第15話 茉莉の思い出


 今から十年前、私は小学校に入学するタイミングでこの街、灯沢に引っ越してきた。元々は両親と会社の社宅で暮らしていたそう。ただ、それ以前の記憶は曖昧になってきているので、ざっくりとここよりも都会だったことだけはぼんやりと覚えている。保育園では同年代の子供達とよりも保母さんと遊ぶことが好きだったそうだ。もしかすると、両親の仕事が今よりも忙しかったので預け入れられる時間が他の子に比べて多かったのが影響しているのかもしれない。

 私は小学校に上がってからも同年代の友達が少ない方だった。決して誰かにはぶられていたわけではないが、放課後などに外で遊ぶことが少なく、身体が弱くすぐに熱を出して休みがちだったこともあり誰かと時間を共有することが出来なかった。



 八年前 八月三十一日 午後一時 昼下がり。窓から見える空には入道雲が高く浮かび上がる夏休みが終わる最後の金曜日。冷房が効いた自宅で私は両親の帰りを家で一人待っていた。暇つぶしとして買い与えられたゲームをする以外にはテレビを見るくらいしかすることがなかった。よく覚えているのは、それはひどくつまらない夏休みでだったということだ。ただ、友人の少ない私は学校が始まったとしても過ごす内容は大して変わらない。授業が増えるので多少の暇が改善されるくらいだ。

 

 ふと、セミの鳴く甲高い声の隙間にトラックの排気音が響く。その車はマンションの前で止まった。窓からその車を覗き見る。すると、制服姿の体格の良い男性ら二人が降り後ろの扉を開けている。トラックには可愛い動物の絵が大きく描かれている。数分後に、誰も居ないはずの隣の家から扉を開ける音がする。

 

 もうしばらくして、トラックの方へ目をやるとお父さんと同じ年代の男性と制服姿の男性らがお辞儀をしている。制服の男性らはトラックへと戻り何やら作業をしている。もう一人の男性は踵を返しマンションの方へ向かってくる。


 ピンポーン。ピンポーン。


 チャイムの音がなる。一人で留守番をしているときは絶対に出てはいけないと教えられていた私は言いつけを守り出ないようにする。大きなその音に驚きながらもじっと窓の前で固まる。チャイムは数度鳴った後に鳴り止んだ。諦めてもう隣の部屋へ移っていったようだった。もう一度窓のじっと眺める。制服の彼らは慣れた手付きで荷物を取り出して隣の家へ運んでいるようだ。この様子だと隣が空き家では無くなるようだ。薫とおじさんが引っ越してきた日の朝のことだった。



 その夜には夕方前まで続いた作業がいつの間にか終わり、マンションは静けさを取り戻していた。遠くからは夏の終わりを告げる音がする。カラスとセミとあといくつかの鳴き声が街に鳴り響いていた。夜二十時、母親が帰宅し夕食の準備をしてくれている。きちんと昼下がりにチャイムが鳴って来客が会った旨を伝えておく。言いつけを守って一人では出なかったことを報告するとお母さんは褒めてくれた。


 夕飯を片付けていると、昼過ぎに効いた音と同じチャイムが鳴る。お母さんが洗い物をさっと切り上げてリビングの受話器を取る。

「はーい。」

「……。…。」

 受話器から男性の声が漏れ聞こえる。

「ええ、お待ち下さいお伺いします。」

 お母さんは玄関へと出ていった。私はリビングの扉をそっと開けて玄関の向こう側の様子をこっそりと見る。今日の昼に見た男性がそこにいた。


「遅くに申し訳ありません。隣に越してきたました五十嵐です。今日の二時頃にご挨拶にお伺いしましたが、お留守でしたようですので。」

「それはご丁寧にありがとうございます。高宮です。」

「男二人、色々ご面倒おかけするかも知れませんがよろしくお願いします。」

 お母さんの後ろ姿から少しだけ彼の姿が見える。その足元の奥にいた男の子が顔を出す。私と同年代のようだ。玄関越しの私とその子が目が合う。

「五十嵐 薫です。よろしくお願いしまーす。」

 彼から事前に教えられていたのだろうか。男の子は丁寧に腰を九十度に折曲げて挨拶をする。

「薫、よく出来た。よろしいお願いします。」

 男性と男の子が二人揃って挨拶をしている。

「あら、お上手にありがとう。こちらこそお願いしますね。」

 お母さんは屈んで男の子にも挨拶する。お母さんがしゃがんだことで視界がひろがったのだろうか、男の子の父親の方が私にも気がつく。

「お嬢さんがいらっしゃるんですか?」

「あら。そうなんです。あはあ、覗いているじゃない。茉莉、こっち来なさい。」

 お母さんに呼ばれた私はこそこそと玄関へと向かう。

「隣に住むことになった五十嵐さん、お世話になるからご挨拶しなさい。」

「……高宮 茉莉です。」

 自信がなかった私は小さく挨拶をする。

「息子さんと年は同じくらいかしら。うちの子は八歳、小学二年生です。」

「うちのこいつも同じです。多分、同じ小学校にお邪魔します。」

 そういえば、夏休みのおわりに担任の先生が転校生があることを連絡していたのを思い出した。

「あらあら。茉莉、薫くん、同じ学校だって。仲良くしてもらいなさい。」

「茉莉ちゃんよろしくね。薫です。」

 彼は手を小さく振ってくれた。私は彼よりももっと小さくだが手を振り返す。

「うん……。よろしくね。」

 私の大好きな薫。あなたが来てくれた夏のあの日はたぶんずっと忘れない。



「茉莉ちゃん、何してるの?」

「絵本読んでるの。今はこの子、探してる。」

 九月に入り、転校生としてやってきた彼は私と同じく鍵っ子だった。彼のお父さんもお仕事が忙しいらしい。実は両親と同じ系列の会社に努めているのだと、昨晩両親が話しているのを聞いた。学校の図書館のすみっこでいつものように暇をつぶす私を彼はいつも見つけてけてはくれては一緒に遊んでくれる。

「それココに居るよ。こっちにも。」

「あー。薫くん。見つけるの早い、早すぎ。」

 私がどこにいたって彼は見つけてくれる、そう思えるほどだった。引っ越しの日から半年もたてば二人はいつも一緒だった。朝だって、夕方だって。風邪をひいた日にだって心配をした彼は私に会いに来てくれた。

「薫くんとずいぶん仲良しになったな。」

「うん。薫すっごく優しいの。」

 笑顔で答える私に、両親は嬉しいのかニコニコとしている。家族で過ごす日々も以前に増して明る日が増えた。あの時の薫は兄のように私を優しく包み込んでくれていた。今さら思うとそう思う。



 しかしそんな彼にも弱さがあることに気がついたのは仲良くなってからもっと後のことだ。小学校の卒業式、彼の父は私の両親と共に式へ出席する予定だったが、残念ながら仕事の都合が悪く出来なかった。卒業証書を受け取った同級生たちは家族とともに正門の前で記念撮影をしている。

 ヒラヒラというよりも花全体がポトッと落ちる様に、八重桜の花が地面をピンク色に薄く彩っている。4月のソメイヨシノの木は蕾を蓄えて、もっと本格的な春の到来を待ち望んで辺に立ち揃っている。


「茉莉、美沙さんとそこに立って?」

 出席が出来ず写真をとることが出来ない自分の父に代わり、薫はカメラマンを勤めていた。

「緊張しないで、ほら記念撮影するよ。はいチーズ。」

 シャッター音が辺に二度ほど響き渡る。お母さんは私を包み込むように後ろ煮立っていてくれている。

「うん。いいの取れたよ。」

 手に持ったデジタルカメラのディスプレイを覗き込むとお母さんと二人並びキレイに取れている。幸せだった。

「薫、良いカメラマンになるよ!」

 カメラから頭を上げて薫の方に向く。大げさに褒め称えたのでにこにことドヤ顔をしてくれるはずだった。

「薫……?」

 スッと目線が遠くを見ている。いつもとは違う寂しそうな目、それは迷子のような目。よくよく考えてみるとそれはあたりまえのことだった。彼は母はおらず、父が不在となった今、彼を包み込んでくれる人はココに居なかった。

「薫……。私がお母さんの代わりになるねー。お母さん、写真取って!」

 私のお母さんは全て察してくれたようだ。

「はいはい、薫くん、茉莉はこっちね。」

 お母さんのケープを私にかけてくれる。めいいっぱい背伸びをして。

「薫。卒業おめでとう。」

 背伸びをした私は薫の身長と同じになって寄り添って写真を撮ってもらう。

「茉莉、え、え。」

 私のとっさの行動に驚きながら笑う薫。急に自身の母のように振る舞う私と驚いた薫が二人正門で映る写真。これがいままでの写真で一番面白くって愛おしい。



 あの出来事から少しして私は決めた。いつまでも彼に甘えて後ろをついて行くようではダメだと。薫のことも優しく包み込んであげられる。そんな存在になりたい。私と一緒に過ごしてくれて、一人寂しくしていた日々に花を咲かせてくれた彼へ恩返しをしていこう。優しくされるだけでなく、彼が寂しく鳴らないように、満たせるくらいに包み込んであげようと。



 今朝の様子。

「薫、寝てるね……。あー、横向いた。」

 私は彼が置きないように小さな独り言をつぶやく。すると床に昨日使ったであろうパーがーが脱ぎ散らかしてある。 

「また服脱ぎちらかして、はっはくしゅ。んにゃーー。」

「猫だー猫だー。これは絶対猫だ、もう。」

 マスクを付けて落ちていた服をつまんでコロコロをかけて毛を取り払う。

「ふぅ、ひどかった。ぐすん。」

 彼はまだ起きていない、午前六時半。もうちょっとだけ時間はある。その顔私にだけ見せてね。とっくに月は隠れて太陽が辺りを包み込み皆が起き始める。朝日がこぼれ落ちるカーテンの向こう側、電車が動き始めて街が活気づき初めて皆が学校へ仕事へ向かう。それまではもう後少し。それまでは……このままで。


”空へ向かう木々のように あなたをまっすぐ見つめている”


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