月夜に響く
四季
第1話 はじまりの少し前
【十月二十五日 午前〇時】
くっきりと半分に割れた半月が夜空に浮かんでいる。こつり、こつりと歩いていくその先にはまっすぐと延びた坂道が続いている。ぽつりぽつりと等間隔で立つ橙色の街灯と月だけが道を照らしている。左手に目線を動かすと静まり返った夜の街が崖下に広がっている。ざぁっと吹く風が崖に広がる林を小刻みにゆらしてさらさらとした音が辺り満ちていた。とても心地よい。
街から少しだけ離れた峠の途中にある小さな神社。昼間にも滅多に誰も訪れない街外れの神社だったがきちんと手入れは継続してされているようだ。何度か通うと境内の落ち葉やゴミも気がつくとちゃんと掃除がされていることに気がつく。
たまの眠れない日にこの場所に来るのが一つの習慣だった。ざぁざぁと竹の林が揺れる音を聞きながら無心になり、心の中の底に溜まった靄のようなものが晴れるのをじっと待つ。もしかしたら、自分自身の何かが変わることを期待していのかもしれない。期待だけしているが1%でもそうなるとは信じきってはいない。ただ、最近はここへ来るもう一つの理由が出来た。
鳥居をくぐり境内を少しだけ進むと入り口からは見かけによらない、立派な社がそびえている。苔むした瓦が過ぎ去った月日を感じさせる。砂利を踏みしめて奥へ奥へと足を踏み入れていく。この近辺は時折見回りの警官が訪れることがあり、他の足音がしたときには注意が必要だ。
見つからないように、自分の出す音が林と街の音に紛れるように、社の裏側に身を寄せる。都合の良いことにちょうど社の裏口には段差があり座れるようになっている。いつものその場所に座りふぅっと一息ついた。
「もう十月だな……。みゃーこ、いるか?」
暗い闇の広がる林の奥へと問いかける。返事もなにもなかったが、だがしばらく時間が立った後に俺の声に堪えるようにすっと林から影が現れた。
「にゃぁお」
少し低い鳴き声を出しながら猫が寄ってくる。この神社の守り神のような安心感を覚えるほど丸々と太った威風堂々とした猫だった。
「お、みゃーこ。また太ったか?」
俺はその猫に愛称を付けている。神主か地元住民から餌を与えられているのか、もしかするとお供えを勝手に拝借して食べすぎているのか、理由はわからないがこの猫は見るたびに丸々と太っている。毛並みは茶色でパーマのようにもしゃもしゃと膨らんでいる。その様子はさながら狸のようだった。
ぐるぐると野生の本能を捨てて、足元に体を擦り付けてくる。
「よしよし……。ほら、お前の為にブラッシング用の櫛持ってきたぞ。」
学校の帰り道に駅前の商店街の中ほどにある百均で買ってきた櫛だ。徘徊の目当ての一つである、この猫の世話としてブラッシングをするためだ。ちゃんとみゃーこの毛並みを考慮して荒目の櫛を購入した。しかし、予想よりも汚れていおり毛並みには枯れ葉や小枝が絡みついて、まるでモップの先端のようだった。
「もうちょっと荒い櫛のほうが良かったか。」
絡みつくゴミを丁寧にブラッシングして取りつつ膝上に迎え入れ、撫でてやりながら整えていく。
「あぁ。まぁ、取れないことはないか。いいね。みゃーこキレイになった。でもあんまり狸らしさは変わらないな。」
せっかく買ったのだ。せめて百円分の価値はあるかと自分を納得させるためにつぶやいた。この櫛は散歩のお供にしておこう。
「ふぅ、ぐぅる。にゃぁ。」
気持ちよさそうにみゃーこは喉奥から声を出してじゃれていた。膝上でぐるぐるとお腹をみせつつ転がる。ぐいぐいと足先を俺のお腹へと押し付け甘えてくる。
「ミルクは出ないぞ、みゃーこ。」
ごと。からんっ。ザッ。
風の音とはあきらかに違う音が聞こえた。軽い音、次いで砂利を踏みしめる音が確かに聞こえた。ビクッと驚いて揺れた膝上からみゃーこがスッと飛び降りる。
「ふにゃ。」
驚いたみゃーこが抗議の声を上げる。びっくりさせるなと言いたげだ。
しかし、もしも警官のだとしたら少し厄介だ。深夜〇時に補導などされたらたまったものではない。親父からは捕まることだけはするなと忠告は受けていた。
じっと音のした方角を見つめて、人影や懐中電灯の灯りがないか数秒警戒したが、もう何も聞こえず、何も見つからなかった。カサカサと木々がこすれる音だけが響く。夜の神社は俺一人と猫一匹だけしか感じさせない静寂に包まれている。
「いやぁ。幽霊じゃないよな。」
そっと声にならないほどに出しながら、社の影から身をより出す。誰もいないはずだが、もしも誰かが見ていたとしたら俺がビビっているのはバレバレだった。
「誰かいるんです……か?」
風の音に隠れる程度。聞き漏らすほどの声。社の裏側には崖下の街の灯りが届かないが、境内にはかろうじて漏れた光が届く。目を凝らしても人影は見当たらなかった。ほっと息をついて冷静な顔を意識する。
少し高鳴った鼓動を抑え、ポーカーフェイスをする。音がしたであろう角を曲がり、街の方角を見渡してみてもそこには静かな夜の街が広がっているだけだった。
きらりきらりとした街灯、家の明かり。終電だろうか、電車がゆっくりと通り過ぎている。ガタンガタン、ガタンガタンとレールの隙間で車輪が擦れる音が微かにここまで届いてくる。
見慣れたはずの光景に何故か目を取られて、感傷に浸っていたがふと足裏に違和感を覚えた。足を退かしてじっと目を凝らすとキラリと光る三角形の涙の形をした薄いプラススチックの板が落ちている。
そっと腰を落として暗がりの中、それを手探りで拾い上げてみる。
「なんだこれ。暗くてよく見えないな。えっと。」
暗闇の中で色もよくわらない。スマホのバックライトの光を当ててじっと目を凝らしてみる。赤い色と手触りから文字が刻印されていることだけがわかった。
「なんだろうな。うーん。ギターの道具……かな。」
バンドのMVなどで見たことはあるが手にしたのは初めてだった。赤色のそれは厚みが1mmもない。しばらくしげしげと眺めていたが、はっとみゃーこをほったらかしにしていることを思い出した。少し慌てて元の場所にもどり謝罪をする。
「みゃーこ?おーい。驚かせてごめんよ。」
辺を見渡してみせるが、林の方に目を凝らしても灯りで目がなれてしまって暗がりはよく見えなくなっていた。もう帰ってしまったようだ、今日は諦めるしかないようだ。
「んー。しかたないか……。」
また今度いっぱい整えて構ってあげようと心の中で思い直し。物音で驚き深夜の徘徊を続ける気持ちが無くなってしまった俺は、拾い上げた赤色のそれを捨てておけば良かったが、なんとなくポケットにしまい境内を後にした。
#
「はぁ、なんで逃げちゃったんだろう。仲良くできたらよかったになー。また、会えるかな。」
社からは見えない影、大きなカバンを背負った彼女はそっとため息をついていた。月だけが木の隙間そっと彼女を照らしていた。
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