第26話 自分の母親

 十二月十一日 金曜日。今日は親父と夕食を近所で食べていた。いきつけの牛丼チェーン店だ。いつものようにカウンター席へと二人でかける。

「今日は何食べる?」

 親父がメニュー表を手渡してくれる。

「牛丼の並でいいよ。」

「いっぱい食べないと身長伸びないぞ。」

「いいんだよ。もう結構でかいだろ。」

 俺の身長は165cmある。男性は22頃歳までは伸びると言われているらしいが、今で特に困っていると感じることはない。

「歳とってから欲しくなるものさ。」

 親父は180cm近くの身長がある。母親のことはあまり覚えていないが、特に小さい印象はない。遺伝的にはまだ伸びそうな気がする。

「そうなんだ……。なら大盛りにしておいて。」

 折角の好意からの忠告だから素直に受け取って少し多めにしておく。

「お前は反抗期みたいなのがないなぁ。世話がかからなくていいが。」

「そうか?」

「俺が子供だったころのことしか、比較できるものはないがな。」

 無理なことを言い過ぎないようにはしている。ただ、心配はかけているのだろうとは思っている。他人の家と比べたことがないのだから、分かるはずもなかった。

近くを通りがかった店員を呼び止めて、親父が二人分の注文を伝える。五分もすれば商品が出てくるだろう。


 待っている間は暇だった。この前の夜、美夜の子供の頃の思い出を聞いたことで自分の家のことにも興味が湧いてきた俺は今まで避けてきた質問をすることにした。

「親父は……。母さんとどうやって出会ったんだ?」

 今まで触れたことはあまりない。記憶の中にしかいない母親の姿はもうすでに消えかけている。

「……。」

 親父は静かにお茶を飲みながら少しだけ呆気に取られる。

「言い難いなら、また、俺が大人になったら聞くよ。」

「いや……。いいんだ。お前ももうすぐ気がつけば二〇歳になる。酒でも飲める歳になったら色々話しても良いかなとは思っていたが……。何か、あったか?」

「いや、なんだろう。友達が増えたんだ。彼女が……彼女の話を聞いていると俺のことが話せないことに気がついて……。」

 俺の答えに納得がいったのか、 ぽつりぽつりと溢れるような声で話をしてくれる。

「元々、彼女はギタリストだよ。ジャズの演奏だ。俺と初めて会ったのは大学の友達の紹介でね、彼女の演目があるジャズバーへ聴きに行って会ったのが初めてだ。」

 俺に美夜以外にギターと接点があるとは知れなかった。自分の子供に男女の話をするのは気が引けるだろうが、親父は隠さずに話してくれる。

「俺達家族が別れるときに拗れすぎたんだ。お前にも本当は一年に一度くらいは会わせておくべきだっただろうが……。」

 どんな人間だったのだろう。八年以上前の記憶では二人がいつも辛そうにしていたことはなんとなく覚えている。

「実は、会わせてほしいと、この前言われてな。あれから八年以上立っておいて勝手だとは正直思う。ただ、俺も勝手にお前に話さずに断ろうとしている。」

 興味が会った。俺の母親はどんな人だろうか?



「牛丼大盛り二つお待たせしました。」

 ちょうど間がわるいことに注文した商品がとどいた。店員は雰囲気などお構いなしに二つをそれぞれの手前に置いく。

「どうも。」

 配膳の礼を伝えると店員は去っていった。

「まあ、話は食べながらでもいだろう。薫は会ってみたいか?」

 会えば今の俺から何かが加わるだろうか。それとも何かが引かれるんだろうか。何も感じなかった時どうすればいい?賑やかだった店内のBGMは思考の縁に消えていく。簡単に踏み込む話題ではなかった。

「無理に答える必要はないさ。まだまだ先はあるからな。また聞きたいことがあったら言いなさい。お前も誰かと付き合ったりする年頃だしな。」

「分かった。ありがとう。」 

考えをいつの日か纏めて、親父に話してみよう。折角のご飯が冷めてしまう。

「ちなみに、その新しい友達は良い子か?可愛いのか?」

 その質問で思考が戻ってくる。

「……可愛いより、綺麗だよ。」

「父さんも会ってみたいな……。」

冗談に思える冗談を言ってほしい。その後は二人他愛のない話をして夕飯を終えた。



 十二月十三日 日曜日 午後八時。美夜は連日アルバイトに勤しんでいるようだ。休憩時間の合間にメッセージが送られてくる。

“疲れたー。”

“今日は何の担当だったんだ?”

“レジ・品出し!以上! 米で腰がやられた!”

 いつもと変わらない作業を淡々と進めているようだ。数回メッセージをやり取りすると、彼女はまた仕事に戻ると伝えて消えていった。

「なあ、茉莉。」

「なあに、薫―。」

 彼女はいつもの定位置で友達とチャットをしながらゲームをしている。

「俺の部屋でゲームするのが、そんなに捗るか?」 

「お母さんにゲームしすぎを咎められないのー。だから捗る。ダメだった?」

「ダメなわけはないけど、年頃の男の部屋に入り浸るのはどうなんだ?」

「今更なにも言われないよ~。あ、でも薫以外の男の子だったらダメって言われるかも。」

 特別に信用してもらえているのだろうか。引き続き茉莉はダラダラとしている。学校ではその姿を見せてはいないので、家族だけが見られる彼女の一面なのだろう。


 

 マンションの外から人の声がしたので窓辺の方へ視線を移する。母子だろうか、大きな声で楽しそうにしている子供を母親がたしなめている声がする。その姿を思い浮かべて、ふと昨日の親父との会話を思い出す。


「薫?」

「あ、なんだ?」

 茉莉に急に声をかけられる。少し油断していた。

「なんかねー。薫が難しい顔してたから。」

 ゲーム機を置いて、立ち上がった彼女は俺の方へ向かってくる。

「何かあったでしょ?」

 彼女に隠し事は出来ないのだろうかすぐに俺の様子が変わったことが指摘されてしまった。

「いや、大丈夫だよ。何でもない。」

「ふうん。ま、薫が大丈夫ならいいや。」

 彼女はそれ以上追求せずにいてくれた。最近、部屋に来る頻度が高い気がするのも気にかけてくれているのだろうか。


「あ、そうだ!今年のクリスマスは私と薫で料理の準備だからね!」

茉莉は話題を変えて冬休みの予定の話を振ってくれる。

「美沙さんは、仕事なのか?」

「今年はお仕事が早く終われないみたい。だからー。私達で準備しないとね。手伝ってくれるよね?」

「いいけど、役に立たないぞ。」

 俺は買い出しと野菜の皮むき要員にでもなって彼女を支えよう。

「いいのいいの。一緒にしたいの! えへへ、楽しみだねー。」

「レシピだけは聞いておかないとな。」

「んー。ケーキと飲み物は仕事帰りに買ってきてくれるってさ。」

 ケーキは置いておいて、飲み物は自分たちが酒を飲みたいだけだろう。また男二人が酔っ払って寝ている姿が眼に浮かぶ。

「じゃあ、少しでも旨い物ができるように二人で頑張るか。」

「献立は私が先生に聞いておこー。」

「俺も茉莉の部活に参加しないとだめかもな。」

「えへへー。来たらきっと楽しいよ。」

参加したところで後輩の男子など先輩女子のおもちゃにされるだけに違いない。茉莉を迎えに行っただけで遠巻きに楽しそうに見られている様子を思い出す。

窓辺でおちいった思考は気がつくと吹き飛んでいる。親父と同じ様に茉莉も家族くらい俺のことを見てくれているのだろう。彼女が悩んでいる時、俺も気がついて同じことをしてあげたい。



 十二月十三日 月曜日の昼休み。窓には雨が打ち付け、水しずくが垂れ下がっている。激しい雨の日だった。友人と昼飯を食べようかと食堂へ出かけようとしたところで、スマホに届いていた美夜からの一件のメッセージに気がつく。

“お昼一緒にたべよ?”

 しかし、気がついて手を動かして返信するには手遅れだったようだ。

「薫くん。来ちゃった?」

 美夜がもう目の前まで来ていた。友人たちはその様子を見て“浮気か?”などと好き勝手に何か言っている。

「戸森先輩。返信が遅れてスイマセン……。」

「んー。勝手に来ただけだからねー。こっちこそごめんね。でも美夜って呼ぼうね。あ、今日は立て込んでた?」

「たった今、予定がなくなりました。」

 友人たちはとうに消えていた。教室に残っているクラスメイトたちは知らない振りをしてそれぞれの友人たちとお昼を食べ始めている。

「じゃあ、ここまた借りよー。」

 前の男子生徒はいつも昼を食堂で食べているのですでに不在だ。ちょこんと美夜が座る。

「今日は守野さんも茉莉ちゃんもいないんだね。」

「流石に毎日は一緒に食べてないよ。」 

隣の教室で一緒のグループで食べているのかも知れない。タイミングが良いことに守野さんもすでに居なくなっていた。

「あ、もしかして薫くんはご飯持ってきてない?」

 食堂で買うつもりだったので、コンビニでは買ってきていない。

「ああ、今日はないな。」

「じゃ、場所を移そっか。食堂いく?」

 身体に勢いをつけてストンと軽やかに立ち上がり、ふわりと彼女の制服と髪が揺れる。元気が良いときの彼女はどの誰とも違う独特の雰囲気だ。猫の様だ。

「付き合ってるとか言われそう。」

「あはは、二年の素行不良少女と付き合ってるって言われるかもねー。嫌だったら誤解は後で解いておかないと。」

「言われて困るのは美夜だろう。いたいけな後輩男子に手を出してと付き合ってるって言われるぞ。」

「薫くん相手に言われるのなら私は気にしないけど?」

「またそうやってからかう。」

「えへへ。許してくれるからしちゃうのかもねー。」

 校庭に生えている木々は風と雨風で激しく揺れている。俺の調子も同じような嵐に晒されていることは間違いない。どうしたって彼女に対して怒れることはないのだから、嵐が過ぎ去るまで諦めるしかなかった。


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