第6話 彼女との青春の始まり
前日の雨は次の日の昼過ぎまで降り続いた。木の葉や電柱からピンと延びた電線から時折、雨のしずくが落ちてきて水たまりを跳ねる。
神社へ続く道は木々によって影が多いせいかまだ乾ききってはいなかった。明日は学校があるのであまりに夜ふかしをすると、茉莉に怒られてしまう。ただ、美夜へ拾った彼女のピックを返す約束をしていたので出かけることにしたのだった。
境内は張り詰めた空気だ。冬の気配をを先取りしており、風もなく静かにひっそりと包みこんでいる。美夜見つけようとして社の周りに人影がいないか気配を探る。ゆっくりと回り込むと、社の奥の方から木の隙間を軽やかな弦の音が飛び込んでくる。パリッとした空気を伝わり温かいような冷たいような不思議に心地よい音だった。
一音一音高さが違う開放したエネルギーを出し切るように。
「美夜。いるのか?」
社に座りギターを抱え込んだ彼女が見えた。ビーン。ビーンと弦を順に鳴らしていた彼女はこちらの姿に気がつくと微笑んだ。辺りにはみゃーこの姿は無いようだ。
「薫くん!やあやあ。約束通り来てくれたんだねー。」
打てば響くような軽やかな声で挨拶をしてくれる。
「そりゃくるよ。約束だし、ちゃんと守るよ。」
「いやぁ、もしかしたら変な女の子と思われて避けられるかなーってちょっと思ってた。」
美夜はギターを脇に追いやりこちらに向き直す。美夜はこの前と同じ服装だ。
「そこ濡れてないか?ほら、服が汚れるだろ。」
「わ、紳士。惚れるちゃうよ?」
似合わない行動だとは思いつつタオルを渡した。座っていた面を手で触って確認してみると、やはり少し濡れているようだ。受け取ったタオルを下に敷いて社の縁に座り込む。すると彼女は自分の隣をポンポンとたたいてみせる。
「隣座って、さあさあ、女の子の隣だよ。どうぞどうぞ。」
けして小さいタオルではなかったが二人座るにしては面積が少し足らない。隣に座ると彼女とかなり近くなってしまう。ただ、断るのも変に思われると思い俺は隣へ座った。
「今はねー。弦の音を合わせてたの。」
ギターの先端にクリップのような機器を取り付け、ぼんやりと液晶に文字が浮かび上がっている。。
「それが調律用の道具なんだな。小さいね。」
「そそ、チューナー。鳴らすだけで音の高さがどれだけずれているか、今は度の高さかを教えてくれるの。」
脇においたギターを手にとり膝の上に乗せ、親指で優しく弦を弾く。チューナーのインジゲータがゆらりと音に合わせて振れて暗い境内をぼわっと揺らす。境内にまた音が広がる。
指で弦を弾いていいてもいいのだろうが、俺が渡すのを忘れないうちにピックを彼女に返す。
「はい、ピック。これで間違いない?」
「あ!これ!ありがとー。戻ってきたー!」
美夜は受け取ったピックで調律を再開する。指で弾いたときとはまた別の音がする。
「今日は猫ちゃん、みゃーこちゃんは見かけないけど、こないのかなぁ?」
ピックを使ってチューニングを再開した彼女が作業しながら聞いてくる。
「しばらく待っていたら来るんじゃないかな。人の気配がすると向こうの方から出て
くるんだ。」
林の向こう側を指差し応える。そっかそっか。歌うように彼女は鼻歌を口ずさみはじめた。曲調からすると少し前から人気の四ピースバンドの代表曲のようだ
”藍色に落ちる私の気持ちを 知りたいんでしょう?”
タイトル通りエレキギターソロが見せ所のはずだ。アコースティックギターで弾けるのだろうか?
「もしかして演奏してくれるのか?」
「やや……。これは歌ってただけ。いや、演奏はいつかしてみたいけどーー。ううぅん。」
美夜は急に唸るようにして首をかしげて上目遣いになる。背は高いが、ほんの少し俺より背の低い彼女は下からこっちを見上げるように見つめてくる。
「まだ早いっていうか~。私達、次のステップに進むには出会ったばかりだし~。ね!」
「なんだよそれ……。」
冗談を言う彼女は嘘くさく頬に手を添える。いわゆるの女の子のあざとさが全開だった。
がさっ。がさがさ。
急に木々がこすれる音が林の方から音がする。その後、ぬっと出てきた丸い影が月に照らされる。狸みたいな容姿が立派な影を作る。みゃーこ様の登場だった。
「にゃぁお。」
いつもどおり低い声で猫なで声を出しつつ、足元にすり寄ってくる。
「ほんとに来たね~。こんばんはーにゃあお。」
嬉しそうに美夜が猫の頭をわしわしと撫でる。粗雑な撫で方だがみゃーこはまんざらでもないようだ。むしろ、俺が撫でるときよりもずっと嬉しそうにしている。少し美夜に嫉妬した俺は冗談を言う。
「くそ。俺だって。撫でるのうまいからな。」
「なにそれ。あはは。君に焼いてるみたいだよ、もてもてだにゃー?」
両頬をなでられ腹を見せて寝転がるみゃーこの姿は幸せそうだった。その後も二人の両手で
撫でつくされたみゃーこは美夜の隣側で丸まって寝てしまったようだ。遠目で見ると大きすぎる毛玉にしか見えない立派な体格だ。
猫を見ながらまた先程と同じ様にタオルの上に二人並んで座り込む。
「実は薫くんにお土産がありまーす。はい、どうぞ。ちょっと肌寒い夜にピッタリだよ。」
すっと、ギタケースから缶をとり出す。赤を基調としたデザインに”美味しくなって新登場”と描かれたパッケージ。つぶつぶとした豆が描かれている。
ぜんざいだった。
「なんで、ここでぜんざい…!コーヒーとかじゃないのか。いや、もらうけど。」
「え~。きらいなの?いいじゃん、ぜんざい。みゃーこは飲めないね。まあ、寝てるか。」
クスクス笑いプルタブを押し上げ缶を開ける。つられて俺も缶を開ける。
「はーい。二人の出会いに乾杯ー。」
彼女のセリフはシャンパンを片手に夜景を見下ろしてするようなような小洒落挨拶を気取ったものだ。ただ、手に持ったものはまったく情緒のないものだった。
ただそれは後で思い返すと一生の記憶に残るものだった。夜の社に隠れ身を寄せ合い、街の光も届かない場所。月明かりに猫と彼女と俺だけがそこに居て。
貰った缶に口をつけて流し込むと甘い味が口に広がる。冷たい空気につつまれたはずのその夜はとても暖かかった。
飲み終えるころに缶の底に溜まった粒を流し込もうとトントンと叩いてとき、横に座る彼女がふと意を決したように言う。
「実はー、私、ギター全然弾けません!すいません!格好だけ一人前で!」
彼女は雰囲気を気にせずに告白した。顔は恥ずかしそうに少し紅くなって照れ笑いをしている。飲み物のせいだけではなく緊張しているようだ。
「雰囲気と違う……!そうなんかい。」
「えへ、えへへ。ごめんね勘違いさせて。」
笑う彼女をフォローするように大げさに突っ込んでみせる。一昨日感じた神秘的な雰囲気が剥がれていくようだったが、この様子もまた魅力的だ。
「このギター、まだ使い始めたばかりだからね。」
「じゃ、これから練習だな。」
「うん。上手くなっていくよ~。」
そういって、彼女はギターから音を出し始める。たしかに上手いとは言えない。ただ、その手元から一音一音が響いて、合わさって綺麗な和音を作り出す。その瞬間だけ切り取れば誰が聞いたって立派な演奏家だ。
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