日月現世は今日も微睡む

一字句

第1話 小さな春の謎 1

 不幸と幸福は網の目状に、交差するように訪れると何かで読んだことがある。それならば、幼いころに両親に死なれ、親せきに疎まれた僕にはこれから幸福が訪れるべきなはずである。断じて目の前で起こっている惨状が起きていいはずがないのだ。


「いや、自販機であったかいお茶買ったらお汁粉が出てきたってだけで、ちょっと大げさじゃない? てゆーか、さらっとすごいバックグラウンド披露しないでよ……、反応に困るわ」


 あきれ顔の女——真田茜(さなだあかね)は大きな瞳を半分だけ開いて言った。


「いや、これがペットボトルのホットココアだったら僕も言わないけど、よりにもよって缶のお汁粉ってのがなぁ。ほら、缶ジュースのあったかいのってすごい金属の味しない? あれ苦手なんだよなぁ」


 僕はそう言いながらお汁粉の缶を開け、ちびちびと飲み始めた。そんな様子を先ほどよりも一層あきれた様子で見ていた真田さんはハッとした様子で腕につけているかわいらしい腕時計を見た。


「やばっ、次の授業始まっちゃう! 日下部君も急いで」


 僕は急かされるようにお汁粉を無理やり喉に流し込むと、明るい茶髪の髪を振り出しながら走り出した真田を後ろから追いかけた。


「次の授業ってなんだっけ?」


 そんな僕の問いに、真田は振り返らずに答えた。


「大学入って1か月たったんだからいい加減に自分が何の授業受けてるかくらい覚えようよ!」


「いやぁ、高校のころと違っていろんな授業を受けてるせいか結構ごっちゃになっちゃって。おっとっと」


 突然目の前を走っていた真田が立ち止まった。僕もあわてて立ち止まり彼女を見ると、彼女が立ち止まった理由を理解した。それと同時に今日受講する授業に関しても思い出した。


「おはようございます! 柏崎先生」


 元気のいい声で真田は挨拶をした。僕もそれに続いてあいさつした。


「あら、おはよう。ギリギリ間に合ったわね」


 柏崎先生——僕たちがこれから受ける授業の講師で、確か教授だったはず、多分、メイビー。彼女は駆け込んできた僕達を見て小さくふふっと笑った。けれど僕は柏崎先生の様子に違和感があった。柏崎先生はあと数年で退官というほどの年齢だったが、年に似合わずとても活発な教授であった。しかし、今朝の彼女の表情にはほんのわずかにだが影が差しているように感じた。


 真田も同じように感じたのか、心配するような表情で言った。


「大丈夫ですか? なんだか具合が悪そうに見えますけど」


「ちょっと息子のことでね……」


 柏崎はその先を言いよどんでいるようであった。柏崎の息子——たしか高齢で出産したこともあってか柏崎が溺愛している息子がいると、真田が言っていたのを僕はふと思い出した。まぁ、人の家庭にもいろいろあるのだろうと僕は一人納得して教室に入ろうとした。


「息子さんがどうかなさったんですか?」


 僕はびくっとして、その声の主をジトっとした目で見た。


「ん?どうしたの日下部君、そんな生きるのに絶望したような顔をして」


「いや、ジト目してただけでそこまでいわれにゃならんのだ。っていうかそんな聞きにくいことずけずけ聞かない方がいいんじゃないか?」


 僕は柏崎の方をちらちら見ながら聞いた。真田は、はぁぁとため息を吐いた。


「んもぅ、そんなんだから大学入って1カ月たつのに友達が私しかいないんだよ。もっとぐいぐい行くことを覚えなきゃ! バ……真田君はあれだね、草食系どころかもはや植物だよね、光合成だね! あれ、私何言ってたんだっけ?」


 そんな僕たちのやり取りを始めこそぽかんとしていた様子で見ていた柏崎だったが、次第にくすくすと笑いだした。


「そうね、年も近いあなた達なら何かわかるかもしれないわね。もしよければ講義のあと少し話を聞いてもらってもいいかしら? ご飯くらいおごるわよ」


「はい! 私も日下部君も暇なので大丈夫です」


 僕の意見も予定も完全に無視され勝手に話が進んでいった。僕が抗議の声をあげようとしたとき、柏崎はポンっと両手を打った。


「あら、もう授業が始まるわね。二人とも授業の後お願いね」


 僕はがっくりとうなだれながら元気よく教室へと入っていった真田の後を追った。

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