第6話 5月1日②

 駅に到着した二人は、部屋に帰ろうと改札を出た。階段を降り、やる気のなさそうなビラ配りのお姉さんをスルーして外へ出た。

 そのとき、まっすぐ帰ろうと歩く雪斗のシャツの袖をみゆきは引っ張った。

「ねえ、ちょっと待って」

「なっ、何?」

「ちょっと、あそこに──」

 みゆきは、思わず一度言葉を区切って雪斗の袖から手を引っ込めた。雪斗の視線がその手に向いていたからだ。一度見合った後、視線を外して話を続ける。

「ちょっと行ってみたいところがあるんだけど……」



「おお、意外と広いんだね」

 みゆきは感心したような声を漏らしながら、ソファへと腰掛ける。

「まあ、四、五人入れる部屋だからね」

 みゆきの声に答えながら、雪斗は画面付近に置いてあったマイクとデンモクをテーブルの上に移動させた。

「あと結構暗くない?」

「まあ、カラオケってそういうもんだからね」

「なるほど、ラブイベントにはもってこいね」

 そう言うと、みゆきは肩掛けバッグからスマホを取り出し、カメラ機能を立ち上げる。みゆきがカラオケ店に行きたがった理由は、この資料集めをしたかったからである。

「じゃあ、写真撮ってる間に、飲み物とってくるよ。藤代さんは何がいい?」

「そうね……、じゃあ、オレンジジュースで」

「はいよ」

 興味深そうに画面付近を眺めるみゆきを背に、雪斗はドリンクバーへと向かった。



 みゆき所望のオレンジジュースとアイスティーを持ち、部屋へと戻った。

「おかえりなさい」

 みゆきはすでに撮影を終え、撮った写真のフォルダを整理していた。

「ただいま、はい、オレンジジュース」

「ありがとう」

 みゆきは、受け取ったジュースにさっそく口をつけた。雪斗もつられてアイスティーを一口。

「藤代さんの目的は果たしたわけだけど、せっかくだから歌えば?」

それもそうね、とみゆきは永遠と広告が流れるモニターを見つめながら立ち上がり、画面下の機材周辺を眺め始めた。

「何してるの?」

「歌が載ってる冊子探してるの」

「……歌本のこと?」

「うん、それがないと曲入れられないでしょう?」

 さも当然のことのようにみゆきは言い放つ。なるほど、と察した雪斗はデンモクを手に取り呼びかける。

「藤代さん、最近は歌本を使わないんだよ」

 えっ、と振り向いたみゆきに、雪斗は例の機械をチラチラと見せつけた。

「何それ?」

「歌を入れる機械だよ。確か、デンモクっていうのかな。曲名とか歌手名で探せるよ」

「へー、最近は進んでるのね」

「藤代さんが遅れてるんじゃないかな」

「カラオケなんて久しぶりなんだから仕方ないじゃない」

 みゆきは少し目を逸らして呟いた。そして雪斗のとなりに座り、機会をいじり始める。雪斗はなんとなしにその様を眺めつつ、アイスティーに口をつけた。

決めた、と宣言したみゆきは、送信ボタンを押し、モニターに向かって機械を向けた。モニターにきれいな野原が映し出され、軽快な前奏が流れ始める。みゆきはマイクを手に取りながら立ち上がり、歌い始めた。そして、雪斗はリズムに合わせて軽く手拍子しながら思った。あまり上手くはないな、と。


 歌い終えたみゆきは、マイクをテーブルに置き、オレンジジュースの入ったコップを手に取った。

「お疲れさん。これなんの曲?」

「『メルモでぽん』っていうアニメに使われてた曲なんだけど知らない? 小学生の頃結構流行ってたと思うんだけど」

「ああ、メルモか。聞いたことはあるかも」

「少女漫画原作なんだけどね、私が漫画描きたいって思ったきっかけなの」

 そうなんだ、と頷くと、目の前にすっとデンモクが現れた。

「はい、次は佐貫くんの番」

「はいよ、じゃあ、俺も懐かしいの入れようかな」

 そう言って雪斗はあの頃のページを開き、二千年代初めの曲を検索し始めた。


 それから約一時間、二人はその流れのままあの頃の歌を、懐かしいと感嘆の声を上げながら歌い合った。

 ストックしていた曲がなくなり次の曲を探していたところに内線が鳴った。残り十分を告げる電話だ。雪斗は延長しないことを伝えた。

「もう時間か、意外と早いね」

 スマートフォンの画面で時間を確認しながらみゆきは声を漏らす。

「まあ、結構歌ったしな」

「そうだね。懐かしかったね」

「あの頃は純粋だったな」

「あら、今は汚れちゃったの?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどさ。なんとなくそういう気分になるじゃん」

 それもそうね、とみゆきは納得したように頷く。

「なんかさ、懐かしいって思うとさ、昔はよかったなあ、なんて気分になるんだろうね。あの時はあの時で嫌なこととか、大変なこととかあったはずなのに」

 感傷に浸りながら残りわずかになったオレンジジュースを飲み干した。

「まあ、人は都合のいいように忘れるものだからね。昔が輝いて見えるんじゃない」

「そういうものなのかな」

「……ねえ、最後にさ、一曲やらない?」

 電話が来るまで操作していたデンモクを差し出し、雪斗は提案する。

「そうね、せっかくだからね」

 送信ボタンを押すと、映像が晴れた砂浜に切り替わった。二人はそれぞれマイクを持つ。しっとりとした前奏から曲が始まった。

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