第13話 彼女の秘密


 十一月十八日 水曜日 快晴。見上げると雲一つない青い空が広がっている。しかしざんねんながら心の中はこの青空とは程遠い曇空だった。いつも通学で使っている電車は事故の影響で遅延している。時刻は午前八時半、一限目が始まる時間になってようやく到着した電車の中へと入ることができた。これだけ派手に遅延していれば学校へ遅延証明書がなくても許可される気がする。たが、念の為人混みをかき分けて駅員から証明書受け取って置かないとならない。必死な顔で茉莉も荷物を前に抱いて電車の中へと入る。

 二人並んでいるが押しつぶされほとんど抱き合っているレベルだ。中学校までは自転車で通っていたのでこんな経験をすることはなかったが、社会人になって働くようになればこんなことも増えて行くのかと考えると憂鬱だった。たった二駅離れた場所にたどり着くまで長い時間がかかってしまった。


「ぁぁー。疲れた。満員電車嫌い。」

 茉莉は猫背の姿勢で辟易とした声音で言う。全く同感だった。

「遅延証明書、二枚取っておいたから、一応持っていけよ。はい。」

「ありがと。よく取れたねー。」

 受け取った太陽に証明書を透かしてまじまじと見入っている。

「ほほー。これがそうなんだねー。始めてみた。」

 彼女はいろんな声をあげながら物珍しく眺めている。

 

 ふと、校門をくぐった先、駐輪場の方角から一人の背が高い女生徒が俺達とは反対の方向に自転車を推しながら小走りに駆けてくる。学校指定の真っ黒いコートの隙間から覗くタイの色からして二年の先輩のようだった。遅延電車からぞろぞろと出来てた学生の塊を避けながら端の方から校門をくぐろうとするが、人が多いせいで上手く出るタイミングを見計らえずに立ち往生している様子が見える。

 段々と校門へ近づき彼女にも近くなてくると、その姿がはっきりと見えてくる。肩まで伸びた艷やかな髪、ピンで軽く前髪を止めているが前髪が目にかかり気味。一件地味に見える伊達のような黒縁のメガネを掛けている。その人混みから早く外に出たそうにソワソワと地面を見つめて貧乏ゆすりをしている。そんな様子も知らない学生なら気にもとめず通り過ぎていたが今日は違った。様子から漏れでている雰囲気は間違いない、美夜だ。


「美夜……?」

「薫……くん?」


 呼ばれた彼女は驚いて顔を上げる。茉莉もまた急に声を出した俺にびっくりして、「およっ?」っと変な声を上げている。

 それ以上の二の句はすぐには告げることが出来なかった。すぐにこの人混みのなかからはずれればよかったがとっさには出来なかった。すれ違いざまに声をかけられる。


「……ありゃー。バレちゃった。ふふ、またね。」

 諦めた表情でにまっと笑う彼女は前髪をかき分けて、メガネを取り払い小さく手を振る。美夜は茉莉の予想通り同じ学校でしかも先輩だったらしい。

「あの先輩知り合い?」

 茉莉が不思議そうな顔で聞いてくる。

「ああ、そうだよ。知り合い……だね。」

 上の空に近い返事しか出来なかった。下駄箱につく頃にようやく後ろを振り返り校門の方角を確認したが、すでに彼女は学校から出ていった様だ。次に合うときに色々聞きたいことが増えた。


「さっきのきれいな先輩のこと教えてよー。今日の夜お部屋いくからねー。」

 茉莉と廊下で別れ、それぞれの教室へと入っていく。電車で通学していた学生の大半は遅延に巻き込まれたようだ。先生は途中で入る俺達に全く気にもとめず、おーすわ座れと声をかけてくる。授業は進めることが出来ず自習となっているようだった。

「お疲れさまー。」

 守野さんからねぎらいの言葉をかけられる。満員電車疲れだったり美夜に驚いたり色々心が動いてよくわからない気持ちの日だ。

「ありがとう。今日はひどかった……。」

「茉莉とかいろんな子からメッセージ来てたからね~。だいたい知ってるよ。先生も一限目はもう諦めたみたい。」

 確かにもう二限目からしかまともに授業はできなさそうだった。教科書をカバンから、一応授業用の辞書をロッカーから取り出して受ける体制を整えた。美夜はどうして同じ学校であることを秘密にしていたのだろう。またなぜこの時間に学校から帰宅することになったのだろうか。いくつもの疑問はすべて溶けず時間だけが流れていった。



 帰宅して荷物を部屋に置き、ベッドに身を放り出す。スマホで時刻を見てみると午後五時半。茉莉は今日は両親が早めに帰宅する予定のようなので夕飯を家族と家で食べるようだ。彼女とは家の前で別れた。

 着信履歴の一番上。"不明 十一月十四日 午前〇時三十五分" と書かれた記録をじっと見つめる。連絡先を知らない美夜からの唯一の記録だった。公衆電話から掛けられたそれは掛け直したところでつながらないだけの意味がないような記録だ。


 タンタタン。タンタタン。


 軽やかなメロディーが手に持つスマホから流れ出す。"不明" と、大きくディスプレイに表示され、着信画面の緑色と赤色の受話器マーク並ぶ。彼女のことを考えていたタイミングでちょうでの着信に、あっけにとられてすぐには対応できず三コール程過ぎた後応答ボタンを操作した。


「はい、もしもし。」

「……。」

「もしもし?」

 電話越しの相手がはぁっと安心したような声音で小さなため息をつく。

「繋がった……。良かった。美夜だよ?」

「美夜。なんだ、今朝ぶりだな?」

「あはは、今朝会ったばっかりなのにね。夜までは待てなかった。」

電話の向こう側は静かだが、薄くピアノのようなメロディーが流れているようだ。

「今ね、市立の京南病院にいるの。学校、もう終わったかなって思って……。会いたくなったの。君に。」

か細い声はいつもの彼女から出ているとは思えない。雨に打たれた子猫のような様子だ。

「わかった。暇だからな。三〇分くらいかかると思う。」

「やった。待ってるね。」

 通話を早々に終えて、制服のシャツから着替える。冬至が近づくこの季節、もう夜のようにすっかりと暗い外を見ながらコートを羽織、自転車鍵を手に持って家を後にした。扉を開けるとすっかりとびゅうっと風が流れ込む。家の気温に慣れた身体には肌寒い。南の空には都会の空でもしっかりと見える星が一つ輝いていた。


 病院までは近くに流れる川沿いに走っていくだけだ。繁華街からは離れた河川敷を風と一緒に流れていく。ランニングをする人、サイクリングをする人、犬の散歩をする人、様々な人達ととすれ違う。自転車のライトは真っ直ぐと前を照らしている。


「もう受付は終わったんだな。」

 六時半近くなり、新規の外来は停止したのだろう。正門は開放されていたが病院の内部は閑散としており、最後の診察を受けるのだろう人が数人待合室でまっている。据えた消毒液の匂いがする。辺りを見渡してみると待合室の角、観葉植物の影に今朝見た制服の彼女が座っていた。

「美夜。こんな影にいたら見つけられないかも知れないぞ。」

「ふふ、でも見つけてくれたね。」

柔らかに笑いながら迎えられる。

「怪我、したわけでもないよな。」

「私は大丈夫だよ。全然、健康健康。ここで話し込むと迷惑だし、隣の公園でも行こっか。」

美夜がよいしょっと立ち上がる。黒いメガネはもう外したままだった。

「寒いな。やっぱりもう。」

「ねー。私服だったら前に選んでもらったコート来てきたのに。」

学校から指定されている黒いコート姿の彼女、普段の私服とは違いだいぶ地味に見える。公園についた俺達は噴水の脇にあったベンチへ座る。噴水は冬の間は停止しているのか、水は流れていなかった。

「美夜先輩って呼んだほうが良いか?」

「ううん。美夜でいて。薫くんが後輩だってしってたんだから。そのままでいいよ。」

 ニコリとした表情でそう伝えてくれる。別に聞かなくてもそう答えられるのは知っていたが、一応聞いてみるが間違っていなかった。

「呼び立ててごめんね。」

「気にしてないよ。」

うんうん、優しいね。目線を外して遠くの街灯を見ながら彼女は言う。

「おばあちゃんが倒れたって、先生から連絡が会ってね。早退したの。」

ぽつりぽつりと彼女は自分のことを話してくれる。

「前からもう身体に色々不調があってね。私に気を使ってかあんまり話してはくれないんだけどね。」

バイクが遠くの道を走り去る音が響く。

「今はもう元気だった。近所のお友達が玄関で苦しそうに倒れてるのを見つけてくれて救急車呼んでくれたんだって。だからすぐにちゃんと病院のいつもの先生が診てくれたみたい。」

彼女がこちらに向き直して並び合ってお互いを向かい合う。

「別に弱った姿見せて同情してほしかったとかじゃないよ。君にちゃんと秘密話とかなきゃって。本当は今日じゃなくて、学校で声をかけようかなって考えてたの。」

「……。思ってたけどでも動転したのかな、頭の中ぐちゃぐちゃになっちゃって。おばあちゃんの元気そうな姿みたら、安心したんだけど。」

1テンポ、2テンポ間があく。

「やばいね、何話してるんだろう……。話の順番がおかしい。」

「安心したら。君と一緒にギター弾いてたのがふっと思い浮かんで、音が頭のなかで響いたの。だから、電話した……。やばくない、これ、告白?恥ずかしいな。」

顔を背けて、また間があく。かさかさと枯れ葉と砂が混ざった風が辺りに吹き付ける。

「同情とか、弱いとか、強いとか、わかんないけど、ま、誰かと喋りたいときってあるよね。それくらいのことで良いんじゃない?」

「あはは。簡単に片付けられた。うん。そうだった。そうだよね。会ったばかりなのにね。」

少しは元気づけられたのだったら良かった。掛ける言葉は悩んだけれど、間違ってはいなかったようだ。

「秘密は先輩だったていうだけか?」

「まだあるよ、いっぱいある。でも私だけ話すのはフェアじゃないよ。」

「それはそうだ。俺も話してないことは、いっぱいはないはずけど、あると思う。」

「じゃあ、交互に教えて。君から。」

なにがあっただろうか。悩んでいると彼女が聞いてくる。

「朝一緒に登校してたのはかわいい女の子は彼女なの?」

「茉莉か?茉莉は隣に住んでる幼馴染だよ。」

「ええー。漫画じゃん。」

名前まで可愛いとはすごい。うんうん。なるほど。ぶつぶつとつぶやいているが、驚きはしたが納得してくれた様だ。

「じゃあつぎは美夜だな。」

「んー。なにがいいかな。……。嫌いな教科は数学です。」

「知ってるよ。」

「言ってないじゃん。なんで知ってるのさ。」

この前の本屋での態度で簡単に分かる。表情が今日出会った頃とは違いペースを取り戻してコロコロと変わる。

「じゃあね。戸森 美夜です。お婆ちゃんと二人暮らし。高校二年生だよ。」

名字は初めて聞いた。確かに知らないことだった。

「五十嵐 薫、親父と二人暮らしだな。」

「お母さん居ないんだね。じゃあ私と一緒だ。」

共通点は意外とあるようだ。深夜に出かけて、バイトもしている彼女はステレオタイプだが普通の家庭では無いようだ。


 嫌いな食べ物、好きな食べ物いつかの夜にだって話したかも知れないようなことも交えながらお見合いみたいな時間を過ごす。家族同士の仲が悪いわけではないようだが、祖母に面倒を掛け過ぎたくない彼女は反対を押し切ってアルバイトをして家にお金を入れているようだ。母親は中学生のころ病気でなくなり、彼女が高校一年生のころ追うように父親も事故でなくなったらしい。身寄りが無くなった彼女は父親の実家である家に引っ越してきたようだ。おばあさんと美夜自体は仲が悪いわけではなかったが、父と祖母はどうも上手く言ってなかったらしい。子供の頃に実家に顔を出したことは無いようだ。おばあさんは美夜のことを見放すわけではなく、なんでも世話をやいてくれるらしい。いろいろな話が彼女から聞けた。


「俺はもう話すことないくらい教えた気がする。」

小学生の初恋の先生まで聞かれた。俺の残機はもうすっからかんだった。

「絶対まだ知らないことあるよ。おねしょしてた時期とか、でもまあ、これからは学校でも話せるもんね。ならいいか。」

そんなことを知って何になるのか。からかわれるだけな気がする。


「じゃあ、これが最後かな。私、君の先輩だから。敬ってよね。」

「知ってるよ。最初に聞いたじゃない。」

立ち上がった彼女は俺の目の前でそう宣言する。

「んー。ダブってるから。私。」

「え?」

「高校二年生、二回め。だから、一八歳。薫くんの二個上。」

 あはは、言っちゃった。もう私も丸裸だね。けらけらと笑いながらあけっぴろげに彼女は言う「やっぱり美夜、戸森先輩……かな。」

「えーだめだよ~。だめ。仲良くなったんだから後退しちゃだめ。呼び捨てが好きなの。」

 

 彼女はまるで物語の登場人物のように、月夜にギターを掲げて俺の前に舞い降りるように現れた。その手元から唄うように月に響くような音を出し、飄々として俺を翻弄していた。それもまた彼女の一面に違いなかったが、彼女は必死に粘り強く生きる普通の女の子だった。

 全てを知ったわけではないが、光が照らす面だけがその人の姿ではなく、その影だってその人の姿なのだろう。光が変われば影形も変わる。ごく自然なそのことを現象や言葉ではなく心の中で理解出来た気がする。


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