第2話 小さな春の謎2

 大学の授業と言っても、1年生の基礎科目は高校の勉強の延長のようなもので退屈だった。教室を見回してみても真面目に聞いているものは最前列に座っているものくらいであった。ほかの者は机につっぷして寝ていたり、スマホをいじったりと言ったものが大半であった。僕もその例にもれず、ノートはきちんととるが、それ以外はぼうっと外を眺めて授業時間を過ごしていた。


 90分という高校の2倍ほどの授業が終わると、学生はわらわらと外へと群れを成すように出て行った。僕は授業が終わるとノートをカバンに入れ、真田と柏崎のもとへと向かった。柏崎は「ちょっと待っててね」と言いながら荷物をまとめ始めた。僕と真田は手持無沙汰だったので、板書を消すのを手伝った。


 それから僕たち3人はご飯でも食べながら話でもしようという話になり、学食へと向かった。学食の中へ入ると柏崎は驚きの声をあげた。


「久しぶりに学食に来たけど、混んでるわねぇ」


「いつもこんな感じですよー。むしろ連休前だからいつもより少ないくらいですよ」


 真田はそう答えながらきょろきょろとあたりを見回した。


「あそこの場所空いてそうですよ!ほら日下部君席取ってきて」


 僕は小さくため息を吐くと「へいへい」と言いながら場所を取りに向かった。後ろの方で、柏崎が「いいの?」と聞くのが聞こえた。


「いいんですよ、日下部君は場所取りが趣味なので」


 いや、どんな趣味だよ、僕は心の中でそうツッコミながら席に座った。そしてペーパーバックをカバンから取り出すと、読書を始めた。最近では電子書籍派も増えてきていると聞くが、やっぱり紙の方がしっくりくる。ページをめくるとふわりと紙の匂いが本を読んでいると実感させてくれる。こればっかりは電子書籍では味わえない感覚だ。


「はーい、買ってきたよー」


 僕が顔をあげるとそこにはお盆を手に持った真田と柏崎が立っていた。柏崎は机にお盆を置くと、どちらの料理がいいかと聞いてきた。お盆の上にはカレーライスと豚丼がのっていた。


「じゃあカレーライスで」


 そう言ってカレーライスを取ろうとすると、真田は手を差し出してきた。


「300円ね」


 僕はポケットからくたびれた財布を取り出すと、真田に300円を手渡した。


「あら、ずいぶん古い財布を使っているのね」


「あぁ、これは父から貰ったものなんです。買い換えたほうがいいのは分かってるんですけど、人から貰ったものはどうにも捨てられなくて。それより、先にご飯を食べましょう、冷めちゃいますよ」


 僕たちは他愛ない話をしながら食事を進めた。そして、全員の食事が終わるころを見計らって真田がおもむろに口を開いた。


「じゃあそろそろお話聞かせてもらってもいいですか?」

 

 柏崎はずずっとお茶をすすると、口を開いた。


「そうね、さっきも言った通り悩み事は私の一人息子に関してなの。先週あたりから部屋に閉じこもるようになっちゃってね……。理由を聞いても何も教えてくれないの。今まではこんなことなかったのに」

 

 柏崎ははぁと小さなため息をついた。本気で気に病んでいるのだろう、目にはうっすらとクマが浮かんでいた。ただ———。


「……ちなみに、息子さんって何歳なんですか?」


 真田も僕と同じことを考えたのか、そんな質問をした。


「今年で14歳になるわ」

 

 その答えを聞いて僕と真田は顔を見合わせる。それはただの反抗期ではないだろうか……。真田もそう思ったのだろうか、なんとも微妙な表情をしている。柏崎はそんな僕たちの様子に気づかず話を進めた。


「それにこの前、息子の部屋を掃除してた時に変わったことがあったの」


「変わったことですか?」


 真田の瞳には少し好奇心が宿っているように見えた。しかし、その灯は次に柏崎が発した言葉でかき消された。


「えぇ、息子の部屋のごみ箱からすごい数のティッシュが出てきたの。なんでこんなにゴミが出たのか息子に聞いてもはぐらかすし……。それになんだかそのティッシュ濡れてるのよね」


 そこまで言ったところで真田は柏崎の言葉を遮った。


「いや柏崎先生、それはきっとですね思春期特有の現象といいますか、男の子なら誰しも通る道と言いますか。私の弟もそんな感じでしたし」


 真田にしては珍しく少したどたどしく、言葉を選びながら話しているようであった。


「真田さんの弟さんもそんな時期があったの?」

 

 自分以外にも同じ経験をしていた人間がいたことで少し安心したのだろうか、柏崎はほっとしたような表情になった。


「えぇ、私が家を出るまでは毎日喧嘩してましたよ。それに……私は家のごみを回収するように母に言われてたんですけど、弟ったらティッシュをそのまま捨てたりするもんだから匂いがするんですよね。何回もビニールに入れて縛れって言ってるんですけど……」


 何となく居心地の悪くなった僕は立ち上がってお茶を取りに行こうとした。


「でも、油なんて何に使うのかしら?プラモデルにもさすがにあんな量の油は使わないと思うんだけど……」


 柏崎が発した言葉で僕は思わず振り返り、柏崎の方を見た。真田も柏崎が発した言葉が意外だったのか、目をぱちくりさせている。


「ティッシュが濡れていたのって油だったんですか!?」


「え、えぇ、そうだけど。真田さんの家は違ったの?」


「え、いやっ、私の家はですね……、えーと、あの……勘違いだったようです。すみません!」


 真田は耳を真っ赤にしながらごり押しでごまかした。見た目は遊んでいそうな外見をしているようで、意外とうぶなのだろうか。そんな僕の視線に気が付いたのか、彼女はその茶色がかった瞳でキッとこちらをにらんだ。


「……日下部君、今笑ったよね?」


 その眼は下手なことを言えばお前の命はないぞと、そう物語っていた。


「いや、なんのことだか……。そうだ僕お茶買ってくるので———」


「座れ」


「……はい」


 適当な言い訳を述べて一時撤退を狙ったが、どすのきいた一言で命令され、僕はすごすごと席へと戻った。というか、今の声どこから出したんだ?とても華の女子大学生が出すような声じゃなかった気がするが。

 

 席へ戻ると、真田は僕の腕をつねりながら、僕にだけ聞こえる声で言った。


「誰かに言ったら……わかってるね?」


 僕は無言でコクコクと頷いた。そして、真田は柏崎の方へと向き直ると、先ほどまでの般若の表情はどこかえと消え去り、にこやかな笑顔で質問した。


「それで、油のしみた大量のティッシュ以外には何か変わったことはありましたか?」


 そんな変わりようを見て、僕は真田茜という女には金輪際逆らわないようにしようと心に決めた。

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