Turn251.魔界演奏家『師弟関係』

 宿屋に戻った邪眼のグラハムは、窓際に座って外を眺めていた。勿論、目は見えていないので顔だけ外に向けた状態で、なんとなく風を感じていた。

「そろそろ、決着をつけるべきでやんすかね……。コトハのためにも……」

 勇者を舐めて掛かり、遊び過ぎた代償としてコトハを失うことになってしまった。

 土壇場でグラハムの波長を狂わせたのは、きっと勇者の仕業であろう。

 先程に、誰かに見られたような嫌な予感も忘れることができない。もしかしたら、何やら巨大なチカラが、自分たちのところに向かってきているのかもしれない。

──早々に、勝負を決めてこの場からずらかるべきであろう。

 そうグラハムは早合点して焦っていた。


「先生……」

 ドリェンが、珈琲をいれて運んで来てくれたらしい。漂ってきたほろ苦い香りがグラハムの鼻孔を擽った。

「ご気分の方はいかがですか……?」

「ああ……」

 グラハムは小さく頷いた。

 落胆しているグラハムとは違って、ドリェンは普段と何も変わらぬ素振りだ。

 渡されたカップを受け取ると、グラハムはそれに口をつけて啜りながら外に顔を向けた。

「相変わらず、苦い珈琲を入れるでやんすね……」

 その渋みに、グラハムは思わず顔を顰めてしまう。

「はは、すみません。先生にしか、珈琲をいれたりしないので……」

 苦笑いをするドリェンを、グラハムも別に咎めるつもりもないようだ。

 それでも我慢して二口三口、グラハムは珈琲を啜った。


「先生……僕は本当に、先生には恩義を感じております」

 唐突にドリェンから改まった感謝の言葉が送られて、照れ臭くなったグラハムは鼻を掻いた。

「先生は憶えておりますか? 僕が、先生に救われた、あの時のことを……?」

「ああ……。お前たちとの出会い……忘れるわけがないでやんすよ」

 それはグラハムにとっても忘れ難い思い出であったようである。ほとんど間を置かずに、グラハムはドリェンの問いに頷いた。



 ~~~~~



 魔物の中にもカーストは存在する。

 弱小種族のモンスターたちが、いくら同種族の中で力があろうとも強者には敵うわけがない。

 ドリェンもそうである。同族の中では秀でた彼も、他の魔物たちには虐げられていた。

──力を付けて、いつか魔王様のお側に仕えたい。

 そんな夢を抱き、日夜鍛練に明け暮れていたドリェンであったが──。


「はん! 雑魚モンスターが! 無理に決まっているだろう!」

 夢を語るドリェンは、他の魔物たちから鼻で笑われていた。

 下級モンスターでは、いくら力を付けたしとしても他に食われてしまうので魔王様のお膝元にまで辿り着くことすらできないのだ。


 ドリェンはとある施設の中で育った魔物であった。

 下衆で下等なモンスター──そんな魔物が粋がって夢を語るものだから、他のモンスターたちが面白く思うはずもない。

 しかも、ドリェンは出来そこないの合成獣であった。半分は人間の血が流れている──どうやらそれが良くなかったようで、力は周りの者たちよりも減退してしまっていた。


「うぅ……う……」

 ドリェンはボコボコに殴られ、施設の隅っこに追いやられた。苦悶の表情を浮かべるドリェンを前に、暴力を振るった魔物たちは満足気であった。

──それは、ドリェンにとっては日常茶飯事のことである。何時もと変わらない、そんな日常の一幕に過ぎない。

 誰もドリェンを気遣って、心配して声を掛けてくる者などいない。ドリェンが横たわれば横たわったままで、自力で起きるしかない。

 それが魔族であり、当たり前のことである。

 魔物が冷酷非道なのは当然──だから、身の丈以上の地位を手にすることなんて不可能なのだ。

 そんなことに、ドリェンも薄々は勘付いていた。


「大丈夫でやんすか?」


──ところが、そんな常識から外れた者が現れた。

 魔物の一人であるはずなのに、彼の行動は他の魔物たちから逸脱していた。

 魔物が他人の身を案じ、気遣ったのである。

 邪眼のグラハム──彼は、そんな異名を持つ魔族の者であった。

「僕は……」

 ドリェンは何時もと同じ様に、自分の夢を語った。

 ちっぽけなモンスターの、他愛も無い小さな夢──。

 鼻で笑われるのが当たり前であった──それまでは。


「いい夢でやんすね……」

 グラハムの反応は他とは違った。

「その夢は、きっと叶うでやんすよ。大切にするでやんす」

 常識。日常。型。枠組み。当たり前。当然──それまでのドリェンの普通を一変させるグラハムの存在──。


「この人と一緒なら、僕のレールも崩れるかもしれない……」


 それで、ドリェンは決意した。

「僕を弟子にして下さい」

「弟子……?」

 グラハムは首を傾げたものだ。

「弟子を取るには、教えるものがないと駄目でやんすが? 俺っちには何の取り柄もありゃあしないでやんすよ」

「それじゃあ、先生、これを差し上げますよ。僕の家に伝わる三式の和楽器です。その内の三味線を差し上げますから、僕には小鼓を教えて下さい」

「それじゃあ、訳が分からんでやんすよ。俺っちは三味線はおろか小鼓とやらも知らんでやんすし」

 グラハムも苦笑する。

「構いません。僕も、自分でも練習してみますから、どうぞ楽器の生徒として僕を取ってはくれませんか?」

「なかなか面白いことを言うでやんすね……」

 グラハムは差し出された三味線を手に取り、構えてみた。


──べべンッ!


 弦を弾くと音がなった。


──べべンッ!


 それだけである。

 曲にもなっていないし、音階もバラバラだ。ただ、思うがまま三味線を弾き鳴らした。


──ポンッ!


 それに追随するように、ドリェンは小鼓を叩いた。

 持ち方も鳴らし方も分かりはしない。

 兎に角、グラハムに合わせようと音を鳴らした。


──ベン、ベンッ!

──ポンッ!


 一頻り楽器を鳴らすと、二人は笑い合ったものだ。

「気に入ったでやんすよ、ドリェン。いいでやんす。お前を俺っちの楽器の生徒として面倒を見てやるでやんすよ」

「ありがとうございます、グラハム先生!」

 グラハムはドリェンと意気投合し、楽器の生徒として近くに置くことにした。

 施設の者に交渉し、ドリェンを狭い鳥籠の中から救い出してくれた。


──そうして、ドリェンの夢が叶うようにとグラハムは色々とお世話をしたものだ。

 コトハとの出会いもその後であった。ドリェンと同様に施設で彼女はつくられた。下等なスライムと人間の合成獣である自身の存在にコトハも大いに悩んでいた。

 そこにドリェンにしたのと同じ様に、手を差し伸べたのがグラハムであった。



 ~~~~~



「懐かしい話でやんすね……」

 過去の思い出が、まるで昨日のことのように思い返される。

 出会った頃は子どもだったドリェンも、今やすっかり大きくなっていた。

「実は先生。僕達……」

 何事かを打ち明けようとして、ドリェンは口を噤んでしまう。

──それでも言わねばならぬと覚悟を決めて、ドリェンは真実を伝えることにした。

「先生を慕ってお手伝いに来たというのは嘘なんです。魔王様に先生の監視を言い付けられて、本当は僕ら先生に近付いたんです」

「……そうで、やんしたか……」

 ドリェンからの告白に、グラハムは顔を伏せた。どことなくその表情は悲しげであった。

「だから、魔王様が俺っちに大役を担わした割にフリーにさせられたわけでやんすね。護衛でもつけそうなものでやんすけど、密かに監視をさせたかったか……あるいは、俺っちの能力を信用していなかったか……。噂を聞いて来たっていうのも、確かに話が回るにしても早すぎるなぁとは思ったでやんすよ」

「そういうことです。先生、すみません。騙したようになってしまって……」

「いや。構わんでやんすよ」

 グラハムは左右に頭を振るって、キッパリと言い放った。

「……え?」

 その返答の速さに、ドリェンは驚かされてしまう。


「結果的に、お前たちは俺っちのピンチを救ってくれたでやんす。お前たちに恨みなどない……感謝の気持ちしかないでやんすから、事実がどうであったとしても構わないでやんすよ」

「せ、先生……」

 グラハムの心優しい言葉に、冷徹な魔物の一人であるはずのドリェンの瞳からうるりと光るものが流れた。

──自分の夢は、この人のお陰で叶ったのだ。

 後は手となり足となり、この人に尽くそう──。

 ドリェンはグラハムに余生を捧げることを固く決意したのであった。

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