第5話 5月1日

 自室の前の柵にもたれかかりながら、雪斗はふと腕時計を見る。ここで待ち始めてからすでに針は三十度角度が変わっていた。それを確認した雪斗は、腕を組み直し、みゆきの部屋をじっと見つめる。

 雪斗がこうしてみゆきを待っているのは、昨日の夜ちょっとした約束をしたからである。


「ねえ、明日暇でしょう?」

 玄関で靴を履き終えたみゆきは思いついたように尋ねた。

「断定した言い方が多少鼻につくけど、実際暇だから何も言わないでおくよ」

「じゃあさ、明日買い物に付き合ってくれない?」

「買い物?」

「うん、洋服を買いだめしたいんだけど、大型ショッピングモールに一人だと行きづらいんだよね」

「そうなのか?」

「考えてもみてよ、ゴールデンウィーク、大量の人間、幸せそうな家族、やたらテンションが高い友達グループに、イチャついたカップルに一人で囲まれている私を」

みゆきはミュージカルのような口調で問いかけた。

「なるほど、たしかにそれは嫌だな」

「分かってくれて良かった。さすが陰キャだね」

「内向的と言いなさい。……それで時間は?」

「九時にドアの前でいい?」

「分かった。いいよ」

「それじゃあ、おやすみ」

 みゆきは軽く手を振った。

「おやすみ」

 雪斗も振り返した。


 時計の針はさらに十五度傾いた。もしかしてまだ寝てるのではないか、という疑問も浮かんできた。

 一度部屋に戻ってもいいのだが、その間にみゆきが出てきて、部屋でのんびり待っていた、と思われるのはなんか癪だってので、雪斗はそのまま待つことにした。

 そこからさらに五分が経過した。

 これはきっと寝ているのだろう。そう判断した雪斗は形式的なノックをしてドアを開ける。電話の音で起きるとは思えないし、それに寝起きの驚く顔を見てみたいという好奇心もあった。

 上がり框を上がり、リビングへと歩みを進める。

「藤代さん、待ち合わせの時間なんだけど、まだ寝てーー」

リビングに一歩踏み入れるとみゆきの姿があった。だが、一つ問題が起こった。それは彼女が下着姿であることだ。きめ細やかな白い肌が広範に露出されていた。

 長く伸びた黒い髪は湿り気を帯びていて、両手は背中に回している。おそらく朝風呂に入って着替えるところだったのだろう。

 雪斗の存在に気づいたみゆきは、すぐさま腕を胸の前で交差しせ、雪斗から視線を外した。

「ごめん、外で待ってるから」

 雪斗は極めて冷静を装いながら、足早に部屋から出ていった。

 ドアの前の柵にもたれかる。心臓の鼓動はまだ早いままだった。

 みゆきになんて話しかけたらいいんだろう。そう思いながらも、つい彼女の姿を思い浮かべてしまう。白い肌は艶やかで、意外と胸が大きいのが見てとれた。思い出すだけで顔が赤くなるのが自分でも分かった。


 数分後、ドアが開いた。

「遅くなってごめん、お待たせ」

 みゆきは薄い青色のワンピースにレモン色のカーディガンという出で立ちで現れた。雪斗と視線を逸らし、ほんのりと顔を赤くしている。じとっとした目つきから察するに恥ずかしさ半分、怒り半分であると推測された。

「お、おう、それじゃ、行くか」

 どうすればいいのか分からかったので、雪斗はとりあえず駅へ向かおうと歩き出した。

「ちょっと待って」

 みゆきは雪斗のシャツを背中から引っ張った。

「な、なに?」

「あ、あのさ、一つ言うことがあるんじゃない?」

「言うこと?」

「そう、言うこと」

 雪斗は考えた。何か気の利いた答えはないものかと。

「なんというか、すごく綺麗だった」

 結果、褒めてみることにした。みゆきの顔はみるみる赤くなる。ただ今は恥ずかしさより怒りの割合の方が大きいようだった。

「今日はやめにしようかな」

「ごめんなさい、返事を待たず勝手に部屋に入ってすみませんでした」

 雪斗は手のひらを合わせ、謝罪する。

「分かってるじゃない。初めからそう言いなさい」

 まったく、とみゆきは腕を組んだ。

「まあ、私が寝坊したのも、それを連絡しなかったのもいけなかったんだけどね」

 ごめん、とみゆきは少しばつが悪そうに謝った。

「いや、まあ、それはいいよ」

 いいものが見れたしな、と雪斗は心の中でつぶやく。もう一度あの光景を思い浮かべようとしたが、すでに記憶が曖昧になっていた。せっかくだからもう少し見ておけばよかったと少しだけ後悔した。

「それじゃ行こうか」

「ええ」

 二人は並んで駅に向かって行った。多少気まずさは残っていたが、駅に近づくにつれ、少しずつそれは消えていった。

電車で一駅分乗り、十分ほど歩いて目的地に到着したが、二人はショッピングモールの中に立ち入った瞬間立ち止まった。

「ねえ、佐貫くん」

「何?」

「あんまり来たことないから分からないんだけど、ショッピングモールってこんなに人が多いものなの?」

 駐車場の入り口には満車の文字が書かれており、中には多くの人で賑わっていた。

「さあ、どうだろうな。ゴールデンウィークだからじゃないか」

 なるほど、とみゆきは辺りを見回す。

「なんか行きたくなくなっちゃったな」

「じゃあ、今日は帰るか? 買い物はまた後日ってことで」

「そうね。そうしましょう」

 二人は回れ右して自動ドアへ向かった。

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