第9話 幼馴染との寄り道
「おきなさい。薫。かーおる。」
茉莉が制服姿でベッド脇に立ち、頬を叩く。
「いつも、すいません……。」
俺を毎日のように呆れることなく起こしてくれる茉莉はもしかしたら本当に母親か、天使かもしれない。
「今日は部活ないだろ、帰りにどっか遊びに行くか?」
「んふー。うぃいね。」
朝ごはんの食パンを口に含みながら返事をされる。空いた手でグッドマークをしてくる。
「そんなもごもご無理に喋らなくていいぞ。」
「どこ行こっか。遠出する?」
「行きたいことろあったらどこでもいいぞ。」
「ほんと?じゃあ、どうしよっかな。あ、映画、映画いこ。」
そう言いながら茉莉はスマホを操作して上映中の映画を調べ始めている。片手でいちごジャムをパンに追い塗りしながら器用に操作している。
「恋愛映画でもいい?」
ちらっと様子を伺うように問われる。だめと言う訳はないが、何か気にしているのかもしれない。
「いいよ。なんていうやつ?」
「んとね、"Love, Roise" 、ちょうど今日の十九時、ミッドナイトスフィアシネマ。」
最寄りの駅から電車で二十分ほど離れた中心街だった。大きめの映画館が駅前のビルの中層階にあった。
「じゃあ、それにしよう。」
映画のストーリーは見てのお楽しみだよ。ネタバレとか見ちゃだめだからね。彼女から注意喚起を念入りに受けた。そう言われると気にはなってしまうが彼女のため我慢しておくことにした。
#
俺の席は窓から二列目の一番後ろ側。守野さんのさらに向こう側、小さな粒状の雲が窓一面に広がっている。あの雲は秋の空によく見かける雲だ。授業の進行が授業計画よりも早すぎたのか調整のため数学の授業は演習問題をすこし余裕な時間をかけて解かせていた。
時間が少し余った俺はぼおっと窓の向こう側を眺める。辺のクラスメイトも似たような様子だった。成績の良い隣の彼女は早々に問題を解き終え、自分のメモ帳に何やら悩みこみながら書き込んでいた。
視線を感じたのか、首をかしげられ目が合う。少し気恥ずかしそうにコソコソと隠されてしまった。ごめんと小さな謝っておく。
「燿。お弁当一緒に食べよ。」
隣のクラスから茉莉が出張してきたようだ。彼女は今日は母親が作ってくれたお弁当を持っていた。
「寂しい寂しい薫くんもご一緒する?」
混ぜてくれるようだったが、残念ながら今日は三限の終わりに友人と早弁してしまっていた。
「もう食べちまった。」
「早弁すると夕方持たないよ~。」
守野さんの前の席の椅子が空いていたので、借りるね!と席の主に声をかけて祭りが陣取る。
「茉莉は愛妻弁当を五十嵐くんに作ってあげないの?」
「私が薫にお弁当まで作って上げたら母親になっちゃいそう。今日も起こしてあげたんだよ。」
「尽くしてるなぁ。茉莉の健気。いいお嫁さんになりそう。」
「ありがと。んーこれ美味しい。お母さんに作り方教えてもらお。」
二人であれやこれや話しながら食事をしている。俺は便宜上ご一緒しているようだったが、刺し身に添えられた菊の花か脇役のパセリのようにそこで二人の話を聞いているだけだった。
「今日は部活ないんでしょ。私も今日はお休みなの。どっかいく?」
「あ、ごめーん。ちょっと予定が……。」
言いづらそうに祭りが言いよどむ。
「誰かとどこか行くの?ふふ、なるほどね~。」
守野さんは茉莉の視線の先にいる俺を見つけ、簡単に原因を察する。
「今度ね、また行こ。ね?」
ごめんごめんと謝る茉莉。守野さんは深く追求していなかったが全てを理解したような達観した表情をしていた。
「なんかいいね、男女の幼馴染。インスピレーション湧きそう。」
「また曲作ってるの?」
そうなの、そう言いながらさっきの授業中に書き込みをしていたメモ帳を取り出す。どうも、そのメモ帳は彼女の制作記録をまとめたメモのようだ。開けたページから曲のコード進行や、歌詞や詩のような文字がつらつらと書かれている。
「今度幼馴染ソング作るから二人共手伝ってね!」
「えー!恥ずかし!やだよ~。」
俺も恥ずかしいからやめてほしい。授業中に盗み見をしてしまった俺への簡単な仕返しも入っていたのかもしれない。彼女は昼休みの間、飽きることなく嬉しそうに俺達をからかっていた。
「じゃあいこっか。」
俺と合流した茉莉は両手を上げて俺の前で妙なポーズを決め込みそう言う。このポーズは彼女のお気に入りなんだろうか。立ち上がろうとすると、彼女はあっと声を上げた。
「ちょっと職員室寄ってくね、先生にプリント渡さないと。」
「いいよ、さくっと終わらせて行こう。」
二人で並んで職員室へ向かう。学校の階段や廊下は帰宅する生徒で溢れかえっており賑わっていた。
「失礼しまーす。」
茉莉は職員室扉の前で声をかけた後、一呼吸おいて扉を開け、一直線へとある場所に向かった。
「はい、せんせこれ。」
彼女は女性の先生にプリントを手渡す。たしか家庭科の先生で料理部の顧問だったはずだ。仲良しなのか慣れ親しんだ口調で何やら会話をしている。しばらく俺は職員室の前の廊下の壁に背をかけて彼女を待つことにした。
「戸森、最近は問題ないか?あまり学校に出られてないが……。単位はギリギリ足りてはいるが。」
「ええ……まぁ、ご心配おかけしています……。」
職員室の奥側からだれか生徒を心配する声がする。対して答えているのは女生徒のようだ。微かな声なので先生の声しかあまり聞こえない。ぼそぼそと暗い声だが、どこか聞いたことのある声が気になった。
「おーい。薫、終わったよ。」
声をかけられてはっとすると、帰ってきていた茉莉が俺の前で手を降ってる。俺が気がついたのに満足すると、彼女はピースサインを俺の前で決めて後手で職員室の扉を締めた。
「扉開けっ放しだったな。俺が閉めれば良かったな。」
「えへ、怒られなくてよかったね。じゃあいこいこ!」
「先生に雑用頼まれる前に行こうか。」
職員室から漏れ聞こえたあの女生徒の声が若干気になったが、祭りが戻ってきたことでスッと気にならなくなった。再び合流した俺達は駅へ進み、家とは反対方向の、繁華街へ向かう電車に乗り込んだ。
「映画まで少し時間あるね。カフェ寄って行こ?」
「またあの甘いやつか。茉莉は好きだな。」
飲み物なのかパフェなのか判断に困るような生クリームをふんだんに乗せた、わかりやすく女の子が好きな可愛らしい甘い飲料が彼女の好物だ。
「薫もおなかすいてるでしょ。いいじゃんー。ね?」
彼女に指摘されて自分もお腹が空いていることを自覚した。早弁をしたことを彼女は覚えていたようだ。良いように理由として使われている。
「たしかに。じゃあ何飲もうかな。」
「今のー限定はー。パンプキン味かな。あれー?、終わってる。じゃあラズベリーかなー。薫はどれにするの?」
彼女は俺と合わせて二杯頼み両方の味を確かめることは確かだった。せめて一番小さいカップにしておこう。
駅につき、カフェでテイクアウトの商品を受け取った俺たちは映画館へと向かう。茉莉は用意が良いことに事前に予約をしてくれていたようだ。映画館の中央通路の真ん中の席。映画館の中でも特等席に近い良い席だった。
「ペア割なんだよ。お得でしょ。」
ふふんと用意周到にしたことを自慢してくる。楽しそうに発券処理を進めていく。よく見るとカップル割のことのようだったが、下手に突くとお互い変に意識するだけな気がして突っ込めなかった。茉莉の横顔はとても嬉しそうだった。
チケットの発券を終えて少し待機する。氷が溶け始めた事に気がついた俺達は二人で分け合って飲み干した。俺の飲み物は大半が彼女の胃袋に消えていった気がする。入場まではあと二〇分ほどあるようだ。どうしようかとおもっていると、茉莉が袖を引っ張る。
「あっちにゲーセンあるよ。ちょっとみてこ。」
映画館の端に小さなゲームコーナーがあるようだ。看板を頼りに歩いていくと映画関係の特別グッズなどがゲームの景品として並べられている。二人で内部をぷらぷらと散歩する。
「あー。猫。猫だよ。」
ぶきっちょずらのみゃーこ似た猫のぬいぐるみがゲームセンターの端っこにあったクレーンゲームの筐体の中にいた。
「おー?少しぶさい?猫だ。」
「えーかわいいでしょ。欲しぃ。やーかわいいー。」
食い入るようにショーケースのガラスウィンドウに手をおいて見つめている。
「チャレンジしてみるか?」
百円玉を取り出しながらアプローチする方法を考える。両手で包み込むよりも少し大きいそのぬいぐるみはおそらく子供向けのアニメのキャラクターなのだろう。以前に映画の広告をCMで見た記憶がある。あまり人気がない気味なのかゲーム機の後ろにはその猫がピラミッドのように積み上がっていた。
「クレーンゲームってどれもアームゆるゆるだよね~。」
お金を入れてゲームを始める。対象の真上を狙い定める。大きいので狙いを合わせるのは簡単だ。最後のボタンを押すとひゅるー、っとクレーンが下がっていく。アームはぬいぐるみをしっかりと掴んだ後、いつもなら天井についた途端アームが緩無筈だった。しかし、ぽとっと落ちるはずと思っていたの景品は、天井に付いた衝撃をうけてもがっしりと掴まれたままだった。
「お、お、お。」
二人の感嘆が重なる。アームはしっかりとそのままに猫のぬいぐるみを掴んだまま穴の真上へたどり着き、ぬいぐるみを穴へ放り込んだ。ファンファーレの電子音が辺に鳴り響く。
「薫ー!やるね~!一発じゃん。」
茉莉はいそいそとしゃがみ込み、景品を取り出す。少し身長の小さな彼女が持つとそのぬいぐるみは一層大きく見える。
「もらっていい?いいよね!」
「当たり前だろ、俺が貰ってもその猫は枕にしかならん。」
「やたー!ふふ。」
ぬいぐるみに頬ずりをして離さない彼女。俺が取ったのだから俺が貰うと言ったとしてもおそらく手放すことはなかったはずだ。
よっぽど気に入った様だ。嬉しそうな茉莉を見ているとこっちも嬉しくなる。周りをふと見渡してみると、学校帰りの男女で溢れていることに気がついてしまった。俺と茉莉も周りから見ると仲が良いカップルに見えるに違いなかった。
少し気恥ずかしくなった俺は茉莉に声をかける。
「そろそろ入場できるんじゃないか?」
ぎゅっと抱き飽きるまで抱き尽くしたぬいぐるみを、彼女は学校のカバンに少し無理やり押し込んでいる。
「あ、いくいくまってね。 窮屈だけど我慢してね~。」
猫の顔が少しひしゃげて押し込まれる。荷物になるので仕方がないが少し可哀想だ。
#
映画は恋愛映画の中でも女性向けなのか、少しヘビーな内容だ。幼い頃から共に育った幼馴染の男女のすれ違いを描く映画だった。濡れ場を伴うシーンの所々が俺達には刺激が強い。
ただ、茉莉はいたく感動したのかクライマックスのシーンでぐすぐすと鼻をすすりながら涙目になってた。エンドロールが流れ、黒いバック映像が流れる暗闇で再度ちらりと横に目を向けると、彼女の頬には涙がこぼれ落ちていた。濡れてぐちゃぐちゃにならないように俺はハンカチを手渡しておいた。
「あー、泣きすぎた。ごめんね。」
映画館を出ながら茉莉は謝ってくる。
「あはは、いい話だったね。二人の関係がもどかしい話だったけど。」
「だねー。うん、見れて良かった。ハンカチありがと。あ、洗って棚にしまっておくね。」
こういうときに返してもらう際に発生する、どぎまぎとした青いイベントは、どうも彼女相手では起こらないらしい。
#
時刻は午後九時半。改札を出て店じまいをすでに終えた商店街を歩く。開いている店は居酒屋くらいだ。
「コートを羽織らないとそろそろ辛い時期だな。」
震える肩を縮こませて寒さに耐える。
「コートはクリーニングちゃんと出した?」
茉莉はまるで母親の様に心配をしてくれる
「だした、だした。たしかね、大丈夫だよ。」
「ホントかなー。ちゃんと見ておこー。」
まえで信用がないが致し方ない。彼女に無駄に手間を掛けさせる前に自分で確認しておこう。もしかすると、かえってきたままにして封も開けていないかも知れない。
帰り道の商店街は漏れ聞こえる宴会の声と二人が並んで歩く音だけが響く。
コツ、コツ、コツ
レンガ模様の歩道を二人で鳴らしていく。さっき見た映画の余韻なのか彼女の口数はいつもよりもずっと少ない。橙色の街灯がならぶ影を作る。凸凹とした道に伸びたり縮んだりを繰り返している。こうして繰り返し進んでいく日々は大切な彼女との大切な日々だ。
「薫」
「どうした?」
「ううん、少し気になっただけ。疲れた?」
「いや、違うよ。」
「なになにどうしたのー?」
「なんでもないよ。」
"いつもありがとう。ずっとよろしく頼む。"
心のなかに思ったことは恥ずかしくて言えそうにない。もう少し、後少し大人になれば口に出せるように変わるだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます