第2話 幼馴染との朝

【十月二十五日 午前七時】

「薫ー。かーおる。ねぇ。おきてよー。」

 俺は五十嵐いがらし かおる 今年で一六歳になる。昨晩の深夜徘徊の代償としてズンとのしかかる眠気と軽い頭痛がする。呼びかける声に答えるように眠気を抑えつつ必死に眼を開ける努力をする。が、すぐに放棄した。この努力はこれで通算三度目だった。


「おきましょう~。はいっ。」

 名前を何度も呼ばれて肩をゆすられる。同年代の女の子に布団を剥がされる。他人から見ればずいぶんと贅沢な朝を迎えていた。

「いやん……。みないで……。」

 寝起きのガラガラ声で精一杯の裏声をしてみせる。

「わ、何その声。どっからだしてんの。」

 彼女はくすくすと笑いながら容赦なしに起こしてくる。何度もめげないで起こそうとしてくれていたが、そろそろ限界だったのだろう。

ベッドの脇に立つ彼女は制服に身を包み、長い髪を顔の両サイドに残しつつ、後ろ側でキレイに髪をまとめ上げている。

さっとカーテンが開けられて部屋が朝日に包まれる。その光に照らされて彼女の髪がサラサラと光り、その姿がはっきりと浮かび上がる。

「おはよう……。何時?」

「七時十分だよ?このままだと学校遅れますよ~。」

 スマホで時刻を自分でも確認する。ついでにアラームが鳴らなかったのではなく、スムーズを自分で切っていたこと理解した。誰かのせいにしてみたかったがだめだった。

「もう、おじさんから頼まれて、しかたなーく来てあげたんだからね?」

 彼女はわざとらしく可愛く声を出して、からかうように振る舞っている。その様はすごくあざとく思えるが、それを自分の物にしてしまうくらいに十分な可愛い容姿をしている。ぱっちりとした両目は彼女の優しい内面を現しているようだ。

「ツンデレのまねか……?」

「えへへ、そう。ツンデレ週間だからねー。あ、時間ないんだった。はいはい、着替えて着替えて。」

 彼女は幼馴染の茉莉まつり。俺に着替えを促した後、髪を揺らしながら後ろ手に部屋の扉をパタンと締めて出ていった。

「いつもありがとうー。」

 寝起きでしゃがれた声しか出ない。精一杯の声でドアの向こう側、見えない茉莉の後ろ姿へと声をかけた。

「何気にしているのー?今更だねー。」

 扉の向こうからそう言われる。そう返される気はしていたが、感謝の気持ちは伝えておきたかった。

時間があまりない。ささっと寝間着雑に脱ぎ払い、制服のシャツに袖を通す。脱いだ服を放り出そうと考えたが、畳まないと怒られるので枕元にキレイにしまっておくことにした。

 


 茉莉はマンションの隣に住んでいる俺の幼馴染だ。小学校二年の頃、俺は親の離婚をきっかけに引っ越してきた。引っ越してきてからのずっと一緒に過ごしてきた。いままで、喧嘩らしい喧嘩は一度もせず仲が良いままに同じ学校、同じ通学路を今も通っている。

 昔は身体が小さくて内向的な、ちょうど妹のような感じだった。どちらかというと、図書室の隅っこで一人本を読んでいるような子供だった。

しかし何故か中学校で陸上部に入った。中学一年生のころは部活をとてもつらそうにしていたのをよく覚えている。今でも身長はまだ俺よりも下回り小さいが、少し弱かった身体も今ではすっかりと健康的になっている。

高校では、気が変わったの!と謎宣言をして料理部に入った。正直、陸上部の方はとても意外な選択だったが、その急な心変わりも不思議だった。世話を焼き始めてくれたのもその頃からだと思う。まるで頼りがいがある姉と思うくらいに成長していた。


 着替えを済ませた俺はリビングを通り越して急いで玄関へと向かう。茉莉は準備をとうに終えて、玄関にある鏡を見ながら自分の髪型の微調整を行っている。

「お、来たね~。行こっか。」

 彼女は鏡から目を外して、こちらを向き直す。

「あ、ちょっとまって。」

 俺は自分の部屋へ慌てて戻る。昨日拾った三角形の板が何故か気になっていたので誰かに聞いてみようとポケットへとしまい込む。そしてまた急いで玄関へと戻る。

「わるい、またせた。」

「起きてからは全然まってないよ~。さーいきましょー。」

 朝食を食べる時間がなかった俺達は誰もいない家を後にする。親父はすでに会社に向かったようだ。

茉莉が玄関の扉をあけると外の明るい光が見える。今日は快晴。マンションの前からは集団登校をする小学生達が集合地点に集まってわいわいと盛り上がっている。

マンションを出て広がる空を見上げる。一面の青色のキャンパスに大きな薄い雲が数個漂っている。カラッとした秋風がふっと吹き渡る心地よい日だった。



「昨日もみゃーこちゃんに会いに神社に行ってたの?」

 駅までの道を歩きながら茉莉と談笑する。彼女の指摘はそのとおりで少し驚いた。

「わ、なんでわかるんだ?」

「ふふ、なんでだと思う?あてて?あてて~?」

 にこにこ笑う茉莉。表情が豊かで見ていて気持ちがいい。

「うーん。俺の寝起きが悪いからか?」

「残念、不正解ー。薫の寝起きが悪いのはいつものことだよね。」

 食い気味に否定される。にべもない。色々考えたが原因に思う節はなかった。

「なんだろうな……。」

「えへへ、わかんないでしょ。そう、そうあれは……深夜一時……」

 怪談を語るように演技がかった声で理由を話し始めた茉莉だったが、その時間帯を言われてハッとした俺はすっと彼女の話を遮る。

「なるほど、扉の音が聞こえたのか。雑に扉閉めすぎたかな。」

「ああー、その差し込み方はつれないよー。せっかく盛り上げようとしたのに。」

 茉莉はぶーぶーと文句を言ってくる。彼女を見ていると表情が豊かで気持ちがいい。いつものよう登校しながらに戯れつつ、他愛のない話をあーだこーだと話しているとすぐに駅へと到着した。五分ほど駅のホームで待つと電車が時刻通りに滑り込んでくる。



 電車に乗り込んだ俺は昨日のみゃーこの様子を彼女に話す。

「みゃーこちゃんは元気だった?」

「元気だよ、でもまた太ってた。」

「あぁ~、いいな~、絶対抱き心地良いじゃない。抱きたいな~~撫で撫でしたい。」

「猫アレルギーが無ければ茉莉も一緒に撫でられるのにな。」

「むぅ……残念。」

 そうつぶやく茉莉は、かわいそうなことに猫をとても愛しているが身体が猫の事を受け付けない体質だった。よっぽど好きなのだろう、昔から学校のカバンやペンケースには猫を関したキーホルダーや缶バッチがつけられている。高校の今では先生から咎められない程度ささやかなアクセサリーではあるが。

「また頑張って撫でに行こうかな……。もふもふしたい……。」

 以前にみゃーこの話を聞いた彼女は俺と一緒に昼の神社へと探しに言った。結果目当ての猫たち(みゃーこを含めた何匹かの猫)に出会えたものの、彼女は目に涙を堪えながら数回撫でただけに終わった。

最初は昔と変わって意外と耐えられるようになったのかと思ったが、ものの一分と立たず大きなくしゃみを響かせて猫たちに逃げられていた。その後は、アレルギーか、悲しみなのかわからない様子でグスグスと涙を流していた。

「またくしゃみをして驚かせるだけな気がするな。」

 残念だが事実を彼女に伝えておく。

「だよね~。そうだよね~。」

 口を尖らせてぶつぶつと恨み節をつぶやく茉莉。

「マスクして、手袋して撫でたら良いのかな。でも、何か違うよねー。」

「大人になってアレルギーの治療とかしたらましになるのかな。」

「んー。調べよ。」

 少し混み合った電車の中、二人揺られる。学校近くの駅まで後少しだ。茉莉はスマートフォンを取り出していろいろなアレルギーに関するサイトを調べ巡っているようだ。

「猫アレルギー良くなるといいな。」

 真面目な様子で調べ始めた様子を見ているとそう思う。もしもアレルギーがなかったら彼女と猫カフェなんて行くのも良いのかも知れない。そう思いながら、車窓から流れる風景を数分眺めて、いつもの駅へ到着した。

「もう着いちゃったねー。さーいこいこ。」

 茉莉はいそいそとスマホをポケットにしまい込んだ。同じ学校を目指す生徒達の波に乗りながら正門までの坂道を歩いていく。学校は駅から少しだけ坂の上にある。傾斜は対してきつくはない。雨が降ると小さな川のように水が流れ落ちてくるので少しだけ注意が必要だ。道には桜の木とイチョウの木がまだらに植え込まれている。秋になるとこの二種類の木が赤と黄色と茶色で見事な紅葉を見せてくれる。

「今日は体育が走るだけなのー。久しぶりに活躍できるかもー。」

「茉莉は球技が少し苦手だもんな。」

「無心に走るだけのほうがいいよー。テンポが一定になるように気をつけてじっとしてたらいつの間にか終わる。リレーだとちょっと緊張するけどねー。」

 正門を超える辺りで予鈴が鳴り響く。この時間の電車に乗るとこうなるのは致し方ない。

「いつもどおりギリギリですねー。」

「ま、間に合うから大丈夫だよ。」

「わかんないよー。下駄箱あけたらラブレターとか入ってるかも知れないじゃん。」

「そんな古典的な愛の伝え方するやついるのか?」

「ロマンだよロマンー。」

 そういうのに憧れる子もいるのかもしれないが、今の世では一般受けはしなさそうだ。

「じゃあ、茉莉も憧れるのか?」

「いや、私は多分言われるよりも言いたいから自分から入れる側だと思う。」

 なんともまあ、言い方がわるいが男らしい。昔はおとなしかったが随分とアクティブになったものだ。二人並んで一年生の教室がある三階へとすこしだけ早足で登っていった。


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