恋人っぽいことをやってみた 2

「はい、あーん」

 

 ベンチに座る隣人から唐突に差し出された黄色い塊、落とさないよう小さな手が添えられている。

 屋上にて、昼食の最中のことである。

 箸でつまんだ黄色い塊――卵焼き――を突き付けられた俺は凍り付く。怪訝そうな表情の卯月。

 その顔にはわずかに照れがあるのが、一層俺をドギマギさせる。

 俺はコンビニで購入した菓子パンを、彼女は今朝作ってきたという弁当を食べていたはずである。

 どうしてこうなった。


「なに、いらないの?」

「いや、……いいの?」


 マジ。マジで。マジですか。

 いやだって、その箸でさっきまであなた弁当突いてたましたやん。

 これってあれじゃん。彼氏彼女がよくやるやつじゃん。


 特定の二人、多くの場合は友好的若しくは恋愛関係にある異性が、衆目に見せつける為、或いは個室など閉鎖的空間で心理的距離を縮める為、ある特定言語を用いることで、対象となる人物を開口させ、その口腔内に食品を運ぶ行為。


 母と乳幼児のような親子関係以外の人間に外でやられると傍目には殺意が湧く、羞恥を伴う愚行。


 あーん。である。


「朝言ったでしょ。お弁当ちょっとあげるって」

「なる……ほど?」

「もう。ほら、口開けて……あーん」

 

 促されるまま口を開けて、運ばれる卵焼き。

 なにこれ、餌付けされてるみたいで凄い恥ずかしい。こんなこと人前でやってる奴らは正気じゃない。幸いこの屋上には人が居ないからいいけど。

 もぐもぐと咀嚼する。

 うん、美味しいんだろうけど、全く味が分からない。

 どちらかというと引いていき、自分から離れていく彼女の箸とその柔らかそうな唇に意識と視線を奪われる。

 もうなんか、ただの箸と口ですら艶めかしく感じる。

 いやだって仕方ないでしょ。


 あの細い二本の棒には、少なからずあの少女の唾液なりなんなりが少なからず付着しているわけで。

 それを意識せずにいられる男が居るなら、そいつは同性愛者くらいだ。


「どう、美味しい?」

「美味しいけど」


 嘘です。味は分かりませんでした。心臓がうるさく、目の前の卯月にも聞こえてないか不安だ。


「なにキョどってるのよ、ウケる」

「ウケねーし。……思わず受けたけど今のなに?」

「言ったじゃない。付き合わせる代わりに、恋人っぽい経験させたげるって。どう? 萌えたでしょ」

「おかげさまで、心臓が縮まる感覚を知ったわ。よくやるよ、なに? 経験豊富なの? ビッチなの?」


 萌え萌えきゅんとは、この感覚の事を言うのかもしれない。

 照れくさすぎて口をついて出るの言葉は。まるで好き避けの一種みたいで余計気恥ずかしい。


「ばーか、私だってはじめてよ」

「……いいのかよ、好きでもない男子相手にここまでやって」

「まあ誰も見てないし、あんたならいいわよ。付き合い自体は長いしこれくらいは許容範囲内じゃない? それに、こういうの経験しとけば、将来同じことやるときに役立つかもしれないし」


 箸を少し見つめて、事も無げに自身の弁当内を突く卯月。拾い上げたミートボールを普通に口内に含む。

 エロい。と思うのは、俺が色ボケなんだろうか。なんかここまでくると食事する光景すらそういうものに見えてくる。

 食べ物を口に含む瞬間とか、嚥下する喉の動きとか。

 いっぱい食べる君が好きー、なんて。

 別に箸を共有したことで味が変わったり、具体的に何か変化があるわけじゃないけどさ。

 なんでこいつはこんなに平常なんだ。

 意識してるのは俺ばかりみたいで、馬鹿みたいだ。


「ていうか、そっちもなにかリクエストあれば聞くけど、恋人っぽいこと」


 互いに食事も終えたころに、弁当を片付けながら、卯月はそう言った。

 なにか、ってのは。なんでもってことですか!(違う) なんでもってことですね!(違う)

 十六年、生まれてこの方彼女などとは縁遠い俺の、積みに積み重なった、ありとあらゆる欲望が渦巻く。


「え、いいの?」

「目がエロい! その手なに!? エッチなのは無し! まあ、聞くだけ聞いてあげるわよ。受けるかは別で」


 先走りそうになる俺を制するように、顔面を押さえられる。

 暗い視界で、恋愛小説、ラブコメ漫画、ギャルゲー、ラノベ、やたらと濡れ場シーンの多い洋画まで、様々な男女のシチュエーションが脳内を駆け巡る。


 それはもう、公共の電波には乗せられない、温かなお茶の間を、瞬時に絶対零度の氷点下へと変貌させること間違いなしの、見せられないよ! な、あんなことやこんなことの十八禁なものから、手を繋ぐとか指を絡ませるみたいな甘酸っぱい青春モノのワンシーンまで。


 その中で、ギリギリ許容されそうなものを探る。

 そうして、導き出された俺の望みは――――。

 

 カッ、とゲームならカットインが入る事間違いなしに目を開けて。


「ひ、膝枕とか……ど、どうすか?」


 平素の十倍くらい稼働する俺の脳がはじき出したのは、これだった。

 説明しよう! 膝枕とは膝を枕にする行為である。

 正確には大腿の上だったり、そのまんま過ぎて説明してなくね、とか、そんなことは死ぬほどどうでもいい。


 男なら一度くらいは、いや百度くらいはカワイイ女の子を相手にやってみたいと思う行為の一つなのは間違いない。古事記にもそう書かれている。

 片方が膝枕し、もう片方が頭を乗せるという無防備な体勢なことから、互いに心を許し合っていなければ、到底成し得ない行為。

 おそらく俺のような陰キャには、成人後も夜の街でお金を払うことでしかやってもらう機会がなさそうなので、この際頼んでみた。

 それを受けた卯月は。


「うわあ……」


 ドン引きだった。 


「聞いといて引くな! 泣くぞ!?」

「なんかギリギリ許されそうだなってラインを必死に考えた感じが滲み出てるのが、逆に清々しくて一周回ってやっぱりキモい」

「一周回ってなおキモいのかよ! ……別にいいよ、言ってみただけだし」


 あっぶねーこれでも抑えた方だったんだけど、これでアウトかー。

 いや、まあ、本気で好き合ってるわけでもないしね。当然っちゃ当然なんだけど。

 あーん、がいいならいいって思うじゃん?

 実質間接キスだったし、さっきのがアリならってちょっと調子乗っちゃうじゃん?

 指揉みたいとかの方が良かった?

 大仰にため息つく卯月。

 自分の膝元――容姿を気にする、カースト上位勢なら当然のようにやっているように膝丈より少し上に折ったり切ったりで着こなしたスカート――を整える。


「ん。……膝枕、許したげる」


 少しだけ顔を赤らめた卯月がそう言って、ぽんぽん、と自分の腿を軽く叩く。

 えいいのお!?

 まじまじと彼女の顔とひざを交互に見てしまう。

 これって――。

 生唾をごくり、と飲む。

 これってどこに頭を置いたらいいんですかね。

 その白い肌が露出した綺麗な腿に触れるのも気が引けるし、かといって、布の部分の方は面積少なすぎませんか。

 後頭部や側頭部を乗せるんだろうけど、仮にこんなん顔面からダイブしたら、ただの――。 


「だから目! 言っとくけど変な事したら承知しないから! いいから、来れば……」


 妄想の海に呑まれかけた俺を救ったのは卯月の声。はっとする。


「じゃ、じゃあ……」


 逡巡もそこそこに、ベンチに横になって、ええいままよ、と倒れ込むように膝上に頭を乗せる。

 ぽふ、とでも効果音が出そうなくらい柔らかい。

 上を見ると、卯月がこちらを覗き込んでいるのとタイミングよく――いや悪いのか?――目が合った。ふい、と一度顔を逸らされる。

 口もとを柔らかく握った手で隠す卯月。

 もう誤魔化しきれないくらい顔が赤いことは指摘しないことにした。多分、お互いさまで、俺も真っ赤だからだ。


「……………………ど、どう?」

「どうって……柔らかい?」

「そ、そう……それは良かった? わね」

 

 マジでそんな感想しか出てこない。あと、近い。あたたかい。イイ匂い。このまま寝たい。やっぱいっぱいあったわ。

 互いにロボットかよってくらい、ギクシャクとする。


 彼女の枕の、その体温と柔らかな感覚を享受しながら思う。

 実際、自分のをちゃんと触ったことがないから分からないけれども。

 男女の差があるから当然なんだけど、俺の腿や脚とは骨格から肉付きまで全然違う。


 これが女の子なんだなあ、と。

 そう感じる。

 見上げていると、胸元とか、卯月の顔とかに視線が行くから横に向く。そっちはそっちで白い膝が見えて、反応に困る。

 むぐぐ、イロイロマズイですよこれ。

 膝枕。

 よっぽど親しい仲でも無ければ、ようやらんわけだわこれ。

 やってみて分かったが、基本的に刺激が多すぎる体勢なのだと、殊更実感させられる。

 視線の置き所が無くて、寝返りをうつように上に向きなおすと、また視線が合って、すかさず手の平で目を押さえられる。

 目を覆う卯月の手の体温が、少しだけ気持ちいい。


「こっち見るの禁止」

「いやだって、見上げないとそれはそれで危険な風景があるというかなんというか」


 だって、だってよ。女子高生の生足ですよ!? JKの生足があるんですよ! なんなら接触している。 

 高校生の内はいくらでも見れるとは言え、普段は相応に距離がある。


 それが今この瞬間は眼前にあるのである。文字通り目と鼻の先である。ちょっと悪戯しようと思えばできちゃう距離に。

 ただでさえ、横になったときの布の感触とか肌の感触で、頭どうにかなりそうなのに、そんなもの直視し続けたら、脳みそ溶けちゃうに決まってる。

 

「……ッ!? ……変態。もうこの手どけないから」

「いや、それはそれで不味い、こう感覚が研ぎ澄まされる感ある」

「引くわ! 何その死角のない変態っぷり!?」

「は、童貞こじらせた男子高校生ナメんなよ。まいったか」

「もうやめてもいい? とんでもない変態界の大物を膝に乗せてしまったことを今理解したわ」


 言いながらも、蹴飛ばしたりして無理矢理どかそうとはしない彼女。もうこんな経験は二度とないと思う俺は、その優しさに付け込んでどいてはやらない。

 本気で嫌なら蹴り落とせ。

 はあ、なんとなく世の中に膝枕という行為が残った理由の一端を知ったわ。


 単純に癒されるのもあるが、なんか、所有欲というか、独占欲的なものがみるみる満たされるのが分かる。

 相手が、あの烏丸卯月なのだからその感動もひとしお。

 こんなものを考え付いた奴はトンでもないド変態だし、後の世に遺し続けた馬鹿ップルも変態すぎる。

 なので俺はこう返す。


「俺が変態なんじゃない。人間という生き物自体がそもそも変態なんだ」

「なにそれ」

「むしろ、何でも言うこと聞くとか言っておいて膝枕程度で済んだことに、感謝してほしいとさえ思うね」 

「そんなこと一言も言ってないけどね。……ちなみに悩んでたみたいだけど、他の候補聞いてみてもいい?」

「……引くなよ」

「今更でしょ」

「……怒んなよ」

「それも今更じゃない?」

「……スカートたくし上げてほしいとか、髪の毛の匂い嗅ぎたいとか、ポケットに手突っ込んでいいとか――……」

「死ねぇ! 氏ねじゃなく死ね!」


 卯月が立ちあがって、俺はベンチから転げ落ちる。

 

「もうそれ恋人っぽいことってより、あんたの変態願望じゃない! バカ!」


 ぷんすかと、屋上を一足先に後にする卯月。

 いたた。まあ、あれはキレていい。

 逆に仕方ないなあ、もうとか言い出していたら、どうしようかと思ったくらいだ。

 だけど。

 聞き方的に、少し気になった。

 照れくさすぎて流石に大真面目には答えなかったけど。

 もしそれっぽいことを言ったら聞いてくれるつもりだったのか?

 なんとなくスマホを確認すると、昼休みも終わろうといういい時間になっていた。 

 とにもかくにも、至福と恥辱を兼ね備えた嬉し恥ずかしの昼休みはこうして終わった。


 

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