アー・ユー・レディー 2

 そして、翌日の放課後。

 公開告白決行日である。

 あーあー、ついにこの金木緑朗の名が学校中に知れ渡っちゃうかー。

 などと、半ば自棄になって登校を果たした緑朗である。


 もはや、楽しみにしていたゲームも手を付かず、普段は0時を過ぎても趣味に走る彼だが、昨日は早々にベッドに入り、お布団の温かみを受けながら現実逃避していた。


 なお、その甲斐も虚しく一睡もできなかったのだが。


 いつもは勝手に弾む友人との会話も今日ばかりは上の空で全く相手にせず、逆に本気で心配されるほどである。


 三十二人の二年一組。その生徒の数が、部活なり、帰宅なりで半数以下にもなろうという頃合い。


 緑朗は、帰りのホームルーム前に送られてきたあるメッセージを眺めていた。


心の準備は出来たアー・ユー・レディ?』

 

 昨日の打ち合わせ以上に交わされた言葉はなく、卯月から送られたきたメッセージは、たったこれだけだった。


 それは、ありふれた言葉だけど、彼の胸を高鳴らせる。


 これに応えれば、何かが変わる。


 何が変わるの? と聞かれてもはっきりと答えることは緑朗にも出来ない。


 それでも、何かが変わる。


 それは、彼のこれまでの生き方では到底味わえないもの、青春の訪れの前触れとでも呼ぶべき何か。


 きっと、誰も彼もが本来は大なり小なり勇気を出して、自分から動くことで手に入れようとする何かを、ご丁寧に準備が出来てるかなんて聞いてくれるのだから、俺は存外恵まれてるのかもしれないなんて、一人小さく笑う。


 勝負の席につくということは、多かれ少なかれ恥をかき、失態を見せ、敗北を知るということ。その恐怖に打ち克つことで、同時に、激しく喜び、大成し、勝利を味わい、栄光を掴む機会が与えられる。


 一度は逃げ出した。


 吐き気も凄いし、なんなら今すぐバックレたい。


 だけど、自分でもよく分からない期待がこの心を緊張以上に弾ませるのだから。


 彼女なら案外知っているかもしれないと思い、緑朗は短く打鍵する。


 送信ボタンをタップする。


 そのメッセージに既読がつく。


 それが伝わったかどうかはともかくとして、返事の代わりに、斜め前方の少し離れた彼女が微笑んだのが分かった。


 送ったメッセージは。


『できてるよ』


 まもなくして、意を決するような雰囲気を携えて、自席に座る烏丸卯月が立った。


 教室の幾人かは、いつもの面子が集まるグループの会話に入っていかない彼女を訝しんでいたのだろう。その行動を特に意識していたわけではないだろうに目で追っている。


 それらの視線誘導からなにまで、烏丸卯月の仕組んだもの。


 教室内の共通の認知として卯月が今までまるで興味も示さず、また生徒たちの多くにとって、可も不可もない少年の席に向かって、顔をほのかに紅潮させて歩く彼女の

姿はさぞ奇異に映ったに違いない。


 まして、いじらしく、もじもじとした様子で男子に声をかけるなど、女子人気の高

い者も含めて数々の男子の告白を断ってきた彼女を知る者からすれば、異様な光景だった。


「あの……金木君」


 その呼びかけで、彼女にのみ集まっていた視線が、緑朗は自身にも向けられるのが分かった。


 先ほどまでの雑談の混じった喧騒は静かに、視界の端で、卯月と関わるいつもの面子がこちらを見守るように見ているのを捉える。


 彼の喉が、干からびたように乾く。


 え、これちゃんと呼吸できてる? 表情はおかしくない? なにこれ、なにこれなにこれ。血液が下から上とせりあがったみたいに顔は熱いし、吐く息は、体温一度くらい下がってるんじゃね、と感じるほど熱がこもっている。


「二人で話したいことがあるんだけど……いい?」

「え……いいけど」


 しくじれば、こぽおとか言い出しかねないダメージだった。


 ギャグマンガなら眼鏡が割れているところ。


 こちらを上目遣いに捉え、不安を感じているのだろう涙をうっすらと浮かべて、こちらを窺うその表情は男子なら致命傷を間逃れない必殺の表情。


 演技と分かっていてもコレである。緑朗自身、これが全く事情の知らない口裏合わせなしの素の告白アドリブならどうなっていたか分からない。


「ここじゃ、ちょっと……だから、特別教室で」

「……うん」


 いじらしく、周囲の目を気にした素振りを演じる卯月。

 実際には見せつけているのだが、傍目からは、どう見てもその先の話を周りには聞かれたくないと、その振る舞いが物語る。


 普段の調子なら、こいつまじですげーな、と感心する緑朗だが、今の彼にはそんな余裕も無い。


 一方。


 少し離れた席では、幼馴染で昔から好きだったと聞かされていて、捏造された事情を知る鶴見陽菜がきゃー、と声に出さずに両手でお口を守って悲鳴をあげて、ばんばんと机を叩いて悶えていた。

 彼女にとって、かねてからの幼馴染との恋愛が叶うやもというこの瞬間は、中々にエモいシチュだった。



 綾峰翔人、ガチで人の良いこの男は、その勇気を振り絞って、縁遠くなっていた幼馴染に想いを伝えるという場面を遠目に、鼻を指で擦って、良かったな……と言わんばかりに薄く笑う。

 イケメンで運動に勉強にと万能の彼は、こう見えて恋愛小説や少女漫画にも理解があるタイプの男子だ。

 陰キャたちのオタク趣味にも寄り添える気さくな好青年である。



 清川樹。綾峰と同じくサッカー部に所属し、彼には及ばないものの、容姿も優れる彼は、烏丸卯月がよく形成するトップカーストグループの一員である。最近アマプラで実話系の映画を見てよく涙している。

 そんな彼は、卯月の用意した恋する幼馴染というシナリオと迫真の演技に感化され、最近涙もろくてよー、と隣で同じように彼女らの行く末を見守る綾峰に手を置いて体重を預けて涙ぐんでいた。


 ちなみにその手はすぐさま振り払われた。


 その他、二年一組の生徒一行が心内ざわ……ざわ……と騒然としながらも静かに見守る中。


 卯月に促されるままに教室を後にする緑朗。


 特別教室。都合の良いことに同じ棟の同じ階にあり、普段の授業では使用しない、空き教室である。


 放課後に、ただ事ならぬ雰囲気を醸し出しながら、連れだって廊下をを歩く二人。


 特に、それが異性の組み合わせで、顔を赤くして下を向いて歩くその片割れがあの烏丸卯月ともなれば、見かけた生徒への影響はクラス内だけにとどまらず、その話題の普及率は十分に見込める。


 噂になることは必定。


 そう、卯月は成功を確信した。


 最期まで見守っていてほしいと頼んでおいたため、陽菜たちは卯月らをひっそりと時間をおいて追いかける手筈。


 学校という王国の上級国民トップカーストの人間が二人の後を尾行したならば、続いてもいいと勝手に判断するのが、庶民クラスメイトとその他たち。


 クラス内では公認の二人カップルとなるのは、もはや約束されたようなものだった。後は、なし崩し的に校内にも広まっていくだろう。


 そんな考えを脳内で巡らせる卯月。


 案外やるじゃないロクロー。と顔を赤くして歩く隣の少年を評した。


 傍目にはお互い照れて見える彼女ら。


 卯月の目からは、この演技についてこれているかのように見える緑朗だが、全然そんなことはなかった。


 本人以外知る由もないが、これは演技ではなく素である。


 内心は崩壊寸前。


 普通に、すれ違う人の視線が気恥ずかしく照れているのが、いい感じに、卯月の芝居の演出効果を高めていた。


 そも、こんな状況で巧妙に演じるだけの胆力があれば、彼は誰かの手など借りるまでも無く、その青春を謳歌していただろう。


 そうして辿り着いた特別教室フィナーレ


 誰も居らず、掃除されたまま整えられた机たちは均整に並んでいる。


 静かな放課後の教室の内側には、ただ二人きり。


 そうして向かい合った少年少女の少女の唇が言葉を紡ぐ。


 不安そうに、両手を胸の前において、乞うように、祈るように。


 万感の想いを乗せるように、その過程には長い長い年月が積み重なって、ようやくやっと言の葉に出来たと、そんな姿と切なく愛おしい表情を浮かべる。


 そんな表情をするのが、校内でも指折りの美少女なのだから、その破壊力は抜群だった。


「金木君。……ううん、緑朗。昔から、ずっと前から……あなたのことが好きでした。付き合ってください」


 ちょっと過剰演出かな、と思いつつ、これくらいやっとけばいいだろうと卯月。


 もはや頭が真っ白な緑朗は、ただ、なんて切り返すかだけは、脳内と口内で台詞を

繰り返しながら眠れない一夜を過ごしただけあって、半ば反射のように答える。


 その際に、緊張からの浅い呼吸が幸いし、そのままならば若干食い気味だったそれが、奇跡的な具合に良い感じの間を生み出した。


「俺も君が好きだ、卯月。俺の方こそ、付き合ってほしい」


 眠れず不可抗力的に死ぬほど練習したそれは、本人は自覚しないが、結構いい声だったという。

 それを受けた少女の頬の朱が一層色を強めたのは、はたして演技か素か。

 なんにせよ、少女の答えは決まり切っていて、こくん、と小さく頷いて答えた。


「……はい」


 二人の恋の成就の瞬間である。


 第三者からすれば、幼いころから恋心を抱いていた少女の恋が実るという素敵なシナリオ付きだ。


 しばらく間をおいて、ガララと扉の開く音。


 廊下から飛び出て、卯月に抱き着くのは鶴見陽菜。烏丸卯月が告白するというビッグイベントの成功に、後を追ってわらわらと野次馬ギャラリーたちが教室に雪崩れ込む。


「よ゛か゛った゛よ゛ー」

「ちょっと、陽菜が泣くことないじゃないもー」


 後に続く者たちも、陽菜たちより事のあらましを聞いており、みなが祝福ムード。


 とんでもない大物堕しジャイアントキリングを成し遂げた緑朗は、彼を囲む男子たちから賞賛と喝采と嫉妬の嵐。


 心内快く思わない者も少なからずはおれど、このムードを壊すほど野暮でもなければ怖いもの知らずの人物はいなかった。


 リア充爆発しろ! と元来自分が向けられるには程遠いはずの言葉を幾人の男子から受けて、緑朗は思わず笑ってしまう。


 ぶっちゃけ予定調和イカサマなので、バツの悪い後ろめたい気持ちはあるが、それでも勝ちは勝ち、馬鹿勝ちである。


 男子と女子とがそれぞれを祝福するその最中に、卯月と緑朗の目が合った。


 卯月の目は、ほれみろと言外に語る。


 どーよ、主役ってのも悪くない気分でしょ。


 まあ、悪くない。


 一瞬見せた、したり顔に嘆息で緑朗は返す。


 ばーか。


 卯月の口の形が静かにその言葉を紡ぐ。

 緑朗はそれに薄く笑って、何が起こるか分からない明日に想いを馳せる。


 これから俺達は衆目の中で、演技していちゃついて、人目を忍んでこんな風に互いを揶揄うのだろう。


 おかしな青春が動き出す。


 人生が変わる瞬間なんて自分には到底訪れないと思ったけど、もし、俺の人生にそんなものがあるとすれば、それは今日、この瞬間のことを呼ぶのだろう。

 

 ――――以上が、俺と彼女の物語、その幕開け。


 もちろん、こんなのはほんの序章に過ぎず、この可愛くも憎たらしい幼馴染によって変わりゆく学校生活は、始まったばかりである。



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