Ⅲ 十五歳② ~ぷつりと切れたらふわりとたゆたうのみ~

 果たして、アパートはそこにあった。

 平成も初期に建てられたんじゃないかという佇まい。


 末尾がZの千円札を見つけるのに三ヶ月かかった。

 前に会ったときは半袖の制服だったけど、今はコートを羽織る季節になってしまった。


 指示通り、104号室のドアを見つけると、ドアホンのボタンを押す。

 ピンポーンという電子音の後、すぐに解錠の音がしてドアが開いた。


「いらっしゃい、ソラ」


 出迎えたユカリは相変わらずの黒いワンピースで、それが逆に安心感をくれた。

 リビングに通される。

 ユカリの部屋は一人暮らしにしてはゆとりのある部屋だった。キッチンと続きになっているリビングと、もう一つの部屋。1LDKだ。

 リビングはメイプルのフローリングにライトグレーのラグ。家具は白で統一されていておしゃれだ。


「お母さんと、けんかしてきたでしょう?」


 部屋に入るなり、唐突に切り出すユカリ。


「何でわかったの?」

「魔女だからね」

「……そんなに暗い顔してたかな」


 首筋にすっと冷たい風が吹きすぎた気がして、頬を掴んで変顔を作るふりをして首を拭う。確かに今日、急に母親が二人で出かけたいと言い出して、ユカリの家に来たかった私と大げんかになった。そして家出同然に飛び出してきたのだ。

 ユカリはといえば、私のことなど気にもとめない様子で、燭台やパワーストーンっぽい小石や、紫のサテン地の布なんかをチェストから取り出している。


「じゃ、まずはお代を」


 私に背を向け、金銭にまるで興味のないように請求するユカリ。

 そのそぶりに、急に不安感がこみ上げてくる。


「あのさ……恋愛成就したら、魂を取られたり……しないよね?」

「まさか! 悪魔じゃあるまいし……」


 その後に「でも」という言葉が続いたことを、私は聞き流すことができなかった。


「でも、何? ねえ、何?」


 ゆっくりと振り向くユカリ。その顔はいつにも増して表情に乏しく、無理矢理笑みを作っているように見えた。


「叶えると、ソラは私に関する記憶を失うの。願いが叶うと魔女との思い出を失う」

「冗~談! 非科学的だよ!」

「どうかしらね」

「ありえないよ。こんなにたくさん会って、こんなにたくさん話した人のこと……」

「いいの?」

「いいよ。絶対忘れるはずないし!」


 それに、私はユカリの部屋にあがることができて、嬉しさ一杯だったし。おまじないはさっさと終わらせて、ユカリと二人きりの時間をもっと楽しみたかったんだ。


 ユカリは小さなテーブルに紫の布を掛けると、燭台を立て、いつもの水晶玉を中央に置くと小石をちりばめた。


「じゃ、やるわ。相手の名前と、どんな人か詳しく」

「相手は、山木君って言う男子。同じ高校の隣のクラス。いつも上りの電車で帰る。部活は混声合唱。あとは……」

「あー、そのくらいでいい」


 ユカリは私の言葉を止めると、水晶玉を眺めた。覗いたり睨んだり、手をかざしたりはしない。

 向かいから水晶玉を覗いていた私の目に、一瞬、山木君の姿が映った。それはあっという間に消え去り、元の透明な玉に戻ってしまった。 

 案外、あっさりだな。でも、これであとは思う存分、ユカリとお話できる。


「これで終わりよ」

「ありがとう! ユカリ、大好き!」

「その言葉……もっと早く聞いていれば、もっと強く止めたかも知れない……」


 舞い上がる私に対して、ユカリの顔は酷く曇っていた。


「どう……したの?」

「ねえソラ。社会……歴史の授業で『魔女狩り』って習った?」

「習わないけど……知ってる。たくさんの人が言い掛かりをつけられて、処刑された……」

「そうね。全部言い掛かり。魔女の力は人間に捕まるほど弱くない」


 頷くユカリ。

 急に深刻な顔つきをされ、私の心も身構える。


「大昔は大々的に狩ろうとするほどたくさんいた魔女は、どこへ行ったのか知ってる?」

「……科学の進歩、とかで自然に減った?」

「うーん。それもあるけど」


 ユカリは私の隣に座る。

 肩が触れる。

 ドキドキするシチュエーションのはずなのに、重たい空気がそれを許さない。


「魔女は願いを叶える力を持っている」


 左から、ユカリの声が私の耳に流れ込んでくる。


「魔女はね、自分たちが願いを叶えることで普通の人間たちが争う姿を、嫌というほど見せられ続けてきたの。だから、自分たちの能力に呪いを掛けた」

「呪い?」

「そう。さっきも言ったでしょ?『願いが叶うと魔女との思い出を失う』。そうやって、魔女たちは人間たちの記憶から絶滅していった」

「そんな! じゃあ私とユカリの思い出は……?」

「夜明けと共に消える」

「え……」


 ユカリの横顔を見つめる。

 酸素を求める金魚のように、唇がわななく。


「やだよ……」


 辛うじて一言だけ絞り出した。

 ユカリがこっちを向いた。


「ソラ。私はあなたのこと、十歳の頃から……いえ、あなたのお母さんの……お母さんの細胞の一つだった頃から知っていた。あなたは私のことを怖がらない、珍しい子どもだった。だから私……」


 ラグについた手の甲に、ユカリの掌が重なる。

 彼女は口を開きかけ、やめて微笑んだ。


「駅まで送るわ」


 ユカリは素っ気なく立ち上がると、手を差し出してきた。

 この手を掴んだら、終わってしまう――

 直感だけと、この手を掴んではいけない……そんな気がして、私の脳はフル回転した。


「泊めて。母さんと喧嘩してるから、帰りたくない」


 必死な私と、疑問符を浮かべるユカリ。

 やがて――


「いいよ」


 彼女は一杯の慈しみを込めて、その一言をくれた。



   ◇◇◇



 目を開けると、カーテンの隙間から朝日が細く差し込んでいた。

 あーあ、高校生なのに朝帰りか。立派な非行少女だね、これは。

 セミダブルのベッドから身を起こす。

 やっぱり、ユカリはいなくなっていた。

 って、


「あれ……?」


 覚えていた。


 よかった!

 記憶だけは残してくれた――いや、あれだけの思い出か消えるなんて、さすがにないよね!

 ハッタリかー。ビクビクして損しちゃった。


 まじない道具が片付けられたテーブルには、一枚のカード。

 薄紫のカードには、万年筆っぽいブルーブラックの文字で一言。


『お幸せに』


 ユカリ、湿っぽいなあ。

 私はカードを制服の胸ポケットにしまうと、玄関へと向かう。

 外の空気でも吸ってるのかな? 散歩? 

 声を掛けて、そのまま帰ることにしよう。

 軽く身支度を済ますと、コートを羽織り、鞄を持って玄関を出る。


 あ……


 背後で、かちゃり、とドアの閉まる音が鳴った。

 反射的に振り返る。

 クリーム色の壁だ。

 両脇には103と105の表示があるドア。


 あれ?


 何で真後ろでドアの音がしたんだろう。


 何でこんな所に朝っぱらから立ってるんだろう。


 何でこんなに厚着してるのに震えてるんだろう。


 何で涙が溢れてくるんだろう。


 何で……

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