<閑話>いじめの原因とは
『いじめ』
それは、決してやってはいけないものであるが、この世から無くなるものでもないのは、経験した自分が良く解っている。
一種のウィルスのようなもの。
何故、自分がこんなひどい目に合わないといけないのかと何度も思ったか……
多分だが、この世で一番酷いことが『いじめ』だと思っているが、これにはちゃんとした理由もある。
これは、日本だけではなく世界共通だと思うが『子供』だからという理由で『罪』から逃れることが出来るからで、子供と言えど悪い事したらそれなりの罰は必要なのに今の子供にはそれが無い。
だから『いじめ』が悪いと思わないと思ってない傾向もあるのではないかと味わって、経験した自分だから言える見解である。
と、今の流れでは加害者が全て悪いっていう感じに思えると思うが、思考力・理解力を身に付けた今なら悪いのは加害者だけではないと。
と言っても、勘違いしないで欲しいが加害者を擁護するものではなく、当然であるが加害者が9割悪いの事実である。
ということは、1割は被害者にもあるということだが、それを遺憾に思う人もいるだろう。
例えるなら、自動車事故がそれに相当するだろう。
自動車事故の場合、10対0という構図は殆ど無いと聞く。
何故かと言われれば答えるがむずしいのだが、被害者側に全く非が無いということは無いと自分は思っている。
被害者側もルールを破っていたのではないかと?
さて、これを『いじめ』に切り替えてみてはどうだろうか。
加害者が被害者に何の理由もなく『いじめ』をすると思うだろうか?
要は、被害者にも加害者に何かしらのことをしているということなのだ。見えない程度の物だと思うが。
それを、不快に感じた人間がその不快にさせた人間にすることが『いじめ』となることが多いと思う。
そして、この行為が『喧嘩』で終わらずに発展して『いじめ』となってしまうのか?
それは、被害者が『自分は決して悪くない』と思ってること、されたことによって逃げてしまうから。
子供が両親などに悩み事を素直に話す訳がない。
だから両親が気づかないことが多く、物が紛失したことや体のどこかに傷が出来てから気づくことが殆どだ。
自分がそうだったように、物が無くなったり傷つけられたりして、ようやく気付くのは仕方ないことで、言わない自分が悪いのだ。
けど、これも勘違いしないで欲しいが被害者が悪いとは言ってない。そんなことをホイホイ言えるくらいなら、とっくに解決しているからだ。
割合でも示してあるが、圧倒的に悪いのは加害者なのは間違いないのだから。
では、この場合は被害者がどうすればいいのかってことになる?
今の自分なら、簡単に解決できるほどの思考力と理解力を持ってるが、あの頃はそんなものを持ってる訳がない。
『相互理解』という言葉すら自分の頭の中には存在してないのだから。
自分が『いじめ』から抜け出せなかったのは、自分の言葉でハッキリと拒絶をしてなかったからだと、思考力・理解力・相互理解が伴ってから気づいた。
なら、あの時に本当ならどうしたら良かったのかってことになるが、それに関しては至って簡単だった。
どうせ、子供同士なんだからとことん殴り合えばよかったのだ。大けがをさせない程度にって言っても子供には分からないのだろうけど。
そうすれば、お互いに傷が出来て後に引けない状態になるし、万が一第3者が出て来ても、殴り合った同士の問題で親同士が話すことで、もしその第3者が口出せばその人間も関わってことになる訳だから。
そんなことになれば、第3者にも責任が飛び火するのは見えている。
もし、解決したとしても取り巻き?が来ても今後同じことをすればいい。
例え、自分が悪者になったとしても屈しては意味も無いと思うから。あとは周りがどう見るかだ。
正直、周りの人間は自分に被害がくらわなければいいと思ってるのが大概だが、それは仕方のないことで理解はしてる。
所詮、周りの人間はその場で強い人間に就くことしか出来ない人間で、そんな人間に信用なんて置けない。
本当に信用が置けるのは、自分がそうなるかもしれないけど、ちゃんとした誰かに告げ口をする人間は信用したいと思っている。
けど、自分にはそんな人間はいなくて、されていることに拒絶すら出来ずにいた所為で、中学まで引きずることになったのだ。
もし、将来自分の子供が被害者側に回った場合は間違いなくこう言うだろう。
『逃げるな、やられた同じくらいやり返せ。責任は俺が取るが人の道は外すな』と。
何をするにも後ろ盾が必要であり、親がそうなるのは当たり前のことだ。
いや、当たり前とは言わないが自分はそうなりたいと思っている。
どうせ、最後には親同士の喧嘩になるんだから、子供にはやらすだけやらせておけばいいだけで、PTAや教育委員会に話がいこうとも関係ない。
それで『いじめ』というものが少しでも無くなればいいのだから。
寧ろ、自分はその時が来れば、そこに持って行くつもりでいるからだ。
最初から最後までを想定しておけば大したことないし、自分が味わっているから自分の二の舞になる前に仕掛けてしまえばいいと考えている。
だから、その場合は相手の親も道連れにするつもりだが、相手が悪い場合は考えなければならないが。
それで、仲良くなるか犬猿の仲になるかは子供たち次第だから。
その場合、親なんて邪魔者でしかない。
あくまで、男同士のことであって男女の場合は色々と異なるのでこれは参考にすらならないし、そんな男はこの世に存在してはいけないと思うから。
世間一般では男の方が偉いように思えるが、実際は女性の方が偉いというか、素晴らしい存在なのだと。
なので、男が女を卑下するなんてもってのほかなのだ。
まぁ、これは『志村一彦』個人的な見解なので決して鵜呑みにしないで欲しい。
けど、自分と愛する人の間に生まれた子にはどっちにもなって欲しくないっていうか、寧ろ飛び込んでいくような子になって欲しい。
それで、子供に何かあれば全力で俺らは守るだろう。
『うちの子は悪いことは見逃さない』と言い切ってみせる。
それが、親になるということではないのかと俺は思っている。
ただし、それは小・中学校まで。それからは大人になる為の階段を上がる訳だから、当然自己責任になる。また、別方面に大人の階段に至ってもそうだ。
これだけは、解って欲しい。
『いじめ』は決してなくなることは無い、けども回避することは出来ると。
そして、その『いじめ』を詳細に伝えたのならば、それは逃げとは言わない。
自分を捨てずに自分を守ったのだから、それは誇るべきことなのだと。
自分が強くなった時に、自分と同じ境遇に遭う人達に手を差し伸べてあげられる人になって欲しいと切に願いたい。
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