Turn002.勇者『鍵を手に入れろ』

デスクワークをしている教師たちの視線が一斉に職員室の扉を開けて中に入った僕へと向けられた。

生徒が職員室にやって来るというのは相談か──或いは何か厄介事を持ってきた時くらいしかないのだろう。異質な存在でも見るかの様に、どうにも教師たちの視線が冷ややかであるように感じられた。


僕が職員室内を歩くと、それに合わせて教師たちの視線もついてきたものだ。誰に用があるのか──何をしに此処へ来たのか──それを見極めたいのだろう


そんな視線には動じず、僕は目的である理科室の主──理科教科担当の跡部先生のデスクへと向かった。

授業を受け持っているとはいえ大して親しいわけでもない生徒がいきなり訪ねてきたのだから──跡部先生も驚いたような顔になったものだ。

「え、私かい?」

口をあんぐり開けながら跡部先生は目を瞬いていた。


勿体つけても仕方がないので、僕は単刀直入に用件を口にする。

「跡部先生。理科室に入りたいので、鍵を貸してもらえないでしょうか……」

「……何だって? なんで、君に鍵を貸さにゃならんのだ?」

困惑な表情から不審そうな顔になる。跡部先生から当然のようにそうした疑問の声が返ってくる。


──それはそうだろう。

ちゃんとした理由もなく二つ返事で、はいどうぞと貴重な教室の鍵を生徒などに貸し出してくれるわけがない。

考えれば、分かることだ。

でも、僕は想定していなかった。

跡部先生に尋ねられて、準備不足を実感したものだ。


「どうした? 何か理由があるんじゃないのかね?」

「あ、はい。えっと……A組の小野田にノートを貸したんですけど、それを理科室に忘れたらしくて……。勉強したいから返してって言ったんですけど先生にバレるとドヤされるから、って突っぱねられて……」

脳味噌をフル回転させ、言葉に詰まりながらも僕は口を動かした。止まれば何だか胡散臭さが増してしまう様な気がして必死に言葉を紡いでいった。

「待ってても埒が明かないと思ったので、代わりに自分で回収しようかと思いまして……。でも、理科室のドアが開かなかったので、それで鍵を……」

適当な理由としてA組の小野田を犠牲にすることで、何とか形にはなったものだ。

とは言え──A組の小野田とは挨拶を交わす程度の仲なので、ノートを貸し借りするような間柄でもない。

僕は心の中で小野田に謝ったものだ。


「また小野田の奴かっ!」

そこまで黙って僕の話を聞いていた跡部先生だが、突如として声を張り上げた。

「珍しく授業をきちんと受けていたと思ったら、あいつめ!」

──どうやら、小野田は常日頃から跡部先生に目を付けられている生徒らしい。本人の知らないところでより一層、心象を悪くしてしまったようだ。


──申し訳ない、小野田君……。


いや──何事にも犠牲はつきものである。それで上手くいくのなら、きっと大人しく成仏してくれるはずである──。


跡部先生が立ち上がり、戸棚へ向かって歩き出したので僕は胸を撫で下ろしたものである。

僕の話を信じて、鍵を貸してくれるのだろう。


そう思ったが──どうやら違うようだ。

棚の中から鍵ではなく帳簿を取り出した。その背表紙には『落とし物届け出』と書かれてあった。

帳簿のページをペラペラと捲りながら、跡部先生は唸ったものだ。

「うーん……忘れ物は届いておらんようだな……」

僕が小野田に貸した架空のノートが『落とし物』として届けられていないか、チェックしてくれているらしい。存在しないのだから届けられていないのは当然である。

「A組の授業をあそこでやったのは、確か二週間前だったからなぁ……。もしかしたら小野田の奴、家に持って帰って、持って来るのが面倒で適当なことでも言ってるんじゃないのか?」

「え。に、二週間前……?」

ずいぶんと前の話である。

──碌な下調べもせずに適当なことを言ったのだから粗が出るのは当然である。

毎日のように掃除当番が教室の掃除をしているのだから忘れ物があれば先生なり当人なりに届けるだろう。


──あぁ、そうか。掃除当番だ。

跡部先生との話の中で、僕は別の発想に気が付いた。

わざわざ苦労して先生から理科室の鍵を借りずとも、掃除当番が回ってくれば簡単に理科室に入れるではないか!

理科室での授業はまだまだ先だが、掃除当番ならばもうすぐ回ってくる。

ここは、これ以上嘘で塗り固めるよりも、その時が来るのを待つべきではないだろうか。──そう思ってはみたが──「いいや」と僕は首を左右に振るった。

妙案とも思えたその考えを、自ら払拭する。

──どうしても、できるだけ早く、鍵を開けないといけないような気がして仕方がなかった。

そんな悠長に、時が来るのを待つような余裕はない。

──今すぐだ! 一刻も早く、扉を開けるべきなのだ!

そんな思いが強く出て、僕は我慢が出来なくなった。


「じゃあ、テストで点数を取れなくても文句を言わないで下さいよ!」

跡部先生と駆け引きをしている時間すらも惜しく感じられた。印象は悪いだろうが、なりふり構わず脅し文句でなんとかゴネて、無理矢理に鍵を借りるしかない。


これで少しでも先生の心を揺さぶれれば良いのだが──。

「教科書があれば勉強なんて出来るだろう。それに、点数が低くて困るのは私じゃなくてお前だ。そもそも、大事なノートなら人には貸さずに側に置いておくんだな。ノートの貸し借りは認めていないからな。……テストは授業さえきちんと聞いていれば、簡単に解けるはずだ」

たんたんと正論で返されてしまって、ぐうの音も出なかった。反論の余地すらなく、次に返す言葉も思い付かない。

僅かな抵抗とばかりに、僕は不満げな表情で先生を睨んでやった。


跡部先生は苦笑する。

そして、意外なことを口にした。


「別に、鍵を貸すのは構わんさ。もしかしたら、どこか見にくいところにあるのかもしれんからな。本当にないかどうかは、自分自身の目で確かめてくれば良い。それに、テストの点が下がったことをこちらの責任にされても堪らんからな。……ただし、鍵は終わったらすぐに返しに来いよ」

そんなことを言いながら、跡部先生は『理科室』という札のついたキーを差し出してきた。


──だったら、最初から出してよ!

それが率直な感想であったが、そんなこと口が裂けても本人を前にして言えるわけがない。

「ありがとうございます」

素直に頭を下げ、僕は跡部先生から鍵を受け取った。

「ああ、構わんさ。ノートが見付かると良いな」

跡部先生から何ら疑いの目を向けられなかった。

どうやら僕は、跡部先生からの評価が高いらしい。

確かにこれまで授業をきちんと聞いてきたし、テストもそれなりの点数を取れるように頑張ってきた。

そうした積み重ねから信用を得たのだろう。

日頃の行ないというのは大事である──と、染み染みと感じたものだ。

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