Turn118.勇者『勇者争奪戦』

「はぁー。君たちは、何か勘違いをしているようですねぇ……」

 精神科医が頭を振りながら溜め息を吐く。

「勘違い?」

 僕ら三人を庇うように前に立った不知火が首を傾げる。

 そんな不知火の疑問符に精神科医は頷いてみせる。

「別に、私は、勇者様に危害を加えるつもりなんてありませんよ。本当に彼が眠っているのか、試したんですよ。不思議だと思いませんか? 一回も起きずに眠り続けるだなんて……。もしかしたら、既に目を覚していて、私たちを驚かしてやろうと悪戯しているかもしれないじゃないですか」

 精神科医は自身の衣服の表面を手で埃を払った。

 不知火たちは顔を見合わせた。どうにも、そんな状況には見えなかったが──。

「だいたい、酷いじゃないですか。勝手に人の家に上がり込むだなんて……。チャイムぐらい押してもらいたいものですね。こりゃあ、立派な不法侵入ですよ」

 精神科医が何を言いたいのか、不知火たちには分からなかった。しかし、確かに勝手に上がり込んだのは事実である。

 そこを指摘されると、謝ることくらいしか聖愛たちにはできなかった。

「ごめんなさい。何度か呼び鈴は鳴らしたのだけれど、応答がなくって……。鍵があいていて、尚且つ嫌な予感がしたから……」

「ほらぁっ!」

 突然、精神科医が声を上げたのでみんなの視線が彼へと向けられた。

 精神科医は僕を指差しながらニタニタと笑う。

「見てくださいよ! 今、勇者様が目を開けましたよ。ほ〜ら……やっぱり、私たちを弄んで楽しんでいたのですね!」

 大声を上げる精神科医の言葉を受けて、聖愛も顔を向けてみた。

 ところが、どう見ても車椅子に座らされた僕の瞼は閉じたままで眠っている。寝息を立てている僕には目を覚す気配がまるでない。

 それでも精神科医は両手を広げながら大仰に笑ったものである。

「ほら、見なさい! 勇者様が目をお開けになられたぞ。起きてるんだ!」

 さんざん喚き散らした精神科医はふと我に返り、聖愛たちに向けて指でクイクイと手招きをする。

「さぁ……勇者様をこちらに渡してもらいましょうか。目覚めた勇者様の、お世話をしてあげなければなりませんからね」

 クックと笑う精神科医の姿が余りに狂気じみていて、車椅子のハンドルを握る紫亜は恐怖で動けずにいた。

 本当に精神科医に僕を渡してしまって良いものか、疑問を抱いて首を捻る。

 すっと前に出て、代表して声を上げたのは聖愛であった。

「悪いけど、渡す気にはなれませんね。貴方、何だか変ですもの……」

「なんだってぇっ!?」

 精神科医は思い通りにいかず、苛立っている様子だ。眉を吊り上げ、ギリギリと歯軋りを始めた。


「……ああ、そういうことですか」

 激高するかと思われた精神科医であったが、途端に意気消沈する。何事かを思い立ったかのようにポンと手を叩く。

「君たち……魔王の手先の者ですね? 私から、勇者様を奪いに来たんでしょう。……ははぁん。そういうことでしたか。上手く人間に化けたようですが……そうはさせませんよ」

 精神科医は勝手にトンデモ解釈をすると、床板に突き刺さったナイフを引き抜いた。

 そして、その刃を聖愛たちに向ける──。

「勇者様は、私がお守りします。魔王の手先などに渡してたまるものですか!」

 雄叫びを上げた精神科医が上半身を反らせる。

──その姿は狂気じみて見えた。


「これ以上、あの人に関わったら危なそうね。逃げるとしましょう」

 聖愛が精神科医に視線を向けながら、背後の二人にそう告げた。不知火と紫亜も同様の意見のようで、ジリジリと後ろに下がり始めた。

「勇者様を返せぇえええぇえぇぇっ!」

 咆哮をあげた精神科医に背を向け、三人は僕の体を死守するために部屋から飛び出して行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る