幼馴染のせいで私は自分を変えた

 朝の一場面である。

 黒い髪を揺らして、注目を集めながら廊下を歩く少女、烏丸卯月。

 彼女とは縁遠い近寄る勇気の無い生徒たちは、羨望の眼差しを向け、関わったことのある者たちや、陽の者たちは、すれ違いざまに挨拶を交わしていく。


 例えば、運動部所属の、一年時は同じクラスだった男子。


「うっす、烏丸」

「おはよう、田中君」

「相変わらずはえーな」

「家が少し遠いから、遅刻したくないの。そっちも朝から部活なんて大変そう。頑張ってね」

「おう! まあ好きでやってることだしな、でもお前に言われると俄然やる気でるわ」

「ふふ、なにそれ」


 例えば、隣のクラスの女子二人。


「「はよー、烏丸さん」」

「おはよう、清水さん、小林さん。この前は誘ってくれてありがと。また行こうね」

「こっちこそ、烏丸さんが来てくれたおかげで盛り上がったよ」

「また遊ぼうね」

「うん」

「ほんと、めっちゃ良かったよね。烏丸さん歌上手いし」

「ありがと」

「「じゃあね」」


 朝の登校後の風景一つとってみても、その日その日で、代わる代わる違う生徒が彼女に挨拶し、話題を提供し、その一つ一つに丁寧に対応する。

 それは教室内でも変わらず、常に誰かしらが彼女の周りに存在し、一人になっているシーンが珍しいほど。

 勿論、その頻度と相手には、多くの生徒がそうなように偏りはあるが、それでも、部活などの関係を抜きに、彼女ほど多くの生徒と関わる者はそうはいない。

 トップカーストにいながら、それを鼻にかけることなく容姿が良く人当たりの良い彼女は、誰からも好かれる学校の人気者。


 そんな烏丸卯月という少女が今を形どるに至る半生についての話である。

 それには、幼稚園時代にまで、一度話を遡ることになる。

 気の合ったお互いの母親に、連れられて行ったファミレス。

 それが今、諸事情で付き合っている幼馴染との最初の顔合わせだった。


『へえ、うづきっていうんだ』

『うん』

『かわいいなまえだね。ぼくは、かねきろくろー、よろしくね』

『……ッ!…………ぅん』


 そんな歯の浮くような台詞を、太陽のような笑顔を浮かべて本心のまま吐いて、手を差し出す、金木緑朗当時五歳。

 もはや今の彼には見る影もない姿である。

 そして彼のそんな態度に。


 がーん、と。


 頭を思いっきり殴られたかのような衝撃。頭の中が真っ白に。顔は火が付いたように熱くなった。

 当時の烏丸卯月はその顔合わせで、やられた。

 豆鉄砲を受けたような顔から転じて、ぼっと、真っ赤になって爆発させる。恥ずかしくて下を向いたまま、差し出された手を握った。



 一目惚れである。

 首ったけである。

 この子と仲良くなりたいと。

 どちらかと言えば内向的だった、当時のうづきちゃん(五歳)は想った。


 つまりはそれが、彼女の人格を形成する、一度目の転換期である。


 現在はゲームにアニメに、オタク趣味に走り、根っからの陰キャがその精神に深く根付いている金木緑朗氏だが、この当時の彼は、超絶陽キャだった。

 無邪気で怖いもの知らずだっただけとも言えるが、とにかく人懐っこい子供だった。

 思ったことはなんでも口にし、表情豊かで、誰にでも話しかけ、気さくで明るく、仮面ライダーや戦隊ヒーローに憧れを持ち、外で身体を動かして遊ぶのが大好きな子供。


 まだ、スクールカーストなんて誰も意識しない年頃ではあるが、それでもしっかりとその中でも人気者や日陰者は存在する。


 緑朗は当時、彼が笑えばみな笑い、右を向けば右を向く。掛け値なしの人気者だった。


 物覚えが良くある程度のことはすぐに出来るようになる緑朗は、その当時の年齢の中では万事に対して秀才だった。


 人より足が速く、人より巧みに体を操り、人より頭が回り、人より話すのがうまい。


 そんな彼についていく為に、周囲の子供たちに埋もれないよう、当時の卯月は内向的だった殻を破って、外へと飛び出した。


 一緒に遊ぶためには、興味を引くためには、高い能力を発揮する金木少年に張り合う必要があった。


 結果として、負けん気の強い彼女の根本の性格が形成されることとなる。

 小学生にあがる頃には、運動に関しては互いにその能力を認め合う仲だ。


 大勢の男の子に混じってボールやアスレチックで遊んだ彼女は、おままごとより、サッカーボールを蹴ったり、バットを振ることを好む男勝りな女の子だった。


『やるじゃん卯月、ナイスシュート!』

『ふ……ふん! 当然よ。ろくろーの方こそ、まあまあやるじゃん』

『はは、さんきゅー』

『べ、別に褒めてないから! ばか!』


 当時のうづきちゃん、内心凄く嬉しいものの、素直に緑朗の言葉を受け取れず、言葉を過剰にとって、そっけない態度やつれない態度をとる。


 所謂、好き避けである。


 周りからは割とバレバレなのに、わざと意地悪を言ったり、少し悪く言ったり、全然好きじゃないと言ったり、もう完全にやらかしまくっていた。


 その割には、距離だけは取らず、一緒に遊び続け、彼がじわじわと目覚めつつあった、アニメ趣味や従兄に影響されたゲーム趣味にも付き合っていたため、そっち方面の理解も養われることとなる。


 この男の子が好きな事なら、自分も好きな事。

 なんでも真似をすることで、一緒に居る理由を作ったわけである。


 そして、ある日。

 それは小学校三年の秋ごろの出来事。


 うづきちゃんにとってみれば、告白するも同然に勇気を出して、心臓をばくばくさせて、あることを緑朗少年に尋ねた。


『ねえ、ろくろー。……あんたって好きな子とかいるの?』

『え? なんで? ……まあ。………………いるよ』

『誰?』


 緑朗少年からすれば、付き合いの長い幼馴染にならばと、秘密の共有を許した次第である。


 顔を赤くして頷き、もじもじとする様子に、誰と聞きながらも、キタコレー、ぜったい、ぜったいわたしだ、と内心うづきちゃんは盛り上がる。


 今となっては自分でも理由は分からないが、彼に好きな人が居るとすれば、それは自分の事だと当然のように思い込んでいたのである。

 次に紡がれる名前が、自分だと思うことを確信して――――。


『同じクラスのリコちゃん、誰にもいわないでよ。卯月だから話したんだから』


 その口は、まったく予想外の人物の名をはいた。


 がーん。


 ともすれば、出逢った時以上の衝撃で頭をかち殴られた気分である。


 意味が分からなかった。


 なにがいけなかったのかなんて、もっと分からない。


 幼稚園からずっと一緒で、小学校も、うづきちゃん的には奇跡的にも一年から三年まで同じクラス。


 色んな人が目まぐるしく彼の周囲を入れ替わる中で、外に出て遊ぶスポーツから家の中でのゲームまで、ありとあらゆる遊びに付き合ってきた、ずっと一緒に居た。


 しかし、当時の金木緑朗の心の中の一番大事な場所に居る女の子は、自分でない。

 そんなどこの馬の骨か分からない輩より、ずっと近くで一緒に遊んだのは自分の筈なのに。

 足元に穴が開いて、どこまでも落ちていくような気分だった。

 

 え、なんで。なんでわたしじゃないの。


 それを果たして口に出したのか出さなかったのか、そのあとの会話は、もう覚えていない。

 家に帰って、人生最大に泣いたのだけは覚えている。

 リコちゃん。その名前は当然ながら、同じクラスの卯月も知っている。


 卯月とリコちゃんは対称的な二人だった。


 男子に混じって遊ぶ卯月は、自然とその口調から何まで、彼らの影響を受け、女子だからと舐められないよう、高飛車で、気が強い性格になった。容姿にしても運動用に髪もあまり伸ばさず、絆創膏を張って外を走るような女子だ。

 周囲のうづきちゃんの評価はもっぱら、つえー、とか、こえー、とか、かっこいい、である。


 対してリコちゃんは、怪我一つしてない綺麗な白い肌で、優し気で、落ち着いていて品があり、着てくる服装も親が熱心なのか、ファッション誌に倣ったようなブランド物のコーディネートを年相応にしっかりと着こなしてくる。女子からも男子からもカワイイと評価される、可愛らしいまさにお姫様のような女の子。


 自分と彼女とを冷静に比べて、なるほど、と、卯月は唸った。

 人一倍の負けん気を、畏れ知らずな男子に囲われて培ってきた女の子である。

 負けたら次は勝つ。

 勝つまでやる。

 彼女は生粋の勝負師だった。


 そして、彼女の目標は決まった。


 誰からも好かれるようなカワイイ、理想の女の子になる。

 

 烏丸卯月。その人格を形成する、第二の転換期である。


 そしてそれが、二人の人生の分岐路でもあった。

 彼女の変化とはいずれも、金木緑朗という少年の言動によって齎されたものだった。


 烏丸卯月は変わった。外で男子に混ざって遊ぶことより、教室の中で女子とお喋りに重きを置くようになった。

 趣味も自然と、話題の為にも女子好きのする流行ものを公には選択して発信するようになる。

 その裏では、ゲームやアニメを興じたりしていたが、そちらは公言しない。

 そういうのが好きな相手にはいつでも話が合わせられるくらいには、知識はあるし、好きだ。


 だけど、自分からは持ち出さない。


 着ていく服装も変わった。

 よく服を汚して帰ってくることもあって、動きやすい機能性を重視したものを愛用、というより親に無理矢理着させられていたが、リボンやフリルがついていたりふんわりとした印象を受ける、すっかりガーリーな服装に様変わり。

 これには烏丸母もにっこり。


 試行錯誤の内に、鏡に映る、可愛く着飾った自分というものに興味を惹かれたのも、今日の彼女を支えるエピソードの一つといえよう。


 喋り方も、人当たりがよく、かといって舐められない程度の加減を見極めながら変えて自分のものにした。


 幼稚園時代に緑朗たちの仲間に入るため、体当たり的に矯正して、ものにしたコミュニケーション能力と度胸は、想像以上に効果を発揮し、ほとんどの子と仲良くなることが出来た。


 そうして迎えた小学校高学年。


 生来の気質からして努力家で、瞬く間に階段を駆け上がった彼女は、思春期に突入し始めた男子たちを惑わせ、女子からも評判の人気者になった。

 そこからは、押しも押されぬ美少女。

 トップカースト街道をまっしぐらである。

 中学でも当然のようにクラスの中心人物になり、それは卒業までずっと続いた。高校での彼女は語るまでも無い。

 カーストオブトップ。リア充の中のリア充。

 学園に咲く大輪の花。

 自身が目指した理想の女の子。

 学校という箱庭に投影させた烏丸卯月は、まさにその具現に近い存在になった。

 この結果で不満を抱くものはいないだろう。

 毎日が色づいて、多忙な日々を送っている。



 ――――でも。


 とても言えないけれども、本当は、身体を動かすスポーツが好きなのだ。家の中に籠ってやるゲームやアニメを観るのも好きなのだ。誰かさんのせいで、オタクっぽい趣味も持っているのだ。ラーメンとかお肉も好きなのだ。


 それは烏丸卯月が目指した理想の女の子の趣味じゃない。


 だから、みんなの前では、ひた隠した。

 別に、流行を追いかける女の子らしい生き方が嫌なわけじゃない。スイーツ好きだし、ファッションについて語ったり、カラオケに行ってみんなと歌ったりも好きだ。

 今、特に一緒の遊んでいる陽菜やクラスの女友達もちゃんと好きだし、大事だ。

 でも、どこか後ろめたい気持ちが常に私に付き纏う。

 人間関係を打算的に形作って、自分の立場を守るように立ち回る。その為に、どんなに仲のいい子にもどこかなにかを偽った私を演じる。

 本当の私を知ったら、そんな一面を知ったら、みんなはどう思うんだろうって。

 それだけが凄く怖い。本当に怖くて怖くて仕方がない。



 そもそも、本当の私って……どんなだっけ?

 




 気付けば、烏丸卯月が自分を変身させる、やる気の源になっていた金木緑朗は、とっくに違う道を歩いていた。


 それが正確にいつそうなったのかは、私は知らない。


 学校生活において、クラスが変われば、必然的に関わることも少なくなる。

 必ずしもとは言わないがクラスメイトというのは、深い関係を築くうえで、凄く大きな要素の一つだと思う。


 だから、そうじゃなくなった私たちは学校の中で顔を合わせることはなくなり、中学にあがって集団登校の概念も消えると、朝の時間の使い方の差か、とうとう一緒に学校へ行くことすらなくなった。


 学校で時折見かけた彼に、かつての面影は少しも無い。

 快活でよく笑うイメージだった印象はどこへやら、陰気な雰囲気で、教室の隅で、ゲームや漫画、アニメやラノベにといったオタク話に花を咲かせる。

 典型的な学校の日陰者。 

 陰キャ。

 別に友達が居ないわけではなさそうで、似たような趣味の少ない友達で彼なりに学校生活を楽しんでいるようだ。

 幼いころのロクローからは考えられない姿だ。

 私から声をかけたりはしないし、向こうからなんてもっと有り得なかった。


 そんな彼と高校で久し振りに同じクラスになった。


 遠目に見ていて、なんか笑顔がぎこちないし、よく愛想笑いで誤魔化すし、周りの目を気にする割に自分を磨こうともしない情けない男の子。


 どこか手を抜くことで現状に納得しているみたいで、すごくムカつく。

 なので、こっちの事情に巻き込んでやった。


 世界が一瞬で変わる、そんなきっかけをくれた、人生でたった一度きりの初恋で、はじめての一目惚れの相手は、もう居ない。

 居るのは、その男の子と同じ名前をした少年だけ。


 それが、今、私の目の前に居る彼氏である。

 なんでこんなのが好きだったんだろう。

 私は、あんたの為にこんなとこまで来ちゃったっていうのに。

 どうしていつまでもそんなところであんたはうじうじしてるの。


 昔は顔を合わせるだけで、飛び跳ねそうなくらい嬉しかったのを覚えている。一緒に心臓も飛び出そうだったけど。


 今はそんなこともなく、のぼせてくらくらするような眩暈も、うるさいくらいのドキドキも訪れない。


 まあ、でも、こいつを前にすると、不思議なことにどうしても昔の喋り方が出てしまう。


 それだけはよく分かんない。

 自己分析には長けてる方だと思うけれど、それだけは。


 放課後の教室、私が席に近づいてくるのを察してか、周りの視線が自分に集まることを感じてか、そいつは少し肩を震わせた。


 ほんと、仮にもこの烏丸卯月の彼女なんだからもう少ししっかりしてほしい。

 私が良くても、周囲が許さなかったりするんだから。


「一緒に帰ろ、ロクロー」


 こいつを前にすると出そうになる口調を抑えて、烏丸卯月いつもの声を出す。どっちが本当の私の声なのか、もう私にすら分からない。


 それを聞いた彼氏であるこの幼馴染は、集まる注目に少し顔を青ざめさせて、引き攣った笑顔で答える。


 うん、後で説教ものね。それを理由に久し振りに部屋に転がり込んでやろう。


「あー……うん」


 その顔はなんなのよ、もう。

 もうちょっと嬉しそうな顔をしてよ。

 決して表には出さないけれど、内心ため息をつく。


 私は自分の人生で、その転換期が三つあったと思っている。


 一つ目は、この幼馴染と出会った時。

 全くもって不覚であり、不服である。

 もし、タイムマシンを使って、一度だけ過去を行き来して未来を変えていいと言われたら、私はまず、こいつの事を当時の私に伝えようと思う。

 将来こんな奴になるということを教えたら、当時の私も目が覚めるに違いない。いや……どうだろ。あの時の私はマジでロクロー好きすぎだし。今思うとドン引きだ。


 二つ目は、この幼馴染に振られた瞬間。

 全くもって不服であり、不憫である。

 私は告白することなく、こいつに振られたのだ。

 あんだけ毎日ついて回ったのに、この男は当時の私の気持ちにはきっと、ついぞ気づかなかったんだろう。気付かれていたなら恥ずかしすぎて恥死ものだ、こいつを殺して私も死のう。

 生物学的には女であっても、女の子らしさなんて微塵も発揮していなかった時代だ。


 とはいえ、やっぱり気付いてほしかったような気付いてほしくなかったような。……まあ、少しくらい察してほしいものよね。

 おかげで火がついて、今日の私があるわけだけど。


 三つ目は、言うまでもないかな。

 私が“烏丸卯月”をやるようになったのは、元を辿れば、全部あんたのせいだから、面倒かけるのは恨みっこなしよね。

 せいぜい、日の当たる暮らしで苦しみなさい日陰者。

 私を二回も振ったバツよ。

 それはそれとして、こういうちょっと変わった関係ってすごく青春っぽい。

 それに、出逢った幼稚園から数えたら、十年近くも頑張ったのだ。

 少しくらい、ご褒美が与えられても良いと思ったり。


 友達と話している最中だったり、授業を受けている間だったり、時折、彼を見る。

 基本的には自分の世界に入り込んでるこいつの、その視線が他人に向いたとき常に、私じゃない誰かさんを追っている。

 多分こいつは陽菜が好きで、私は昔のロクローが好きだったのだ。

 

 まあ、つまりは。


 私達は付き合っている。

 けれど。

 好き合ってはいない。

 

 ただ、それだけのこと。


 帰り道、学校近くを通る路線バスに乗って、家の近くで降りると、帰路には他の生徒は誰も居ない。

 自分の好きな事や喋り方に気を遣わなくていいこの二人だけの時間を、私は想像以上に気に入っている。


 

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