ずさみながら歌うようにギターを奏で始める。軽やかに右手が一定のストロークを繰り返す。ただ、たまにゆらぎのように休符を挟む。
“手のひらで震えた それが小さな勇気になっていたんだ”
褒め過ぎかもしれないが、アコースティックギターと彼女の口から流れ始めたメロディは、練習をずっと聞いていた俺があっと驚くほどに鮮やかに。水のように留まることなく流れていく。彼女の演奏が終わるまで目と耳が彼女の画面離せなかった。
「どう?上手くできたでしょー?」
ささやくように微笑む彼女の声が右から聞こえる。
「…………。」
じっと見つめすぎて何といっていいかわからなくなってしまった。
「すごいよ。急にレベル上がりすぎ?別人みたい。」
「やったねー! あーいっぱい撮った甲斐があったー。」
ニコニコと屈託のない笑顔は、いつも凛としている彼女がまるで満開の向日葵のように思わせる。してやったりといった顔だ。
「守野っちって、いつの間に連絡先交換してたんだ?」
「今みたいに見せたかったから、薫くんには内緒にしてこっそり接触してたんだよー。」
いつの間にか女の子のネットワークが出来上がっているようだ。随分と仲が良くなったのも共通の話題があったのか、もしかすると二人の相性が意外と良かったのだろうか。
「あ、でももう内緒にしないからね。ちょっとだけ薫くんを驚かせたかっただけー。」
彼女は口元に袖を当ててくすくすと笑う。
「別に怒ってなんかいないよ。いやー。すごいな。その動画俺の送ってよ。」
「えー。変なことに使っちゃダメだよ。」
微笑む彼女は、褒められて嬉しい気持ちが先行しているようだ。顔の奥からその気持ちが溢れ出しているのが見て取れる。
「記録、美夜の成長録にしないと。」
「将来アルバムにでもしてくれるのかなー。」
スマホを操作して転送をしてくれている。しばらくしたら俺のスマホが着信を伝える。
「はい。送ったから。」
「ありがとう。」
さっきまで動画見ていて深く意識していなかったが、じっと横に密着する形になっていたため目線が合うとお互いに息遣いが良く聞こえる。それだけではなくて心臓の音だって聞こえそうだ。
「どうかしたの?」
「あ、いや、何でもないよ。」
優しく目を見て彼女が問いかけてくる。もしかしたらいつものイタズラとはちがって無意識にしているのかも知れない。
「あ……。」
俺の返答を聞いて気がついたのか、彼女は周りをキョロキョロと見渡し涼しい顔を作り込む。
「えへへ。ちょっとだけ近かったね。ごめんね。」
「……寒いからちょうど良いかもな。」
「……そう?」
離れようとしていた彼女はじっとその場に留まる。この前までだったら問答無用で手を取られてからかわれていたかもしれないが、今は随分と大人しくなっていた。
「……。」
木々がこすれる音よりも隣の彼女の息遣いのほうが大きく聞こえる。ふと、じわりと冷たい感触が手の甲に感じる。
「あ……。雪だね……。」
空を見上げるとさっきまではずっと晴れていたはずの空から、羽毛のように柔らかい雪がぽつぽつと降ってきている。春に舞い散る桜の花びらのようにみえるその光景は冷たさを忘れるくらい幻想的な風景だった。
「初雪かな……。」
もしも今晩でかけていなかったら、この光景は見られなかったかもしれない。美夜の白いコートについた雪は目立たないが、彼女の黒い髪にだんだんと雪が付いていく。
「雪いっぱいついてきたぞ。」
「薫くんも、いっぱいついてるよー。あはは。」
彼女が手袋を嵌めてぽすぽすと俺の上についた雪を払い落とす。柔らかく優しくそっと振り払ってくれる。
「美夜はマフラーしてないけど寒くないのか?」
「あーちょっと寒いね。私が今持ってるやつがこの服に似合わないからおいてきちゃった。」
首元まで延びた髪とコートの隙間から見える素肌が寒そうだった。
「前から思ってたけど美夜はおしゃれだな。俺はそこまで服装にこだわれないな。」
んーっと考え込んだ後、彼女は正直に伝えてくる。
「ねー。ちょっと無頓着ぽいよねー。たまにしてるカッコいい服は一張羅なの?」
「あー。あれは……。茉莉が選んでくれたやつかもな……。」
「ふふ、なにー。茉莉ちゃん彼女かお母さんみたいー。自分でも選びなよー。あはは。」
恥ずかしかったが正直に伝えると、彼女にお腹を抱えて笑われてしまった。思っていたよりもずっとずっと笑われてしまい思ったよりも恥ずかしく後悔した。
「自分で選ぶと全くセンスないからな……。」
少し目線をずらしてそっぽを向く。これはダサいことこの上なかった。
「じゃあ、今度は私が選んでみようか?」
「自分で選ばなくて良いのか?格好良くしてくれるなら、頼むよ。」
早々に白旗をあげておく。女の子のセンスに任せたほうが間違いない。無理に対抗したって勝てるはずがない。
「まずは似合う服の傾向探さないと! じゃあ二十四日に一緒に服見に行こうか?」
「ああ、いいよ。どこが良いかな?」
「ふふ、じゃあ私に任せてねー。あ、でも……。うーん。」
美夜は何かを逡巡するように押し黙る。
「どうかしたか?」
「ううん。何でもないよー。気にしないで!」
少しだけその様子がきになったが、降り積もる雪が許容を超えてきた。
「雪、すごいね。明日の朝までに積もるかなー。」
美夜は両手のひらを天へ向けて、降り積もり雪を手にとって確かめている。真似をして両手を広げて柔らかい雪の感触を感じようとするが、手袋をしていない俺の手のひら体温が邪魔をして雪は溶け去って消えてしまう。
「雪だるま作れるくらいまで積もったら楽しいよな。」
「私、前に住んでたところだといっぱい雪が振ってたから、いっぱい作れたなあ。」
「この辺りでは滅多に振らないし、積もらないから今日は本当に珍しいよ。」
「そうなんだねー……。はぁ……。」
白く輝く息がより一層辺りを煌めかせる。きらりきらりとした雪と混じり合って溶け合っていって、自然と涙が出てしまうような感情が押し寄せる。
その日はもうしばらくの間、二人の髪が真っ白に染まるまで雪が舞い降りる空を見上げていた。
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