第24話 幼馴染と雨の遠出
十二月六日 日曜日。午前八時 茉莉と出かける約束をしていた。家を出る時間までは特に約束はしていなかった。もしかすると、いつものように起こしてくれるのだろうか、そうどこかで思っていたが彼女はこの時間まで現れることはなかった。メッセージアプリを開くと彼女から一通連絡が届いている。
“おはよう 西一条駅前のカフェで待ってるね”
その駅は今日の目的地の水族館へ向かう電車の乗換駅だ。ここから水族館のちょうど中間で鉄道会社が入れ替わる。
“おはよう 家から一緒に行かないのか?”
メッセージを送ってからすぐして既読が付き、返答が送られてくる。
“今日はねいつもと違うの!”
“なら今すぐ出るな”
もう待っているのだろうか、急いで支度をする。顔を洗い寝癖のついた髪をブローで整える。紺色の厚めのジャケットに柄シャツを合わせて、多少身奇麗にしていく。コートを羽織り、玄関へ向かう。
扉を開けて空を確認すると、暗い空が広がっている。今日は予報では雨が降るはずだ。まだ曇り空で雨は降っていない。いつ降ってきてもおかしくないので、折りたたみ傘を鞄に入れておくことにした。
“電車に乗ったよ”
連絡を茉莉にしておく。彼女の気まぐれな待ち合わせではあるが、あまり待たせるのは申し訳ない。またすぐに返信がくる。
“私も今ついたところだから〜”
その返信を見て少し安心した。あと20分もあれば到着できるだろう。カフェにいるようなのでそのくらいの時間であれば暇で待たせすぎることもないだろう。
ゆらりと電車が傾く。長いカーブへと差し掛かり全体が引っ張られる。ゆらりゆらりと吊り革が振動しながら、目的地へと運んでくれる。
今日はどうしようか。茉莉と出かけること事態は対して珍しくはないが、ここまで遠出するのは久しぶりだ。少し寂しくさせたようなので彼女を十分に楽しませてあげられるようにしたい。
駅に付きカフェへ向かう。乗換駅なので人がそれなりに多い。茉莉の待つ駅前のカフェが階段下に見えてくる。開放的なガラス張りの窓の際、カウンターに腰を掛けてスマホを操作している女性が見える。一度入り口を通り過ぎて店内がよく見える店の前側へと回り込んだ。
“付いたよ、どこにいる?”
到着の連絡を送る。自分の居場所を写真で撮影してメッセージの次に添付する。既読がついたあとしばらくすると後ろから声をかけられた。振り返ると茉莉がいた。
「薫。」
「茉莉ごめん、遅くなったね……。」
カフェの窓際に座っていた女性は茉莉だった。濃紺のウール地、袖口は白のフェイクファーで綺麗に整えられた細身のワンピース。黒色の高めのブーツを履いているのでいつもより身長が高く、目線は俺より少しだけ低い程度になっていた。大学生くらいだと思いじっくり見ずに他を見ていたので気が付かなかった。黙っていると彼女は静かに話しかけてきた。
「ぜんぜん待ってないよ、それに私が呼び出したんだし……。ね、どう……変なとこない?」
「うん……。誰か最初わからなかったな……綺麗だよ。」
「えへへ。良かった!」
茉莉の声は元の明るい調子に戻り、その服を見せつけるように軽く身体をよじる。
「お母さんにね、選んでもらったの。大人っぽすぎないかなって、思ったんだけどね。薫がそう言ってくれるなら、えへへ。」
よく見るとカバンも確かにいつものものと違う。母親に貸してもらったのかもしれない。随分と様相が違うので少しだけ緊張してしまいそうだ。
「行こうか、さっそく。」
「うん!一緒にいこいこ!」
「そのブーツで歩きにくくないか?」
「うーん、歩きにくい!」
正直な感想だった。そこはいつもの茉莉のようで緊張がほぐれる。
「靴擦れしないようにな。」
歩調を茉莉に合わせていつもよりゆっくりと歩く。コツ、コツと石畳にブーツの音が鳴っていく。昔に二人で追いかけあったいつかの日とは違い、ゆっくりと進んでいく。今日、この時は時計の秒針がいつもより遅くなったように。
#
水族館へ到着した俺達はチケット売り場へと向かう。すでに開園時間を過ぎているが流石の休日で人の列が出来ていた。いつもだったらなんてことない待ち時間も隣にいる茉莉と調子が合わせきれないせいか、やはり少しもどかしく感じる。
「ふふ、薫照れているの?いつも静かだけど、今日はもっと静かだね。」
彼女は出会ったときのいじらしさはすでに消え去り、大人っぽい格好のままいつもどおり元気いっぱいだ。
「そうだよ。わるいか。」
「えへへ、今日はお弁当も作ってきたよ。後でどこかで一緒に食べようね。」
お出かけプランは彼女がばっちり決めているのかも知れない。リードが全く出来ず少し情けないかも知れない。ただ、彼女が早起きをしてそこまでしてくれたのだから、何か一つくらいはお返しがしてあげたい。
「港の近くにフードエリアが合ったね。寒いからそこで飲み物でも買って食べようか。」
「うんー。そうしよー。あ、そろそろ私達の番だよ。」
目の前に並んでいた人の列は思ったよりも早く捌けて、自分たちが買う番となりそうだ。財布を取り出して。彼女に言う。
「二人分払っておくよ。……小遣い少ないから、割引券はください……。」
「んふふ、ありがとう。割引券さえなかったらもう少しでカッコいいね!」
彼女から紙を受け取り二人分のチケットを頼む。引き換えにパンフレット一式を受け取り、入り口へと進んでいった。
「わぁ。すごーい。」
入り口を超えて、曲がり角を超えた先。暗幕をくぐるとそこには暗闇の中、視界いっぱいの水槽が広がる。水槽の角から灯りがゆらゆらとゆっくり点滅して、その光に合わせるように海月達が漂っている。ふわりふわりと揺らめく水面に反射した光が、合わせて俺達が立つ床も淡く照らしていく。
「昔一緒に来たときよりもすごくなってるな。」
「あのときは一〇歳くらいだったもんね。きれい……。」
茉莉は水槽のガラスに手を当てて海月を見上げている。広がる髪が海月の脚と同じ様に広がって水槽と一体化して見える。
説明を読んでみるとこの展示は銀河をイメージしているようだ。確かに海の月と書くその名前の通り、月や星の様に揺蕩うその姿は星空のようだ。茉莉がいつの間にか振り返り、説明を読む俺の横に立っている。コートの袖をつかんで彼女は言う。
「これてよかったね。」
「まだ、入り口じゃない。気が早いよ、ふふ。」
揺らり揺れる光、ゆったりとした音楽のリズム、心臓の鼓動が合わさっていく。
「次にいこ!」
袖を引っ張られつつ、エリアの出口へと向かった彼女に合わせて出ていく。
水槽を突き抜けるアクリルガラスのトンネルをくぐる。見上げてみるとマンタが空を飛ぶように俺達の頭上を優雅に浮かんでいる。
「思ってたよりでっかいねえ。」
「こんなのに海で襲われたら助からなさそー。」
広げた幅は身長を超えている。両側に生えているのはヒレなのだろうか、アクアマリンの色の空をそのヒレを翼にして駆けていく。小魚たちはそのマンタを影を群れで泳いでいく。
「あれが子分?」
小魚たちを指差して茉莉が言う。
「舎弟かもなあ。」
「マンタ親分はきっと優しいんだろうね。いっぱいいるー。」
本当は良いように盾にされているのかも知れない。そんなことを気にもせず飛ぶ姿をみて羨ましいとも感じる。
「あー。亀―。」
茉莉はコロコロと興味が移っていく。今度はウミガメに夢中だ。二匹の亀が俺達に挨拶をしてくれているように水槽からこちらを覗いている。
「二人ともおんなじ海で捕獲されたんだって。幼馴染か兄弟かもね。」
「じゃあ、茉莉と俺みたいなものだな。」
「あはは。私達も捕獲されないようにしないとね。」
もしかしたらカメたちから見たら俺達こそガラスの向こうにいる二人の展示に見えるのかも知れない。
「そういえばウミガメって食べられるよな。」
「ええぇ。いやだー。でも、スッポンも食べられるもんね。でも、いいや……。」
「積極的に食べたくはないねー。」
食べられたくはないように、いそいそとカメたちは仲が良さそうに去っていった。
「あ、いっちゃったー!」
見届けた俺達は屋外へと続く階段を二人で登っていった。
その後、茉莉はペンギンやクジラなどの大きな動物の前でキャッキャとしながら俺の袖を掴みながら楽しそうに進んでいく。彼女の感情に同調していくように、俺もそのうちに彼女を時折引っ張りながら楽しんでいった。
「あはは、はしゃぎすぎたかな。ちょっと疲れちゃったねー。」
「いっぱい展示みたな。」
昼休憩とするためにフードコートの席で休むこととする。ただ席を貰うだけでは心苦しいので二人の飲み物だけは買っておいた。いそいそとカバンからお弁当箱を取り出す。
「これが、私の。こっちが薫の!」
自分の弁当箱と親父さんのお弁当箱だろう。いつもの可愛らしいピンクの箱と黒色のいかにも男向けの弁当箱だった。
「ありがとう。開けていいか?」
「うん!いっぱい食べてね。」
開けてみるとキレイに並べられた彩りの良いおかずが入っている。唐揚げやほうれん草のおひたしなど、健康的なおかずも入っていた。
「やー。美味しそう。」
記念に写真を撮っておく。撮った写真は茉莉にも転送しておいた。
「こっちはお母さんの監修なしで頑張ってみたの!」
「食べさせてもらおうか。」
どのおかずも冷めていても美味しい。しっかりと味付けされていて、もう立派な主婦にでもなれそうだ。
「美味しいよ。茉莉も一緒に食べよう。」
「はーい!いただきまーす。」
賑やかな音に包まれながら、二人食べ進めていく。二人共笑顔が絶えることはなかった。何ごとも問題なく楽しい時間が過ぎていっていた。ただ、次の日知ることになるがこの時に守野さんとその彼氏に俺達二人の姿をじっくりと見られていたようだ。後で茉莉共々何をしていたか聞かれる羽目になった。
#
午後になって外に出てみると、雨が降っていた。ぽつりぽつりと降り始めた雨足は気がつくとすぐにざあざあと音を響かせるようになった。
「やー。雨思ったよりも強いよー。傘出さなきゃ……。」
「駅までは差さないとびしょ濡れになっちゃうな……。」
茉莉はもぞもぞとカバンをあさり始める。しかし、なかなか見つからないようだ。
「えー。入れたはずなのにー。」
「忘れたのか?」
今朝出かける前に入れた折りたたみ傘を取り出す。折りたたみ傘なので少し小さい。
「うんー。無いみたい……。荷詰めするときに出しちゃったかなあ。」
「じゃあ、駅前の店で新しいやつ探してみるか?今の傘、結構古いだろう?」
「うん、そうしようかな! あそこまで入れてって?」
彼女が指を指す駅までは歩いて2, 3分だ。小さい傘なので肩などは濡れてしまうがこの際致し方ない。茉莉の肩を少し引き寄せて中へ誘う。
「いこう、ちょっとだけ駆け足だな。」
「あっ……。うん……。いこっか。」
茉莉が少し拍子抜けた声を上げたが、雨の中を進み始める。ガサガサと雨音が当たる音がなる。彼女が濡れないように少し傾けておく。行く先の所々に水たまりがもう出来ている。それを迂回しながら歩いていく。偶に彼女が小さな水たまりをジャンプして飛び越える。
「よいしょ!」
「濡れちゃうぞ!」
「良いの!えへへ楽しい。」
折角の服が濡れてしまうのを気にしてないのか。もしかすると忘れているだけかもしれない。ただ、隣で楽しそうな茉莉を見ていると雨なんて気にならない。
「やー濡れちゃったね。」
「はぁ、ちゃんとした傘持ってくればよかった。」
「ハンカチは持ってきたんだよ。はい、肩濡らしてるよ、ありがとう、薫。」
傘を傾けていたのはバレていた様だ。彼女にコートを拭かれる。
「傘、見に行こうか?」
「どんなのにしようかなぁ。」
エスカレーターに前後で並びながら店へと向かう。専門店が並ぶ最上階まで登り、傘が売っている店がないかを探していく。女性向けの傘は男用に比べてデザインが豊富だ。ただ、ピンとくるもの無いようで関係のないものも見ながら店を周っていった。
その中で一つ見付けた商品があった。多分、茉莉はこれを気にいるはずだ。
「茉莉、これはダメか?」
「可愛いけど、シンプルだね。普通のピンクの傘―。薫はこれが私に似合うと思ってくれた?」
「いや、似合うとは思うけど、タグの説明読んでみて。」
雨に濡れることで撥水加工のされていない部分へと水が染み込み、模様が浮き出る傘だ。
「あー猫出るのー!え、欲しい。でも子供っぽすぎない?大丈夫かなー。でも、買お!これにするね!」
「じゃあ、買ってくるよ。」
「薫。お金あんまりないんじゃないの?えへへ、そんなに私もないけど。」
「茉莉が夕飯とかつくってくれてるからな、親父からもらった夕飯代とかあるし、それに無くなりそうだったらバイトでも初めてみるよ。」
嘘は特についていない。彼女に普段してもらっていることを考えると、妥当かそれでも足らないくらいだ。
「じゃあ……。お願い……!」
納得してもらえたようなので会計へ向かう。完全に女の子向けの店なので並ぶことに抵抗感は少しあったが、彼女のためを思って気恥ずかしさを抑え込む。
「はい、買ってきたよ。すぐ使うと思って、包装はしてもらってないけど良かったか?」
「うん!使う!」
受け取った茉莉の様子をみると今日の目的はクリア出来たようだ。すぐに外へ行き試してみたがっていることは手にとるように分かる。
「もう少し、見て回ってみようか?」
「う、うん。一旦外でたらダメ?」
「あはは、いいよ。俺も見てみたいよ。」
「やった。えへへ。」
また並んでエスカレーターを降りていく。外へと続く階段をまた降りて雨の中へ入っていった。
#
「ねこー。いっぱいいるなぁ。」
地元の駅について、マンションへ向かう頃には雨足はすこし弱まっていた。時刻も遅くなり、辺りはすっかり雨雲の影響も相まって暗くなっている。買ったばかりの傘をくるくると回しながら模様を楽しんでいるようだ。というか、飽きないか心配になるぐらいずっと模様を気に入っている。
「また、水族館とか、あっちの遊園地とかも一緒に行こうね。皆で行くのも良いけど、薫とも遊びたいの。」
「俺も茉莉と変わらずに遊びたいよ。」
「昔からいっぱい遊んでくれてありがとう。薫のおかげで私、明るく変われたと思う。」
そこまで言ってくれるとは思っていなかった。確かに昔の茉莉はもっと大人しい子供だったとは思う。そこまで意識したことはあまりなかった。親の都合で引っ越した事を恨んだことがないとは言えない。ただ、今を考えると結果的には良いことが多かったのだと思う。
「俺も茉莉と友だち、幼馴染になれてよかったよ。」
それ以上は声に出すことはなく、ただ並んで歩いて行く。相合い傘をしていたときの様に距離は近くないけれど、それ以上に心地よかった。気がつけば雨音はさらに小さくなり、ぽつりぽつりとペースを落としていく。あと残っているのは二人の足音と偶に飛び跳ねる水音だけだった。
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