俺が青春を諦めた理由

 

 応援の声が遠くに聞こえる。土埃の匂いと、肌に突き刺さるような日差し。

 その日を、俺は今でも覚えている。

 小学校の運動会だった。

 競技の一つである。100メートル走。

 砂塵を散らしながら学校のグランドを駆ける。


 トップとラストにクラス内でも一番と二番目に速い奴が走る、ルールではないけどそういう慣例になっていて、体育で出した成績で最も足の速かった俺は切り込み隊長、トップランナーだった。


 両親も見に来ていた。友達の多くは俺が一番を取ると思っていたし、俺もそれを確信してた。


 けれど、いざ走り終わってみれば、俺の順位は二位。

 隣を走る別クラスの男子に、最期の最期、一歩の差で負けたんだ。

 二位の旗の前で並ぶ俺は、呆然とした。

 これまでずっと、一位を取り続けていた。

 学年で最も足の速い、一番の座を、はじめて俺は他人に譲ることになった。


 別に大した話じゃない。


 ただ、それを機に、俺は一番ってやつから遠ざかっていった。

 徒競走、マラソンにはじまり、サッカー、野球、バスケ、ドッジボール。

 自分で言うのもなんだけど、俺は小さなころ、なんでもやれば出来る子供だった。


 低学年ながら各スポーツのクラブチームに入ってるような奴らと、少しかじっただけで普通に渡り合え、上回るそれが金木緑朗っていう子供だった。

 センスがあったというべきなのか、早熟とでも呼べばいいのか、とにかく幼いころの俺は、思い上がっていたのだろう、なんでも自分が一番で当然だと思っていたのだ。


 自然態度も大きくなり、周囲を巻き込んで自分のやりたいことをやる。今では考えられないくらいに積極的な人間だった。

 みんなもそれに喜んでついてくるものだから、余計に調子づいた。


 だけど、小学年も高学年に突入したころだ。

 運動会のちょっとした敗北。


 おや、と思った。


 それをはじめに段々と、単純な走力では勝てない相手が少ないながら、ちらほらと同学年で出てきた。

 運動神経はともかく、純粋な身体能力は早熟に成長しはじめたものに敵わないのは仕方ないこと。

 当然と言えば当然なのだが、俺は気に食わなかったし、走りこんだり、それなりに努力した。

 それでも身体を操る能力に長けた俺は、球技では活躍できた。

 けど、何をどうやっても勝てない相手が、競技ごとに一人二人出てきた。


 あれれ、と思った。


 それは中学にあがって、体育のはじめての五十メートル走だったか。

 一位の奴に一歩どころか、一秒近い差をつけられた。

 そいつは学年でもトップクラスの走力を誇るサッカー部の人間だったわけだけど、俺はひどく衝撃を受けたのを覚えている。


 おかしい、と思った。


 気づいたときには、俺は何をやっても中間に位置する、凡人になってた。

 俺を中心に出来ていた多くの友人も、小学校を卒業するころにはその数を減らしていた。

 顔の良いやつ、ずば抜けた運動能力も誇るやつ、話の上手いやつに人は奪われ、クラスの一大勢力の中央の席はそういったやつが座り、その取り巻きに落ちた。


 なにをやっても上手くいく。

 それが起因で生まれた自信は、唐突に失われて、急激に心細くなった。

 人に話しかけたり、何か自分から行動するのが怖くなった。

 いつの間にか、俺が気兼ねなく話せる友人は片手で数えれる程度しかいなくなっていて、人の中心ではなく、その取り巻きだったり、少人数で隅で話すような人間になっていた。

 目立たない、地味な生徒に変わっていくのが自分でもわかった。


 そういえば。


 いつでも後ろをついてきてたあの子はどうしてるんだろう。


 中学一年の秋ごろだったか、一度だけ、通学路でたまたま会う以外に、滅多に顔を合わせなくなったその幼馴染のクラスを廊下から覗いたことがある。

 短い髪がロングになっていたり、傍目にも随分様変わりしたそいつは、とんでもなく可愛い女の子になっていて、クラスでも自分を中心に人垣を作っていて、やること為すこと垢ぬけていて、どこか品があって、幼いころのそいつの姿を知っていてなお魅力的に映った。


 ふと、じゃあ自分はどうなんだ、と思った。


 掛け値なしの人気者。ああいう時代が自分にもあったはずなのだ。じゃあ、今は。


 鏡を見た。

 美形でもなければ、自分で卑下するほどでもない。どこにでもいそうな平凡な顔がそこにはあった。


 テストの成績を見た。

 どれも平均よりは高いけれど、頭がいいと評されるほどでもない。しいて得意な科目といえば、国語だろうか。


 体育に、遊びに、学校の色んな場で競う。

 もう、ちゃんと運動部に入ってその競技に打ち込んでいる者たちと比べた時に、俺の特筆するようなところは、どこにも無かった。


 周囲を見た。

 俺の話し相手は、話題もオタク話に偏った友人ばかりだ。女子がそこに入り込む余地もないし、向こうだって俺達みたいな人種は願い下げだろう。


 ああ、とそこでようやく薄々感づいていたものを受け入れた。


 俺は、ひどく平凡で大したことない人間だったのだと、気付かされたのだ。


 隣の芝生は青く見えるというが、それで済まされないくらいに、俺には自分でどう言い繕っても良いところが見つからなかった。

 彼女を作ったり、部活の仲間と競技に臨む、そんな青春らしいことの一切を諦めようと思うくらいに、俺の手元には何もない。


 何かに真剣に取り組むのが、急に馬鹿らしくなった。

 いや、もとから一つことに全力で挑んだことなどなかったのかもしれない。

 その自覚を機に、意識的に何事にも手を抜くようになったのは間違いない。

 そうすれば、上手くいかなくても言い訳が出来て楽だし、恥をかくこともそうない。

 どうせ大した腕でもないし、悪目立ちしかねないスポーツは、必要な時以外、ろくにしなくなった。

 どうせ、自分がなにかで一番になることはないのだ。そして、それは努力の有無で覆るものでもない。


 世の中を視ろ。


 お前が、野球で血もにじむような努力を積めば、甲子園のスターになれるのか?

 お前が、勉強に全てを費やせば、全国模試で一番になれるのか?

 お前が、容姿に金をかけて着飾れば、芸能事務所のアイドルのようになれるのか?


 じゃあ、仮にそうなれたとして、その上にはさらに上がいるじゃないか。


 ほら、一番なんて、なれっこない。 


 かわりに、元から好きだったゲームやアニメに一層傾倒するようになった。

 ゲームにも対戦ゲームなどは競技性はあるが、暇の娯楽と思えば、自分がほどほど気持ちよくなれる程度に上手ければそれで十分。


 もちろん、それで食っていこうとすれば、さっきのスポーツや勉強と同じ類のものになるが、そこは遊びでしかないし割り切れる。

 顔も露出しないそれは、人に恥をさらすものでもないし。


 外で遊ぶこともなくなった。

 付き合う相手からして、そういうタイプの人間はいない。今どきはオンラインで顔を合わせずして遊べるというネットという便利なものもある。

 家に帰って、趣味に逃げれば、学校で送る変わり映えのない毎日にも耐えれたし、少ない友人と過ごす時間は、刺激はないが、それなりには楽しかった。


 臆病な自尊心と尊大な羞恥心というワードを現代文で聞いたときは、なるほど、と思ったものだ。

 自分を重ねるのも烏滸がましいが、幼少期に育ったプライドを未だ捨てきれないが為に、俺は努力を厭うし、何かと真剣に向き合って上手くいかなかったり、失敗して恥をかくのが怖いのだろう。


 そのくせ、垂れてきた蜘蛛の糸には縋るのだから笑えない。


 だから、今もこんな宙ぶらりんな関係を続けている。


 こんな内心を知ったら、みんな俺の事を軟弱だと思うだろう。きっと、あの子も。

 俺ですらそう思うのだから、きっとそうだ。

 こんなしょうもない人間性を抱えて生きているのが金木緑朗という男なのだ。


 だから俺は、俺が大嫌いだ。

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