第3話 4月30日
オレンジ色の西日が差し込む雪斗の部屋に、三三七拍子のチャイムが鳴り響く。雪斗は布団から起き上がり、枕元に漫画本を置いた。玄関に近づき、ドアを開ける。
「ちょっと手伝ってくれる?」
ドアの前には、数枚の紙を持ったみゆきが立っていた。
「それは構わないけど、ちょっと呼び鈴ならしすぎじゃないか?」
そう言いつつみゆきを部屋に招き入れた。
「ごめんなさい。ちょっとやってみたくなっちゃって」
「まあ、その気持ちは分かるけどな」
雪斗は台所へ行き、コップを取り出す。
「何がいい?」
「お茶でいいわ」
「了解」
雪斗がお茶を持ってくる時には、みゆきが持ってきた紙が机上に広げられていた。
「ありがとう、でもこぼすといけないから、床に置いてもらっていい?」
「はいよ」
雪斗はコップをそっと置き、目の前に広がる紙を見た。紙面には少し大きめの目の女の人や細く鋭い目をした男の人が描かれ、付近には吹き出しに文字が書かれている。
「これは新人賞に出す原稿か?」
「ううん、これはネットにあげるやつよ」
「そうか、それで、手伝ってほしいことって?」
「それはね―――」
ズボンのポケットをまさぐり、二つの白い物体を取り出す。
「消しゴムかけです」
「消しゴムかけ?」
「そう、下書きの跡を消すのを手伝ってほしいの。単純な作業なんだけど、意外と時間かかるし、結構疲れるのよね」
「ああ、そういうことか。いいよ」
「それじゃあ、よろしくね」
みゆきは原稿を雪斗差し出す。そして二人は紙面を擦り始めた。
グチャッとしないでね、カスを落とすなよ、などと言いながら、作業を進めた。
「ふう、やっと終わったー。ほんとに結構疲れるな、これ」
手のひらを組み、肩を伸ばしながら言った。
「うん、手伝ってくれてありがと」
みゆきは机上にたまった消しゴムのカスをまとめ、ゴミ箱へ捨てる。
「よし、何か温かいものでも飲むか?」
「あっ、お願い」
雪斗は立ち上がり、台所へ向かう。
「紅茶とコーヒーどっちがいい?」
「紅茶で」
「了解。お湯が沸くまで待ってて」
「うん」
みゆきは、原稿を順番通りに直し、一つにまとめている。
「その原稿は、どうやってネットにあげるんだ」
「スキャナーで取り込むの」
「すきゃなー・・・・・・、藤代さんって、結構最先端なんだな」
「最先端ってわけじゃないわ。佐貫くんが疎すぎるだけ」
「むっ、ま、まあ、否定は出来ないが・・・・・・」
二人は少し笑った。
「そういえば、藤代さんは、いつから漫画書いてるんだ?」
「初めて書いたのは高校一年生の時かな」
「ってことは―――」
雪斗は指を折って数える。
「もう五年になるのか」
「うーん、そういうことになるわね。受験もあったから正確ではないんだけど」
「でもまあ、通りで絵がうまいわけだよな」
雪斗は原稿をちらっと見ながら言った。
「俺なんて、絵心という心が欠落してるからな」
「そんなことないわ。私の絵なんてたいしたことないわよ」
みゆきは、少し自嘲気味に笑った。
「うまいと思うんだけどな、俺は」
「そう、・・・・・・まあ、ありがとう」
二人の間に、沈黙が訪れる。時計の針の音が、カチカチと響き渡った。
「なんて検索したら出てくるんだ?」
「えっ?」
雪斗のふいな質問に、みゆきは頭を傾げた。
「藤代さんの漫画だよ。新人賞に応募してるのは聞いてたけど、ネットにあげてたなんて聞いてなかったからさ」
「ああ、そういえば、言ってなかったわね。でも読んでも面白くはないと思うわよ」
「そんなこと言うなよ。せっかくがんばって書いたのにさ」
「そういうことじゃないわ。私はこれでも作品には誇りを持っているわ。自分の頭を痛めて産んだ子だからね」
自分の作品(こどもたち)を思い出したのか、みゆきは少し遠い目をしている。
「じゃあ、どういう意味?」
「私が書いているのは少女漫画だから、あなたみたいに乙女心を理解できない男には楽しめないってだけよ」
「ああ、なるほど」
雪斗は合点がいったようにうなずく。
「でも、読んでみたいな。今回は俺の手を痛めて産んだ作品
こども
でもあるんだし、消しゴムかけしてるとき見た内容の前後とか気になるしな」
先程見た原稿を思い出すように、雪斗は軽く天井を見上げた。
「ふーん。じゃあ、教えてあげるけど、絶対に言いふらさないでね」
「ああ、わかったよ」
沸かしていたヤカンが笛を鳴らした。雪斗は立ち上がり、紅茶とコーヒーを用意する。
「はい、紅茶」
渡したカップを両手で受け取り、手を合わせた。赤い液体にゆっくりと口を近づけ、一口すすると、顔をゆがませる。
「ちょ、ちょっと、何これ、すごく酸っぱい」
カップを机に置き、口元を押さえる。
「ああ、ちょっとレモン多めに入れておいたんだよ。多すぎたかな」
コーヒーをすすりながら、平然な顔をして雪斗は答える。
「通りで紅茶がやけに赤い訳だわ」
「ごめんごめん。藤代さん、今日なんか疲れてるみたいだったから、クエン酸を多めに摂取させてあげようと思ってね」
「えっ、疲れた顔してた?」
「ああ、目、結構赤いぞ」
そう言いながら、雪斗はみゆきの顔をのぞき込む。
「そ、そうかな」
思わずみゆきは、視線をそらした。
「まあ、気遣ってくれてありがとう」
「どういたしまして」
「でもこれ、飲んでくれない? コーヒーと交換して」
「えっ?」
「これ酸っぱすぎて、私じゃ飲めないから。それに私は疲れたときは、酸っぱいものより、甘いものがほしいの」
「でもこれ、ブラックだぞ」
「今から砂糖を入れたら問題ないわ。はい、交換」
そう言うと、みゆきは一方的にカップを入れ替えた。
「疲れた私を気遣ってくれてありがとう」
雪斗にわざとらしい笑顔を向ける。
「分かった、飲みますよ」
観念した雪斗は、顔を歪めつつ、クエン酸を摂取していった。
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