第29話 家族と彼女と幼馴染の優しさ

【十二月十六日 午後八時】

 レンタルスタジオでの時間はあっという間に、流れる水のように過ぎ去ってしまった。機材と場所を貸してくれたスタジオの主人には重ねて感謝を伝えて、また来ることを伝えた。美夜はちゃっかりと会員証を作っていた。


「またいこうねー。暖かくて防音だし練習いっぱいできたね。」

「いい場所だったね。お金はかかるけど。」

「そこは、バイトしているお姉さんにおまかせだよー。」

 スタジオを出た後、彼女と近くの公園のベンチに二人座り余韻に浸っていた。寒さはそれなりにあるが、風は少ないため凍えるほどではない。公園から少し離れた住宅街の家からは子供達がはしゃぐ声がここまで聞こえてくる。時刻は夕飯時を過ぎて、家族団欒の時間だ。仕事帰りの両親が子どもたちと遊んでいるのだろう。夕方までは掛かっていた雲はいつのまにか空から殆どが消え去っている。取り残されたようにほんの少し残った雲の隙間からは細い弓の形をした月が様俺達を見守っていてくれている。この空の様子だと明日はきっと快晴となりそうだ。


「もうちょっとしたら、それなに演奏も形になって人に聞かせられるくらいになるかなー。」

「そうだな、年明けて少しするくらいには素人に毛が生えたくらいにはなりそう。」

「じゃあ、私の目標もとりあえず達成できるね。」

 彼女はたしか誰かに演奏を聞かせたいのだったはずだ。プロというわけではないのだろう。気持ちよく演奏ができることをとりあえずの目標にしている様子だ。先程のセッションも、互いに音が響き合っているときと全く合っていないとき。いろんなタイミングが合ったがそんなことよりも気持ちが良かった。誰かと共有して同調できている。その感覚が何よりも心地いい。


「ねえ、薫くん。」

「どうした?そんな改まった声出して?」 

 いつもの彼女とは少しだけ様子が違う。そう、学校で先生と話すような声を出して、美夜が身体を傾けてこちらに対面してくる。

「さっきさ、スタジオでベース選んでいた時ちょっと雰囲気違ったね。」

「……。」

 どのように答えたら良いのだろう。特段彼女に母親のことを内緒にしたいわけではない。ただ、自分でも分からない感情が整理出来ていないから、適切に答えようがない。

「私には言いたくない?」

「そういうわけじゃない。美夜に内緒にしたいわけじゃない。ただ、そうだな。まだ自分でも整理出来てなくてね。なんて言ったら良いか分からない。」

 彼女に誤解がされないように正直に伝えておく。茉莉にだって聞かれても同じ答えに鳴るだろう。

「……。」

 彼女は二呼吸くらいじっと黙る。何かを言いたそうに口を少しあけて、その後さらにいくらかの間を置いて話し始める。

「少しだけ、私のこと聞いてくれる?」

「ああ。なんだっていいよ。」

 姿勢をベンチの正面方向へ真っ直ぐ戻し、彼女はじっと地面にある自身のつま先を見つめている。

「私のお婆ちゃんね、私にすごく優しいの。あの家に引っ越すまでは一度か二度しか会ったことないはず。だから、お爺ちゃんにあったのもそれくらい。」

 彼女が深呼吸したすっとした息遣いが冷たい微風に乗って耳へと届いた。

「お爺ちゃんはね自分の息子と、だから、私のお父さんと昔に大喧嘩してそれっきり話をあんまりしなくなったらしいの。家を出るときもほとんど飛び出すのと近いくらいだったみたい。」

 彼女の家へ伺った時に茶の間に仏壇があったことを思い出す。たしかにご先祖様の遺影がいくつか飾ってあった。

「理由はちゃんとは聞いてないけど、お父さんは音楽を仕事にして生きていきたくて。でもお爺ちゃんはそれに反対したんだと思う。だれかからちゃんと聞いたことはないけどね。」

 彼女は自分自身のことを俺に包み隠さずに話してくれている。俺に出来ていないことだ。

「お母さんが病気で亡くなって、お父さんも落ち込んじゃって、バタバタしてる間に、お爺ちゃんも事故で亡くなっちゃった。ずっと仲直り出来ないまま。」

 細い月が残った雲に隠れてしまった。街灯に照らされているので暗くなるわけではないが、美夜の今の心情を表すようにすっと影が出来たように感じてしまう。

「美夜、なんで俺にそこまで話してくれるんだ?」

「なんだろう。薫くんの……表情が少しだけ昔のお父さんに似ていてね。全然似てないのにね、不思議なんだけど。女の感じゃない?」

理屈ではなく、人の様子をよく見ている彼女の感覚なのだろう。彼女も俺のためを思ってくれているようだ。

「そうか……。ありがとう。ああ、話を遮ってごめん。」

 彼女は静かに首を横に数度振り、いつものいたずらな笑みとは違い、柔らかな静かな笑顔になる。その様子にじっと引き込まれる。

「ううん。大丈夫……。」

 彼女はそっと片足を地面から上げて、つま先をぴんと前へと向ける。

「私はお婆ちゃんと一緒に二人が残した物をほとんど捨てて整理して、この街に引っ越してきたけど。お父さんが学生の頃に最初に買ったギターだけは、お婆ちゃんも捨てられなかったみたい。全部捨てたと思ってたんだけど押入れにこっそりしまってあったんだよね。」

 また、数秒美夜が押黙る。その間にふっと吹いた風は冷たい冬の寒さを運んできた。

「ギターを見つけた時に、ずっとモヤモヤしてた気持ちに少しだけ整理が出来て。これは私の勝手だけど、私が代わりにお父さんとお爺ちゃんとお婆ちゃんの間に残った何かを取り除いて仲直させて区切りをつけたいの。お爺ちゃんはもういないから、まあ仏壇の前で演奏でもしようかな。」

「……。俺はそんな気持ち誰も勝手なんか思わないと思いたいな。」

「あはは、ありがとう。多分ね、皆仲違いし続けたいわけじゃなかったの。お爺ちゃんの遺品にお父さんが担当していた音楽雑誌の切り抜きがあったしね。」

 横に座る彼女が手袋を外して、その手をそっと俺の脚に乗せてくる。

「薫くんも、何に悩んでるかわからないけど。タイミング、逃さないようにね。」

 彼女の手が置かれた膝上には体温が伝わりすっと暖かくなる。その温度とともに彼女の思いも伝わってくる。

「わー。恥ずかしー。説教?アドバイス?偉そうだね。君にとって的外れじゃなかった?」

 彼女は寒さの中ぐっと体温が上がっているのか頬が赤く染まっている。もう片方の手を頬に当てて表情を隠してしまう。

「何も的外れじゃないよ。俺も区切りが付けられたら美夜に話すよ。ありがとう。」

 外気に肌が晒されている彼女の手へ自分の手を重ねる。寒空の下、早くも冷えてしまった手の甲を温め直していく。

「ややー。これで薫くんが私にしてくれた恩返しが少しはできたかなー。」

 悩んでいることは彼女のそれに比べてたいしたことではないのだろう。いつまでも美夜と茉莉にも気遣われて心配をかけすぎるわけにはいかない。さっさと腹をくくって終わらせよう。目を見て顔に力を入れて引き締める。

「風邪引かないようにそろそろ帰ろうか。」

「うん、その顔ならよし!」

 彼女は立ち上がり、手袋を付け直す。つられて俺も立ち上がり一緒に駅へと向かう。


 とぼとぼと進む速度は遅いが二人同期して歩いていく。

「薫くんはクお父さんとなにかするの?それとも茉莉ちゃんとデート?」

「クリスマスは両家で宴会だな。パーティと言うか酒宴かな。」

「あらー。すごい仲いいね。いいなぁ。」

 唇を少しだけむっとさせて羨ましそうにしている。

「私は二十四も二十五日バイトだからなー。なにするんだろ。クリスマスケーキでも売るのかなー。買って帰ってもお婆ちゃんケーキ食べないしなー。」

「二十四日もずっとバイトなのか?」

 やる気がなさそうな姿勢になりながら答えてくれる。

「一五時から二十時ねー。ちょっとめんどくさいよねー。」

 その様子を見ていると流石に可哀想だ。家族思いの彼女は面倒だといいつつ家に金銭的な負担をかけたくないのだろう。

「じゃあ、二十四日の午前中とか遊ばないか?」

 そのセリフを聞いた彼女は首をさっとこちらに向けてニコリと笑顔になる。

「…それってデートかな?」

 今のこの状況だってデートではないのだろうか。情けないがそこに口を出すにはまだ覚悟が足らなかった。なのでそっと流しておく。

「まあ、そうかもなー。」

「ああー。流したー。またからかいが通じなくなってるなー。ちぇっ。」

 そんなすねたような素振りなんてしたって俺は折れない。そう思ってもあまやかしたくなるのは性分なのだろうか。それとも彼女にはもう負けっぱなしが決まっているのだろうか。ちょっとは抵抗してみる。

「行かないのか?」

 彼女を覗き込み、じっと見つめながら言う。

「あはは。その言い方ずるいんじゃない? 腕を上げたねー。……。そんなの言われなくても行くに決まってるじゃない……。あー次は負けないからねー。」

 そう微笑む彼女は先程までの演技掛かった仕草とは違い、素の表情が見られたようで嬉しい。そんな恥ずかしいやり取りだって駅前の賑わいがすべてかき消してくれる。


“あなたはひとに愛されて 初めてあなたになるの”


 美夜は二時間ほど前までずっと演奏して歌っていた曲を口ずさみ大層ご機嫌の様子だ。漏れ聞こえる声に耳を傾けながら今日の最後のひとときを楽しんだ。月はもうビルに隠れて見えないが、代わりに残っていた雲だってどこかへ吹き去ってしまった。空には街の灯りで見ることはできないが、きっと一面の星空が広がっている。



 美夜と別れて帰宅した俺は茉莉にメッセージを打つ。

“茉莉、今電話してもいいか?“

 数分遅れて返事が返ってくる。ちょっと夜が遅いので家へ向かうのは止めておく。

“いいよぉ~”


 一コールもしないうちに彼女が通話に出てくれる。

「もしもしー。なにー?薫どしたのー?」

 部屋でくつろいでいたのか間延びした声が電話越しに聞こえる。

「いや、改まるとはずかしいんだけど。」

「えへへ、なにー?」

 きっと電話の向こうでニコニコとしている様子が思い浮かぶ。

「この前、ぼーっとしてた俺に気を使ってくれただろう?」

「ああ、そんなのあったねえ。もう、決着ついた?」

「まだだけど、ま、そのなんだ。母さんに会ってみるよ。」

 茉莉は俺が母親のことをずっと引掛っているコンプレックスだということを見抜いているはずだった。

「……。そっかそっか。結構ずっとお母さんのこと何も言わないから心配してたけど、会えるんだね。もしも何か嫌なこと会っても私とご一緒に甘いもの食べてー、忘れようねぇ。」

 やっぱり最近の茉莉は俺の姉のようになっていっているのかも知れない。甘さの中に包み込むような優しさの割合が増えていっている。

「ああ、今度一緒にどこか行こう。まずはクリスマスの料理作りなのかもな。」

「あ、レシピ入手したんだよ。七面鳥の香草焼きー。オーブンでレモンと一緒に焼くんだってー。」

 えへへ、と褒めて欲しそうに声を出す彼女は一転して妹のようだ。女の子様相はすぐに変わってしまう。

「随分奮発してるんじゃないのか?美味そう。」

「七面鳥はスーパーにその時期はそこそこの値段で売ってるらしいよ! お母さんからお金ちゃんと貰ったから大丈夫! 買い物ちゃんと来てね~。」

「ああ、大丈夫。忘れてないよ。」

「あ、あとね。冬休みの課題!一緒にやろうね。あとあと、薫と電話で話すって意外と新鮮―。」

 コロコロと話題が変わる様子から、表情も合わせて変わっている気がして、本当に目の前にいるのかと錯覚しそうだ。

「じゃあ正月は初詣終わったら課題終わらそうな。」

「うん。あ、でも燿と初売りも行かないとー。」

 本当に茉莉はひとを太陽の様に暖かい気持ちにさせてくれる。

 その後とも二十分ほど適当な話をしていった。これなら電話じゃなくて会いに行けばよかったかもしれない。少なくとも俺の様子を見ていた親父はそのとおり、会いに行けば良いのではないのか?といいたげな顔をしていた。

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